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Smoky Breath  作者: 音羽 裕(Yutaka Otowa)
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9th progress「翼、闇夜に舞いて」

9th progress「翼、闇夜に舞いて」


西暦2038年3月4日

ル・シエル北棟3F、305号室


「えー、では次のニュースです。先日、北朝鮮がアメリカ軍に軍事施設の全面明け渡しを行った矢先ですが、国連及びアメリカ軍は中国に、核兵器を生産していると見られる軍事施設への査察を求める声明を発表しました。中国側はこれに応じない構えですが、アメリカ側は、これにもし拒否した場合には空爆等も視野に入れた軍事制裁も辞さないとして、強気の構えです」


 なんか、もうどうでも良くなってきた。

 侵攻、空爆、軍事制裁……聞き慣れた単語がスピーカーからガラガラと雪崩を起こしてる。けど、最近は任務から離れて訓練に明け暮れてる俺達には、今のところ全然関係ない。故に取り立てて気にする必要もない。関係ない事はとりあえずほっとけ。それが、この歪んだご時世の正しい渡り方だ。

 アジアについてはあんまり情報が入ってこないからよく知らないけど、ここヨーロッパはこのところ至って平和だ。ワルシャワの時みたいな物騒なミッションもぷっつり途絶えたみたいに入ってこなくなったし、ごくたまに戦地へ駆り出されたとしても、ベルリンの時みたいな施設の設営がほとんどだ。

 どうやらサイモン少佐が率いてる隊は、チェコの国境あたりでずっと停滞してるらしい。不気味に思えるくらい国境線で何も動きがないんで、兵士達もずいぶんやきもきしてるんだそうだ。

 「東の方でアメリカとぶつかってる真っ最中だから、チェコ軍も西では厄介ごとは起こしたくないんだろうな……」って、笑いながらグェン隊長が言ってた様な気がする。


 うねる世相を小耳に挟みながら、一人吸うタバコ。小さな灯火から伸びる煙は、自由を求める様に窓の外へ抜け出していく。その窓から時折吹き抜ける風も、最近になって冷たさが抜けたような気がする。そろそろ春が来るんだな。

 「時は止まることなく流れているんだ」ってのを、今はビリビリと肌で感じる。安らぎに満ちた煙を胸一杯吸い込む俺が求めている物は……一体なんだろう?


 まあいいや、どうでもいい。


「ユーイチさん、ちょっと」

「ん?」


 部屋に飛び込むなり俺を呼びつけるハインツの声に、俺はまだ火の残ってるタバコを強く揉み消した。

「どうした?」

「ええ……ミッションですよ。久しぶりにね」

 はきはきとした甲高い声でハインツは答えながら、握っていた一枚の手紙をそっとテーブルの上に置いた。俺はすぐさまそれを引っ掴み、手早く開いてみた。

「えっと『概要……ポーランド北東部にて行われる学術調査に於いて、パルサー教授を調査地へ案内し、共に行動せよ』なんだこりゃ?」

「たぶん、この教授の護衛をしろってことだと思いますけど」

 もの静かな口調でハインツは言葉を返したけど、その声も幾らか揺らいでた様な気がした。それだけでもう、この作戦の重要度は大方見てとれる。

 俺は手紙を適当に四つ折にして、汚いテーブルの上にポンと置いた。すると、

「ポーランド北東って、おい?」

 その言葉に、俺はすぐさま視線をベッドの向こうへ傾けた。

 俺達のやりとりを何も聞いていない様な素振りで、ずっとファッション雑誌を読みふけっていたコーが、いつの間にか表紙の横からじっと視線を送ってたからだ。

「空爆ありーの、テロありーのでずいぶんヤバいらしいぜ、あっちの方」

「……マジかよ」

 一発でトドメを刺すようなコーの言葉に、俺はカクンと肩を落とした。

 なーんだ、やっぱりヤバいのかよ。大体予想はついてたけど……なんか俺達って、厄介事ばっか押しつけられてんな。やたら貧乏くじ引いてるのか? うちの隊って。

 雑誌をクシャクシャになったシーツの上に放り投げると、コーはダラダラ伸びた前髪を何度も掻き上げた。その隣には、冷蔵庫から取り出したサプリメントウォーターを、ゆっくりと口に含むハインツがいる。

 それぞれ行動は違うけど、二人が突き動かしようのない不安と向き合って、それをなんとかごまかそうとしてるのが分かる。たとえ軍人やってたって、不安なもんは不安だ。

 俺達は……特別な人間なんかじゃない。


 ぐっと背伸びをして俺はまた、さっき消したばかりのタバコにもう一度火を付けた。


西暦2038年3月8日

ポーランド東部、多国籍軍キャンプ


「おお、君たちか。どうだい、元気か?」

 本部ロビーのソファーに幼い兄弟みたく並んで座る俺達に、軽い口調でサイモン少佐は答えてみせた。

 ここは、ずいぶんと昔に閉鎖した化学工場の内装を造り替えただけの仮設キャンプ。内壁は白く塗り替えられて割と綺麗だけど、天井の隅を見上げてみると、何に使ってたんだかよく分かんない金属パイプがいっぱい並んでるのがハッキリと見える。

 まだ設営が完了しているわけじゃないし、窓越しにうかがえる鉄柵の向こうでは、兵士達が弾薬の入ったボックスを担いでアリンコみたいにうろちょろ歩いてる。そんなゴチャゴチャした雰囲気にもかかわらず、サイモン少佐は時間を割いて直接俺達に会いに来てくれたってわけだ。

「ええ。このところ危険な任務はほとんどなかったんで、気楽と言えば気楽でしたけどね」

 てな具合に、真っ先に口を開いたのはジュネだった。こいつはなぜだか知らないけれど、サイモン少佐と異常に仲がいいみたいだ。

 俺が初めて少佐にお目にかかったのは確か……そうそう、ワルシャワでのあの一件から1ヶ月後ぐらいだったか、軍用機生産工場の立ち入り調査のために再びワルシャワを訪れた時だ。

 ル・シエルの面々が集う中、サイモン少佐が全ての作業をてきぱきと指揮していたのを俺ははっきり覚えてる。なにせあの鋭い瞳の持ち主。俺やコーを含めて初対面の面々は少佐の顔をを見ただけでビクついてたけど、グェン隊長とジュネだけは至ってフレンドリーに接してたのが俺は不思議でならなかった。

 まあその後、グェン隊長達も交えてサイモン少佐と食事をしてみて、多少お堅いところを除けばものすごくいい人なんだって事はだいたい察しがついた。人は見かけによらない……っていうか、人を見かけだけで判断しちゃいけないって思い知らされたって訳だ。

 まあ今となっちゃ、グェン隊長よりか頼りになる、指揮官さまさまってとこだけど。

「それより、隊長さんはどうしたんだ?」

「別の重要な任務があるとかで、今回の作戦からは外れてるんです。だから今は、ジュネさんが暫定的なリーダーなんですよ」

 口元を軽く緩ませて、ハインツはジュネに目線を合わせた。

 グェン隊長とディアナさんは今日を含め、最近表立った行動にはほとんど顔を見せなくなった。なんか別の任務に追われているみたいだけど、それが一体なんなのかは俺達の耳には届かない。「サイパンかどっかでアバンチュールでも楽しんでんじゃない?」なんてコーが口走って「あんたの頭は年中アバンチュールしてるね」なんてジュネに突っ込まれたのも最近の話だ。

「へぇー、そうなのかい」

 緩やかなハインツの言葉に、少佐は興味津々の口調で問い掛けた。

「まっ、当然よね。そこの無気力コンビなんかに任せといたら、この隊もどうなる事やら……」

「……おい」

 俺とコーはほとんど同時に、尖った視線をジュネに突き刺した。「どういたしまして」と目で語る様に、ジュネが意地悪っぽい笑みで返すのがハインツの頭越しに見えた。

「ところで、北東の荒野にはいつ向かうつもりなんだい?」

「パルサー教授と明日合流して、すぐでも任地に向かうつもりなんですけど」

「そうだな。けど、だったらもう3日ぐらいはこの街で待機した方がいいだろう」

「え?」

 声色一つ変えず発せられたその言葉に、俺達一同は揃って少佐の方に身体を向けた。

「あっちの方では最近、定期的に空爆が繰り返されているそうだ。至って小規模だし、東部軍の単なる威嚇攻撃だろうとは思うが……とにかく、最後に空爆があったのが先月の頭だったから、そろそろ気を付けた方がいいな」

「そ、そうなんですか?」

「ハッハッ。まあ、そう神経質になる事もないさ。空爆といったって、標的はほとんどが軍需工場で、民間の施設にはこのところ被害はないんだ。だけど、万一の事を考えて……おっと、そろそろ時間だな」

 太い腕によく似合うシルバーのごつい腕時計に目をやると、少佐はすくっと立ち上がり、軍服のしわを慌ただしく伸ばした。

「では……」

 俺達に軽く一礼すると、少佐はゆったりした歩調で颯爽と去っていった。肩幅の広いその後ろ姿を俺達はただ、ボーっとした目で見つめるだけだった。

「いいよねぇ。やっぱり」

 少佐が立ち去ってから一呼吸置いて、ぽつりとジュネがつぶやいた。

「気配りも欠かさないし、芯のしっかりした人ですね。本当、僕も見習わないと」

「そうそう、どっかのバカ二人とは大違い……」


「……悪かったな」

 俺はタバコをクルクルと指先で回して、おもむろに火をつけた。


西暦2038年3月11日

ポーランド北東部



「サイモン少佐に会っといてよかったよね。本当に」

 すすとタバコのヤニで薄汚れた狭い車内で、俺達は揃って首を縦に振った。

 東部軍の空爆で、橋が一つ落っこちたのはつい2日前の事だ。橋を含め、その周辺の工業地帯は既に瓦礫の山で、網の目みたいに広がる街道もズタズタになっちまったらしい。

 サイモン少佐の忠告も聞かずにさっさと出発してたら、俺達はちょうどその日あたりに橋を渡っていた事になる。なんていうか……運が良かったとしか、他に言いようがない事は確かだな。

 そんなこんなで俺達は今、古い年式の軍用車で荒野を駆け抜けてる。一応4WDなんだけど、初期型のモーターを使ってるせいかレスポンスも悪くて、どこか頼りない。もっとも、まだガソリン車が主流だった昔にしてみれば最新鋭の車だったらしいけど、今となっちゃ明らかに力不足だ。

 本当はもっとマシな道を通っていくはずだったけど、橋が落っこっちまったんじゃしょうがない。予定よりも西側へ大きく迂回して、地面が剥き出しのままの道なき道をまた東へと戻る。今はその真っ最中だ。

「ねえ。あれなに?」

 一人で助手席に乗り込んでるジュネが、ふと窓の外を指さしながら叫んだ。つられて俺も、左側の窓を覗いてみる。

 まだ葉もつけてない、枯れた木々がズラッと並ぶ向こう側。遠くに見える景色の中に、ぽつぽつと何かが並んでるのが見えた。時々動いてるから、多分何かの生き物だろう。見たところ茶色っぽい色で、数も50ぐらいは余裕でいるみたいだ。

 窓にもっと顔を近づけて、俺は目を更に凝らしてみた。

「馬か牛じゃねえのか? 多分……」

「あれは遊牧民のキャンプだな。この辺りは昔から、遊牧民が家畜を連れて流浪を続ける地。特に不思議でもなんともないがな」

 そう言いかけた俺の言葉を真後ろに座る老人、パルサー教授が途中で遮った。

 ふさふさした白髪を後ろへ流し、細いフレームの銀縁眼鏡。いつも笑顔を絶やさない人で、口元の笑い皺は消える事がない。

 サイモン少佐と会ったその日の夜に初めて教授と会ったんだけど、ル・シエルの所属だって事をその時に知ってビックリした。普段は研究室に籠もって歴史民俗学の研究をしてるそうで、今まで一度も顔は見た事はなかった。年の頃は初対面では60そこそこに見えたんだけど、74歳だって聞いて更に驚いたっけな。

「遊牧民がいるようでは、目的地はまだまだ先だな」

「どうしてですか?」

 教授の隣に座ってるハインツが、身を乗り出しながら問い掛けた。

「うむ。今、わしらが向かっておる場所はかつて、天に居られる神の加護を約束された地だと記されておってな。その名残もあってか、遊牧民達も決して足を踏み入れようとはせん。一口に言えば、前人未踏の『秘境』といったところだな」

「おいおい。ひょっとしてそこ、メチャクチャ辺鄙なところじゃないでしょうね」

「ハッハッハッ。まあ、それは着いてのお楽しみだな」

 首をグルグル回しながらダラダラとつぶやくコーに、教授は口元を思いっきり緩めながら言い放った。このやり取りを見てるだけでは、とてもこの爺さんが学者だって欠片も思わないだろうな。

「それより……なぜこんな物騒な時期に、そんな辺境まで調査に赴くんですか?」

 ドライバーとの世間話にも飽きてきたのか、ふっと思いだした様にジュネが問いかけた。すると、

「おおっ! よくぞ聞いてくれた!」

 さっきまでずっと老人らしくポンヨリしていた教授の瞳が、まるで子供みたいにキラリと輝いた。

 ボチボチ通ってた工業高校の先公にも、自分の専門分野ばっかり熱く語る奴がいたっけな。いわゆる「イッツ・マイ・ワールド」ってやつだ。やたら情熱を帯びた教授の瞳を見て、なぜかそんな事を思い出した。

「実はだな……昨年の夏にこの地を訪れた旅行家が、ある興味深い物をファインダーに収めたんだ。なんなら見てみるかい? お嬢さん」

 小躍りする様な口調で続けながら、教授は後部座席から助手席のジュネへ1枚の写真を手渡した。

「なっ……何これっ!」

 途端、震えた声を更にひっくり返したジュネの叫びが、狭い車内にキンキン響き渡る。

「なあ、俺にも見せてくれよ」

 続いてコーが前から回ってきた写真を受け取り、しかめ顔でじっと覗き込んだ。コーの隣に座る俺だけじゃなくて、その真後ろの席に座るハインツもまた、それを見ようと背もたれ越しにグッと身を乗り出す。

「なんだこりゃ? 人の骨か?」

「違う、これは人骨じゃない。背中のこれは……」

 写真を掲げながら疑問の声を上げるコーを、ハインツの言葉がピシャッと制した。俺もじっと写真を覗き込んでみる。

 その写真は隣から垣間見る俺の目にもはっきり見えるほど、くっきりと被写体を収めていた。

 ぽつりぽつりと立つ針葉樹の間を埋め尽くす様に、青々と生い茂る草むら。そしてその隙間には、仰向けに覆い被さる様に倒れてる一体の白骨が、不気味にその姿を覗かせてる。端から見れば人骨のようにも見えるけど、背中からはなにか妙な物が突き出してるのがはっきりと分かった。

「翼? なんか、コウモリの翼みてえだな」

「ご名答。これは『翼』だよ」

 「その言葉を待っていた!」って具合に、教授は張りのある口調で答えた。

「翼って……じゃあこれ、なんかの動物の骨? でも、こんな動物いたっけな?」

 写真を見る限り、これが動物の骨だとはどうも思えない。翼を持ってるって限りはなんかの鳥じゃないかとも思うけど、こんな人間みたいな骨格を持った鳥なんて、少なくとも見たことも聞いたこともない。

 ひょっとして、鳥人間……? いや、まさかな。

「ハハッ。ひょっとしてその写真、誰かが模型使って撮ってたってオチじゃねえだろうな?」

 手の内にある小さな写真を細い目で見つめながら、冷やかし気味にコーが口を挟む。

「しかしながら……この地には数千年ほど前から、翼を持った気高き存在、即ち『悪魔』が棲み着いていたという伝承が根強く残っておるのだ。もしかしたら、翼を持ったなんらかの生物が太古の昔に存在し、それを悪魔と呼んでいたという事も考えられないかい?」

「ってことは、これはその謎の生物の化石って事かい?」

 教授の言葉に一発で丸め込まれて、もうコーは納得したような表情を浮かべてる。でも俺は、まだこの写真についてどうも腑に落ちない部分が残っていた。

 これといった理由を聞かれても困るんだけど……まあ、なんとなく。

「でも、変じゃないですか? 化石っていうのは普通、太古の昔の地層から出てくる物ですよね? それがこんな地表に、しかも風化しないで完全に残っているなんて」

 なんて俺が一人勝手に疑ってる間に、ハインツが後ろからスパッと疑問の声を上げた。

「確かに……そうよね」

「この件に関しては、わしもまだ未確認な事項が多くてな。実地調査とは言っても、しばらくは手探りの作業になりそうだな。まあ、私に写真を渡してくれた旅行家の話によれば、これと同様の白骨をこの辺りではいくつも発見したそうだし、根気よく探せばそのうち見つかるだろうて」

 ハインツやジュネが不安げな声を上げるのもよそに、教授はカラカラと無責任な笑い声を上げた。

 国立大学と提携してる研究調査だってのに、ずいぶんあやふやなもんだなーと俺は思う。これだけ世の中がいろいろ物騒になってきてるってのに。下手すりゃ俺達、橋ごと河の中へ真っ逆さまって事もあったかもしれないんだぞ。

 これでもし、なんの収穫もなしで終わっちまったら……キレるぞ。


西暦2038年3月11日

ポーランド北東部辺境


 なんか、すっごく拍子抜けしちまったな。

 俺は今、遊牧地から遙か遠く離れた、枯れ木ばっかりの荒野に立ってる。とりあえず俺の目に入る限りにあるのは、俺達とボロいワゴン、あとは草と枯れ木だけだ。誰も人が立ち入らないってのも、考えてみりゃうなずける。別に悪魔が棲むとか言う伝承以前に、これだけ荒れてりゃ誰だって好んで住みやしないだろう。

 拍子抜けしたってのは別に、そこへ行ってみたら何もなかったってオチだったわけじゃない。実はその正反対だ。


「まさかこんな簡単に見つかるなんて……護衛なんて必要なかったかも知れませんね、教授」

 手をブラブラさせながら歩き回るジュネに、教授は口元を緩ませる仕草だけで答えた。

 教授は今、カメラのファインダーを覗き込んだままで固まってる。そのレンズ越しに映ってるのが、例の写真に写ってた白骨だ。

 現地に着いてからほんの10分くらいで、捜し物は俺達の前にひょこっと姿を現した。それどころか、車から降りてちょこっと草むらを歩いてたハインツが、更にもう一体の白骨を発見する始末だ。

 教授の口振りから、写真のブツは相当レアなもんかと勝手に思ってたけど、実際来てみりゃそこらへんにゴロゴロ転がってるんじゃねえか。

「でもこれ……よーく見れば見るほど、翼に見えてくるなぁ」

 カメラを握ったまんま静かに熱中する教授の背を見ながら、コーは小さな声でつぶやいた。その隣で腕組みしてるハインツも、言葉に合わせてコクコクうなずいてる。

 確かにコーの言うことはもっともだ。木の根元にゴロンと横たわってる白骨は信じられないくらい綺麗に整ってて、どっか欠けてる様子も全然ない。

 人間の骨に例えていいかどうか分からないけど、ちょうど肩の骨っつーか、肩胛骨? のあたりからは身体の外側に向かって太い骨が2本突き出してて、その下にはつららみたいな細い骨が何本も繋がってる。

 こりゃどこからどう見ても、コウモリの羽そのものだ。少なくともこれが翼を持った生物の骨だってことは、なんとなくだけど分かる。

「でもさ……やっぱり変じゃない? ユーイチ」

 俺の隣でプラプラしてたジュネが、調査に熱中してる教授に聞こえないように囁き声で問いかけてきた。

「やっぱり、そう思うか?」

「だって古代の化石だとしたら……なんで風化もせずに、こんな綺麗に残ってるわけ?」

「んなこと言ったって、俺は知らねえよ」

 投げやりな言葉をぶつけた俺に不平混じりの顔で返しながら、ジュネは落ち着かない様子で枯れ草を何度も踏みつけた。まるで胸いっぱいの欺瞞を殺すように。

「まさか……ね」

「何がだよ?」

 相槌を打つ俺の声に答えるように鋭い視線を投げかけると、ジュネはハァッと小さく息をついた。

「もしかしたらだけど。これは古代の遺物なんかじゃなくて、今もどこかで息づいてる、何かの生き物の骨なんじゃないかって。憶測だけどね」

「……それって、ホントのまさかだぜ」

「そうだよね、やっぱり」

 俺はジュネの言葉を速攻で笑い飛ばした。さすがのジュネも当然の反応と受け取ったのか、前髪をいじりながら自分の言葉にクスクス笑ってる。

 そんなまさか……な。限りなく人に近い、翼を持った生物が古代にいたってだけでも、そりゃものすごい事なのに、それが今も、ここで生きてるだなんて。いくらなんでも話が出来過ぎてる。

 俺は左手で頬をポリポリかきながら、右手で内ポケットの中に忍ばせてるタバコを探った。


西暦2038年3月12日

ポーランド北東部辺境 ワゴン車内


 どうでもいいけど、なんだかさっきから全然眠れない。

 つい1、2時間前くらいまでは浅い眠りに浸かってたんだけど、今になって妙に目がさえちまった。

 コロッと環境が変わると眠れなくなるのは、どうにもならない俺の癖だ。環境の変化だけならまだしも、今夜はこのボロくて狭っ苦しいワゴンの車内だ。シートは堅いし肌寒いし、とにかく最悪だ。

 なんだかタバコ、吸いたいな……なんて思った時には、もうポケットはジーンズの右ポケットの中にあった。こういう落ち着かないときになると、自然と手が伸びる。病気だな。病気。うん。

 俺は左サイドのウインドウを開けようと、俺は窓の開閉ボタンを探した。窓を開けたら余計に寒くなるけど、閉めとくと煙があっという間に充満しちまうから仕方ない。ここは一つ、お休み中の皆様方には我慢していただく事にした。

 この暗がりではよく見えないけど、開閉ボタンは車のちょうど真ん中当たり、運転席の後ろにくっついてるボードの上にあるみたいだ。俺は冴えてる体を起こして、座席同士の狭い隙間を忍者みたいに歩いていった。


 ゴゴゴゴッ……ガガァッ!


 相変わらず平和な高いびきを上げて、コーは身をよじらせたまんま深い眠りに落ちている。この安らかというか呑気ないびきを聞く度に、今の戦争が終わったら平和の鐘じゃなくて、こいつだけは平和の高いびきで祝ってやろうって思いたくもなる。

 その横ではハインツが、こちらも安らかな寝顔でぐっすりと寝入ってる。前の座席を覗いてみても、運転手とパルサー教授は毛布をすっぽり被ったまんま熟睡中。まっ、真夜中なんだから当たり前か。

 ウインドウが静かにスライドしていくのを見ながら、俺はタバコに灯をともした。外は味も素っ気もない枯れた景色。高く昇る月の光が、それを更に冷たくしてる。

 手元から延びる煙の筋は、月の光を追っかけるみたいにゆらゆらと漂いながら、ワゴンの外へと逃げていく。俺は運転席のちょうど後ろにある座席に腰を下ろして、目一杯煙を吸い込んだ。


 ん? そういえば……


 俺はふと、周囲の座席を何度も見回した。

 8人乗りのワゴンに6人が乗り込んでる今回の旅。座席は前から順に2、3、3の3列になってて、前列は運転手と、助手席にいる教授。で、俺達4人は後部座席……のはずなんだけど、なんだか1人足りない。確か……今、俺が座ってる席で、さっきまで寝てなかったっけな。

「どこいったんだろ、ジュネ」

 とりあえず車内に、その姿は見当たらない。俺は半開きのウインドウからジュネの姿を探したけど、そこらへんにいる気配すらない。普段からあんだけ強烈な存在感を発揮してんだから、どこにいたって分かりそうな気もするけど、案外そうでもないみたいだ。


 なんて思ってるうちにも、俺の足は自然と車の外に向いていた。

 別に探さなきゃいけないこともないんだけど、どうせ暇だし。それに、気分転換でもすれば後でぐっすり寝付けるかなー……なんて思ってみたりもして。

 そのまま俺は迷わず、今度はドアの開閉スイッチに手を伸ばした。


西暦2038年3月12日

ポーランド北東部 辺境


 分厚いダウンジャケットを羽織って、俺はワゴンの外に出た。けど、それでも外はシャレにならないくらい寒い。ヨーロッパの冬をナメちゃいけないって事は、この冬にさんざん思い知った。

 時々思い出したみたいに吹く冷たい風を、防いでくれる物なんて何もない。ぐるっと見たところ……ただひたすらに枯れ草、枯れ草、枯れ草。ほんの少し向こうに、赤茶けた葉っぱをぶら下げた茂みがあるのが目立つくらいだ。

 俺は短くなったタバコを、ポケットに入れといた吸い殻入れにグリグリ押し付けて、そのまま突っ込んだ。さすがにタバコの不始末で枯れ草に火つけちまったら、後でシャレになんないからな。

 今更ながらつくづく思うけど、ここの景色はホントに冷たい。薄いオレンジ色に光るLEDランプがぼんやりと俺の周りを照らしてるけど、そこから先は月明かりだけが頼りの世界だ。その上、人なんて誰も住んじゃいないし……なんというか、生気が全く感じられないってのが一番分かりやすい言い方かもしれないな。

 俺は更にもう1本、タバコを取り出しながら目の前の茂みを眺めた。


「……ぁぁぁっ!」


 なんだ……今の?

 ブツブツに切れた悲鳴みたいな音が、風に流されながら俺の耳に飛び込んできた。

 目をこすりながら周りをよーく見てみると、車を背にしてちょうど向かい側に当たる木の茂みで、一点の光が右へ左へとうろついてる。

 暖かいオレンジ色の光……多分、俺が持ってんのと同じランプだ。やがてその光は力を失った様に落っこちて、そのまま茂みの中に消えちまった。

 なんて光景を眺めていた俺はいつの間にか、その動きに引き寄せられるように、小刻みに足を刻んでいた。

 なんだかよく分からないけどそれを見た瞬間、背中に氷の欠片を突っ込まれたような変な寒気が走った。今すぐにでも行かなきゃならない……そんな気持ちが俺の背中を押したんだ。


「おいっ、大丈夫か!」

 やっぱり、俺の思った通りだ。

 数十秒ぐらい全力で草むらを走っていったその先。背の低い木が折り重なるように生えてる茂みの前で、一人の女性が仰向けになって倒れていた。真っ暗で顔はよく見えないけど、体つきや雰囲気で誰だかすぐ分かる。

「ジュネ……おいっ!」

 俺は夢中で声を張り上げたけど、返事は何もない。どうやら気を失ってるみたいだ。俺は左手で腰を支えて、ゆっくりとジュネを抱え上げた。

「んんんっ……あああああっ!」

 なんて、無警戒にジュネの身体を持ち上げたその時。悲鳴みたいなものすごい声を上げて、ジュネは何度も身をよじらせて暴れた。上半身がぐらぐら揺れてひっくり返りそうになる。俺はジュネをまた、乾いた枯れ草の上に寝かせた。

「やばいな、こりゃ」

 もう一度ランプで手元を照らしてみると、ジュネを降ろした俺の手には真っ赤な血がベッタリとついていた。こりゃ……相当ひどいケガみたいだ。

 ジュネは身体を丸めて横になったまま、まだ微かにうめき声を上げていた。ウェーブが入ったサイドの髪が顔に覆い被さってその表情は見えないけど、これだけこいつが苦しんでるのを見るのは初めてだ。

 ライトを今度はジュネの顔から身体の方へ近づけると、ジュネが横たわってる枯れ草の上にはいくつも血が滲んでいた。更に目を凝らしてみると、特に背中の右から腰の部分にかけて、上着が切り裂かれた痕と一緒に緋色の筋がくっきりと浮かんでる。どうやら傷はそう簡単に塞がりそうにないなってことは、さすがに俺みたいなアホでも一発で分かる。

「痛てえだろうけど、ちょっと我慢しててくれよ」

 俺はまた、両手を使ってジュネを抱え上げた。さすがに今度はケガしてる箇所が分かってるから、抱え方もより慎重になる。首と両足を腕で支えて、赤ん坊を抱くみたいに俺はジュネの体を起こした。

 真っ青な顔を更に引きつらせて、ジュネはただ俺の腕に身を委ねていた。さっきほど露骨に苦しんだりはしてないけど、荒い息はだんだんと弱まってきてるみたいだ。

 こりゃ……急がないと本当にヤバいかも。


 と、すぐにでも駆け出そうとした俺の目に、何かが留まった。

 目の前に広がる茂みの手前から、何かが歩いてくる。その影をパッと見た感じでは足が長くて、細身だけど体型はがっしりした男……といったところか。どうやら髪もかなり長いみたいで、サイドから後ろ髪に至るまで風に大きくなびいてるのがハッキリとうかがえる。

 得体の知れない影は俺の方に向かって、真っ直ぐに歩み寄ってきた。けど、俺の頭の中には不思議と焦りは浮かんでこない。そんなことより今は、地を流して完全に伸びきってるジュネを救うことが先決だからだ。頭ん中はそれしかない。

「悪いけどさ、今取り込み中なんだ」

 俺は訳のわかんない出まかせの言葉を放り投げて、その影に背を向けた。けど……


「…………!」

 一瞬、体中の血が全部、カチカチに凍った気がした。

 ふっと振り向いた俺の目の前に、一人の男が堂々と立ちはだかっていたからだ。

 クセの全く入ってない、真っ直ぐな髪は銀色。後ろ髪は背まで伸びてて、月明かりを受けてキラキラ光ってる。肌の色は透き通るような白。細い瞳の色は鮮やかな真紅で、俺の腕についてるジュネの血液とそれが微妙にシンクロする。この男がさっきの人影の正体だって、直感的に俺は悟った。

 けど俺がそれ以上に驚いたのは、男の背からつやつやした黒い羽が2枚、彼が身につけてる上着の裂け目から突き出していた事だ。コウモリに似てるけど、ところどころ角張った羽はかなりの大きさで、身長190センチくらいはありそうな男の身体を、すっぽり包めそうなくらいだ。

 翼を持った人間……か。どうやら突拍子もない「まさか」が、現実に起こっちまったみたいだな。俺の目がそれをハッキリ捉えてんだから、どうにも拒みようもない。

「ジュネをここまでやったのは……てめえか?」

 俺の言葉に、当の羽男はバサバサになった前髪をかき分けながらにやりと笑った。

「目障りな物は消す。それが何か、おかしいか?」

 この景色よりも更に冷たい表情で、羽男はさらりとつぶやいた。

 どうやら奴は俺達の事なんか、そこらの土の上を這いずる虫けら同然と思ってるみたいだ。ムカッときた俺は目一杯のキツい視線を送ったけど、それを更に鼻で笑い飛ばしながら羽男は両翼で夜風を扇いでる。

 ともかく、こいつに関わるのはどうやら危険だし、それにも増して面倒になりそうだ。第一、俺も手負いのジュネを抱えてるんじゃそうモタモタしてられない。

 なんとか羽男をやり過ごそうと、俺は足を蹴り出して一気に突っ切ろうとした……その時、


「おーい、何やってんだ? 祐さーん!」


「危ねぇっ!」

 ガクンッ! と前のめりになった姿勢のまんま、俺はぐらつくジュネの身体を支えながらとっさに叫んだ。

 目に飛び込んだのは、羽男の姿越しに見えるぼやけたコーとハインツの姿。今の今まで気づかなかったけど、どうやら俺の後をついてきてたみたいだ。

 こっちの切羽詰まった状況も知らないで、二人は俺の方を見ながら手を振ってる。そんな二人を鼻で笑いながら、羽男はくるりと俺に背を向けた。

 ヤバいっ!


 パシュン!


 羽男が背を向けた瞬間、コーとハインツの目の前で青白い光が一発、弾けたのが見えた。

 不意打ちをまともに食らった二人はそのまま、枯れ草の海の中にバタッと身体を埋めた。遅かったか……顔からサーッと血の気が引いてくのと一緒に、怒りの塊が心の底からグーッと押し寄せる。

「うらあっ!」


 ドンッ!


 俺は反射的に、背を向けたままの羽男の腰に思い切りミドルキックを打った。頭の中は真っ白だったけど、グアーッと一気に湧き上がった衝動が自然と足を振らせたみたいだ。

「おおっと……うわっ!」


 ガサッ!


 なんて、余韻に浸ってたのもつかの間だった。

 そのまま俺は、背中をグッと思い切り引っ張られた感覚と一緒に、枯れ草で埋め尽くされた地面へ転げ落ちた。

 遠心力で持っていかれた。さすがにジュネを抱えたまま、片足を軸にして蹴りを打つには無理があったかもしれない。けど、どうにか身体全体をクッションにしてジュネを受け止めることはできた。

 羽男は声も上げずに、地面に両方の膝と手をついて沈み込んでる。まあ、渾身の蹴りをどうにかお見舞いできたわけだし、こいつにはしばらく寝ててもらわなきゃ困るってもんだ。

「大丈夫か? 祐さん」

 なんとか上半身だけ身体を起こした時にようやく、よろついた足取りでコーとハインツの二人が歩いてくるのが目に入った。

 よかった、二人とも無事だ。ガサガサの枯れた草むらに座り込んだまま、俺は胸をなで下ろした。

「それより、こいつの心配してやってくれ」

 俺がジュネの身体をゆっくり抱き起こすと、二人の目は一瞬で固まった。そりゃ、いつも必要以上にぶっ飛んでるジュネのこんな萎れた顔をみりゃ、誰だって驚くだろう。

 そのまま俺は、両手を差し出してる二人にジュネをバトンタッチした。


「おい……ハインツ。お前……」

「大丈夫……大したことありませんよ」

 なんて素っ気なく答えるハインツの腕が、ぎこちなく動いているのに俺はふっと気づいた。

 よく見るとハインツの右腕からは、ダラダラと血が絶えず流れてきてた。それでも奴はいつもみたくニコッと笑いながら、ジュネを確かな手つきで受け止めた。こりゃ相当、無理してんな。

「なぁ。さっきの野郎、一体なんなんだ?」

 俺の顔を横から覗き込みながら、コーが問い掛けてきた。

「分かんねぇ。それより、早いとこジュネを治療してやってくれ」

「祐さんは……どうするんだ?」

「すぐ戻る。気にしないで、早く行け!」

 俺は叫びながら、コーの背中をポーンと叩いた。


「あのさ……寝たふりしてねえで、そろそろ面見せたらどうだ?」

 ジュネを二人がかりで抱きかかえながら歩いてくコーとハインツの後ろ姿を見ながら、俺は草の中でまだ寝てる羽男を横目でさらっと見た。

 当たりはそれほど強くなかったし、あんな蹴り一発で伸びちまうほど奴がヤワだとも思えない。けど、真っ暗闇のど真ん中で突っ伏したまんま、奴はまだ動こうとしない。

「まっ、ジュネ達をおとなしく見逃したってだけでも、よしとするか」

「フフッ……この地を踏み荒らす事さえせねば、私は無下に手を下したりはせぬ」

 感情のかけらも感じられない、淡々とした言葉を吐きながら羽男はやっと立ち上がった。

 ようやく目が慣れてきて、ランプ無しでも奴の姿はぼんやりと見えるようになった。上背の高いその姿を揺らして、羽男は澄ました表情で俺の前に立ちはだかる。さっき俺が放ったキックのダメージなんて、全然残っちゃいなさそうだ。

「聞くけどよ。ここら辺にゴロゴロ転がってる骨、ひょっとしたらあんたのお仲間かい?」

「ここは我らが生まれ出づる地。そして、我らが悠久の滅びを選ぶのもまたこの地だ。我らの生命は、常にこの地と繋がっている」

 バサッと両方の羽を強く振りながら、羽男は赤い瞳をギラつかせ、軽く頬を緩ませた。俺からすりゃ寒々として気味が悪いこの光景も、こいつにとっては心地よく思えるのかもしれない。

 にしても、こりゃ翼を持った生き物がいたって騒ぎじゃ済まなさそうだ。少なくともこいつは、大きな羽が生えてること以外は俺達人間と同じ……いや、それ以上かも。

 まだ微かだけれど、俺は妙な確信を持ち始めていた。言葉としては完全にリアリティが欠けてるけど……こいつはどこからどう見ても「悪魔」だ。

 現状として言えることは一つ。悪魔ってやつは実在してたんだ。

「なるほど、ここはあんた達の聖地だったって訳かい。そりゃ、悪かったな」

 悠々と両手を広げて、羽男は月明かりの下でニヤけてる。へっ……呑気にしてられんのも今のうちだ。俺はグッと、汗ばんだ右の握り拳に力を入れた。

「けどよ。俺、どんな理由があったって、仲間の痛みはきっちり返しとく主義なんだ……落とし前はつけてもらうぜ」


 ドスッ!


 俺は息を止めて、そして思い切り羽男にボディーブローを見舞った。今度こそ、クリーンヒットだ。

 けど、羽男は拳を腹で受け止めたまま、涼しい顔して俺を見下してる。奴の方が背では頭一つ上で、目の前に近寄ってみると余計に大きく見える。でも、こんなんで威圧されちまったら戦わずして負けだ。

 俺はまた間合いを離して、羽男を強く睨み付けた。

 羽男は何度も翼をはためかせながら、屋根の上に留まってるカラスみたいな瞳でじっとこっちを見てる。相変わらずニヤけたまんま、目線すら変えずにじっと。これはさすがに不気味でしょうがない。

 ジュネの様子も気になるし、こんなところでそんなにモタモタしてらんないのは分かりきってる。けど、ここで羽男に一発くらいは痛い目見せておかないと、気が済まないって意地もある。

 ともかく、このまま延々じっと睨み合ってても時間の無駄だ。


 パァンッ!


 俺は歯をぐっと食いしばりながら、羽男の身体めがけて雷を撃ち込んだ。

 さすがの羽男も、今度ばかりは苦し紛れに上半身を後ろに反らしてる。それが目に入るか入らないかのタイミングで、俺は無意識のうちに足を踏み出した。


 ドォンッ!


 俺は股を割って屈み込むと、駆け込んだ勢いを味方に思い切り正拳突きを見舞った。拳の先からほとばしる、どす黒い稲妻も一緒に込めて。

 目の前にそそり立つ大柄な身が、大きくガクンと動いた。それと同時に、ビリッとした反動が跳ね返るように拳に伝わった。

 どうだ? やったか?


「てめえ……どういう身体してやがんだ」

 けど、俺が放った切り札もどうやら全く効かなかったみたいだ。こういうボディーブローって真っ先に足腰が立たなくなるはずなんだけど、羽男の足取りは相変わらずしっかりしてる。

 俺はそのまま、ガスガスと2、3発ボディーブローをかました。けど、羽男は未だ涼しい顔をしたまま、抵抗すらせずにどっしりと立ってる。

 なんだかまるで、分厚いセラミックの壁にゲンコツをぶつけてるみたいだ。ビリビリと痺れてんのは、もしかしたら俺の腕だけかもしれない。羽男は避けもせずに俺の拳を真正面から受けてる。けど、その表情は相変わらず、口元をたるませたまんま、赤い目は俺を見下したままだ。

 頭に血が昇っちまった俺は、そのままがむしゃらに両方の拳で胸ぐら、腹をひたすら殴り通した。なんていうか、もうそれくらいしか俺に打つ手は思いつかない。


「ハァッ。なんで、手を出してこない?」

 ひとしきり羽男を殴った。飽きるぐらい殴った。

 けど、羽男の様子は全く変わらない……それどころか、奴は何もしてこない。両手をぶらりと脇に垂れたまま身体を突き出し、されるがままでじっと俺を鋭い目で見てるだけだ。

 これだけ俺が至近距離でじっとしてるってのに、なんの攻撃も仕掛けてこないなんて。こりゃ、完全にナメられちまってるな……悔しいけど。

「あのジュネにあれだけの傷、負わせられるんだ。俺なんか5秒でぶっ殺せるだろ?」

「私は無下に人を殺めるために、ここへ舞い戻った訳ではない」

 落ち着き払った声色でつぶやきながら、羽男は銀色の髪を手ぐしですいた。真っ白に塗られた長い爪が、月明かりを浴びて真珠みたいに光ってる。

「私はある男を捜しにきた。あの小娘にひどく邪魔されたが、それも些細な出来事だった……男を捜す手間が、どうやら省けた様だからな」

「何ボソボソ言ってやがんだ?」

 どうもこいつの感覚はいかれてんじゃないかと思う。口を開いたなら開いたで、なんだか回りくどいことばっかだ。

 ちょっとは黙っててくれないもんか。俺は睨みをきかせながら、握り拳を羽男の目の前にかざした。

「その男は今、私の目の前で拳を振り上げている。さも誇らしげにな」

「……そういう事か」

 俺は拳を下ろして、羽男の懐からパッと離れた。これ以上、こいつを相手にしてたって時間の無駄だし、奴も俺とやり合うつもりはなさそうだ。とにかくここいらで休戦だ。

「ぶっ殺さねえんだったら、一体俺になんの用だ?」

「私はある人物の頼みを受けてきた。貴様にどうしても、伝えておきたい事があるそうだ」

「誰だよ、そのある人物って」

「ボイト……ボイトという男だ」

「知らねえな。それより、話があるなら2分以内にとっとと済ませてくれ。誰かのせいでのんびりしてる暇もなくなっちまった」

「2分もいらぬ」

「そりゃどーも」

 つったって、まともに話を聞く気なんてハナからありゃしない。耳の後ろをポリポリ掻きながら、俺はとりあえず適当に返事しといた。


「貴様には、度胸があるか?」

「は?」

 何かと思ってじっと耳を傾けてみれば、いきなりこれだ。ジトッとした目で俺は羽男を睨んだけど、相変わらず奴はツーンと澄ました顔で目の前に突っ立ってる。

 度胸があるかなんていきなり聞かれたって……何を尺度に答えていいのか、そうパッと思いつかない。

「まあ……それなりの度胸がなきゃ、こんな物騒なとこまでしゃしゃり出てこねえよな」

 それなりの答えを返した俺の顔を真正面から見ながら、羽男は更に言葉を続ける。

「もし貴様に度胸が、この世界を覆すほどの度胸があるのならば……1週間後だ。ワルシャワから続く南方への街道を抜けた先、チェコとの国境線まで来るがよい。私はそこで、静かに貴様を待つことにしよう」

「それって、ケンカ売ってんのか?」

「その意図は、貴様自身が考えればよい」

 あーっ! ムカつくな、こいつ。

 いいかげんイライラしてきた……話すこともやることも、全てにおいて回りくどい奴だな。どーでもいいけど、もうちょいハッキリしゃべってくれないもんか。

 それだけ言い放つと羽男は、クジャクみたいに両方の翼を大きく広げ、そしてはためかせた。バサバサッと、傘を広げた様な音が続けざまに鳴り響く。

「私の務めはこれだけだ。その答えは、貴様がその身をもって示すがいい」


 消えちまった。

 翼を広げたまんま背を向ける羽男の姿を、ボーッと見つめてた次の瞬間だった。真っ黒な翼を羽ばたかせながら茂みよりも高く舞い上がったその姿は、空中で闇にかき消されたかの様に見えなくなった。

 どこまでも広がってる暗闇と静寂の中に、なんだか口で言い表せないような、変な余韻が残ってる。今の……なんだったんだ?


 思い起こしてみた。

 タバコを吸いにワゴンを出てから、ほんの十数分だ。頭の中にある物事を全部反転させたって理解できない、そんな出来事が土砂崩れみたいに押し寄せてきたのは。正直、これは夢ん中の事なんじゃないかって、今も真剣に思ってるくらいだ。

 なんだか我を忘れてて、あの羽男が一体何者なのか……それどころか奴の名前すらも聞き忘れていた。本部に報告しなきゃいけないことは、山ほどあるだろうってのに。

 ともかく、こんなとこでグダグダ悩んでても無駄だな。まずは、ジュネの身を案じるのが先決だ。俺は草むらに放ってあったランプをひっつかんで、すぐさまワゴンに向かって駆け出した。


西暦2038年3月15日

ポーランド・ワルシャワ 国立総合病院


「ひょっとしたら、俺をかばってくれてたのかもしれんな」

「……ジュネのことか?」

 「808 Junes Calme」とだけ小さく表示された、病室の扉が目に入る。俺は冷たい窓ガラスを背もたれにして、隣で街の風景をじっと見てるコーに声をかけた。

 ジュネの傷は思ったほど深くはなくて、命にもなんら別状はなかった。どうやら精神的な疲れがドッと出てるみたいで、今はぐっすりと眠りに落ちてる。バイタリティーの塊とも言えるジュネにもたまには、おとなしくしてる時間が必要なんだろう。俺達はジュネの寝顔をほんの少し拝んだだけで、とっとと病室から出てきた。

 ふらりと後ろを振り返れば、つい去年の冬に作戦を決行した空軍基地が、ちょうどガラスの真ん中に収まって見える。あれから一月でポーランド軍は東部軍事機構からの脱退を宣言して、事実上は多国籍軍に降服する形になった。俺達が必死でかけずり回ったあのエアポートも、今は多国籍軍の兵士達がが絶え間なく出入りしてる。

「あの羽男は、俺の居場所を探りに来てたんだ。どうやらジュネは、奴の要求を拒んでかなり抵抗したらしい……奴が俺を殺しに来たんだと、勘違いしたのかもな」

「で、その羽男とやらの目的は、なんだったんだ?」

「分かんねぇ。なんだか回りくどいことグダグダ言い放って、とっとと帰っちまったからなぁ」

 なんてコーには言ってみたけど、実はウソだ。本当は、羽男が俺に言おうとしていた事、その真意はうっすらと分かってきてる。

 奴は俺を殺さなかった。ジュネにあれだけの傷を負わせてたってのに、俺がいくらジタバタ抵抗したって何もしなかった。大まかに考えてみれば、それはとてつもなく奇妙な出来事に思える。けど、改めて深く思い返してみれば……ひょっとしたら、奴には俺を殺すことができない大きな理由があったのかもしれない。

 まだハッキリとした実感はつかめないけど、とにかく俺はそれを知りたい。あの羽男が俺を痛めつけなかった理由、そして、奴が空からばらまくように残していった意味深な言葉の真意を。その思いは時が経つのと一緒に、まるで延々と降り続く綿雪みたいにどんどん積もっていく。


 チェコ国境へ……その日まであと4日だ。

 奴の言葉は挑発かもしれない。罠かもしれない。ひょっとしたら今度こそ、5秒であの世にすっ飛ばされちまうかもしれない。そんな不安も、心の底にまるで泥水みたいに溜まってるのは事実だ。

 けどそれ以上に……俺は心のもやもやってのが大嫌いだ。ハッキリしない、もどかしい感触って奴とは、根っから気が合わない性分だ。

 もし羽男の言葉が罠だったとしても、そん時は真正面から受けて立ってやる。それがホントの度胸ってもんだ。度胸を試すってのは、とことんバカになるってことにどっか似てる気がする。

 だったら俺は、極限までバカになってみせるさ。


「あれ? 祐さん。もう帰るんか?」

「タバコ切らしてんだ。そこらで買ってくる」

 深緑のジャケットを乱暴に羽織って、俺はそのままコーに背を向けた。


 もう振り返らない。そう決めた。


西暦2038年3月16日

ポーランド・ワルシャワ 国立総合病院 808号病室


「ジュネさん! 起きてください!」

「な……に? ハインツ?」


「ユーイチさんが昨日から、行方不明なんです……」

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