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Smoky Breath  作者: 音羽 裕(Yutaka Otowa)
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7th progress「自己顕示のカタチ」

7th progress「自己顕示のカタチ」


西暦2037年9月9日

国連オンライン会議室


 議長「それではこれより、第13回定例首脳会議を開始致します。まず、議題ですが」

 アメリカ、ブライト大統領「分かってますよ」

 イギリス、プルート首相「東部軍の停戦協定破棄、いずれは来るべき事だと、常々頭においてはいましたがね」

 イタリア、ジュリアーニ大統領「しかし今頃になって協定破棄とは、東部軍にも何か、よほど早急に事を進めたいまでの理由があるのでしょうか?」

 ブライト「あの古狸の腹の内なんて、私には全く理解できませんよ」

 ジュリアーニ「古狸って……グロシェク大統領の事ですか」

 ブライト「他に誰がいるって言うんです?」

 議長「コホン。えー、本題に入ります。今回の議題は、来るべきベルリン東部の防衛戦に於きまして、国連側から多国籍軍をどのような規模で投入するかについて、議論を交わして頂きたいのです。まずフォーゲル首相、どうぞ」

 ドイツ、フォーゲル首相「はい……非常に残念な事ですが、我が軍の兵力だけをもってしては、防衛できる範囲に明らかに限界があることは目に見えております。私といたしましても、相当数の多国籍軍の投入を速やかに行うべきだと……」

 プルート「私も同感ですな。彼らが一方的に協定を破棄した以上、今更あれこれ思案する必要もないでしょう」

 ジュリアーニ「しかし、万一の事態に備えるとはいえ、あまりにも急激な兵力増強は、かえって相手側の心理を逆撫でする結果には決してつながらないと言えるのでしょうか?」

 ブライト「あなたも相変わらずですな。まあ、恐らく心配ないでしょう。今はどちらも大きな動きをとるべき時機ではない、それは向こうも十分理解しているはずですから」

 ジュリアーニ「既に日本が核の被害に遭っているんですよ? 第二,第三の被害が及ぶ可能性も大いにある……」

 ブライト「あり得ません。彼らもそこまで馬鹿ではないはずです」

 プルート「核とは、武力行使を抑止するところにその大きな意味があるはず。今、核によって成り立っている均衡を大きく崩せば、間違いなく我ら人類は滅びの道を辿るのみ……そんな単純な事ぐらい、彼らも重々承知しているはずでしょう。さて、あなたはどうお考えですか? アンリ大統領」

 フランス、アンリ大統領「ええ……恐らく今年中は、彼らが本格的に攻めに転じると言うことはあり得ないでしょう」

 ブライト「我らは、自ら戦の引き金を引こうとしているわけではないのです。今は、彼らがベルリンに侵攻する事を防ぐのが最優先だという事を言っているだけなのです。お分かりですか?」

 アンリ「もちろん、おっしゃるとおりです」

 議長「では、多国籍軍を早急にベルリン東端へ投入することに、異論はございませんね?」

 ジュリアーニ「……ええ」


西暦2037年9月14日

アメリカ国防総省


「クレイド大佐、お電話が入っておりますが」

「ん? 誰からだ?」

「フランスのサイモン少佐です」

「分かった、つないでくれ」


 先程まで口にしていたブラックコーヒーを静かに置くと、クレイドはおもむろに電話を手に取った。


「サイモン君か。珍しいじゃないか」

「はい、実は大佐に折り入ってお話が……」

「いいから、早く用件を言いたまえ」

「あっ、はい。えー、ベルリン東端に多国籍軍が投入されることになったのは大佐もご存じだと思いますが」

「もちろんだとも」

「我ら駐仏アメリカ軍も、その一員として現地へ向かう事になったのですが、実は、今回の防衛作戦で、我らを支援したいという組織が現れまして……」

「組織? なんだねそれは」

「個人的な見解で申し訳ないのですが、私としてはこの度の防衛作戦を迎えるに当たって、今すぐにでもその組織の力を借りるべきだと考えています。そこで大佐の方から、上の方へその話を通して頂きたいと……」

「分かった、話してみたまえ」


「……ククククッ……ハッハッハッハッ」

「大佐、あのですね」

「最近忙しくて、どうも気が滅入ってたんだ。いい気晴らしになったよ……ありがとう」


 ブツッ!


西暦2037年9月14日

パリ 多国籍軍 駐留基地


 もう何も聞こえては来ない電話を片手に、サイモンはやるせなさを抱え、頭を垂れたままうなだれていた。深いため息をつき、彼は憂鬱な面もちで電話を切る。

 無論、魔術について詳しく話したところで、全く信じてもらえないことは覚悟の上だった。彼自身もつい一週間前までは、魔術と聞いただけで眉唾物だと勝手に決めつけていた一人なのである。

 だが、サイモンはまだ諦めきれなかった。彼は信じていた……魔術という力が、世界の潮流を大きく変えうるという事に。


西暦2037年9月23日

「ル・シエル」本部棟 2F


「初仕事? なんだよそれ」

「もうちょっと喜んだらどう? 機動隊としての初仕事なんだからさ」

 今日はなんだか、ジュネがどことなく活気づいてるように見える。理由もなくハイテンションなのはいつもの事なんだけど、今日はそれだけじゃなくて、なんだか見るからに弾けてるっつーか、なんだか楽しそうだ。

「そうね……でも本当のところ、明後日にベルリンへ向かうってこと以外、私も詳しい事は知らないんだけど。とにかく、細かい事はほとんど現地で聞くことになりそうね」

 ジュネはテーブルの上に置いてあったタバコに遠慮もなく手を出し、笑いながらすぐさま火をつけた。

 ……っていうか、それ俺のだろ?

 呆れ顔で見てる俺をかけらも気にせずに、彼女は心地よさそうに思いっきり煙を吸い込む。天然でこれだからなぁ……いいや、もう。

「そんな無責任なこと、言われたってな」

「おそらく、来るべき防衛戦に備えての軍備増強、その救援が主たる目的になるだろうな」

 完全にだらけた声で首を振るコーに、グェン隊長は真剣な口調で答えた。ホントに対照的だな、この二人。

 グェン隊長はさっきから、ハードカバーのやたら分厚い本にずっと目を通してる。どうやらそれに、俺達の任務内容が細かく書かれてるらしい。

「救援……ですか」

「物資の搬入、関連設備等の設営……エトセトラ。やることは山積みだ。覚悟しておくんだな」

 本を静かに閉じると、隊長は俺とジュネが座ってる方を見ながら皮肉っぽく笑った。まるで他人事みたいに。

「その手のことだったら、夏休みとかに短期バイトでしょっちゅうやってましたよ」

「ちょっと。今度のことはれっきとした任務なんだからさ。安っぽい仕事なんかと一緒にしてもらっちゃ、ちょっと困るんだけど」

 ブワーッと大きく煙を吐き出しながら、呆れ顔でジュネは俺の言葉を笑い飛ばした。

「あっ……ちょっと、なにすんの!」

 なーんか、ムカついた。俺は仕返しついでにジュネの手からタバコの箱をぶんどって、そのままジーンズのポケットの中へ押し込んだ。

「これ、俺のだろ? 欲しかったら、金払えよ」

「あっそ、ケチ」

 無理矢理タバコをぶんどった俺に、ジュネは悪態をつく。まっ、こんな女にムカついたってどうしようもないし、ほっとこう。


「初仕事ねぇ……」

 タバコを1本だけ取り出しながら、俺はつぶやいた。

 俺がここに来てからもう2ヶ月経ったけど、その生活は訓練生の頃とあんまり変わってない。なんだか毎日毎日、先の見えない訓練ばっかりで、ホントはちょっと飽きてきてたところだ。そんな時にようやく巡ってきた初仕事……なんだけど。心底わくわくすると言うよりは「あっそう、ふーん」って感じの、味気ない感触しか湧き上がって来ない。

 なーんで無感動になっちまったのかな。それって自分のせいなのか、それとも世の中のせいなのか……


 まっ、そんなのいくら考えても分かんねえな。俺、バカだし。


西暦2037年9月25日

ユーロエクスプレス 2号車


「専用機ぐらい、出してくれると思ったのにねー」

「そうそう、大学のサークルじゃあるまいし、なんで列車なんかで現地まで行かなきゃならないわけ?」

「それだけ、軍内でもまだル・シエルの認識が低いってことなのかな?」

 周りの迷惑なんかお構いなしに喋りまくってるジュネとディアナさんを横目に、俺は横向きにスクロールしていく景色をなんとなく眺めていた。見えるのは、ほとんど畑か木ばっかりで、取り立てて面白くはないんだけど。

 相っ変わらず、コーはどこかの席へ出張したまんま1時間、帰って来る気配は全然ない。それよりも俺が今、気になってるのは、向かいの座席でずっと窓の外を見つめているハインツの姿だ。なんか感慨深げに窓の向こうをじっと眺めたまま、喋るどころか動こうともしない。

「どうしたんだ、ハインツ?」

「えっ? ええ、久しぶりの祖国だから、景色をしっかり目に焼き付けておこうと思って」

「……ああ。ドイツの生まれだったよな、確か」

 今、俺達が乗ってる銀色のエクスプレスはドイツの国境を越えて、古びた街並みと木々の間を流れるように突き抜けていた。ベルリンまではあと……一時間半ぐらいかな。

 タバコが自由に吸えないから、俺は基本的に列車の旅って嫌いだ。けど、たまにはこんな日があっても悪くはないかなって、最近になって思うようになった。

 ハハッ……なんか、俺もずいぶん性格丸くなったよな。老けたのかな。

「どうだ? 久しぶりの祖国ってのは」

「うん、でも任務のために来てるって思うと、あんまり感慨に浸るわけにもいかないんですけど」

 はにかむように笑いながら、ハインツは再び窓の外に目をやった。澄んだグリーンの瞳を心なしか見開いて、変わり映えのしない景色をずっと収め続けてる。


 故郷ってのは、たとえ遠く離れていても気に掛かるものなのかな。

 心の中でつぶやきながら、俺はぼんやりと思いだした。海の遙か向こうに今はひっそりとそびえてる、もう瓦礫の山となり果てた街を。今さら望郷の思いなんて持ったって、しょうがないんだけどさ。


西暦2037年9月25日

ベルリン東端


 ちょうど日がてっぺんまで昇る頃に、俺達はベルリンの市街地までどうにか辿り着いた。電車に乗って外国へ来たなんて、ずっと日本に住んでた俺にとっちゃピンとこないけど。

 ここへ来て、まず思ったこと。このベルリンって街は、なんだかやたらごちゃごちゃした街だ。道自体は広いんだけど、鉄筋コンクリートの古い建物と新しい高層ビルが混じり合って、なんだか雑然としてる。歴史の古い街ってのは、どこもこんなもんなのかな。

 俺達はそんなベルリンの街を、ワゴンで東へとすり抜けた。そして当日の昼過ぎ、どうにか東部のフランス陸軍基地へ無事に辿り着くことができた。


「うっわー、どこまで続いてるんだ? これ?」

 小高いビルの屋上から東の方角を眺めていたコーが、目を見開きながら驚きの声を上げた。

「これが、東端バリケード……」

 せせらぎみたいな静かな声でつぶやくハインツの声と同時に、俺はふと東へと顔を向けた。

 すぐさま俺の目に飛び込んだのは、雲のかけらすらも見当たらないライトブルーの空の下、四、五メートルはあろうかという頑丈そうな鉄壁が、北から南へ延々と続いている光景だった。さらにその手前ではライフルを構えた兵士達が、ピリピリした雰囲気を醸しながら壁の向こうをじっと見据えている。

 壮大で、そして引き締まった雰囲気。ずいぶん離れた場所から見てる俺の元にも、それはハッキリ伝わってくる。

「しっかしまあ、よくこんな大層なもん造ったよな」

 俺はつぶやきながら、ポケットからいつものタバコを取り出した。こういう絶景の場所でくつろぎながらタバコを吸うのって、ものすごく気持ちいいもんだ。

 その先っぽに手早く火をつけ、口にくわえたその時、


「ねえ、見えるでしょ? この世界に刻み込まれた、大きな溝が」

 不意に響いた小さな声に、俺はタバコを口の端でくわえたまんま振り向いた。

 いざ一服と決め込んでた俺の真後ろでは、深緑色のジャージみたいな作業服に着替えたジュネが、突っ立ったままじっと遠くの景色を眺めていた。いつものジュネにしちゃガラにもなく、映画のヒロインみたいに手すりに手を掛けながら、じっと目を細めておとなしくしてる。

「ここに生きる人達はあの壁を『ツヴァイト・ヴァント』って呼んでるんだってね」

「ツヴァイト・ヴァント?」

 俺はタバコを口から離して、ジュネに聞き返した。

「昔、このベルリンの街を二分していた大きな壁があったのよ。100年前に起こった世界大戦の傷を引きずる形で壁は築かれたんだけど、その壁はただ単純に街を二つに分けたんじゃなくて、世界に大きな溝を刻んだとまで言われた」

「ああ。それってなんか、中学の時に聞いたことあるような、ないような」

 それって『ベルリンの壁』だな。確か歴史の授業かなんかで、てっぺんハゲのうるさい教師が覚えろ、覚えろって何度も言ってたのが微かに頭の中に残ってる。鉄のカーテンがどうとか、冷たい戦争がどうとか……戦争に熱いも冷たいもねえよって、俺は思ってたんだけど。

「知ってる? で、その壁はもう50年も前に崩されたんだけど、今から3年前だったかな? チェコのグロシェク大統領が率いる『東部軍事機構』がドイツ国内に侵攻してから、この街の東端に防衛線が引かれて、ついにはバリケードが築かれた……似てるでしょ? 壁にまつわる、昔と今のいきさつが」

 なんて、ジュネの話をなんとなく聞いてはいたんだけど。ふとその時、俺はジュネの様子がなんか妙だなと気付いた。

 いつもは気の赴くまま、気分次第の言葉しか口に出さない奴だけど、今日のジュネは、なんか憑き物でもついてんじゃないかってくらい、人が変わっちまったみたいだ。

 一体何があったのかなんて、俺には全く見当がつかないけれど。でも、こんな奴でも気分次第でシリアスにもなるんだなぁ。新発見だ。

「この壁は、古都ベルリンに築かれた二つ目の防壁。それは、世界に刻み込まれた深い溝を埋め合わせるように造られた。だからこの街の人達はそう言った意味合いも込めて、2番目の壁『ツヴァイト・ヴァント』って名付けたんだろうね」

 ジュネはそう語りながら、コーがずっとつっ立ってる鉄柵の真ん前まで、静かな足取りで歩いていった。

 なにやら大げさな素振りで話すコーにジュネは二言三言返してたけど、その後ろ姿にはいつものような歯切れのよさというか、弾けるような元気さは見て取れない。

「世界の溝……か」

 バリケードの向こうは、東方の遙か遠くに見える山に向かって続く街道と、その周りに寄り添う古い街並み、それだけだ。とてもじゃないけど、この壁を隔てて血で血を洗う対立が起こってるなんて、すぐに信じることすらできない。

 けど、延々数十キロにも及んで続いてる分厚いバリケードを見て思うことは一つ。やっぱり、なんだか冷たい感触がする。うまく言い表せないけど。


 さっきジュネが言ってた、世界の溝ってもんの深さが、今なんとなく分かったような……そんな気がした。


西暦2037年9月28日

ベルリン東端、軍施設


 今日はどしゃ降りの雨。

 空から叩きつけるように降りしきる雨粒を背に受けながら、俺達は混み合った施設の隙間を行ったり来たりしていた。空路で届いた弾薬とか、山積みになってる物資を施設へ運び込むためだ。

「ハァ……もうこれで終わりか?」

 濡れてバサバサになった長い髪を振り乱しながら、コーは暗い倉庫の片隅でふやけた声を上げた。古びた紺色の作業服は濡れ雑巾みたいに水を含んで、歩く度に水をピチャピチャと落とす。

 身体がずしっと重い。ついでに気も重い。

「まだメチャクチャあったぜ……うー、だりー」

 俺は倉庫の壁にもたれ掛かって、じっと空を見上げた。

 まだ昼下がりだってのに空は夕暮れかってくらいに暗くて、沈み込むような黒い雲が空一帯に立ちこめていた。

 朝から晩まで、弾薬と食料が詰まったケージを貯蔵庫行きのリフトまで運ぶ。もう3日間、たったこれだけの毎日だ。昨日はカラッと晴れてたからまだいいけど、今日みたいな天気の悪い日はなんだか気分まで、ズーンと沈み込んでくる。

「おーい、休もうぜ。ハインツ」

 だらりと壁にもたれ掛かったまま俺は、一向に手を休めずに働き続けるハインツに声をかけた。

「え? ええ」

 片隅でダレてる俺達を後目に、疲れのかけらも見せずにハインツは手を止めて、ようやくこっちを向いた。

「羨ましいよな。なんにでも打ち込めるあの根性」

「ていうか、お前もナンパに打ち込む根性、仕事に回したらどうだ?」

 皮肉っぽくつぶやくコーに、俺は速攻で突っ込んだ。はにかむように笑いながら、コーは「分かってんだろ?」って顔をする。

 ああ、分かってるさ。人に指示された事に打ち込むのと、自分でやるって決めた事に打ち込むのでは、出てくる根性の質が違うんだ。

 俺は手探りで、ポケットからタバコの箱を取り出した……けど、水でビチャビチャにしけまくってる感触を指で感じた瞬間、一気にテンションが下がった。

 俺×コー=やる気ゼロ。足しても多分ゼロだ。

「悪天候で空路での輸送はストップしてんだってさ。それなら、すぐに仕事も片づきそうじゃねえか?」

 なんて気楽な事をのたまうコーだけど、この豪雨に根負けすらせずに頻繁に出入りしている他の兵士達を見る限り、そんなに事が簡単に片づくなんて思えやしない。

 なんか、ここまで事態を楽観視できるコーが、はっきり言って羨ましいな。


「はぁ……」

 そんなこんなで、俺はでっかい無気力の塊を抱えながら、何気なく遠くの空を見上げていた。そんな時の事だった。


「……なんだろ?」

 あん?

 弾薬を入れるケージを背もたれにしてたコーが、声を上げるか上げないかの時だった。その隣で仕事するふりをしながらダラダラ過ごしてた俺も、周りの様子が一変してることにうっすらと気づいた。

 つい今さっきまで作業服姿の下っ端兵士がほとんどだったエアポートに、ライフルを持った迷彩服の兵士達がちらほら見えるようになってきた。彼らは体勢を低くしたまんま、一目散に東のバリケードへと向かってる。

 しばしの休息を勝手に決め込んでいた俺達は、ただじっとその光景に見入っていた。なんだか、バタバタと慌ただしくなってきてんな。どっかに火でもついたんだろうか?

「なんか面白い事にでもなってきたんかな?」

「おいおい、面白いって……祐さん」

 ぽつりとそうつぶやいた俺に、今度はコーが苦笑しながら突っ込んできた。

 ついポロッと言っちまったけど、面白いだなんて……確かに、これがもし一大事だったら不謹慎だよなぁ。

 不思議なことに、さっきまで俺にズーンとのしかかっていた無気力の塊は、いつの間にかどこかへ行っちまってた。多分、状況の変化って奴が退屈を追い払ったんだろう。

 下手すりゃ大事かもしれないってのに、俺は不安になるどころか、むしろなんだかワクワクしてる。いつもの悪い癖、怖い物見たさって奴か。何はなくとも俺っていつも、なにか大事が起きるのを心の片隅で期待してるような……


 なーんか、つくづく変な奴だな。俺って。


西暦2037年9月28日

ベルリン東端、軍施設内


「なんの騒ぎだ? 一体」

「東部軍が、警戒線内に侵入したそうです!」


 ベルリンの東端に位置するドイツの軍用エアポートには、フランス軍や欧州駐留米軍がが防衛戦のために多数駐留していた。

 両翼にミサイル弾を搭載した戦闘機、爆弾を抱えた爆撃機など様々な軍用機が絶え間なく発着するエアポートの隣には、陸軍と空軍が共用している軍施設がある。施設は管制塔と隣接している高いビルで、その屋上からは拓けたアスファルトの滑走路を一望できる。

 その軍施設の3階、厚い強化ガラスが張られた窓際のロビーからは、発着する輸送機とツヴァイト・ヴァントを同時に眺めることができる。そのロビーのソファーで、絡まり始めた事態をガラス越しに見据える3人の男女がいた。


「どうも俺は厄を拾いやすい体質みたいだな」

 弾薬をベルトに提げた兵士達が慌ただしく廊下を駆け回る中、グェンは新聞に目を通しながらロビーの椅子に腰掛けていた。彼は時折、目線を紙面から窓の外へ移し、そして口ごもるようにつぶやく。

「フフッ……前にベルリンに来た時も、なんか騒がしいことになってたよね」

 首を垂れてうなだれるグェンの隣には、窓からどんよりと曇った空を見つめているディアナの姿があった。彼女はグェンを慰めるように、えくぼを見せながら同意する。

 グェンは午後にはベルリン中心部の庁舎に赴く予定であったが、豪雨のためにずっと足止めを食っていたのである。さらに追い打ちをかけるように起こったこの騒動、グェンは自分自身の巡り合わせに肩を落としていた。

「ちょっとディアナ。笑ってる場合じゃないかもよ」

 と、その時。ロビーの隅で様子をうかがっていたジュネが、トーンダウンした声を上げた。彼女はいつになく厳しい目つきで、荒れた外の様子を見つめている。

 泥を飛沫のように跳ね上げながら突き進む軍用車。その脇を、ライフル銃を背負った兵士達が雨に打たれながら、大挙してバリケードへと向かっていく。事態は深刻な様相を見せ始めているのは、誰の目にも明らかだった。

「うだうだ考えたってどうしようもない……よな」

 足を何度も震わせ、落ち着かない素振りで投げやりにグェンがつぶやいた……その時だった。


「ジュネ君、だったな?」

「サイモン少佐……こちらへいらしてたんですか?」

 顔全体に驚きと戸惑いの色を表しながら、ジュネは口を開いた。

 彼女が驚いたのも無理はない。彼女の後ろには、紺の軍服を着たサイモンの姿があったからである。彼はセントゥールホテルでの会談の時と同じ姿で、真っ直ぐにジュネの表情を見ていた。

「知り合いなのか? ジュネ」

 振り向きざまにぽつりと言葉を放ったグェンを見るなり、サイモンははっとした顔で身体の向きを変え、グェンに向かって会釈をした。何がなんだか分からず、グェンはただ呆然とする。

「あなたが指揮官のグェン殿ですか? これはどうも失礼いたしました」

「指揮官って言ったって……まだ結成2年足らずの、しがない機動隊の隊長やってるだけですけど」

 どこからどう見ても堅いサイモンの仕草を見てか、グェンは至って柔らかい態度で答え返した。たまらずサイモンも、口先で微かに笑う。

「で、何かご用でしょうか? サイモン少佐とやら」

「ええ。単刀直入に申し上げますと……我々に少しばかり力を貸して頂きたいのです」

 どうやら話が穏やかでないとグェンは感じたのか、それまでのゆったりとした表情から一転して、張りつめた顔でサイモンの顔をまじまじと見つめた。

 ディアナ、ジュネの二人が息を飲んで状況を見届ける中、グェンとサイモンの会話は展開されていく。

「あわただしい状況にはなっていますが、現在のところ東部軍はまだ攻め込んではいません。しかし……恐らく彼らは、夕刻に大挙して攻め入る公算でしょう。当然ながら我々は、徹底抗戦しなければならない。しかし、今までにない程の苦戦を強いられることは間違いないでしょう」

 面もちは静かでありながら力強く語り続けるサイモンを、グェンは神妙な顔つきでずっと見つめていた。サイモンはようやく、グェンの向かい側のソファーにゆっくりと腰掛け、さらに続ける。

「実は先日……私は単身、ル・シエルの本部を訪問させて頂きました。あなた方がずっと研究してらっしゃる、魔術という物をこの目で拝見させて頂いたんです。そして私は、ある一つの確信を持ちました」

 徐々に熱と力がこもってきたサイモンの言葉。それにグェンをはじめ、ディアナ、ジュネもぐっと息を飲む。

「この力によって、世界は確実に変貌を遂げる。この膠着した世界大戦をいち早く解決に導き、そして新たな世界の体系を築き上げることができると」

 予想だにしなかったサイモンの言葉にグェンはただ、まばたきを繰り返すだけだった。

 魔術についての認識を持っている人間は数少なく、その正しい知識を持っている者となると更に少ない。ル・シエルの本国であるフランスの軍人でさえ、魔術と聞いただけで鼻で笑う者が数多くいるのが現状である。しかし、魔術をこれほどまでに強く支持する者が、ル・シエルの外に存在した。その事が、グェンにとっては意外だった。

 未だ唖然とするグェンに真剣な眼差しを向けたまま、サイモンはさらに言葉を続ける。

「私達がこの戦争を勝ち抜くためには、魔術という力添えが必要不可欠です。だからこそ我々、多国籍軍にいち早くその力を貸して頂きたいのです。あなた方が協力して下さるなら、この長き戦いにもいち早くピリオドを打つことができるはずです。それに……」

 数秒の間をおいて、サイモンはさらに言葉のアクセントを強めた。その話を聞く3人の目にも、更に真剣味が増している。

「今こそ、その力を世に示す時だとは思われませんか? グェン殿」

 ほんの一時、しんと静まり返る一同。

 一人一人の顔色をうかがいながら、サイモンはさらに続けた。

「当然の事ながら、魔術の認識はグローバルな目で見た限り、まだ極めて低いのは動かしがたい事実です。私も再三、我が軍とル・シエルとの連携を国防総省へと促したのですが、まともに話すら聞いてはもらえない程ですから。ならば、我々のとるべき道は一つ。魔術という絶大な力を、世界中のまなざしを前に証明することだけです」

 大きく言い放ったサイモンの言葉に、グェンは咄嗟に目を細めていた。トーンを上げて悠々と語る彼の言葉が、うまく飲み込めなかったからである。

「あなた達の力を以て東部軍を駆逐する事ができれば、この世界全体に鮮烈な印象、イメージを与えることができるはずです。鮮烈なイメージ……魔術という力がいかに強大であるかを知らしめること。戦においてはそれが十分、武器になり得るのです」

 身振り手振りも交えて語り終わった後、サイモンはそこで言葉を止めた。ようやくその話を飲み込めたのか、グェンは神妙な顔で何度もうなずく。しかし、

「うーん……そう急に言われましてもね。そもそも、我々はただ、他国軍の救援、バックアップの為に訪れただけの事です。マスターからの勅命が出ない限りはどうにも……」

 しかし、グェンが放ったのはあまりにも消極的な答えだった。隣のソファーから軽く身を乗り出して様子をうかがうディアナとジュネも、それに同調する様にうなずいている。

 と、グェンが言い終わらないうち……サイモンは無言のまま、手持ちのファイルから一枚の書類を取り出した。


「既にマスター・ファルティアス様からの委任状は頂いております。今回の件は、私とグェン殿の意思決定に委ねると」

 そう言うとサイモンは、その紙切れを勢いよくテーブルに置いた。唐突な出来事に目を白黒させながら、グェンはそれをまじまじと見つめる。その目は、書類の一番下に記されているスタンプと『マスター・ファルティアス』のサインをとらえた。

「なあ、どうするよ?」

「どうするって、グェンが決めるんじゃない」

「そっ、そうか……そうだな」

 狼狽したまま無責任に問い掛けるグェンに、ディアナは半ば呆れ顔で答えた。その冷たい表情に、彼はごまかし気味にうつむきながらたじろぐ。

 答えを迷う猶予など、この慌ただしい状況下に存在するはずはなかった。グェンはいち早く最善の答えを絞り出そうと、これまでに聞いた事柄を心中で噛み砕いていた。

 止めどない焦りを抱えながら、グェンがあれこれと思索していた……その時。


「いいんじゃないですか? 二人とも、これが絶好のチャンスだと思わなきゃ」


 低くこもったその声に、一同は揃ってガラス窓の方に目を傾けた。

 彼らの視線の先には、灰色に染まった窓の向こうをじっと眺めているジュネの姿があった。もったいぶるかのように間隔を空けてから、ジュネは暗澹たるガラス越しの光景から目を離し、そして振り向く。グェン、ディアナ、サイモン……と、彼女の鋭く誇らしげな瞳が順に向けられた。

「私達も防衛戦に加わるのが、ベストじゃないですか? 隊長」

「あのな……本気で言ってるのか?」

「今ここで私達の力を存分にアピールしなかったら、今度はいつになると思ってるんですか? あっそう。それじゃこれからも、セカンドクラスの特急で任地を行き来したいわけ?」

 ジュネの瞳を見つめながら冷静な口調で問い掛けるグェンを捲し立てる様に、ジュネはナイフの様に尖った声で答え返す。数人で応戦したとしても手に負えない程の剣幕に、さすがのグェンも渋い表情を隠せなかった。

「あの時とはまるで状況が違うんだ。分かってるな?」

「もちろん」


 グェンが言う「あの時」とはちょうど1年程前、ドイツ西部に於いてテロ組織の一掃が行われていた時期に起こった出来事である。

 古都ボンの外れに姿を潜めるように建つ、ペールオレンジの古びたビルディング。空気がビリビリと震えるほどに張りつめた雰囲気の中、その周りを取り囲む幾多の兵士達。言葉のない静かな戦いが、既に二ヶ月もの間続いていた。

 その矢先に発生した、ビルディング内部の爆発事故。不測の事態に混乱するテロリスト達の隙をついて兵士達は一斉に突入し、ついには首領の身柄を拘束するに至った。しかし、突入のきっかけになった爆発事故の原因は様々な検証が行われたものの、これといった確証が得られるような物的証拠はかけらも見つからず、一年の時が過ぎた今も歴史に残るミステリアスな事件として人々の記憶に残るところとなっている。

 ところが、その不可解な事実を知る人物が存在していたのである。フランス大統領ロベール・アンリ、ドイツ首相ゲルハルト・フォーゲルの両首脳と、ル・シエル総帥マスター・ファルティアス。そして、極秘任務に当たっていた機動7隊のグェン、ディアナ、ジュネの3人である。


「あの時はホント、厄介な任務だったよね。『魔術を用いてテロリストの妨害を行え』ったって、何から手をつけていいか分かんないし」

「それで、4、5時間も頭抱えて考えた末に下したお前の決断が『ドカーン』……最終的にいい方向へと転んだからよかったが、下手すりゃ他の兵士達も巻き込んでたっけな?」

 目を逸らしてごまかし笑いを浮かべるジュネに、呆れ混じりの声色でグェンは突っ込んだ。

「あの時は事実が表沙汰に出ることはなかったから、まだよかったんだ。だが今回はそうはいかない。もし俺達の放った魔術が原因で被害が拡大したなら、世界中から嵐の様な糾弾を受ける事になるんだ。決して失敗は許されないんだぞ?」

「失敗が許されないのは、どんな時だって同じじゃない。最初から失敗を考えて動いてたって、なんの意味もないんじゃないの?」

「…………」

 物怖じすら表面に出すことのない、はっきりとしたジュネの言葉にグェンは一瞬にして打ちひしがれた。

 出かかった言葉を喉の奥に溜めたまま、グェンは口を半開きにして黙り込む。そして、光をたたえているジュネの瞳から目を離すと、そのままうつむいてしまった。

 端から見れば無責任とも取れるくらい、マイペースに語り続けるジュネにグェンは根負けしたわけでも、また呆れたわけでもない。彼は心の底から、彼女の言葉に納得していたのである。どこまでも前向きでポジティブな、ジュネの意思と彼の思いがようやく同調した瞬間であった。

 ようやく答えを見つけたとばかりに大きくうなずくと、グェンは口を閉じたままおもむろに立ち上がった。頬の骨格がしっかりした面長の顔はいつになく厳しく、また精悍にも見える。そして、より鋭さを増したダークブラウンの瞳の奥には、指揮官としての闘志が絶えず見え隠れしていた。


「ディアナ……機動1隊を召集してくれ。すぐにだ。俺は1Fの発着ロビーで待ってる」

「ええ」

 グェンは細めた目つきのまま、静かな口調で命令を下した。するとその答えを待ちかまえていたかのように、ソファーに座り込んでいたディアナは静かに答え、すぐさま混み合う廊下へと駆け出していく。続いてジュネも、ほんの一度だけグェンに目配せをし、その背を追って行った。

 その姿を流すように見送った後、グェンはその瞳をサイモンに向けた。屈強な自信に裏打ちされた、澄み切ったダークブラウンの瞳。腕を組んだまま、何度もうなずきながらサイモンは口元を緩める。それでこそ、軍人たる者の瞳だと言いたげに。

「俺達の力、しっかり見せつけさせてもらいますよ。サイモン少佐」


西暦2037年9月28日

ベルリン東端、バリケード前


「おい……なんだい、ありゃ?」

「俺に聞くなよ」

 ひっきりなしに降り注ぐ雨の中、潮騒のようにざわめく兵士達。その視線は全て、ある一点へと集中していた。


 ベルリン防衛の戦を控えているため、軍用機の発着すら滞っているエアポートの敷地内。この場所は、どんよりとした雨雲の下にそびえるバリケードの外観を、広く見渡すことができる場所でもある。

「なに? あいつら。じろじろ見てさ」

「そりゃ……そうよね。こんな格好してるんじゃ」

 まるで気分を変えるが如く緩急を切り替えながら、延々と降りしきる雨の中。頭の先から法衣の裾までずぶぬれになって不機嫌そうにつぶやくジュネに、苦笑しながらディアナは答えた。

 片手で十分握ることができるほどの小銃を持った多国籍軍の兵士達は、先程から揃って偏見混じりの眼差しを彼女たちに向けている。ジュネが苛立っていたのは、これがそもそもの原因である。

「はぁ……やってらんないね」

 まだぶつくさと文句をたれながら、ジュネは兵士達から目を逸らすついでに振り向いた。

「大所帯の1隊を連れてきたのが、そもそもの原因なんだってば。いくら魔術を全世界にアピールしようったって、ちょっと目立ちすぎじゃない?」

「そんなこと言ってもねぇ……私達7隊だけでどうにかなる状況だと思う? それに、今のうちからこれくらい目立っといた方が、アピールのしがいがあるってもんじゃない?」

 いつになく冷めた態度のディアナに、ジュネは更に頬を膨らませた。この場にいる多くの兵士達に、まるで動物園の猿を眺める様な目で見られている事が、彼女のプライドを逆撫でしていたのである。


 赤と紫の法衣を身に付けた二人の後ろに並んでいるのは、申し合わせたように統一したグレーの法衣姿の男女である。その総勢は数十名ほど。風貌は様々で、白人、黒人、アジア、ラテン……と、至って民族色豊かな人々である。

 彼らはただ、ジュネ達の後ろで立ち尽くしていた訳ではない。そのうちの数名は、金色の輪がいくつも付いている錫杖の様な物で、泥まみれの地面に何かを刻み込むように描いていた。杖の尻が地面をなぞると、銀色の粉を撒いたような線が太く現れていく。

 今、こうして仕事に励んでいるこの人々こそ、ディアナやジュネ達の同胞である「機動1隊」である。ジュネ達が所属する「機動7隊」と同じくル・シエルの部隊だが、その中でも最大の人数を擁するグループでもある。彼らは今、魔術を発動させるためのバックアップを任されていた。

「そうだ……おっと、そこ……そうそう、もう少し右だ」

 ジュネ達が揃って1隊の様子を眺める場所から十歩ほど離れた場所には、錫杖を持った隊員達に身振りを交えて指示をするグェンの姿があった。彼は雨ざらしになりながらも時折、地面に銀色の線を引く隊員達に事細かな指示を送っている。

 先程まではどこか無責任な素振りをうかがわせたグェンだが、いざとなれば卓越した行動力を発揮するのが彼の性格。少数精鋭である機動7隊を一手に率いているとのも、うなずける事実である。


「そういえば、ユーイチ達はどうしたんだろ?」

 いくらか苛立ちも収まってきた頃。突如として思い出したかのようにジュネは、じっとグェンの姿を眺めているディアナに声をかけた。

「呼ぼうとしたんだけど、グェンがやめとけって。まだ矢面に立たせたくないんじゃない? 実戦経験ゼロの3人を」

「まっ、当然かな。それにあいつらが加わったって今のところ、何かの役に立ちそうにもないしねぇ」

 同じ場にいないのをいいことに、ジュネはあっさりと3人を笑い飛ばした。もっともだと言った面持ちで、ディアナもまた深くうなずく。


「ん? 準備できたのかな?」

 彼女たちがそうこうしているうちに、錫杖を持った隊員達がまるで引き潮の様にぞろぞろと退いていった。二人はすぐさま、人が澄んだその場所へと駆け寄っていく。

 ジュネは辿り着くなり、泥がマウンドのように盛り上がった地面をまじまじと見つめた。

 ぬかるんだ足下の地面には、光り輝く銀色の文字で描かれた奇妙な象形文字がいくつも並んでいる。中央には一際目を惹く大きな円が、そしてその周りには炎や風など、自然の事象を表すような文字が無数に描かれていた。

「ふーっ、なんか本格的だねー」

「『本格的』じゃない。これはれっきとした本番なんだ……いいから早く位置につけ」

「はいはい、分かってますって」

 命令を下すグェンの言葉にふてぶてしい声で答えながら、ジュネは中央に描かれた円の真ん中に立ち、そして両足で地面を何度も踏みしめた。

 その途端、辺りを取り巻く空気がぐっと引き締まっていく。後ろでじっと息を潜めていた法衣姿の男女達が、一斉に腕を組み始めたからである。


「何やってんだ? あいつら。祈祷でもしてるつもりなのか?」

「祈祷なんかでこの戦に勝てるなら、誰も苦労はしねえよ。ほっとけ……っておい? 来るぞ!」

 絶えることなく降り続ける雨の中、依然として奇怪な行動をとり続けるグェン達を怪しむ兵士達。しかしその視線も、すぐにバリケードの向こうへと移った。


西暦2037年9月28日

ベルリン東端、軍施設


 パァン! パァン!


 ズダダダダダダッ!


「おいおい……始まってまったで」

 俺はコーとハインツを引き連れて、軍施設の屋上まで階段を駆け昇ってきた。仕事なんて、ほっぽりだしたまんまだ。今、俺達の周りに何が起こってるのか、それをこの目で確かめたかったから、俺たちはここに来た。

 屋上の歪んだ金網越しから、コーはしきりに東の方角を見下ろしている。いつもは必要以上にヘラヘラしてるその顔も、今日はいつになく険しい……っていうか、今、俺達が身を置いている状況が、そうさせてくれないだけだ。

 バリケードの手前では、入れ替わり立ち替わり現れる多国籍軍の兵士達。みんな挙って小さなマシンガンを手に、ザーザー降ってる雨の向こうを休む間もなく狙い撃ってる。

 なんていうか……これって、戦争だよな? 今までテレビでしか見たことがなかった殺伐とした光景、それが今、俺の目の前で起こっている事実だ。


 ダァァァン!


「うあああっ!」

 空と地面の間を一気に駆け抜けるような轟音に、俺とコーは反射的に耳を塞いでいた。それにもかかわらず、体の中をドクンと流れるとてつもない衝撃。ひんやりと体の芯が冷える感覚と一緒に、心にはある感覚が通り抜ける。それは……今まで生きてきた中でも味わったことがないくらいの恐怖。『恐ろしい』としか他に言い表し様がない、ただ率直な恐怖感だった。

「……な、なんだよ、今の」

「ミサイルだろ。多分」

 ブルブル首を振りながら声を震わせるコーに、俺は質感のない声でそうつぶやいてた。

 今、俺の目の前に広がっている光景。それは、街をガッチリ守るように築かれてたバリケードに、えぐり取ったような大穴が開いている景色だった。なんだか、あんまり信じたくないけど。

 バリケードをいとも簡単にぶっ壊すくらいのミサイルが飛んできてる。もしかしたら、ここもヤバいかもしれないな。

「なあ、祐さん。まだなんか来とるで?」

 喉からやっとの事で絞り出したような声で、コーは不安をあらわにつぶやいた。俺は宙をうろつくようなコーの目線の先を追ってみたけれど、バリケードから先は濃い霧で煙っていてよく見えない。けど……じっと目を凝らしてみればどうにか見えそうだ。

 俺は目を細めて、その先の様子を瞳で探ってみた。


「ウソだろ?」

 俺は知らず知らずのうちにそう叫んでいた。深い霧の中に紛れていた物、それが堂々と姿を現したからだ。

 それって言うよりは、その群れといった方が正しいな。むらのないメタリックグレーの装甲に、長さは優に数メートルはありそうな砲塔。それがいくつもゾロゾロと列を成して、霧の隙間から見え隠れしていた。おそらく、東部軍がベルリン制圧のためにけしかけてきた戦車部隊だ。

 ヤバい。こりゃホントにヤバいぞ。

 ハインツもまた、俺の後ろに突っ立ったまんま、真っ青な顔でこの状況を目に収めてる。まあ、当然か。こんな時にじっと平静を保ってられる方が、ハッキリ言っておかしいけど。

「おい、逃げねえのか?」

 放心したようにボーっと金網の向こうを眺めているコーの手を、俺は力任せにぐいっと引っ張った。

「おいっ?」

 ずしりと重い感触が、コーの手を引いた腕に残った。

 抜け殻のような身体を古びた木箱に預け、コーは座り込んだままで薄っぺらい金網の向こうの現実を凝視していた。その視点は、さっきからずっと動く気配がない。

「どうしたんだ? コー!」

「あれ……」

 カッと目を見開きながら、おもむろにコーはバリケードの手前に震える指先を合わせた。

 また何か見つけたんだろうか。すかさず俺は、その長い指先が示す方向に目を凝らした。ファインダーを覗き込んでるみたいに、焦点がピタリと合って……すぐさま鮮明な映像が、俺の瞳の中に飛び込んできた。


「あれは……ジュネ?」


西暦2037年9月28日

ベルリン東端、バリケード前


「蒼き天上に眠りし、全能なる我らが主よ……我、この生命の大地に降りし『創造物クリーチャー』なり」


「蒼き天上に眠りし、全能なる我らが主よ……我、この生命の大地に降りし『創造物』なり」


 徐々にその勢いを増大させる雨に打たれながら、光を湛えた瞳で天を仰ぐジュネは胸の前で手を固く組み、詠唱の様な言葉を押し出すように発していた。それに続くように法衣姿の面々は、彼女と全く同じ言葉を山彦の様に繰り返す。ジュネの隣でたたずむグェンとディアナもまた、同じく言葉を反復していた。


 ドォン! ドォン!


 彼女達がそうこうしているうちにも、ファーイースト軍は容赦する事なくバリケードに砲撃を続けていた。

 大地が揺らぐような地響きと共に、高く張られたバリケードが次々と打ち崩されていく。その破片が地面へと落ちるごとに、大きく巻き上がる水飛沫。深く垂れ込めた霧と相まって既に一寸先も見えない状況下にもかかわらず、ジュネ達は臆すことなく詠唱を続けた。


「悠久の天に住まいし星達よ……漆黒の隙間を照らす静かなる瞬きよ。その雄大にして柔和なる光の片鱗、我らが手に与え給え……」


「悠久の天に住まいし星達よ……漆黒の隙間を照らす静かなる瞬きよ。その雄大にして柔和なる光の片鱗、我らが手に与え給え……」


 さらりと流すように呪文を口ずさみながら、ジュネは黒雲が垂れ込む天へ向かって手を掲げる。やがてその手の平が、目映いばかりの閃光を放ち始めた。

 微笑みを浮かべながらジュネはその手の平を返し、粉塵と霧で煙っているバリケードの方へ真っ直ぐに向けた。マシンガンを力んだ手で掴み、必死の形相で防衛を続ける他の兵士とは異なり、ジュネの表情はいくぶん落ち着いていた。彼女は自らの力に、大いなる自信と確信を得ていたからである。

 ジュネは更にその手を顔の高さにまで下ろし、その目前で固定した。すると……


 シュウン……ズダァン!


 それはジュネが手を止めてから、ほんの数秒足らずの出来事だった。

 まるで墨を含ませたような、むらのある黒色にくすんだ雲間から、一筋の真っ白な閃光がほとばしったのである。それは空の上から幾筋にも裂けるように、水煙に包まれた大地へと向かって駆け下りていった。

 空中で分散した光の筋は真っ直ぐに宙を突き進み、そして地面へと今届くかというところで一斉に弾け、霧深い大地を瞬く間に埋め尽くしていった。光は細く、そして無数に分散し、バリケード周辺は一瞬にして白色光に包まれる。そして、

「なっ、なんだぁ、こりゃ?」

 あまりに唐突に起こった出来事に、バリケード前にたむろす兵士達は互いに仲間の顔をうかがいながら、一斉にざわめいた。やがて、天から突如として舞い降りた目映い光は、空気の中へ溶けていくかの様にひっそりと消えていった。

 ただ唖然としている兵士達の周囲に、しばしの沈黙が続く。そして……


「そんな……馬鹿な?」

 光の影響か大地の一面を覆っていた濃霧は一斉に晴れ、兵士達の視界は一気に広がった。彼らはざわめきながら、目をじっと凝らしてその光景をうかがう。

 霧がすっきりと晴れたその先に姿を現したのは、無惨にもバラバラに突き崩された鋼鉄のバリケードだった。そしてその先には、雨水に浸った小川のようなアスファルトの道と崩れ去った街並み。それ以外には何もない。

 そう、何も存在しなかったのである。兵士達にとって驚異の的だった、メタリックの重戦車が織りなす隊列。それが、ほんの一瞬の出来事で影も形もなくなっていたのである。


「フフ……もう終わったのかな?」

「いや、まだだ」

 唯一、その光景におののくことなく事態を静観していた者達がいた。事の当事者でもある、ル・シエルの面々である。

 機動1隊の面々が惑星のエネルギーをその身体に集積して空間に蓄積し、それをジュネが一手に集めて放出したのである。莫大なエネルギーをまともに受けたファーイーストの戦車部隊は、その形すらとどめる事なく粉微塵になって消え去ってしまった。

 全てを滅する光をその手から放ったジュネは、既に安堵の表情すら浮かべていた。しかし、グェンは依然として厳しい目つきで、戦車部隊が消え去った瓦礫の向こうを眺める。

 やがてアスファルトの道の果てからは、次なる金属色の群れが見え隠れし始めていた。それはまるで、砕けたガラスやセラミックの森を悠然と行進する虫の群の様でもある。

「来たぞ! 本隊だ!」

 息を飲み、マシンガンの兵士達は再び身構える。しかし、自らの身を守っていた鋼鉄のバリケードは、ミサイルによって既に崩れ落ちているのである。

 だからと言って、決して撤退するわけにはいかない。今度は彼らが防壁となって、ファーイースト軍の侵略を食い止めなければならないのである。兵士達の顔にも、徐々に焦りと不安の色が漂い始めた。


「やるしか……ないんだよね」

 まさに目前から迫り来るメタリックの戦車部隊を真っ直ぐに見据え、ジュネはつぶやいた。


西暦2037年9月28日

ベルリン東端、軍施設


 俺は今、信じられない光景を目にしてる。多分、歴史的瞬間、決定的瞬間って奴だろう。

 隣のコーはさっきから無表情で、何度もガクガク肩を震わせてる。今、目の前で起こってる事実を、どうにか受け入れるのが精一杯って感じだ。

 あれほどまでズラッと連なってた戦車部隊が、ほんの瞬き一つで跡形もなく消えちまった。その出来事をこの目に収めたってだけで、俺の頭の中は一瞬で真っ白になっちまった。今の今まで、生きるために縋り付いてた常識の糸、それをいきなりハサミでプツンと切られちまった感じだ。

「何してるんですか、ユーイチさん! 早くっ!」

「いいから黙ってろ!」

 まくし立てながら左手を引っ張るハインツの手を、俺は力任せに振り解いた。

 ハインツはさっきから何度も、俺達にここから逃げる事を促してる。確かに……こんなところでモタモタしてたら、俺達だって流れ弾を食らってジ・エンドかもしれない。けど、俺はまだここから離れたくない。濡れた金網を掴んだ右手を、俺は放さなかった

 ハインツの厚意を頭ごなしに拒んだ訳じゃない。ただ、邪魔されたくなかっただけだ。俺この瞬間に立ち会うために、俺は今ここにいる……っていうか、ここにいたいんだ。

「今度はどうするんだ? ジュネ」

 これが一体誰の仕業かは、俺の目にだって明らかだった。

 鉄骨すら折れ曲がって、バキバキにひしゃげてるバリケードの手前に立ち並ぶ人々。その先頭には、濃紺の上着を羽織った一人の女性が立っていた。パーマがかかったブロンドの髪も、この激しい雨に濡れてかなり乱れてる。

「ハハッ。おい、コー。あいつ、笑ってやがるぜ」

 俺が言うよりも早く、コーもニヤッと笑った。やっぱり、コーも気づいてたんだ。

 遠巻きに見たって分かる。ジュネは笑ってた。不安や恐れなんか一欠片も見せやしない……むしろ、この戦を心の底から愉しんでいる様な、そんな気配さえうかがわせる。

 今のジュネはただの女じゃない。ビショビショに濡れた髪を振り乱したまんま、軍隊って言う大きな敵に立ち向かう女闘士だ。

 今度は手の平を天に突き出して、ジュネはしきりに何かをつぶやいてる。そして、その瞳をカッと見開き、またニヤッと笑みを浮かべた。

 紛れもない、これが戦のプロフェッショナルの顔だ。俺達が固唾を呑んだ、その時、


 シュン!


 ジュネの小さな手の平からは、一筋の光がレーザーみたいに真っ直ぐ天へと放たれた。エメラルドグリーンの直線は壊れたバリケードを越えてはるか高く、雨雲の間へと一直線に突っ込んでいく。

 そして次の瞬間、


 ヒュルルルルル!


 息つく暇もなく、東の空からエメラルドグリーンの光が渦を巻きながら一気に降り注いだ。やがて風の音にも似た、だけど今まで聞いたこともないような音色が響く。

「なああっ?」

 コーが素っ頓狂な声を上げた……けど、言葉になってない。だけど、それもうなずける事だ。俺はもう、声も出ないくらいだ。

 光の渦は膨張するようにその勢いを増しながら、徐々に辺り一帯の何もかもを巻き込んでいく。木々も、アスファルトの道も、そして、うなりを上げて突き進んでいた戦車部隊も。それはもう、この世の光景だとはとても思えない。

 竜巻は地を這っていた戦車の群れを、休む間もなく次々と巻き上げていく。そのまま戦車は空中でバラバラに分解する様に、光の粒となって一斉に消え去っていった。エメラルド色の光が気ままに暴れる度に、戦車はその数をどんどん減らしていく。

 俺はずっと考えていた。ここは……異次元か何かだろうか。そんなバカみたいな事すら、ふっと頭をよぎる。こんなメチャクチャな事が、目の前で起こってるなんて。俺は今、異世界の光景を金網から覗き込んでいるんじゃないか。そんな気までしてくるな。

「……ううっ」

 なぜだろう? さっきから、身体の震えが一向に止まらない。別に、寒い訳でもないのに……


 大粒の雨が降りしきる大地でひとしきり暴れた末、エメラルド色の光の渦は一気に勢力を弱め、やがては跡形もなく消えてしまった。その後には細かい霧雨と、湿り切った静寂だけが残された。

 この攻撃で東部軍の部隊は、ほぼ壊滅へと追い込まれた。サイモンによってすぐさま発令された命令により、多国籍軍は残った東部軍の兵達を拘束。ようやく長きに渡る武力衝突は終わりを告げたのである。


 こうして、多国籍軍はベルリンの防衛に成功した。ル・シエルとのパイプ役を果たし、魔術という助けを得たサイモン。そしてジュネ達をはじめとするル・シエル機動隊の面々。双方の意思がギアの様に噛み合ってもたらされた、鮮烈なる圧勝劇だった。


西暦2037年10月1日

カフェ「ドゥ・ラ・グロワール」


「なあ……」

「ん?」

 俺はふと、隣の席にのんびりと座ってる女に問いを投げかけた。

 黄白色の光に照らされた横顔が、まるで俺の感情をうかがうようにこちらを向いた。俺を真っ直ぐに見つめる猫みたいなブルーの瞳に、曇りなんて一点も見当たらない。これぞいつもと変わらない、等身大のジュネだ。

「お疲れさん」

「フフッ、なに? 今さら」

 怪訝そうな顔で、ジュネは俺の顔をまじまじと見つめた。けど、すぐに飽きたみたいで、手元のカップに揺らぐカフェオレをゆっくりと口に含んだ。

 俺の言葉が奇妙がられたのも当然かな。俺自身、ジュネに言いたいことはさっきまで山ほどあったんだけど、なんか……喉の奥で突っ掛かってて出てこなかった。言えたのは、労をねぎらう言葉ぐらいだ。

「いやー、圧巻だったぜ、あの大竜巻。戦車がバラバラッてすっとっんでったと思ったら、今度は一気に消えちまうんだもんなー」

 身振り手振りで大げさにアクションを加えながら、興奮気味にコーが口を挟む。金網越しに指くわえて見てただけの割には、こいつが一番エキサイトしてるように見えんのは、俺だけか?

「初の大規模な作戦にしては、思ったよりすんなりと事は運んだな。正直言って、ホッとしたってのが一番だ」

 至って落ち着き払った口調で、一番上座に座るグェン隊長はさらっと答える。続いて隣のディアナさんも、同意するように微笑みながらうなずいた。

 俺も一応は分かるなぁ、ホッとしたってのは。今回の作戦で誰よりも責任重大だったのは、たぶん隊長だったんだろうし。

「それにしても、なんだかずいぶん熱くなってなかったか? ジュネ」

 俺は隣でコーヒーカップを掴んでるジュネの顔を見ながら、また問いを投げかけた。

 そういえば、さっきからジュネに聞きたかった事って、この質問だったような。今になって、やっと思い出した。

「熱くなってたっていうかねぇ……なんていうかさ『ここでガツンとやってやらなきゃ』って思ったわけ。今まで作戦らしい作戦でもやたら極秘の任務が多くって、正直うんざりしてたんだよね」

 空っぽになったカップを静かにコースターの上に置くと、ジュネはカラッとした口調で答え返した。

「『魔術』っていうエネルギーが日陰の存在である限り、私達も日の当たらないところでずーっと活動してなきゃいけない。『そんなのまっぴらだ!』って、今までずっと思い続けてたから……だから、あの作戦の時にはいつもの150パーセントぐらい、やる気が湧いたね。魔術の力を今ここでアピールすれば、私達、魔術師はやっと日の当たるスタートラインに立てるんだって」

 みんな揃ってのベタ褒めムードの中、ジュネは誇らしげな表情で一人延々と喋り続けてる。どこか小生意気にも見えるけど……まあ、こいつらしいと言えばそれで許せるかも。

 まっ、これ以上むやみに誉めたらつけ上がるだろうし、俺はなんにも言葉をかけずに、ジュネの言葉を淡々と聞いてた。

「だから……今、私達の行動は全世界から注目されてるんだって、何度も思いかえしてみた。そしたら、なんだかぐっと力が湧いてきたんだよね」

「ええ。そういえばあの時のジュネさんの顔、すっごく生き生きしてましたよね」

 ジュネの言葉に何度もうなずきながら、ハインツがにこやかに同意しながら相槌を打った。その声に、ジュネも満足げな表情でほほえみ返す。

 だからダメなんだって、ハインツ。こいつは誉めすぎたら調子に乗るからさ。

「まあこれからは、そうそう秘密裏で行動することはないだろうな……多分」

「多分? ってちょっと。また無責任なこと言わないでもらえます?」

 なんて、飄々と喋りながらミルフィーユを頬張るグェン隊長に、冗談半分でジュネは怒る。そんな様子を俺は、なんとなしに横目で見ていた。

 屈託のないダークブルーの瞳。ガラス玉みたいなその目からあふれくる底なしのバイタリティ。どこからどう見ても変わりゃしない。いつも通りのジュネだ。

 だからこそ俺は今、無性に気になってる。黒い空に向かって手を振りかざした時の笑みは、一体彼女のどこから表れたんだろうか?

 あん時のジュネの目は、確かにハインツの言う通り生き生きとしていた。だけどそれだけじゃない。俺からは、ただ純粋に戦を愉しんでる様にも見えた。極端に言えば、何か死神にでもとり憑かれてただ破壊行動にいそしんでいたような……そういう見方もできやしないだろうか。

 俺の身体が無性にガタガタと震え始めたのも、あの瞳を柵越しに垣間見た瞬間からだ。ベルリンから戻ってからの数日間、あの瞳は脳裏に焼き付いて離れなかった。幾分落ち着いてから、あの瞳の裏に何が潜んでいるのか自分なりに考えてみたけど……ハッキリした答えというか予測なんか、とても出てきそうにもない。


「自己アピールねぇ……」

 初めてこのカフェを訪れたあの日。その時のジュネの言葉が、ふと俺の頭をよぎった。

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