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Smoky Breath  作者: 音羽 裕(Yutaka Otowa)
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8th progress「水面下の攻防」

8th progress「水面下の攻防」


西暦2037年10月2日

国連オンライン会議室


 ジュリアーニ「これは……」

 日本、瀬川首相「うーむ」

 議長「エメラルド色の竜巻など聞いた事もない。しかし、ここにお見せ致しましたこのVTRは、偽りのないれっきとした事実なのです。この件について、皆様方は一体、どう思われますでしょうか?」

 プルート「いつかにアメリカ軍が開発中と仰っていた、粒子分解ミサイルなのではございませんか? ブライト大統領」

 ブライト「違う……あれはまだ試作段階のはず。実用化されるのにまだ数年はかかる見通しです。そんなはずは……」


 アンリ「『敵を欺くには、まずなんとやら』といったところですか。どうも申し訳ございません」

 プルート「どういう事です? アンリ大統領」

 アンリ「そのVTRをもう一度ご覧になって下さい。議長、リプレイをお願いします」

 議長「分かりました、それでは……」


 プルート「なんだ? あの人影は」

 ジュリアーニ「光った! 見ましたか? 今、確かに光りましたよ!」

 瀬川「信じられませんな」

 ブライト「馬鹿な……これが、人の手によるものだというのか?」

 プルート「恐縮ではありますが……どうかゆっくり噛み砕いてご説明を頂けますでしょうか、アンリ大統領?」

 アンリ「はい。これは紛れもなく人の手によるもの、すなわち……魔術です」

 ブライト「魔術? ハハッ、ご冗談を」

 アンリ「決して冗談ではありません。これは……」

 プルート「信じろと言われましてもねぇ。それはあまりにも非科学的な答えではありませんか」

 アンリ「戸惑われるのも無理はないとは思います。しかし、どうか冷静にお聞きください。『科学は絶対だ』と、我々が疑いもなく信じていたところに、実は大きな落とし穴があったのです」

 議長「いいでしょう。続けて下さい、アンリ大統領」

 アンリ「はい。実は遡ること20数年前から、我々は極秘の下に魔術というエネルギー体系の研究を行ってまいりました。20世紀までの研究は、科学的見地の下に行われてきた事例が主体でしたが、我々は歴史、民俗学及び心理学の見地から幅広くそれを紐解き、そして2016年、非常に微力ながらも我々は『魔術』という新たなエネルギーを手に入れるに至ったのです」

 ジュリアーニ「ほう、それは興味深い話ですな」

 アンリ「魔術のエネルギー源は天体が保有している事、魔術は特殊な訓練さえ積めば誰でも用いられるという事、また魔術を用いる能力には個体差がある事など、近年の研究によって多くの成果が得られました。そして我々はドイツ軍と提携し、魔術を用いるにふさわしい人材を育てるべく、軍事組織『ル・シエル』を設立したのです」

 議長「彼の話に相違はありませんか? フォーゲル首相」

 フォーゲル「もちろんですとも。我々ドイツも微力ながら、ル・シエルに人材を派遣している次第です」

 アンリ「研究当初、本来は次世代の無公害エネルギーとしての用途に着目していたのですが、やがて訪れた、この戦乱の時代。我々はそのエネルギーの用途を、軍事目的に転換せざるを得ませんでした。しかしながら、ベルリンを防衛すべく行った今回の作戦で、魔術という力の底の深さを再確認しました。この力が我々を未来へと導く潮流となり、長引く戦争をいち早く集結させるのに役立てられれば幸いですが」


 ブライト「話は分かりました。ともかく……アンリ大統領の仰ることがもし真実ならば、この戦争の終結も近いかも知れませんな」


西暦2037年10月26日

「ル・シエル」北棟3F 305号室


「えー、現地時間の午前8時30分頃、北朝鮮の首都ピョンヤンの軍事施設に対して、アメリカ軍による空爆及びミサイル攻撃が行われました。これは今年夏に行われた、日本に対する核ミサイル攻撃への制裁であると世界各国の報道機関は報じております。アメリカ軍及びブライト大統領は声明を発表し、さらに現地へ地上軍を投入し、抗戦の構えを見せている北朝鮮軍に対して軍事施設の明け渡しを求めている模様……」


「ハインツ、テレビ消してくれないか?」

「あっ……はい」


 プツン!


 戦争の話はとにかく耳が痛い。

 なんでか今は軍隊に身を置いている俺だけど、空爆だとか、侵攻だとか、その手の話は聞いていて決して気持ちいいもんじゃない。ましてや自分の生まれ故郷が絡んでくるとなれば尚更だ。

「辛いですよね。ああいうの見てると」

 リモコンを散らかったテーブルの上に置いて、ぽつりとハインツはつぶやいた。

「もともと僕、争いごとはあんまり好きじゃないんですよ」

 いつもの様にタバコに火をつけた俺の方をしきりに見ながら、ハインツは続ける。夜もすっかり更けてきた事も相まって、鳥肌が立つくらい静かな、そして透き通った空気が辺りを包んでいくのがハッキリと分かる。

「じゃあなんで今、お前はここにいるんだ?」

「3年前ぐらいだったか、ドイツ政府の高官が僕のところへ来たんです。『君は他の人とは違う、卓越した能力を持っているんだ。ぜひ我が軍へ来て欲しい』って言われて……それからは、ボンの施設でずっと訓練を受けてました。それからマスターにお声をかけていただいて、ここフランスへやってきたんです」

 言い終わるとハインツはベッドの上に座ったまま壁にもたれ掛かり、ぼんやりと窓の外を見つめた。時の彼方に置き忘れてきた何かをずっと探しているような、迷い子みたいな眼差しを宙に漂わせながら、ハインツは闇が染み込んできた景色にじっと目をやってる。

 俺は力任せにガラッと窓を開けて、一点の曇りもない星空に向かって白い煙を吐きだした。心の中に溜まったもやもやを、一息で吐き出すように。

「はっきりと覚えてはいないけど、物心ついた時から僕は魔術を扱えたんです。なぜだかは分からないけど。でも物心つく前から、ベランダに出ては小さな光の粒を手の平に集めて操るのが好きだったって、母さんは言ってました」

「なんだ、お前も自然に魔術を覚えたってのか?」

「ユーイチさんもですか?」

 ゆっくりと体を起こしながら、ハインツは強い口調で問い掛けた。カッと見開いた大きな瞳が、真っ直ぐに俺へと向けられてる。なーんかねぇ……そんなに大げさなリアクションとられても、こっちはちょっと困るんだけど。

 だいたい、驚いたのは俺も同じだ。俺はハインツの事をずっと、育ちのいいエリート一家のお坊ちゃんかなんかだと勝手に思いこんでた。だけど実は、そこらへんに何処にでもいる様な、ごく普通の少年なんだって事が意外だったからだ。

 俺とハインツは、似てないようで実は似てるんじゃないか。確信は持てないけど、そんな気がする。多分ハインツも、同じ事を思ってんじゃないかな。

「なあ、お前はどんな気分だ? 自然と魔術が使えるようになったってこと、どう思う?」

「えっ? えーっと……」

 唐突に放った俺の言葉に首をひねり、ハインツは返す言葉に困っていた。

「ハハッ。ごめん、そんなの答えようがないよな」

 なんか変なこと聞いちまったな。とりあえず俺は、ハインツに詫びを入れた。

 なんだか俺自身も、複雑な気持ちが解けた毛糸みたいに絡み合ってるってのが、ホントのところだ。魔術を扱えるって事は、他人にとっちゃ羨むべき事かも知れないし、俺はそれを胸張って誇るべきなのかもしれない。けど、未だに俺の頭の中に残っているのは、ザーザー降りのベルリンで図らずも目にした、ジュネの愉楽に満ちた笑顔だ。

 そういえば、俺がハインツと力を比べた時も、ハイになってたっていうか、アドレナリンの暴走みたいな感情が沸き上がってきた。その時の記憶が、残酷さを湛えたジュネの笑顔とリンクする。それがまた俺の心中を、グチャグチャに引っかき回すってわけだ。

 魔術の何が、俺たちをこうさせるんだ? いくら考えても、これだけは分かんねえな。


 タバコをくわえながら、一人考えてみた。

 俺がここに留まる理由。なんだろう? 今までうやむやにしてたけど、ここでちょっと整理してみよう。

 ル・シエルで養ってもらわなきゃ、食いっぱぐれるから……ってのは、実はほんの些細な理由だったりする。本当は、俺自身がずっと疑問に思ってたこの奇妙な力、魔術について深く知ってみたかったのが一番だ。それが第1の理由。

 それに……軍隊に所属してれば、復讐が果たせる。俺の故郷を核ミサイルで死の灰に埋めた東部軍の連中に、自分の手で立ち向かえるチャンスがあるだろうって期待もある。それも大きな理由だ。これは第2の理由かな。

 だから俺は、ル・シエルの一員として戦うことを決意したんだ。


 でも……その決意が今になって、グラグラと揺らいでる。

 どうやら俺は自分が追い求めてる物、つまり魔術という力の片鱗を目の当たりにした事で、気持ちが縮こまってしまってるみたいだ。俺が今まで漠然と思ってた物より、そのスケールがあまりにもでかすぎて。

 けど、そんな気持ちに易々と負けるわけにはいかない。とりあえず、この戦乱が終わるまでは俺自身の戦いも続くんだ。こんなとこで中途半端に立ち止まってなんかいられない。


 俺は煙を思いきり吸い込んで、もう一度気合いを入れ直した。とりあえず自分の左頬を、平手でパンと叩いてみる。


 パシン!


 目を覚ませ……寝てんじゃねえよ! 俺!


西暦2037年11月14日

ポーランド、ワルシャワ


「なんかもう、笑うしかないよね」

 俺達は今、訳あってポーランドにいる。

 テキトーにパンを食って、ゴロ寝していた休日の朝。突然飛び込んできた指令にグイグイ背中を押される様に、その日の内に俺達は軍用機でワルシャワへと飛んだ。

 そんでもって今は、ホテルの一室でグェン隊長と手筈の打ち合わせ中。隊長を正面にテーブルを囲んで、ディアナさん、ジュネ、ハインツ、コー、そして俺……といつも通り。メンツだけはなんにも変わり映えしない。けど……いつもとはみんなの雰囲気や様子が違うのは、目をつぶってたって分かる。

「『ワルシャワの空軍施設に潜入し、研究資料の奪取及び、開発中と目されている新型戦闘機、その試作機の破壊を行え』か。ハハッ、俺達いつからスパイになったんだろ?」

 前髪を頻りに掻き上げながら、コーは皮肉っぽく言葉を放つ。やたらと前髪を気にするのは、どうにも気持ちが落ち着かない証拠。ずっと昔からの癖だ。

「でも、セキュリティの方はどうするわけ?」

 首を傾げながら、ジュネが不安げにグェン隊長に問い掛けた。

「あらかじめアメリカ軍の工作員がハッキングを行い、セキュリティシステムを乱してくれる手筈になってる。あとは、ジュネお得意の空間転移でどうにかなるだろう?」

「ちょっと、簡単に言わないでくれます? あれってものすごく精神力使うんですよ」

 あっさりと問い掛けるグェン隊長に、ライトブルーのペンを握りしめたままジュネは笑いながら答えた。だけど、その笑顔もどこか引きつってる。さすがに隊長もジュネも、冗談言うような状況じゃないみたいだな。

「とにかく、施設への潜入はジュネに任せるとしてだ。そこから、君達は二手に分かれて欲しい」

「二手に……ですか?」

 声のトーンを心なしか上げて、ハインツはすぐさま問い返した。さらには俺を含め、側にいた面々も揃って首を傾げる。

「まずジュネとハインツは、研究資料の奪取の方を担当して欲しい。ハインツ、確かお前、コンピュータの知識はあるよな?」

「ええ、多少は……」

「端末室に侵入し、研究資料を引き出してくれ。なるべく迅速にな」

「はい、分かりました」

 はっきりとした口調で、ハインツはこくりと小さくうなずいた。いつもはポーッとしていて穏やかなブルーの瞳にも、今日ばかりは力強い光が灯っている。

「それでだ、ユーイチとコーシローは試作機の破壊を行って欲しいんだが……うーん、これはちょいと厄介なんだよな」

「えっ? なんでです?」

 机の下まで一杯に伸ばした足を急いで引っ込めながら、不意打ちでも食らった様な顔でコーは答えた。口を開けたまんま呆ける仕草は、どこからどう見てもアホ以外の何者でもない。

「試作機が保管してある格納庫は侵入地点から随分と離れてる上に、何重にも電磁ロックがかかってる。いくらハッキングでセキュリティーシステムをダウンさせたとしても、全てのロックを破るのはかなり困難らしいし、第一そこまで迅速に辿り着けるかどうか……」

「それじゃあ、この作戦なんか端から無理じゃないですか」

 投げやりな俺の言葉に、グェン隊長は凍った視線を送ってくる。俺は姿勢を正し、ペコリと頭を下げた。

「策はないわけじゃない、ただ……」


西暦2037年11月16日

ポーランド空軍施設、食料保管庫


 ガチガチガチ……


「ううっ、寒っ」

「策はあるにはあったけど……なあ、コー。こんなのアリか?」

 歯をガチガチ震わせながら、コーは不機嫌そうにぼやく。俺もまた、山みたいに積み上がったメタリックブルーのケースの陰で震えてる。

 真夜中の空軍施設へ忍び込んだ俺達が今、潜んでいるのは、マイナス10度の冷凍室の中。セキュリティを乱す予定時刻の午前3時になるまで、人の出入りが極端に少ないこの場所に潜んでおけとの事だ。

 断熱材入りのジャケットを着込んでるから身体が冷え切る事はないんだけど、それでも身を切るぐらい寒い。もう指先なんか、さっきからずっとチクチクしてるくらいだ。

「ふーっ」

 おもむろに吐き出した溜息が、すぐさま真っ白に染まる。

 もう真夜中だと言う事も相まって、冷気を送るでっかいファンが回る音以外にはなんの物音も聞こえては来ない。そのせいかどうかは分からないけど、この部屋が必要以上に寒く感じるのは気のせいじゃない……と思う。多分。

「そろそろ時間か。行くぞ、コー」

「行くもなにも、こんな所とっととおさらばしてえよ」

 自分がおかれてる酷い状況に機嫌を損ねたのか、コーはブツブツと愚痴をこぼす。それを後目に俺は梯子をよじ登って、天井に張り巡らされてる鉄板の一つにそっと触れてみた。

「この真上だな」


 ガコン!


 よしっ。

 作戦の滑り出し、まずは順調だ。指示通りの場所にあった天井の錆びた鉄板がスライドして、暗闇に包まれた穴がぽっかりと口を開けた。

 この施設が建設された時に使われた作業員専用の通路だ。ここを伝っていけば、施設の天井裏までどうにか辿り着く事が出来るはず。あとはジュネ達からの連絡を待って、試作機のある格納庫へ突入するだけって寸法だ。

「なあ、本当にここから入んのか?」

「あんまし気は乗らねえけどさ、行くしかねえだろ?」

 積もりに積もった綿ぼこりがフワフワと真下の床へ、真冬のぼたん雪みたいに舞い降りていく。それを見ていきなり顔をしかめるコーに、俺はクギを刺すように言い放った。つーか、今さら嫌がってんじゃねえよ。嫌なのは俺も一緒なんだからさ。

 俺達は息を止めて、その真っ直中に急いで頭を突っ込んだ。


西暦2037年11月16日

ポーランド空軍施設、第2端末室


 カタカタッ……カタッ


「よしっ、プロテクトはちゃんと外れてますね」

 照明は全て落とされ、染みつく様な闇に覆われた小さな端末室。その片隅に、一つだけディスプレイに明かりの灯った端末と睨み合うハインツと、それをただ傍観するジュネがいた。遠い空に輝く月光だけが、その横顔をささやかに照らし出している。

「もうあんたに全部任せるね、その手の事は」

 ハインツの隣でディスプレイを覗き込みながら、ジュネははにかみ笑いを見せた。その笑みは、何も手が出せない自分に対する苦笑ではなく、相棒に全てを一任できるという信頼感の表れでもあった。

「えっと、それじゃ探してみます」

 終始真顔のままのハインツがキーボードを静かに叩くと、ディスプレイには膨大な量のデータが、川辺から溢れ出す濁流の様に次々と流れていった。微かに首を振り、苦笑いを浮かべながらハインツはその画面に見入る。

「ちょっと待って下さい……あれっ?」

「どうしたの?」

 暗号の様な奇妙な文字がずらりと並ぶディスプレイを凝視したまま、ハインツは不意に頭を抱える。その横顔をジュネは、不安げに見つめた。

「ないんですよ、どこにも。それらしいファイルがどこにも見当たらない……」

 ハインツが狼狽しているのも当然の事である。ハインツはサーバ内のデータを洗いざらい探ってみたものの、資料どころかそれらしきファイルすらも皆目見当たらなかったのである。

 どうする事もできず、ハインツは焦りながら幾度も首を捻った。

「それじゃ……資料の方は後回しにして、試作機のありかを割り出してみて」

「ええ、分かりました」

 まだ釈然としない様子を垣間見せながらも、ジュネの言葉を受けてハインツはすぐさま次の行動に取りかかる。アクシデントが起ころうとも決して落ち着きを欠かない彼の行動ぶりに、ジュネはどうにか胸を撫で下ろした。

 普段は自信家のジュネも、さすがに今度ばかりはスムーズに事が運ぶとは欠片も思っていなかった。今まで裏工作などの任務に携る事は幾度かあれど、実際に敵陣へと乗り込むのは初めての事である。ましてや、まだ自分の仕事に不慣れな相棒を連れているのでは、普段より余計に気を遣うのは自明の理であった。

「ありましたよ、ほら」

 ハインツの声に、はっとした表情でジュネは振り向いた。

 ディスプレイには、二人が潜入している施設の見取り図とおぼしき図面が映し出されていた。ディスプレイ上は陽炎の様に幾度となく揺らいでぼやけてはいるが、位置や方位を確認するには十分な程である。

「ちょっと、そのままにしといて」

 ハインツに声をかけるや否や、ジュネはすぐさま懐から小さなプラスチックのチップの様な物を取り出す。そして、襟元からぶら下がっていたイヤホンを無造作に耳につけると、それに向かって声を発し始めた。


「ねえ、聞こえる? コー」

「コホッ、コホ……ああ、なんとかな」

「今、どこ?」

「なんか、だだっ広い廊下の真上だな。正面玄関からちょっと北の……」

「ちょっと待って……うん。えっとそれじゃ、北へ突き当たった所を右に曲がって真っ直ぐだね。そこから下へ降りていけば……」

「ああ、分かっ……コホッ、コホッ」

「どうしたの?」

「もう、そこら中ホコリだらけでさ。うーっ」

「あっそう。じゃあ頑張ってね」

「おい? ちょっ……」


「どうでした? ユーイチさん達」

「順調順調。気にしないでって」

 イヤホンを懐に押し込みながら、ジュネは至って軽く答え返した。

 仲間を見捨てるかの様なジュネの行動は、傍目には軽薄にも映るかもしれない。しかし、これも全て仲間達の気負いを和らげるためなのである。

 下手に気を使っては、相手が余計に気兼ねをしてしまい、結果として不安を増すことに繋がる。それが彼女の考えだった。

「平常心を地で貫け」

 至って単純ではあるが、これが彼女が掲げる唯一のスタイルなのである。

「それじゃ、早いとこ資料探し出して……」


 カシャン!


「なっ?」

 と、ジュネが言いかけたさなかだった。彼女の言葉の切れ目と同時に、ハインツは再び驚きの声を上げる。

 閑散とした端末室に、導火線を伝う火の如く次々と光が灯っていったからである。二人はただ、流れ行く時と状況を何もできずに見送っていた。

 辺りは一瞬にして明るさを取り戻していく。まるで、真夜に染みわたる闇が一斉に散っていくかの様に。

「さっ、早くっ!」

「はっ、はいっ!」

 ジュネはまだキーボード上にあるハインツの手を強く掴むと、すぐさま通用口へと駆け出した。

 まだ自らのおかれている状況がつかめないのか、ハインツは困惑した表情を隠せないでいる。そんな事には全く見向きもせず、ジュネは先程入ってきた通用口の正面に駆け寄った。

「……開かない?」

 ジュネの顔色が心なしか青ざめるのを、ハインツは見逃さなかった。すぐさま彼女は何度も非常用の開閉ボタンを押すが、扉は堅く閉ざされたままである。

 彼らがいる端末室は施設の奥まった場所にあり、通用口以外に出入りする場所はない。つまり彼らにとって、唯一の出口が閉ざされているのである。さすがのジュネも、今度とばかりは少々動揺していた。しかし、それに気を落とす間もなく、ジュネはおもむろに手を掲げる。


 パチッ、パチッ


 荒れ狂う様に手を振りかざし、ジュネは通用口の扉と睨み合った。扉の一面には、青白い火花が無数に散る……しかし、鋼の扉は僅かに弾ける音を立てるだけで、一向に破れる様子はなかった。

「魔力が中和されてる……なんで?」


西暦2037年11月16日

ポーランド空軍施設、第1格納庫


「なんだよ? これ」

 なんか、思いっ切り肩すかしを食らった気分だ。

 今、俺達が突き進んでるのは空軍施設の屋根裏。ホコリにまみれた金網の隙間から、俺はコーと一緒に下の様子をうかがってる。だけど、そこには試作機らしき戦闘機どころか、人っ子一人いやしない。ただ、積み重ねられた弾薬箱がところどころに散らばっているだけだ。

「ジュネに確認とってみるか? コー」

「ちょっと待ってくれ」

 カチカチと小さなボタンをいじりながら、コーは頻りにイヤホンに耳を当てる。なんだか、ものすごく真面目な顔で。

 こいつのこんな真剣な表情は、そうそうお目にかかれるもんじゃない。俺は半ば興味津々の眼差しで、コーの横顔をずっと眺めていた。


「おい、聞こえるか? ジュネ」

「ハァッ……ハァッ」

「おいっ? どうしたんだ?」

「いいから! 早く外へ出て!」

「試作機はどうするんだよ?」

「そんなのほっといて! いいから早…」


 ブゥゥゥン……ブツッ


「おいっ! おいっ!」

 声を潜めたまま、何度もコーは無線越しにジュネへと問い返した。けど、すぐに諦めたのか、脱力した様にがっくりと肩を落とす。

「なんだって?」

「……行くぞ」

 そう一言、ぽつりと口にしただけで、コーは来た道を引き返し始めた。

「おい? 待てよ」

 俺はコーの背中を追いながら問い掛けたけど、コーはそれから何も語ろうとはしなかった。ジュネが何を言ってたのかも、何も教えてくれやしない。

 けど、俺自身もそれ以上、何も聞き返そうとは思わなかった。第一、いちいち根ほり葉ほり聞く必要なんかない。焦ったコーの顔を見りゃ、答えは大体想像つくし。


 ただ一つ、確実に言えること。俺達の目の前にあるのは、先に行くにつれ狭まっていく長いトンネル。それだけだ。


西暦2037年11月16日

ポーランド空軍施設、第2端末室


「泳がされてたってわけね。要するに」

 乱れた髪を大きく掻き上げながら、やるせなさ混じりの声でジュネはつぶやいた。

 その周りを封じるようにぐるりと取り囲むのは、深緑色の軍服に身を固め、短銃を手にした十数人の兵士達である。ディスプレイの影にに身を隠そうとしても、四方八方を囲んでいる兵士を前にしては全くの無駄である。

 ジュネとハインツは揃って毅然と構え、逃げようとも隠れようともしなかった。

 やがて、兵士達の中から一人の男が歩み寄ると、立ち止まるハインツのこめかみに冷たい銃口を突き付けた。彼の表情が、天敵に狙いを定められた草食獣の如く一瞬にしてこわばる。

「ハインツ……!」


 パシュウン!


「くううっ!」

 反射的にジュネが、小さく彼の名を呼んだその瞬間だった。

 にやりと笑い、ハインツに銃を突き付けていた兵士の手元から瞬時にして青白い光が発し、そして間を置かずして一気に弾けた。叫びながらジュネは咄嗟に渾身の力を振り絞り、銃を握った兵士の右腕に雷撃を放ったのである。

 不意打ちを受けた兵士は歯を食いしばり、苦悶に満ちた顔でその身を仰け反らせた。彼が握っていた短銃が、床の上へと落ちる。


 パン! パン! パン!


 それを口火に、兵士達は必死の形相で短銃を乱射した。

 深夜の静まった空間に響き渡る幾多の銃声。兵士達は二人に目掛けて、容赦もためらいもなく続けざまに銃弾を撃ち込んでいく。しかし……


「うっ、ウソだ……おい、モロに当たってるはずだろ?」

 兵士の一人が不意に、詰まり気味の甲高い声を上げた。彼だけではなく他の兵士達も、互いに顔を見合わせながらどよめいている。

 彼らが動転するのも無理はなかった。いくら銃弾を嵐のように撃ち込んでも、ハインツとジュネは倒れるどころか傷一つ負いもしなかったからである。

 ハインツはジュネの前に立ち、やや前屈みの姿勢で両腕を胸の前に組んだ、ボクシングのファイティングポーズのような姿勢で立ちはだかっていた。本来なら彼が銃弾の雨をまともにに受けているはずであるが、彼の体には傷など一つも見受けられない。

 激戦の矢面に立っているにもかかわらず、自信の色を失わないハインツの瞳。兵士達はやがて、袋小路に追い詰められた蛙の様にその場にすくんでしまった。

「そのまま、しばらく時間稼いで! お願い!」

 緊張でこわばった表情を崩さず、ジュネはハインツに向かって強く呼びかけた。それにすぐさま呼応し、ハインツは一度だけ軽くうなずく。

 自らの身がジュネによって解放された一瞬の隙を見計らうと、ハインツはジュネの前に立ちはだかり、その身の回りに強固な障壁を築いていた。その障壁が二人に向かって嵐の様に飛んでくる銃弾を、ほんの一瞬で全て消し去っていたのである。

 鋼鉄のバリケードのごとく築かれた見えない障壁を安定させるべく、彼は息を何度も吐いてひたすら精神を集中させていた。両拳をぐっと握りしめ、額を流れる汗すら拭おうとはせずに。

 喉につかえるような荒い息を吐きながら、ハインツの静かなる抗戦は続いていった。


 パン! パン!


 すぐさま新しい弾を込め直し、兵士達はものの十数秒で体勢の立て直しにかかった。再び横殴りの雨の様に降りかかる銃弾を障壁で防ぎながら、ハインツは隣で機をうかがうジュネの表情に目を遣る。

「ジュネ……さん?」

 しかし、呆気にとられた顔でハインツはジュネに不安が募った言葉を投げかけた。

 彼が戸惑うのも無理はなかった。両手を胸の前で組んだままの姿勢で魔術を発動させようとしていたジュネが、幾度となく苦しんでいたからである。彼女が抱える苦悶は顔の表情のみならず、その身体全体から滲んでいる。

 ジュネが何をそれほど苦しんでいるのか、ハインツには全く理解できなかった。しかし……程なくして彼は、主たる要因をその目に収めることになるのである。

「ふっ……ふうっ」

 ジュネは顔をしかめ、苦し紛れに何度も声を上げた。その息づかいも、先程と比べて更に激しさを増している。そして……その苦しみの元凶は、ジュネの身体にまとわりつくようにゆらりと現れた。

 彼女の周囲から現れたのは、まるで廃油を燃やした時に放出されるような、どす黒い煙の帯だった。それは彼女の背から空中へと拡散する様に幾筋にも伸び、ジュネの周りを取り囲んでいく。そして、煙はピタリとその動きを止めると、彼女の右腕を狙って一斉に巻き付きにかかった。

「ううっ……」

 その顔つきに苛立ちを募らせながら、ジュネはガッチリと組んでいた手を崩し、両腕を振ってそれを必死に払おうとした。しかしその煙は、彼女の動きを封じるが如く執拗に巻きついてくる。

「邪魔しないで!」

 尖った声でジュネは叫ぶと、黒煙が巻き付く右腕を大きく振り回した。その途端、黒煙は空中で分解して四方八方へと散り、やがては消えてしまった。

 それを見計らうと、ジュネはあれこれ思案する間すらおかず、おもむろにハインツの腕を強く掴んだ。

 ハインツは身構えたまま、がむしゃらに銃を撃ち放つ兵士達からジュネの横顔にその目を移した。彼女はそんなハインツの視線に感づき、うっすらと微笑を見せる。そして、

「行くよっ!」


 ヒュンッ!


「き……消えた?」

 銃の引き金を引いて構えたまま、弾丸を撃ちつづけていた兵士達は揃って目を丸くした。

 再び夜更けの静寂に包まれた、小さな端末室。既にそこにはジュネとハインツの姿など、影も形もなくなっていたからである。


西暦2037年11月16日

ポーランド空軍施設、北棟西


 見渡す限り漆黒の闇に覆われた地面が、数十メートルほど続いている。その先に点々と灯る滑走路の誘導灯を見ながら、ジュネはようやく安堵の息を吐いた。

 彼らは軍施設の外、先程の端末室があった建物の影に身を潜めていた。建物の前には物資を運ぶためのケージが山積みにされており、ちょうど身を隠せるようになっていたのである。

「ハァッ、ハァッ……なんだったんです? さっきの」

 コンクリートのざらついた壁にもたれ掛かったまま、ハインツは小刻みに息を切らせた。

「分かんない。けど、私が放とうとした魔術が突然、あの煙に中和されそうになって……」

 固いプラスチックで出来た物資搬送用のケージにゆっくりと腰を下ろし、ジュネは首を捻っていた。際どい局面からどうにか脱する事はできたが、まだ心の中で腑に落ちない事がいくつも残っていたからである。

「恐らく誰かが糸を引いてる。私達の他に『魔術』を持ち得た誰かが」

 低く潜めた声でジュネがそう言いかけた、その時だった。


 ゴゴゴゴゴゴゴ……


「な……なに?」

 ジュネは一転して高い声を上げ、反射的に立ち上がった。声までは上げないまでも、ハインツも同じく辺りの様子をうかがう。

 重機のエンジン音のような低い轟音が、月下に延々と響き渡ったからである。空気がわずかに震える、その響きを二人は決して聞き逃さなかった。

 ジュネはそのまま、暗く陰った壁の隙間から顔を覗かせる。闇の中を彷徨うようなその鋭い視点は、やがて東の方角へと定まった。

「あれは……」


西暦2037年11月16日

ポーランド空軍施設、食料保管庫前


 頭ごなしにコーから言われた言葉どおりに、俺達はさっさと施設から抜け出してきた。そこに待ちかまえていたのは、ちょっとすぐには信じられない出来事だった。

 どっかから、飛行機の音が聞こえてくる。音からして、それほど大きくはないみたいだけど。俺はすぐさま、ここから南にある広い滑走路に目を遣った。そして……俺はその元凶をすぐに見つけた。

「あれは、試作機?」

 切れかけの街灯みたいな淡い月明かりを浴びながら、大地から伸びる様にそそり立つ管制塔。その周りには、チカチカと点滅する紅い灯が散らばってる。そしてその下では……闇に紛れた漆黒の尖った翼が、気持ちよさそうに夜風に乗ろうとしてた。

 チラッと見たところ、なんだかうちの道場の屋根裏に毎年来てたツバメみたいな形をしてる。ほっそりとした流線型の機体に、機銃のついた小さな翼。そして、尾翼には『PF-53』の白い文字。

 間違いない、あれが試作機だ。俺達が必死で探してる頃には、もう逃げる体勢に入ってたんだ。

 ハッハッハッ……俺達、出し抜かれたんだな。

「ハハッ、俺達の行動、全部読まれてたんだ」

 額に手を当てて、コーは皮肉っぽい笑い声を上げた。その間にも、試作機は闇の中の滑走路と向き合いながら、着々と離陸の体勢に入っていく。

 ジェットエンジンが激しく回り出し、轟音はさらにその勢いを増す。まるで、何もできずにたたずんでいる俺達をゲラゲラあざ笑うみたいに。

「けど、まだ俺達の任務は終わってないぜ!」

 と、その時だった。自分を奮い立たせる様に、コーが高らかに声を上げたのは。

 すぐさま俺はコーの顔を、それより真っ先にその目を見た。その瞳の奥には、いつの間にかつやつやした輝きが戻ってる。それと、いつものコーが醸し出してる軽い……っていうか、無責任なオーラも感じられるようになってきた。

「我、共に謡わん……黒き大地に舞い降りし蒼白なる調べを。我、共に担わん……天を彷徨いし煌めきを。そして今ここに……崇高なる光を与えん事を!」

 コーは両手を天に向かって掲げ、そして高らかにこう唱えた。すると、


 キィィィィン……


 試作機が放つ轟音は最高潮に達して、そして機体はゆっくりと滑走を始めた。静かに直線を描きながら、それは見る間にスピードを増していく。

「おい? なんも起こらねえじゃねえか?」

 裏返り気味の声で、俺はすぐさまコーに問い掛けた。だけどコーはその姿を静観したまま、ピクリとも動かない。そしてその瞳には……まだ光は残っていた。

 俺はまた、今浮かび上がろうとしている機体に目をやった。翼を広げた試作機は、ぐんぐんスピードを増していく。その姿を睨みつけながら見送ろうとした、ちょうどその時、


 キィーン……ギギギッ……ギイイン!


「なにっ?」

 そう思う間もなく、俺の口からはポーンと言葉が飛び出していた。

 浮上寸前のスピードにまで乗りかけていた機体が突然、ぐらぐらと大きく振動しながら右へ左へと揺らぎ始めたからだ。やがて機体は次第にスピードを落としながら蛇行して……そして滑走路の上で曲がった姿勢のまんま、動かなくなった。

 その一部始終を俺は、ただ唖然と見送っていた。ふと隣を見てみれば……やけに嬉しそうにニヤニヤと笑うコーの顔がある。

 そこでようやく、俺は確信した。すました顔して……やりやがったな、こいつ。

「氷点下の鉄槌、思い知らしめたり! なんてな」

「ハッハッ。ジェットエンジンを凍り付かせちまうなんてな。いかにもバカでかくって、お前らしいや」

 堂々とした顔で、コーは右手でガッツポーズを見せながら言った。

 俺も正直、ただ笑うしかなかった。ポーランド軍にまんまと出し抜かれた時点で、俺は今回の任務を諦めかけていた。それを、こんな大胆かつ無謀な手でどうにかしてしまう……と言うよりは、どうにかさせちまったコー。

 細かい理由なんていらない、とにかく脱帽だ。

「それより、早いとこ合流地点へ戻ろうぜ。ジュネ達が心配だ」

「ああ、祐さん」


西暦2037年11月16日

ポーランド空軍施設、司令官室


「『PF-53』プロトタイプは滑走中にエンジントラブルを発生し、やむなく離陸を中止した次第です。原因は現在調査中……」

「そんな事はどうでもいい。設計図は無事だったのだからな」

 僅かに白む空の下、静寂の間を防弾ガラス越しに見つめる長身の男がいた。

 葉巻を口にくわえたまま、彼は兵士のすり切れた声に、背を向けたままでぽつぽつと答える。

「戦闘機ごとき、まだ作り直しは利くからな。それに設計図はこの手の中にある。焦ることはない」

 男はそう言うと、掌の中に納めていた黒い欠片を指先に乗せ、微かに笑みを浮かべた。

 試作機「PF-53」プロトタイプの設計図を納めた、カード状の記録デバイスである。あらかじめジュネ達のスパイ行動を読んでいたポーランド空軍は、サーバから引き出したデータをカードの中に隠し、その手の内に納めていたのである。


 ガチャッ


「ご無沙汰しておりましたな、ノヴァック司令官」

「おお、ユーグ様。どうなさいました? こんな早朝に」

 葉巻の火を静かに揉み消しながら長身の男、ノヴァックは早口でそう答えた。そんな彼の元へ、グレーのスーツを着たアジア人風の小柄な老人が、ゆっくりとした歩調で歩み寄っていく。

 ほとんど白髪と化した髪をバックへ流し、細い目は氷の様な鋭い光を放っている。しかし、そのダークブラウンの瞳は、目尻にしわは刻まれていても未だに若々しさを失ってはいなかった。

「ククッ、なんだね。手の平のそれは?」

 悠然とソファーに腰掛けると、白髪の小柄な男、ユーグはノヴァックの顔を見上げる格好で、無表情のまま問い掛けた。

「ああ、これですか? 新型戦闘機の設計図が入ったカードですよ」

「ククッ……」

 姿勢を正し、ノヴァックは軽く敬礼しながら答えた。その様を眺めながらユーグは再び、喉の奥で殺すような笑い声を微かに上げた。

「すまぬがそれを少しばかり、見せて頂けるかな?」

 軽くうなずきながら、ノヴァックは掌のそれをユーグに手渡した。すると、その瞳の色を変え、彼はその小さな欠片をしげしげと眺める。


「主は見ておられたかね? 輝かしき夜明けを」

「…………?」

 手の平に乗せたカードに鋭い瞳を向けたまま、しゃがれた声でユーグはおもむろにつぶやいた。

 意味深長なユーグの言葉が示すものを見出すことができず、ノヴァックはただ首を傾げるのみである。それをよそに、ユーグは南側の窓を眺めながら人差し指でその向こうを示した。

 かさついた彼の指が指し示す方向は……空軍エアポート。ちょうど現在、試作機が停止している場所だった。

「主も先程、目にしたはずであろう? 何万光年彼方から与えられた力の片鱗を。そして……思い知ったであろう? 我ら人の子が紡ぎ上げてきた鋼の躍動など、その前ではあまりにも無力だと言う事が」

 試作機は未だ、滑走路の上で静止したままである。それを移動すべく、多くの兵士達やクレーンやレッカーなどの工作車などがその周りを囲んでいる。東の空がぼんやりと白んできている事もあってか、その一部始終は施設の最上階から眺めるユーグとノヴァックの目にもはっきりと映っていた。

 視線を左手の掌に落とし、ユーグはまだ冷えた目でカードをしげしげと見つめていた。そして……


 パシッ!


 ユーグは左手を大きく振り、その欠片を床の上へと叩きつけた。

 それを目の当たりにしたノヴァックは青ざめた顔で立ち上がった。すぐさま彼は、腰を落としてしゃがみ込む。その様を見下すかのように、ユーグは依然として冷え切った瞳で見据えていた。

「そんな物は我らにとって、もうただのゴミ屑でしかないのだよ。それと……」

 床に張り付く様に屈み込んでカードを拾い上げるノヴァックに、ユーグは冷ややかな声色でさらに続けた。

「突然の事にて失敬するが……我々、東部軍事機構はポーランド空軍に対する軍事支援を今月をもって打ち切る旨を、このほど裁定委員会にて決議した。よって今年限りで、ポーランド空軍への支援は終了させていただく事になった……その事を、私は報告に参ったのだが」

「そっ、そんな! 我々ポーランド空軍は、東部軍の一端を担うという意識の元に、誠意をもって尽くしてきたのですよ? そのお力添えなくして、我々は一体どうすれば……」

 縮み上がった声を絞りながら、ノヴァックは悲壮感をあらわにした顔つきで立ち上がった。それに対し、ソファーで足を組むユーグは全く表情を崩すことはない。

「ククッ……残念だが、世界の潮流は激変しておる。科学兵器に対して莫大な資金を投じていく事など、半世紀前の愚鈍な考えだ。それに我々東部軍も、無駄金をドブに放るほどの余裕はなくなってきておるしな」

 そう冷ややかに言い放つと、ユーグはソファーからすくっと立ち上がった。青ざめたまま立ち尽くすノヴァックに背を向け、一歩、二歩と歩みを進める。

「それでは。私にはまだ、やり残した事があるのでな」


西暦2037年11月16日

ポーランド空軍施設、西端


 ベットリと皮膚にまとわりつく様な朝靄をかき分けながら、俺達はひたすらエアポートの脇を走り続けた。事前に打ち合わせた通り、施設の一番西側でジュネ達と落ち合ってそのまま脱出するためだ。

 朝露の雫が滴り落ちる木々の向こうには、有刺鉄線が張り巡らされた金網が見える。そしてその手前には、紺色のジャケットを羽織った金髪の二人組がいた……間違いない、ジュネとハインツだ。

「大丈夫だったか?」

「なんとかね。それより、早くここから……」

 叩きつける様な早い口調でジュネは言うと、おもむろに右手を差し出した。

 作戦も成功と言ったらいいのか分かんないけど、どうにか無事に終わったみたいだ。あとはジュネの空間転移で、ここからさっさと脱出するのみ。

 俺の隣にいたハインツがまず、ジュネの白い腕を軽く掴んだ。間髪いれず、俺とコーもそれに続く。

「ふうっ」

 ジュネは目を開きながら大きく息を吸い込むと、そしてまた吐き出した。そのまま、何回も深呼吸を繰り返してる。

 いつになく真剣なその横顔を、俺達はずっと無言のままで見つめていた。やがて……いつかに感じたのと同じ具合に、得体の知れない物が体の中にじわじわと浸透していくような感触がジュネの腕から伝わってくる。

 来るっ……と俺が直感したその時、


「離してっ! 早くっ!」

 けど、俺たちは飛ばなかった……っていうか、飛ぶことはできなかった。

 そろそろ転移の瞬間かと、俺が悟った矢先だった。ジュネはまるでヒステリーを起こしたみたいにキンキン声で叫ぶと、腕をギュッと掴んでた俺達の手を、乱暴な仕草で一斉に振り払った。

 なんのつもりだろう? 一体。早くここから逃げなきゃいけないってのに。

 呆気にとられる俺達をよそに、ジュネは何かに怯える様に身構えてる。そして、


「お、おい、ジュネ! なんだよ? これ」

 事の異変に気づいて、真っ先に声を上げたのはコーだった。そしてすぐさま、俺もそれを目の当たりにした。

 今にしてやっと気づいたけど……ジュネの周りにはいつの間にかどす黒い煙が生まれて、その周りを取り囲んでいた。それは煙とは思えないほど周期的な動きで、グルグルと宙を巡ってる。やがてそれはピタリと動きを止めると、すぐさまジュネの身体を縛り付けにかかった。

「ゴホッ、ゴホッ!」

 グルグルグルッと、煙は帯状に伸びてジュネの身体に絡みついた。

 胸を押さえながら、ジュネは息を詰まらせるように幾度となく咳き込んだ。その度に、すらっとした長身の身体がぐらり、ぐらりと大きく揺らぐ。

「おいっ? どうしたんだ?」

 顔をしかめたままガクリと地面に膝をつくジュネの腕を、俺は無意識のうちにギュッと握っていた。だけどその腕に、いつもの力強さというか、底なしのバイタリティーは全然伝わってこない。


「参ったな、こりゃ」

 ふやけた声でそう言いながら、コーが深い溜息をついた。同じくハインツも、見開いた目を正面に向けたままで凍り付いてる。そして俺もまた、ジュネの姿から目前へと視線を移した。

 いつの間にやら、俺たちの周りを銃を持った兵士達がグルッと囲んでいるのが、ハッキリと目に映る。総勢……20名くらいか。こりゃ、すんなり逃げられそうにもなさそうだ。


 兵士達はみんな申し合わせたように、揃って俺達に銃口を向けた。

 その途端、身体がピキーンと金縛りにあったみたいに動かなくなった。銃を向けられるなんてことは、どう考えても今までありえなかったからなぁ……ハァッ、半端じゃない威圧感だ。

 さすがにこれだけ大勢を敵に回しちゃ、俺達だけの力じゃ防ぎきれないって事は分かり切ってる。その上、頼みのジュネは得体の知れない煙に巻かれて苦しんでる。

 こりゃ……もう終わりかな。

 頭の中にポツンと諦めの言葉が浮かんだ、その時だった。


「銃を下ろすがよい」


 観念して、両手をホールドアップしようとしたその瞬間。

 どこからともなく、しわがれた男の声が響き渡った。すると、兵士達は一斉に銃口を地面へと向ける。

 助かったのかな、俺……なんて、甘いこと考えてちゃダメだな。今度はピタリと静止した兵士達の間から、一人の見知らぬ老人がその姿を現した。

 ピシッと着こなしたグレーのスーツ姿で、男にしちゃかなり小柄な体格。目尻や額にしわが刻まれた顔の上には、深い焦げ茶色の鋭い眼が光っていた。その瞳はビルの谷間から射す淡い朝日を受ける度に、幾度となく赤く輝いて見える。

「なんだよ……ジジイ」

 一歩一歩を踏みしめるように、その見知らぬジジイはなんの警戒もなくこっちに向かって近づいてくる。眉間にしわを寄せ、コーはケンカ口調で言いながら血の気をさらけ出した表情でその姿を睨んだ。

「あんたね。さっきから邪魔してたの」

 うつ伏せで両腕を土に埋めたまんま、うめく様な声でジュネはそのジジイに問い掛けた。いかにも「ご名答」言った素振りで、ジジイは不敵な笑みを浮かべる。

 なーるほど。さっきの黒い煙を発してたのは、こいつってわけだ。ってことは……こいつも俺たちと同じ、魔術師ってことか?

「現代に蘇りし魔術師……ククッ、先程は面白い物を見せてもらったな。おおかた、エルガーの差し金であろう?」

 背が俺たちよりも頭一つぐらい低いせいか、突き上げるような目線で俺たちの姿を見ながら、ジジイはこもった声で話し始めた。

 雰囲気とか格好とかも全部含めて、なんか見る限り薄気味悪いジジイだ。特に、話していようが黙っていようが、常にクスクス笑ってるとこが格段に不気味だな。

 何かにつけていつも笑ってるってことだけならコーも一緒だけど……陰険さはこのジジイの方が格段に上だ。言葉の合間に挟まる「ククッ」っていう喉で押し殺すような笑い声も、それを後押ししてる。

「誰だよ? エルガーって」

「クックッ。知らぬとは言わせんぞ」

 俺の問いを、ジジイはまるで肩透かしのようにさらっと流した。

 エルガー……? 俺は頭を捻ってみたけど……とりあえず、俺の知り合いにそんな名前の奴はいないしなぁ。どう考えたって「エルガー」についての心当たりは一つもない。

「ククッ……」

 口ごもった笑いをさらに繰り返して、ジジイは俺達の方を順に見回した。俺、コー、ハインツ。そして、黒い煙にぐるぐる縛り付けられてむせ返ってるジュネの横顔も。

 どうやら、このジジイを振り切らないとジュネは身動きがとれそうにない。さて、どうしようか。

「さて、せっかく君達にここで出会えた事だ。ククッ、早速だが、そのお手並み拝見といこうか」

 ジジイはスーツの上着を脱ぐと、兵士達が構えている方向へポンと投げ捨てた。そして、手首を回しながらハインツの顔をじっと見据える。

 お手並み拝見……か。上等だ。


「くうっ!」


 ガシャアン!


 なんて、俺がジジイの姿を見据えた瞬間だった。

 ほんの瞬き一回くらいの間だったと思う。ハインツの両足がふわっと地面から離れて……その身体がまるでサッカーボールみたいに、後ろに立っている金網へと一直線に叩きつけられた。

 思いっきり背中を打ち付けたせいか、そのまま地面にずり落ちていった身体を動かせないまま、ハインツは表情を歪めてる。

「こんのジジイッ!」


 パアアン!


 おっと、早速コーがブチ切れたぞ。

 ロックシンガーのシャウトみたいな荒い声を上げながら、コーはジジイの動きを制しにかかった。

 コーはピンと垂直に立てた右手の指を、円を描くようにクルリと小さく動かした。すると……ジジイの身体の周りにキラキラと輝く青い球体が現れた。

 球体は兵士達の先頭に立つジジイの頭からつま先までを、まるでスッポリと包み込むように取り囲んでいった。しかし、


 パリン!


 どうやらそれも、功を奏さなかったみたいだ。

 ジジイが内側からツンと人差し指で触れると、その球体はガラスのコップが砕けるような音を立てて、まるでシャボン玉みたいに跡形もなく砕けてしまった。そのあとには何も残っちゃいない。どうやらコーの魔術を、ジジイが完全に打ち消しちまったみたいだ。


 何度も首を傾げながら、コーはかなり悔しそうな表情を浮かべてる。対してジジイの方は至ってリラックス……つーか、単にニヤニヤしてるだけかも。

 こりゃ……かなりの使い手だな、このジジイ。腕っ節は弱そうだからって、ナメちゃいけないみたいだ。

「ふうっ!」

 けど、このまま黙ってるわけにもいかない。当然。

 俺は無意識のうちに、ジジイに向かってファイティングポーズをとっていた。ハインツもコーもダメなら、あとは俺しかいない。そんな気持ちがグイグイ前に出てたからだろう。

 それに気付いて、ジジイは明らかにニヤッと笑みを浮かべる。相変わらず不気味なことは変わりないんだけど、けどこれだけは分かった。このジジイが俺達と渡り合うのを、心の底から愉しんでるってことを。

「おい、ジジイ……一つ聞きたいんだ」

 俺は宣戦布告がてらに、ジジイに言葉を叩き付けた。

「俺達をぶっ殺すか、それとも捕らえるんだったら、こんなまどろっこしいことしなくていいだろう? なんで……わざわざ俺達にケンカ売りに来たんだ?」

「だから言っただろう? お手並み拝見とな」


 ギイイイイン!


 ジジイがそう言った瞬間、俺の身体を突き刺す様な衝撃が駆け抜けていった。

 何が起こったのか、全く見当がつかなかったけど……体中を巡る痛みと、激しい耳鳴りが重なって俺の身体を流れた。あまりの苦しさに、思わず両手を地面につきそうになる。

 けど、このままぶっ倒れちまったら完全にこっちの根負けだ。俺は左手を地面についたまんま気力だけで右手を掲げて、今度は俺を見下すように見つめるジジイに目を向けた。

 へっ、今のうちにせいぜい、俺をバカにしてやがれ。

 俺は両膝をついたまんま体勢を安定させて、両手の平をジジイの身体に向けた。


 バチィン!


「ぐうっ」

 よっしゃっ!

 右腕をギュッと押さえ、口元を歪めながらジジイはガクンと仰け反った。

 俺が一瞬の隙を見て放った黒い雷撃が、どうにかジジイの右腕を捕らえたからだ。とりあえず、クリーンヒットって言って差し支えないかもしれない。

 ジジイはまだ、片膝を芝生の上についたままで身動きすらしない。いつの間にか胸の内では、説明しようのない……言うなればボワーンとした安心感みたいな感情が広がってきた。

 「今、時の流れが自分に向いてるんだ!」っていう確信を得たからだ。うまく言い表せないけど……言うなれば「これならいける!」っていう、何も根拠のない確信だ。でもそれが、たまに思わぬ力を発揮する事もある。これって怖い反面、実はものすごく面白い。

 さーて、そろそろメインイベントといこうか。


 バババババッ!


 こっちはまだまだ余力が残ってる。俺はさっきの電撃を今度はジジイに向けてじゃなくて、その周りの空間へと解放するように放った。途端、一筋の電撃は弾けて激しい閃光となり、ようやく起き上がったばかりのジジイを包む。

 腕に傷を負っているのか、ジジイはその稲光を振り払うしぐさを見せなかった。しかしその顔には、依然として不敵な笑みが残っている。電撃がバチッ、バチッとスパークする度に、その瞳は紅く照らされて光を放った。


「……さん。ユーイチさん! 早く!」


 なんて、反撃にかまけて熱くなってたその時。何度も呼びかける甲高い声に、俺はふっと我に返った。

 そのままふと振り返ると……そこには、ジュネの腕をギュッと掴んだまま、俺を見ているハインツとコーがいた。さらにはジュネが、切羽詰まった顔で俺を手招きしている。

 はあ……よかった。どうやらジュネが体勢を立て直したみたいだな。それじゃ反撃もそろそろ終わりだ。俺は稲妻をピタッと止めてすぐさま大股で駆け寄ると、ジュネの左腕を強く握った。


「……ふうっ」


 シュウン!


「なぜ逃がしたんです? ユーグさん」

 ジュネ達の姿が消え去った金網の前、ざわめく兵士達を背にユーグは涼しげな顔で立っていた。朝日に照らされて青光りする銃を腰に納めながら、兵士の一人が困惑気味に、彼へと問いを投げかけた。

「奴らはスパイなんですよ? それを、みすみす見逃すなんて……」

「確かに敵かもしれん。今はな」

 ユーグは噛みしめるようにつぶやきながら、ところどころ凹んだ金網に背を向け、そこに体重を預けた。緊張の抜けた、至って悠々とした態度のままで彼は続ける。

「彼らはただのスパイではない……有用な一粒種なのだよ。エルガーにとっても、我らにとってもな。まだその芽すら出てはおらぬが、いずれ華々しく開花する時が来るだろう。私はそれを待ちたいのだ」

 輪をかけて不可解なユーグの言葉に、兵士は更に困惑する。それを無視し、金網にもたれ掛かったままの格好でユーグはふと、空を見上げた。

 闇夜を打ち破って明るさを取り戻した空には、幾筋もの雲がぼんやりと浮かび上がっている。強く吹き付ける風のせいか、それはいつになくスピードを増して流れ続けていた。

「これほど時の流れが速いと思った事はないな……まるで、この雲が流れ行く様のようだ」

 言いながらユーグは、ゆっくりと自らの右腕に目を落とした。スーツの下に着ていた薄い空色のシャツには、明らかに黒く焼け焦げた跡がくっきりと残っている。


「あの黒髪の青年……ククッ。彼こそ、私が数十年来……抱きつづけてきた望みを叶え得る者だ」

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