セリア・ボードリヤル
深い深呼吸をして気魂の身体強化を解く。
全身の筋肉が緩んでいった。
特に傷を受けたわけではないから、手持ちのポーションを飲む必要はなかった。
刀を見ると、べっとりと脂がついていた。
おれは水筒から水を刀身にかけた。
そして二度、三度と刀を振った。
不思議なことにこの刀はこうしてやるだけで元のように美しくなるのだ。
さらには刃こぼれひとつしない。
東方の国の刀が全てそういう性質を持っているのかといえば、そうではないという。
通常は脂落としや乾燥、研ぎといった手入れがあって初めてその力を発揮するのだという。
もしかすると気魂スキルと関係があるのかもしれないが、これもまた研究が進んでいないことから理由は不明だ。
おれは刀を鞘に収めると、変わって小刀を取り出した。
それを用いてオークキングの耳と手首を切り取り、手持ちの袋に入れた。
気持ちが悪いが、これをしないと冒険者ギルドで討伐が認められない。
そう。
おれは、冒険者ギルドのクエストを達成したのだった。
「よっと」
手柄の証明ができるようになれば、この森には用がない。
おれは小走りに森を出た。
ふと気がつけば、身体が軽い。気分的にもモヤが晴れたような感覚があった。
身体を動かすというのはそういう作用があるのかもしれない。
もう陽がかなり西に傾いていた。
夜でも冒険者ギルドは開いているが、御多分に洩れず酒が回った者たちで占拠されているだろう。
オークキングの討伐は難易度が高いので、カウンターで認定を受ければ酔っ払いに絡まれるのは必定だった。
なるべく目立たずに討伐報告をして換金したい。話が広まってしまっては面倒なことになる。
おれはポール執事の陰湿な顔を思い出してしまった。
首を振ってその残像を頭から追い出す。
森から出てしばらくは荒野を進んだ。
遠くにポワイエの城壁が小さく見えてきた。
この辺りは起伏の激しい、固く乾いた地面が続く。水はけが非常に良いのか、雨を溜め込まない地質のようだった。
「おや?」
思わず立ち止まって身を屈める。
周囲がだいぶ暗くなっていたため、気魂スキルを使って身体強化を行う。
便利なことに、このスキル効果は視力も上がるのだ。これで夜目が効く。
目を凝らして見ると、どうやら戦闘が起きているようだった。
ざっと数えたところ、20名ほどの鎧を纏った人々が魔獣と戦っている。
その構図を見ておれは状況を理解した。
鎧を纏っている方はボードリヤル家の兵士。魔獣掃討の任を受けたのだろうか。
冒険者ギルドが手に負えない時などに、正規軍が登場することが稀にある。
ベルグランド公爵などは、平和な時代になった後も手勢を率いてこの仕事をこなしていた。
広くは領民のため。
もう一つの理由は戦闘経験を兵士に積ませるためなのだそうだ。
となれば、目の前で展開されている戦闘も公爵家の仕事だ。
おれは余計な波風を立てる必要もないだろうと思い、迂回してその場を離れようとした。
「・・・うーん」
どうにもその戦いから目が離せない。
正直言って、あまりボードリヤル家側の状況がよくないのだ。
まずは人数が少ない。20名程度というのは何か事情がありそうだ。
ついで魔獣の存在だ。
「アックスビーグ??」
それは斧のような嘴を持つ大型の走行獣の群れだった。
力が強く、スピードもある。そして何より凶暴だ。群れで襲ってくれば、巧みな戦術で獲物を捕らえる知能もあった。
「うおっ!」
その時、閃光が走った。
地面から光の柱が立ったのである。
「あれは、聖剣技じゃないか」
ボードリヤル家は聖騎士の称号を持っている。
武において最強という称号を支えているのは、何も過去の戦争での手柄話だけではない。
その一族に伝わる、ボードリヤル家の血を引くものでなければ使えない秘技・聖剣技も理由のひとつだ。
聖属性のエネルギーを凝縮させ、剣を介して自在に物理・聖属性攻撃をすることができる。
闇属性が多い魔獣相手には酷いほどの威力を発揮するのだ。
そうなれば、あの小隊の中にはボードリヤル家の人がいて剣を振るっているということだ。
公爵家の者自らが指揮を取る小隊。
普通に考えれば魔獣の群れに負けることはないだろう。
けれども・・・見ている限り、事はそこまで楽観視できないようだ。
小隊はアックスビーグの群れと面で対峙している。
その前衛が押され始めていた。
ジリジリと兵士間の連携が取れなくなっていた。
小隊の後方では、傷ついた兵士が横たわり治療を受けている。
アックスビーグの群れは押し引きを繰り返しながら小隊の陣形を崩そうとしていた。
「まずいな、包囲しようとしているな」
おれは小隊の指揮を取っている人物に目を移した
銀の鎧に金色の彫りが入った姿。すでに下馬して大型の剣を構えていた。
鎧の上からでもスラリとした肢体がうかがえる。膝から下がとても長く見えた。
金髪で気の強そうな眼差し。
凛とした雰囲気は指揮官というにふさわしいものだった。
「セリア様だ」
ボードリヤル家の現当主・レモンド公爵の長女で、英雄・ベルグランド公爵の孫。
多くの人がイメージする「貴族のお嬢様」ではないことで有名だった。
もちろん社交界にも出席するようだが今日のような戦場での活躍がその名を世に響かせていた。
その武勇はもちろんだが、セリア様の代名詞となりつつあるのがその『聖剣技』だった。
『ガァぁぁ!!!!』
セリア様が剣を振るい、また光の柱が立った。
アックスビーグが数匹、宙を舞って地面に叩きつけられた。叫び声と大量の血を吐いた後、痙攣し動かなくなった。
セリア様は現在のボードリヤル家で最も巧みに聖剣技を使いこなすのだという。
本人も聖騎士としての意識が高く、頻繁に各地を転戦しているのだそうだ。
まだ若いことから百戦錬磨とは言えなくとも、十分な実践経験を積んでいると言って良い。
けれども、そのセリア様が前線に立たざるを得ないほど小隊はアックスビーグの群れに押されていた。
「・・・」
どうしようか、逡巡した。
戦闘に割って入ったところで、おれは素人。プロである兵士たちのように働くことはできない。
だが、それでも大恩あるボードリヤル家の危機だ。
それに・・・
セリア様のことが気になった。
諦めずに剣を振るう姿・・・と言うよりもその剣技や体捌きだ。
なぜか目で追ってしまうのだった。
自分の頭にある動きのイメージと奇妙なくらい符号していく。
そして、その分疲労の色が濃くなっているのが手に取るようにわかった。
指揮がうまくいかないこと、歯噛みするようなもどかしさを感じていることも理解できた。
不思議だ。
おれは目の前の状況を変えたいと強く願っている。
セリア様の苦境を救いたいと思っている。
それは人として当然の感情だろうと思う。
困っている人を見れば助けよ。なんらおかしなことではない。
けれどもその感情が、自然に湧き上がってくる衝動の強さがおれを戸惑わせていた。
そうだ、忘れていたのだ。
過酷な毎日の中で、家に帰ることもできない生活の中で、おれは感情の柔軟性を失っていたのかもしれない。
本当は目の前で困っていた人がいたのに、それが目に入らなかったのかもしれない。
もしかすると、手を差し伸べてくれた人の気持ちに気づかないことがあったのかもしれない。
気がつくと、地面を蹴っていた。
気魂を充実させて、身体強化の度合いを上げていく。
ぐんぐんと戦場に引き寄せられた。
頭にチラつくポール執事の顔を振り払いスピードを上げていった。
沸騰するような感情の中で頭だけは妙に冴えている風に思えた。
救援するのは小隊の前線では無い。より根本的な点の改善が必要だと考えていた。
「大丈夫ですか!!!」
「き、君は???」
「安心してください。ボードリヤル家の家人です」
おれが真っ先に声をかけたのは後方で膝を折っている兵士たちだった。
リュックからいくつもの小瓶を取り出してその口を開ける。
「さ、これを飲んで」
そう言いながら、次々と負傷兵にポーションを飲ませ、傷口には直接かけてみた。
よく考えてみれば、おれはこれまで戦場に出たことがない。
なので、現場で自分が作ったポーションが使われるのを見るのは初めてだった。
本当にちゃんと効くのだろうか?
少量であれば自分に試しているから自信があるのだけど・・・
だがその心配はどうやら杞憂に終わったようだ。
「これはなんだ・・・すごいぞ!!!」
必死に走り回ってポーションを配っていたところ、思わぬ歓声が上がった。
何のことかと驚いて振り返ると、負傷兵が立ち上がっていた。
「効果が、効果がすごいポーションだ!」
「ありがとう、これで前線に戻れるっ!!」
そう言うと兵士たちは次々と剣を拾い、今にも走り出そうとしていた。
「待って!!!」
おれが短く叫ぶと、兵士たちが驚いて振り返った。
そう、まだ仕事は半分だ。
「その魔法剣を貸してください『鈍って』ますよ!」
「だ、だが・・・」
「いいから!突貫で直すから!」
おれは五人分の剣をまとめて地面に並べると一旦身体強化を解き、あらためて気魂を充実させた。
両の手に力を集中させ、魔法剣と自分の感覚をリンクさせていく。
「鈍ってる、歪んでいる・・・」
魔法剣とは使い手が得意とする属性の魔力を込めて攻撃力を上げる武器だ。
しかし、使い続けると魔法が流れる回路が歪む。このことが魔力の漏れや滞留を生み、剣の性能を落としていくのだ。
おれが鍛冶場で担っている仕事は、この回路の修復作業である。
「最低限の修復・・・こうして、こうやって」
気魂をコントロールしながら五本の剣の修正をまとめて手がけていく。
初めてのことだが、やってみると意外とできるんだなと思った。ただ、切れ味の復活だけは研ぎ師の仕事だから勘弁してほしい。
およそ三分。突貫ではこれくらいしか対応できない。
「できたよ!さぁ、もう一踏ん張り!」
「おお!!」
「次!!」
兵士たちは魔法剣を手に再び前線に戻っていった。
そして他の兵士の魔法剣の回路修復を行う。一人で戦場に参加するよりも複数名を戦線に復帰させる方が合理的だと考えたのだ。
おれの一通りの作業が終わると、新たな戦力が投入された形になった小隊は勢いを取り戻していった。