5th progress「スターダスト」
5th progress「スターダスト」
西暦2037年9月1日
「ル・シエル」北棟3F 305号室
ガチャッ!
「おはよーっ! 起きてる? 3人とも」
「うっ……うーん」
ドアがドカーンと勢いよく開いた音の次には、けたたましい呼び声が部屋の中に響く。ベッドに潜り込んでいた俺は、目をこすりながらベッドから顔を出した。
見えたのは、紫色のローブを着たすらっとした姿と、金色の髪。やっぱりジュネだ……もう分かり切ってたけど。
朝っぱらからこのハイテンション。なんか審査員特別賞でもあげたいくらいだけど……それにしても、どうにかならないもんか、この性格。
「ちょっと、コー。なんてカッコしてんの?」
なんて、けたたましく叫んでいたジュネが突然、その声色を変えた。
いつもの如くゴミが散らかった部屋の片隅で、コーがパンツ一丁のまんまでフランスパンをかじっていたのを見たからだ。咄嗟にジュネは目をツンと尖らせ、顔をしかめる。
まあ……さすがにこれは、俺から見ても奇妙極まりない光景だな。
「ジュネがいきなり開けるからだろ? うら若き男子の部屋なんだから、ちゃんとノックしてから開けてくれよ」
「ハハハッ。誰がうら若き男子だって? それよりさぁ」
服も着ないで平然としてるコーに呆れ笑いを浮かべながら、ジュネは手に持っていた黒いバッグから数枚の青い紙切れを取り出した。
「コー、これちょっと見て」
「ん? なんだよ……ああ、これ、昨日のアレの結果か」
その一番上にあった一枚を受け取ると、コーはそれを急いで開く。
おっと、お目覚めからいきなり結果発表かよ。なんか、いい気分しねえな。
「えっと……なんだって。あなたの配属先は『機動7隊』?」
「まっ、そういうこと」
紙切れを大きく開いたまんま、コーは言いながら首を傾げた。「機動7隊」どうやらそれが奴の配属先みたいだ。
まだ奴は文字を目で拾いながら、困惑してる真っ最中。多分まだ、自分のおかれてる状況にピンときてないみたいだ。けど、なぜだかジュネはもう、右手をスッとコーの目の前に差し出してる。
「改めて自己紹介しなきゃね。私は『機動7隊』所属のジュネ・カルム。よろしく、新人さん」
「えっ? あっ、ああ、そうなのか。へぇー……そんじゃ、こちらこそよろしく」
なるほど、コーの配属先って、ジュネと一緒なのか。
やっとコーも、その事に実感が湧いたみたいだ。ニッコリと微笑んでいるジュネの顔を何度も見ながら、コーはギュッとジュネの手を握った。
「それよりな……なんか着ろよ、コー」
「えっ? あ、ああ」
コーがいい思いしてるときは、なんか邪魔したくなるのが俺の性分だ。
ベッドの中からニュッと足を伸ばして、俺はコーのケツに軽く蹴りをいれた。笑顔とは裏腹にパンツ一丁の情けない姿のまんま、コーはすごすごと引き下がっていく。
「それで、ユーイチとハインツなんだけど……」
ん? どうしたんだろう。
黙ることを知らない九官鳥みたいな喋りから一転、ジュネはいきなりローテンションになって、俺とハインツの顔を交互に見た。その表情も、なんだか曇りがちだ。
何か変だ。俺はベッドからストンと飛び降りて、ジュネが差し出す紙切れを無造作に取り、その一枚を隣にいたハインツに手渡した。
「なんだろ? えーっと」
俺は手早くその紙切れを開いて、中を覗いてみた。
「あなたの配属先は……保留? どういうことだよ?」
なんか……どういう事だ? これって。
こういう書類っていろいろ面倒くさいことが、やたら回りくどい言い回しでゴチャゴチャ書いてあるもんだと思ってた。けど、俺の名が上の方に小さく書かれたその紙には、真ん中あたりにでっかく『保留』と書いてあるだけだった。
「お前はどうだ? ハインツ」
「僕も、保留になってますけど」
そよ風にもかき消されそうな声で、ハインツはおどおどと答えた。
おいおい、ハインツもおんなじなのかよ。俺とハインツはお互い顔を見合わせ、そして深いため息をついた。
やべぇ……ひょっとしたら落ちたのか? 俺。隣では心配そうに、Tシャツとジーンズを身につけたばっかりのコーが見てる。
「保留って……そんじゃあ、どうすりゃいいんだよ? 俺達」
「とりあえず、マスターが『後で執務室へ来い』って言ってたけど」
なんだかいつもと違う、妙に弱々しいジュネの言葉に俺は首を傾げた。どうやらジュネも、俺やハインツの処遇についてはよく分かんないみたいだ。こりゃ、本格的にヤバいか?
ここを一歩出てしまえば、俺には帰る場所がどこにもない。ル・シエルにやってきた事は、俺にとって大きな賭けだった。もしかしたらその賭けは、とんでもない大ハズレだったのかもしれない。
このまま俺一人、こんな異国をさまよう羽目になるのか……そんな不安が俺を一気に包んだ。
西暦2037年9月1日
「ル・シエル」本部棟4F 執務室
俺達は迷うことなく、執務室のドアを叩いた。自分が今まで魔術と共に歩いてきた道、それがどこへ行き着いているのかを、今すぐにでもハッキリさせるために。
「どういうことなんですか? マスター」
「ああ、よく来てくれたな、二人とも」
深刻な表情で問い掛ける俺達を全然気にしない様子で、マスターはクルリと振り返りながら満面の笑顔を浮かべた。
俺達が今、強烈な危機感にじりじり追いつめられてるってのに。分かってんだろうか、この爺さんは。
「だから、配属先保留って……」
ただ戸惑うハインツを横目で見ながら、俺はさらに声を大にして、リクライニングチェアーにのんびりと腰掛けてるマスターに繰り返した。
「分かっておる。ユーイチ君とハインツ君だったな」
すぐ側にある机の上をガサゴソと探りながら、マスターはポツッとつぶやく。やがて、そこから目当ての書類を見つけると、マスターはまるで珍品でも眺めるようにして、じっと目を凝らした。
延々……しばらく沈黙が続く。さあ、俺の行き先はどっちだ。
「君たちの配属先は、既に決まっておるが」
「えっ、本当ですか?」
俺とハインツはほとんど同時に、裏返り気味の声で叫んだ。
なんだ、やっぱし決まってんじゃねえか。その一言で、胸の中に充満してた気だるい重みがスウッと抜けていった。
「色々と審査の内容を検討した結果だが……君たちは二人とも『機動7隊』へ入ってもらうことにした。それでよいだろう?」
書類の上から俺達へと目を移し、マスターはニコッと笑った。ニコッと、それだけ。
口調は軽いけど……その言葉は俺達にとって重く、そして大きい。
「機動7隊って確か、コーと一緒の所だよな?」
とっくに分かり切ってる事なのに、俺は思わず隣にいたハインツに聞き返した。なんだか、気がはやっちまって突発的に思考が働かなくなってたみたいだ。
ハインツも安心しきった目つきで、頬を緩ませてる。そのまま彼は力強く、そして大きく首を縦に振った。その仕草に、迷いの色なんかはどこにもない。
なんつーか、アリかよ。こういうのって。さっきまでズーンと落ち込んでたのに、こんな願ってもない結果が出るなんて。本当に分かんないもんだな、世の中ってのも。
「よっしゃあっ!」
俺はバカみたいにでっかい声で叫びながら、ハインツとお互いに両手を叩き合った。
西暦2037年9月2日
ルーベル・フィリー通り
「えっと。この辺だよな、確か」
俺は今、コー、それとハインツを連れて、ル・シエルが建つ丘のふもとを貫通する大通りを、あちこち見回しながら練り歩いてる。
今はもう夕暮れ時で、メインストリートには多くの人々が行き来していた。メインストリートなんて大層なこと言っても、さすがは郊外。人々はみんな、気楽な表情で喋りながら道の真ん中をゆっくり練り歩いていた。狭い道なんで、大きな車も滅多に通らない。ほとんど歩行者天国みたいなもんだ。
なんだか、流れる空気すら和んでて、どこかゆったりしてる。ついこないだ砕け散った我が街とは比べ物にならないくらい、ここは時間の流れが遅いみたいだ。
「なあ、祐さん。その地図で本当に大丈夫なんか?」
「知らねえよ、ジュネが書いたんだからさ」
なんて、俺は別にこの通りをブラブラ観光しに来たわけじゃない。今、俺達はジュネに書いてもらったテキトーな地図を片手に、とあるカフェを必死で……んなわけないな、ダラダラ探してた。
どうやら今日はそこで「機動7隊 新隊員歓迎会」なるものが、めでたく執り行われるんだそうだ。けど、正直言って俺はあんまし乗り気じゃない。
とりあえずタダでコーヒーが飲めるってのはありがたいけど、めんどくさいって言う気持ちの方がどうしても先に立つ。俺は手厚い歓迎なんて、大して必要だとは思わない主義だからだ。
「ねえ! ユーイチさん」
いつもの如く、歩くのにもそろそろダレてきた頃。キョロキョロ辺りをずっと見回していたハインツが突然、大きな叫び声を上げた。
「あれは……」
ハインツは道の真ん中で立ち止まると、ふと道端を指さす。
その白い指が示す場所に目を遣ると、そこには黒ずんだ木製の、かなり年季が入ってそうな一枚の看板が見えた。ちょうど光の具合か何かで、こっちからは書いてある文字が読みとれない。俺はすぐさま、看板の字が見える位置まで駆け寄った。
「カフェ『ドゥ・ラ・グロワール』……おっ、これだな!」
西暦2037年9月2日
カフェ「ドゥ・ラ・グロワール」
カランカラン……
微妙にきしむドアを開けた俺の目に、黄白色の優しい光が真っ先に飛び込んできた。
店内はシンプルな造りだけど、デザインはなかなか凝ってる。木目の模様を生かしたカウンターに、ダークブラウンのテーブルと椅子。床なんかつやつやしてて、ホコリ一つ落ちていない。俺が店内に入る前に想像していた薄汚いイメージとは違い、かなりサッパリしてて綺麗な感じの店だった。
こりゃ、以外とくつろげるな……悪くないかも。
とりあえず俺はきょろきょろと辺りを見回し、店の中で待ってるはずのジュネを探した。
「あっ……おーい、こっちこっち!」
店の一番奥のテーブルから、誰かが手を振っているのがチラッと見えた。どうやら俺達を呼んでるみたいだ。俺は気ままにコーヒーを飲みながら談笑している人々の間をスルスルと抜けて、さっさとそっちへ向かった。
「あれ?」
俺達3人は、あっけにとられながらテーブルの前に立ち尽くした。
「なんか、どっかで見たような人がいるような……」
何度も苦笑しながら、コーがうなずくのもうなずける。
テーブルの奥には、青系のワンピースを着たジュネが悠々と座っていた。で、その右隣には、がっちりした体格で色黒の男性と、茶髪のミドルヘアーで色白の女性が微笑みながら俺達の方を見ていた。
確かに俺も、二人とも見たことある気がするな。気のせいなんかじゃなくて。
「えーと。君たちは確か、一度お会いしたような気がするな」
「ええ、俺も確か、そうだった気がしますね。はい」
俺達の沈黙を破り、色黒の男性の方がまず口を開いた。コーは続けざまに、困惑半分の飄々とした口調で答える。
「隊長、挨拶は?」
「ああ……私は機動7隊、隊長のブ・ダイ・グェン。グェンと呼んでもらってもいいがな」
ハハッ、やっぱり。
隊長と名乗る彼は確かに、審査の時にコーと一戦交えたあのグェンだった。がむしゃらに術を放つコーに、屁でもないって顔で渡り合ってた彼の姿が、今も鮮やかに蘇ってくる。
けど、黒系のシャツにジーンズ姿のグェン隊長は、紺のローブに身を固めてた時のイメージとはかなりかけ離れてた。語り口調はちょっとお堅いっぽいけど、今の彼はどこからどう見ても、気のよさそうな普通の青年にしか見えない。
「なにカッコつけてんの? グェン」
「いや、今日ぐらいはちょっと隊長らしくしようかな、なんて思って」
隣に座っていた茶髪の女性が、真面目な顔で話すグェン隊長に横やりを入れた。グェン隊長はうって変わってはにかみながら、弾んだ声でそう答える。
「それじゃ、次は私ね」
そして今度は、茶髪の女性がすくっと立ち上がり、俺達3人の顔を順番に見た。
この女性も確か、俺の記憶の中に残ってる。えっと……ピシッと着こなした真紅のローブが、ものすごく似合ってたっけな。
「機動7隊所属、ディアナ・ベリアーニです。よろしくっ」
高らかにそう叫びながら、ディアナと名乗る女性は大きく手を掲げた。
なんだか知らないけど、弾けてんなぁ、この人。前に見たときのイメージって、こんなだったっけ?
「ねえ、ディアナ。それだけ?」
間髪入れず、ディアナさんの向かいに座っていたジュネが口を挟んだ。なるほど、ジュネがこの人のツッコミ役なんだ。
「自己紹介ってのはね、そんなにくどくど喋るもんじゃないの。短くったっていいじゃない。本当に大切なのは、自己アピールだと思わない?」
「自己アピールねえ……ディアナの場合、存在自体が自己アピールの塊みたいなもんだからね」
「ちょっとそれ、あんたにだけは言われたくないんだけど?」
なんだか二人で勝手に盛り上がってるディアナさんとジュネを、俺達3人はほとんど呆れながら見てた。初めて会った時はそう思わなかったけど、ひょっとしたらこの人も、ジュネと同類か?
「まあ、いいからここに座りなよ3人とも」
両隣から飛び交う甲高い声に耳を塞ぎながら、グェン隊長はゆったりとした口調で俺達に呼びかけてきた。
ああ、こんな感じの雰囲気なんだ、機動7隊って。俺達は次第に上昇してきたテンションに少しためらいながら、空いてる席へ順番にぞろぞろと座った。
ふーっ……なんだかな。
「歓迎会」なる雑談会が始まって1時間、早くも俺は重くのしかかるような眠気に襲われた。
俗に言う「もうさっさと帰りたい症候群」とかいう奴だ。別にコーヒーがまずいからって訳じゃない。それよりもなんだか、この場の雰囲気がちょっとおかしくなってきた。
「へぇー、君、軍人さんなんだ」
「まっ、そういうこと。まだ新入りだけどさ」
俺は隣の席に出張中のコーに、精一杯の冷ややかな視線を送った。
コーの向かい側には、女性が二人。俺達とちょうど同い年ぐらいだろうか。二人とも、いかにも好奇心ありありって瞳をコーに向けてる。奴も奴で、なんだかやけに偉そうに自分のことを誇張して喋ってやがんな。
なーんか、ムカつく。別にひがんでるわけでもないけど。
「ところで君たち、一人暮らし?」
「ううん、家族と一緒に住んでるよ。あたし達、二人ともここの生まれだから」
「そうなんだ? へぇー。じゃあ炊事とか洗濯とかしなくていいんだ。いいねぇ、その方が楽だし」
なんだかやけに納得しきった表情で、コーは話を続けながら何度もうなずく。
さっきの「君、一人暮らし?」ってのは、コーのお決まりのセリフだ。ここで「うん」って言う答えが返ると「よっしゃっ」って顔をするおまけつき。なんつーか、とことん分かりやすい男だな、奴は。
さらに隣では、グェン隊長とハインツが何やらお堅い話で盛り上がってる。何を話しているのかは全然分からない……って言うか、単に聞く気にもならないだけだ。
ジュネとディアナさんはと言うと、ひとしきりキャーキャー騒いだ挙げ句、二人してさっさと店を出て行ってしまった。俺はしばらくその二人の会話に参加してたけど、途中で異常じゃないかってくらい高いテンションに、全くついていけなくなった。
恐るべし、ラテンの女。関西人より強烈だ。
「おい、そこのアホ。俺もう帰るからな」
俺はさっさと席を立つと、完全に話の主導権を握ってるコーに呼びかけた。
会計はグェン隊長が一手に引き受けてたんで、俺は別に払う必要はない。先に帰っちまうのも失礼かもしれないけれど、けど俺はこれで店を出ることにした。
「はいはい、じゃあねー、祐さーん。それでさー……」
ほんの一瞬俺と目を合わせただけで、またコーは隣の女の子に話しかけた。頭を1発ぐらいぶっ叩いてやろうかと思ったけど、やっぱ止めといた。これ以上、なんか言ったって無駄だ。これは死んだって治んない病気なんだから。
俺はコーを鼻で笑いながら、ようやく涼しくなってきた夜の街へと、気ままに飛び出した。
西暦2037年9月2日
ルーベル・フィリー通り
辺りはようやく、空のてっぺんから染み込んでくる夜の闇に包まれた。まだまだ夜はこれからだってのに、メインストリートを行き来する人の数は心なしか減ってきてる。一斉に灯り始めた窓の明かりを眺めながら、俺は裏道へと足を運んだ。
俺はなんとなく、夜の街をふらっと歩くのが好きだ。夜の街は、やけに騒がしい真っ昼間の街とはまた違った表情を見せてくれる。もちろん「都会の喧噪」って奴も、別に悪くはないんだけど。
普段は色んな物が入り乱れ、満ち溢れてごちゃごちゃしてる街が……夜の闇にゆっくりと覆い隠されたその瞬間。それは目の覚めるような鮮やかな景色へと姿を変える。そのほんの一瞬が、俺が一番好きなひとときだ。はかないけれど、貴重な時間。
「ん? なんだろ、この道」
民家と木が整然と立ち並ぶ以外、ほとんど何もない裏路地を延々と歩き続けたその突き当たり。俺はまた、別の道を見つけた。
シーンと静まり返った住宅街を抜けたところで、さっきからずっと続いていた細いアスファルトの道がぷっつりと途切れた。そこから先は、無数の小石がごろごろ転がっている砂利道がずっと続いてる。
砂利が混じった土の上には、うっすらとタイヤの跡が刻まれてる。どうやら小さな車も通ってるみたいだな。木々の間を縫うように刻み込まれている轍を伝いながら、俺は一歩一歩、砂利を踏みしめて丘を登っていった。
西暦2037年9月2日
ルーベル・フィリー通り沿い 丘の上
「あれ?」
延々と続く砂利道をちょうど登り切った瞬間。丘の斜面に並ぶ細い幹の間から、どっかで見覚えのある人影が見えた。ちょうど左手から射し込むサーチライトの光で、その姿はハッキリとクローズアップされてる。
誰だろ?
そう思った時には、もう俺の足は自然と早まってた。
「何やってんだ? ジュネ」
「ん? ああ、ユーイチ、どうしたの?」
俺が真後ろから突然声をかけたせいだろう。ちょっとビックリした表情で、ジュネはパッと振り返った。けど、すぐにその顔も、いつものマイペースな笑顔へと戻る。
「抜け出してきたんだよ、コーのバカはほっといてさ。それより、ディアナさんは?」
「明日は早朝訓練だからって、もう部屋に帰っちゃったけど。まだ寝るには早いし、それに天気もいいからね。ここで夜景見てるのも悪くないかなーって思って」
俺の問いに、ジュネは体を反らせながら、さらりとした口調で答えた。なんだか、本当に心地よさそうに。
よく見ればここは、俺達の部屋がある北棟のちょうど裏手だった。俺はジュネの隣にある芝生の上に腰を下ろして、ポケットからおもむろにタバコを取り出した。
なんだかんだ言ったって、これがなきゃ、俺に安息の時はない。
「……ふーっ」
涼しい夜風に当たりながらの一服ってのも、案外悪くないもんだ。ゆらゆらと流れていく煙をボーッと見ながら、俺は大きく背伸びをした。
ジュネの瞳に合わせて、俺も一緒に丘の下を見てみる。眼下に広がるのは、素朴でぼんやりした光に包まれた小さな街。
その小さな空間を彩っているのは、ネオンサインみたいな煌びやかな光じゃない。メインストリートの大きな街灯。それと、ぽつぽつと灯っている窓の明かりだけが、その街を照らし出していた。
「とにかく、ジュネには感謝しないとな」
「……え? なんの事?」
ずっと黙りこくったまんま空を見上げていたジュネが、戸惑った声色で尋ねながらこっちを向いた。
「ハハッ、偶然って不思議なもんだよな。もしあの日にコーとジュネが出逢わなかったら、俺とコーはとっくに大都会のまっただ中で死の灰に埋まってただろうな。今こうやってノンキにタバコなんか吸ってられるのも、ジュネとコーのおかげだぜ」
「フフフッ……ていうか、コーに先に声をかけたの、私なんだけどね」
クスクス笑いながら、ジュネは俺の言葉に答える。
「なにそれ、逆ナン? おいおい、聞いてないぜ、そんな事」
相変わらず澄ました顔で突っ立っているジュネの顔を見ながら、俺は冗談半分で冷やかしてみた。まっ、そんな事はないってのは、コーとジュネのいつものやりとりをみてりゃ分かるけど。
「そんなわけじゃないんだけどね。ゴチャゴチャに混み合ってる街の真ん中で、誰を待ってるわけでもなくきょろきょろしてるコーを見て『あの人、何やってるんだろう?』って思ったのが最初だったんだけど」
ハハハッ……やっぱりな。こんな事だろうと思った。
街へ出て女の品定めをすんのは、コーの恒例行事というか、日々のお勤めと言ってもいいかもしれない。そのくせして、さり気なさのかけらもない野郎だから、あんだけあからさまに女性を見て回ってる姿を見りゃ、気に止めない人はまずいないだろう。
「そんなコーの様子をしばらく見てて、ふと気づいたんだよね。『この人は何か、一風変わった感性と、精神の強さを持ち合わせてる』って。見かけは全然そうは見えないんだけどねぇ……まっ、これが女の勘って奴なのかもね」
「うーん。まあ、当たらずも遠からずってとこかな」
「それでちょっと声かけてみて、しばらく喋ってるうちにユーイチの話が出てきたのよね。『俺の連れ、すげえんだぜ』って。それで私たちは、二人でユーイチのところへ向かったってワケ」
ぐはっ。
居候の分際で俺を「連れ」だぁ? コー、後で殺す!
一通り雑談も終わった頃。俺達は思い思いに……つーか、とにかくボーッとしてた。
「ふーっ……」
この辺り一帯に立ちこめる夏草の香りが、俺の鼻をくすぐっていく。涼しい香りと、タールの匂いが入り交じった煙を思いっきり吐き出しながら、俺はふと頭を上げた。
「おっ、今日はいい天気だなー」
「でしょ?」
さっきからジュネがつっ立ったまま、じっと空を見上げている訳がやっと分かった。
俺達の頭上には、胸がすくような満天の星空が広がっていた。雲なんか一つもない。どこまでも深い藍色に染まった空の上に、ささやかな光の点が至る所に散らばってる。
こんな透き通った星空を見るのは、ガキの頃に親父と一緒にどっかの山でキャンプした時以来だ。テントの入り口をちょこっとだけめくって、寝っ転がりながら星を見てたっけ。
俺は側に落ちていた空き缶に吸い殻を突っ込んで、その時と同じように、ゴロンと仰向けに寝っ転がってみた。こうすれば、昔の気分を思い出せるかもしれない。
「ずいぶん遠くまで、来ちまったな」
なんだか怖いくらい、ギラギラ輝いている星を見つめながら俺はつぶやいた。なんだか星が、瞬きで俺に問いかけてるような気がする。記憶の彼方に追いやられてしまった出来事を、俺に思い起こさせようとしてるんだろうか。
「ここが俺の新しい居場所か……まあ、悪くないかもな」
「え? なに?」
怪訝そうな表情を浮かべて、ジュネは俺のほうをまじまじと見る。
多分、変だったんだろうな。妙に感傷的になってる俺が。
「別に……なんでもねえよ」
俺はわざとらしく話をはぐらかして、そしてゆっくりと体を起こした。
なんだか体が軽い。リフレッシュした気分だ。
「ふー、気持ちいい」
透き通った夜の隙間を、緩やかな風がふわりと通り抜けていった。
西暦2037年9月2日
「ル・シエル」本部棟4F 執務室
戸外は既に深い闇に覆われた頃。石壁に引っかけられた白色のランプだけが、執務室全体を明るく照らしていた。
「お久しぶりです、マスター」
「おお、ライアス君か」
綿ぼこりにまみれた書物が至る所に積み上げられた合間に立ち、20代程の男がマスターと言葉を交わしていた。
「どうだったね? ロベール君の様子は?」
「ロベール……? ああ、アンリ大統領の事ですか。いえいえ、普段と変わりませんよ。あの方は本当に物腰の柔らかい方でいらっしゃる」
金髪を短く切り揃え、ダークグレーのスーツに身を固めた男、ライアスは笑顔を浮かべながら柔和な口調で答えた。
「ところでマスター。噂を聞くところによれば、なかなか有望な新隊員がこの度、審査を通過したそうじゃないですか」
「ああ、あの二人のことか。なかなか耳聡いな、君も」
「いえ。私たち事務方は、何よりも情報が命ですからね」
マスターの言葉に対して、少しはにかむようにライアスは答えた。
「なんでも、金髪の少年と黒髪の青年だとか聞きましたけど。さすがはマスター、有能な人材を二人も見いだすとは、いやはや感服するばかりですよ」
「いや、私が見いだしたのは金髪の少年の方だけだ。黒髪の青年を見いだしたのは、ジュネ君だよ」
「ジュネ君ですか。彼女もあれで、なかなか人を見る目がありますからね」
「そうだな」
マスターは手に持っていた一冊の本を、側にあった机の上にバサッと置いた。とたんに、砂塵のようなホコリが噴き上がって、机の上にパラパラと落ちていく。それをしばらく凝視した後、マスターはふと顔を上げた。
「やはり……マスターもその二人を、重点的に育成してゆくつもりなのですか? 『来るべき時』に備えて」
「無論、そのつもりではおるが」
更に続くライアスの問いに、マスターは淡々とした口調で答え続けた。
「初めはあの二人に、別働隊として能力を磨いてほしいと思っていたのだが。しかし……苦肉の決断ではあるが、二人とも一般の機動隊に入ってもらうことにしたよ」
「はて、なぜですか? マスター」
「彼らには自らの足で足跡を刻んでもらいたいのだよ。そして、その手で荒れた道を切り開いていく術を身につけてほしい」
切々と、そして自らの思いの丈をぶつけるかのようにマスターは言葉を繋いでいく。
「できることなら、私は彼らをただの器になどしたくない。『来るべき時』は、近い未来にまで迫っておるからな……ある程度は、彼らに決めさせたいのだよ。その時が来たとしても、その後に拓かれる世界を……二人にな」
言葉を一つ一つ、噛み締めるようにマスターは答えながら、身体をひねるように背後を振り返った。
マスターの言葉の真意がはっきりとくみ取れず、戸惑い気味のライアスを後目に、マスターは紫のカーテンが掛かった窓の側まで歩いていく。そして、
シャァァァッ
北側の窓を覆っていたカーテンが、微かな音を立てながら一気に開いた。現れたのは、窓ガラス越しに浮かぶ郊外の夜景である。マスターはその窓の真正面に立つと、背伸びをしながら澄んだ景色をぐるりと見渡す。
「今日も星がよく見渡せるな……見えるだろう? ライアス君」
「ええ、本当に」
「彼らは今日も、我々に底知れぬ力と、溢れんばかりの希望を与えてくれる。私たちはそれに、心から感謝しなければな」
僅かな月明かりがうっすらと射し込んでくる窓辺に立ち、マスターは夜空の遙か遠くへ向かって、言葉を噛みしめるようにつぶやいた。