4th progress 「光と影の対峙」
4th progress 「光と影の対峙」
西暦2037年8月15日
「ル・シエル」本部棟2F 育成室
ついさっき気付いたけど、今日は俺達がフランスに来てから、数えてちょうど1ヶ月だ。
かといって、何か特別なことがあるわけじゃない。第一、ハインツとかいう妙に几帳面な少年が同居人になったこと以外、ここに入ってから取り立てて何も変わった事はない。
そして今日もまた俺は、虹色の光がドアの隙間から射し込む小さな部屋で、一体なんの役に立つのか分からない、退屈な火の玉飛ばしに興じてる。
俺のすぐ隣ではコーとハインツが、時々ジュネのアドバイスを受けながら必死で訓練に打ち込んでる。いいねえ、この2人はそれなりに真面目で。
ハインツは俺やコーに比べてかなり呑み込みが早いみたいで、昨日なんか5メートルくらい先に置かれたワイングラスを、手も触れないで簡単に粉々にしてみせた。俺みたいな素人の目でも、ハインツはかなり魔術の素質があるんだなってのは分かる。
コーはコーでまあ、気楽にマイペースにやってるようだ。最近は別室にこもって個別訓練を受けてるみたいで、何してんだかよくは知らないけど。
時はもう夕暮れ前、なんだか何もかもどうでもよくなってきた俺は、そこらへんにあった古びた椅子を引っぱり出してきて、テキトーにタバコを吹かしていた。
「あれ? 一服するにはまだちょっと早いんじゃない?」
おっと、先生現る。
皮肉いっぱいの苦笑いを浮かべながら、ジュネがつかつかと俺の元へ歩み寄ってきた。俺はあからさまに目を反らしたけど、ジュネはその目線の先にわざと立ちはだかる。
「今日はもういいだろ……勘弁してくれよ」
「そんなこと言ったって、まだ1時間以上あるじゃない。ほらほら、こっち!」
「おいっ、ジュネ! 危ねえって!」
ギシギシッ!
こいつに口で言ったって無駄だ。問答無用でジュネは、俺の腕を力一杯引っ張った。
不安定な木製の椅子はガタガタ揺れて、今にも脚がボキッと折れそうだ。タバコで手が塞がってた俺は、危うく後頭部から床にひっくり返りそうになった。
でも当のジュネは、一向に力を緩めようとしない。危ねえな、おい。
「分かった分かった、やるよ。やりゃいいんだろ……」
ここまで強引に引っ張られたんじゃ、どうにも仕方ない。俺は渋々立ち上がると、向かい側にあるテーブルの前までダラダラと歩いていった。
なんだか……やる気なしモード全開だな。
「ちょっと退いてくれ、ハインツ」
「え……? あっ、はいはいっ」
俺と目線が合ったのと同時に、テーブルの前にいたハインツは肩をすぼめ、そそくさと立ち去った。なんだか怖がってたな……たぶん、無意識でハインツにガン飛ばしちまってたんだろう。
俺はテーブルの上に古びた金属製のバケツを置いて、そこから数メートルくらい離れた所に引いてある白線の前で立ち止まり、胸一杯に空気を吸い込んだ。
「……ふうっ」
俺はいつもの段取りの通りに3回だけ深呼吸をし、そして右手の人差し指をスッとバケツの方へ向けた。
指先で、照準を合わせて……
ボゥッ……
「あれ?」
やっぱダメか。てんでやる気のない時は大抵、こういうことはうまくいかないもんだ。
俺はバケツに向かって、指先から発生した直径数センチの火の玉をぶつけようとした。けど、大失敗だ。火の玉は出るには出たけど、まるで殺虫剤を食らった死にかけの蠅みたいにヒョロヒョロと飛んでいって、わずか1,2メートルぐらいで消えてしまった。バケツになんて、全然届きやしない。
うーん、思いっきりスカだ。こりゃお話にならない。
「うーん……調子悪いみたいだね。それじゃ、もう一回やってみて」
側で俺の様子を見ていたジュネが、至って薄っぺらい声で口を挟む。
違う違う、調子が悪いんじゃねえよ。今日はもうやる気がねえから、うまくいかねえんだ。
俺自身、全く続けようって意志はねえのに、ジュネは何一つ表情変えずに指示を飛ばしてくる。
しょうがねえなぁ。俺はまた大きく背伸びをして、くすんだバケツとまた睨み合った。そして、またさっきの段取りを踏む。吸って、吐いて。吸って、吐いて……
「チッ」
こんな時、時間はやけにタラタラ流れる。俺はほとんどヤケのまんま、指先をテキトーにバケツへと合わせた。
(どうにでもなれ!)
と逆ギレ気味に俺は心の中で叫んだ。すると……
グゥオオオオオオッ!
ガァァンッ!
「……な、なに? 今、何やったの?」
狼狽するジュネの声を待つまでもなく、部屋中の全ての目線が俺に注がれた。同じ部屋の中にいたハインツ、それと、奥の別室から出てきてこの部屋を見に来ていたコーもだ。
「俺にも……分かんねえ」
なんか俺自身も、頭の中が真っ白な状態だ。まだ、気持ちもぼんやりしてる。
あまりに一瞬の出来事で詳しく言い表せないけど……ドアノブからバチって静電気をお見舞いされたみたいに指先に痛みが走り、そして体中がビリッとしたんだ。
そしたら指先から突然、真っ黒なもやと紫色の稲光みたいなのが飛び出して、ほんの一瞬で目の前のバケツに直撃した。バケツは金属バットか何かでぶっ叩いたみたいにものすごい轟音を上げて、原形も留めないくらいグニャグニャにひしゃげちまった。
「予定変更ね。ユーイチ、もう今日は休んでていいから」
「……あ? ああ、そうか」
息を荒げる俺の隣へ歩いてくると、ジュネは冷静な口調で俺にそう告げた。けど、その頬はよく見てみると、明らかに引きつってる。
あくまで冷静を装うジュネの表情に、俺は戸惑いながらテーブルの側を離れた。あのジュネが動揺してる……ひょっとしたら俺、とんでもないことしちまったのか?
すぐさまジュネはテーブルの側へ駆け寄ると、ひしゃげたバケツをじろじろ見ながら、忙しそうに何かを手持ちのファイルに書き取ってる。さすがにこりゃ、尋常じゃなさそうだ。
「す、すげえじゃねえか、祐さん!」
「まあ……な」
やたらでっかい声で呼びかけてくるコーに、俺は表面上だけクールに答え返した。なんだかよく分からないけど、どうやら俺はすごいことをしたみたいだ。とりあえず偉そうにしとこう。
「お前も見てただろ? ハインツ」
「ええ。僕もあんなすごいのは、今まで見たことないですよ」
さっき俺が偶然放った得体の知れない魔術に、ハインツも心底驚いているようだったけど、俺はそんな事なんかどうでもよかった。
とりあえず、退屈な訓練を1時間も早く切り上げることができた……儲けもんだな。そのまま俺は何食わぬ顔で、息が詰まりそうなくらいせまっ苦しい育成室からさっさと抜け出した。
西暦2037年8月31日
「ル・シエル」本部棟5F 第1訓練室
「次……第12班の方、どうぞ」
至って事務的な呼び声が掛かるのと同時に、俺、コー、ハインツの3人は列をなして、ぞろぞろと扉をくぐった。
今日は俺達の実力をお偉いさん方が見極める「審査」の日だ。今日一日で、俺達の行き先は定められる。
もしこの審査に合格できなければ、他に行き場のない俺とコーは、右も左も分からない異国で路頭に迷う事になるかもしれない。俺達にとって、この審査は生きるか死ぬかに匹敵するくらいの大きな賭けだ。
もうちょっと真剣に訓練やっとけばよかったかなーと、今更ながら反省。けど、信念よりはテンションで生きてる人間だからなぁ、俺って。やる気ないときゃ何もやらないってのが、俺の基本スタイルだ。絵に描いたような、怠け者のスタイルなんだけど。
「はいはい、どうもっ」
こんなにピンと張りつめた場所でも、いつもと変わらずコーはヘラヘラ笑ってる。なんつーか、こいつには危機感という物がかけらもない。そんなコーに呆れながらも、俺はグッと気を引きしめて辺りを見回した。
俺達が入ってきた入り口のちょうど向かい側には、事務員らしい見知らぬ女性と、その隣にはマスター、さらにその隣には、黒髪で色黒、紺色のローブを身に纏い、がっしりとした体格の若い男性が座っていた。
「それではまず……コーシローさん。こちらへどうぞ」
「えっ。あっ、はい」
事務員に言われるままに、コーは少しためらいながら歩み出た。
「おお、コーシロー君。調子はどうかね?」
「ええ、まあまあですかね、はい」
終始笑顔を崩さないマスターに対して、コーは同じように微笑みを浮かべながら答えた。
それほど面識はないってのに、お互い顔を見ながらニコニコ笑ってるマスターとコー。なんだか奇妙な光景だな。
「それでは『闘技』を始めるとするか。では、コーシロー君。そちらへ」
そういうとマスターは、おもむろに部屋の奥の方を指さした。
「こっち……ですか?」
コーは明らかに戸惑いの色を見せながら、マスターに答え返した。
それもそのはずだ。マスターの指さした先は灰色の壁に囲まれた、何もないだだっ広いだけのスペースだったからだ。コンクリートが剥き出しのザラザラした床に、うっすら粉が吹いてる壁。なんだか改装中のビルみたいだ。
こんなところで一体、何をしようってんだ?
「そうだな、グェン君。彼の相手をしてくれないか」
「はいっ」
マスターがそう言うと、今度はその隣に座っていた色黒の男性がすくっと立ち上がり、部屋の奥へと歩き出した。ピシッとした、気合いが入ってる表情を崩さないまんま、グェンとかいう男は悠然と足を進める。
「一体何をやろうってんですか? マスター」
心の底から一気に湧き上がった疑問を、俺はすかさずマスターにぶつけた。
「じきに分かるはずだ。そのまま見ていたまえ」
淡々とした口調で、マスターは言葉を切り返してくる。なんだか釈然としない思いを抱えたまま、俺はまた部屋の奥へと目線を移した。
訳が分からないまんま、オロオロしながら立っているコーの向かい側にグェンは立つと、その両腕を身体の脇に揃えて、どっしりと構えた。5,6メートルくらいの間隔を開けて、お互い顔を向き合わせる二人。コーとは対照的にグェンの顔は落ち着いてて、なんだか不気味だ。
にしても、なんだか訳がわかんねぇ……これから一体、何が始まるってんだ?
「では、コーシロー君。余計な遠慮は無用だ。この1ヶ月で君が会得したもの全てを、グェンにぶつけるがよい」
にっこりと笑みを浮かべ、柔らかい声でマスターはそう言った。
「あっ、なるほど! 要するに『組み手』みたいなもんか」
その声を聞いて、やっと俺は合点があった。
空手に例えりゃ、一対一でお互いに技を掛け合う「組み手」だな。これから始まるのは、それを魔術に変えたものってわけだ。そう考えれば、二人が向かい合っているだだっ広いスペースが、だんだん空手の武道場に似てるような気もしてくる。
なーるほど、実戦形式の試験ってわけか。こりゃ面白いかも。こんなもんを見る機会なんて、滅多にないだろうし。
「こんな雰囲気も久しぶりだな。なんか、気分が乗ってきたぜ」
「うん。なんだか空気が緊張に染まってきた……って感じがしますね」
俺の言葉に、ハインツは引き締まった声で同意した。
長いこと空手道場で暮らしてきた俺にとって、こういう空気はすごく懐かしい匂いがする。青臭い上にホコリ臭いけど、大好きな匂いだ。
俺だけじゃなくハインツもまた、肌がビリビリする様な雰囲気を感じてたようだった。普段は至って温厚だけど、今は表情さえもピリッとしてる。
やっぱりこういう感情って、あらゆる人間に共通みたいだな。サッカーとか格闘技とか、スポーツを観戦する時でもそうだけど……こういった戦いの前の静けさに感じる、息詰まる程の荒々しいテンションに俺達は掻き立てられる。ひょっとしたら本能なのかな、これって。
「よっしゃ、いくぜ!」
ギュッと右手の拳を握るとコーは顔を上げ、そして雄叫びみたいな声で叫んだ。
パァァン!
そんなコーの声が、俺の耳に届いた瞬間だった。
突然、コーとグェンが立っているちょうど真ん中あたりで、オレンジ色の激しい光が生まれて、続いて何かが思い切りはじけるような音が響いた。
「な……なんだよ? 今の」
いきなりな出来事にポカンと口を開けたまま、俺はすぐさまコーに目をやった。
指をコキコキ鳴らしながら、コーは首を傾げながらニヤついている。こっちはマジでビビッてるってのに、なんだか完全に余裕の表情だ。
「ユーイチさん。あれは?」
「なんだ? ハインツ」
驚いてる暇もなくハインツは、すかさずコーの足下あたりを指さす。俺はすかさず、その白い指先に目線を移した。
そこには……天井から射す白色灯の光を受けて輝く、何かの破片みたいな物がバラバラと散らばっていた。
いや……よく見ればコーの足下だけじゃない。その周りにも同じ様なかけらがいくつも落ちてる。ガラスでも割れたんだろうか? でも、窓は戦況を見守るマスターや他のお偉いさんの背後にあって、コーとグェンが立ち回ってる場所からは明らかに離れてる。
なんだか気になった俺は、そのすぐ近くまで駆け寄って、破片の一つを手に取ってみた。
冷たいっ!
そのかけらを握りしめた途端、ひんやりとした感覚が指先から直に伝わってきた。
「こりゃ、氷じゃねえか?」
じっと目を凝らしてみれば、俺の手の上には半分溶けた氷と、冷たい水の滴が混ざり合ってのっかってる。そのかけらは、まさしく砕けた氷の粒そのものだった。その透明なかけらは、俺の手の上を伝いながらスルリと滑ると、コンクリートの床にポトリと落ちた。
「へっ、まずはこんなとこかな」
面と向かってるグェンを挑発するように、コーはにやけながら大口を叩いた。
あの一瞬に何が起こったのかは、だいたい理解できた。コーが氷の固まりを手元で造り出して、あのグェンとかいう兄ちゃんにぶつけたんだって事は、なんとか察しがつく。でも、先手をとられたってのにグェンは穏やかな表情を全く崩さない。どうやら相当、肝の座った強者みたいだな、こいつ。
「うん。なかなか扱いづらい『水』の力をこれだけスムーズに使いこなしているとは、なかなか見所はありそうだ。では、これはどうだろう?」
彼は柔らかな声でそう言うと、手の平を上に向けて、スッと掲げた。
パンッ! パパパパパパンッ!
今度はグェンの手の平から何十本もの青白い光が現れ、レーザーみたいに真っ直ぐな直線を描きながらコーを突き刺した。けど、その光はコーの目の前に達するとパチパチと弾け飛んで、跡形もなく消え去っちまった。
「へへっ。なんだい、今の? 効かねえなぁ」
眉をひそめたまま苦笑しているグェンを見据えて、コーはさらに挑発じみた笑みを浮かべた。
まさか、今のグェンの攻めを、全部見切って防ぎきっちまったってのか? 俺の知らない間に、ここまで力つけてたんだ。
「なんかコーシローさん、まるで人が変わったみたいですね」
あっけらかんとした表情で、ハインツは余裕ぶっこいてるコーの表情をじっと見ていた。
分かる分かる。いつもの軟派でヘナヘナしたあいつの姿からすりゃ、こんなシャンとした姿なんて誰も想像しないだろう。
「あいつは今でこそあんなナンパ野郎になっちまったけど、中学ん時は他校生としょっちゅうケンカばっかしてたんだ。とにかく血の気が多くってな……」
やる気に火がついたときのコーの怖さは俺が一番よく知っている。奴とのつきあいは、かれこれ10年近くになるからな。
実際、俺はあいつと拳を交えたこともある。原因が何だったかはもう忘れちまったけど、言葉では言い表しがたい威圧感に、正直言って驚いたっけな。
「オラオラオラオラオラァァァッ!!」
ガシャン! ガガッ! ガガガッ! ガシャァァン!
突然、コーはつんざく様な大声を上げながら、スタンドマイクを振り回すヴォーカリストみたいに右手を大きく振り回した。その度に、握り拳大の氷の固まりが、一直線にグェンが立っている方向へと飛んでいく。
だけど、グェンは一つもビクつかずに、指先からさっきの青白い光を発してそれらを一つ一つ、的確に叩きつぶしていった。グェンの表情に、驚きだとか動揺の色は一欠片もない。
見たところ、お互いにこれといったダメージは受けてないみたいだ。ただ、粉々になった氷のかけらだけが、バラバラと二人の周りに飛び散っていく。勝負もホントに付くんだか分かんない、なんだか奇妙な戦いが延々と繰り広げられていた。
「私は、雪遊びをするためにここに来た訳ではないのだがな」
膠着状態がしばらく続いて、戦況を眺めてた俺もなんだかぼんやりしてきた頃か。顔をこわばらせてひたすら躍起になっているコーを見ながら、皮肉っぽくグェンは笑って、そしてその手を大きく縦に振った。
ドスッ!
「……っててて……痛ってえ」
俺は一瞬、何がどうなったのか全然分からなかった。
このままいつまで続くんだろうと、ボケーッと二人の争いを見てたその矢先。激しい撃ち合いを演じてたコーの身体が突然ぐらりと傾いて、氷の破片が散らばる床の上に強く叩きつけられた。俺は遠巻きに見てただけなんだけど、なんだかコーの足の力がガクッと抜けて、そのまま体勢を崩した感じだった。
「ハハハッ、今のは、スッ……スリップダウンね」
痛みに顔を歪めてはいたけど、コーは軽やかな声で強がった。けれどその面もちからは、今まで真正面から見せてた闘志は明らかに消え去ってる。
遠巻きに見てただけでも、これだけはハッキリと推測できる。あれはコーが脚を滑らせたんじゃない。むしろ、脚払いか何かを不意に食らって、そのまま全身のバランスを崩したように見えた。たぶん、グェンって兄ちゃんが見えない力で、コーの両足に攻撃を加えたんだろう。
そこで俺はやっと確信した。この勝負はたった一瞬のやりとりで、既に決していたんだと。
「いいだろう。そこまで。コーシロー君、ご苦労だったな」
足をさすりながらコーが立ち上がったところで、ようやくマスターが口を開いた。これにてコーの審査は終わりみたいだ。
「へへ、そりゃどうも」
何度も首を傾げ、少し足を引きずりながらコーは戻ってきた。さすがに一瞬の出来事だったし、コーもまだ訳が分かんない部分もあるのかもしれない。
「お疲れ! カッコ良かったぜ、コー」
「へへっ、当ったり前だろ」
俺はすぐさま手の平を差し出して、そんなコーを笑顔で迎えた。すると、コーはまたいつものヘラヘラした顔に戻って、俺の手をパシィンと叩く。まっ、この結果をそれほど引きずってもいなさそうだな。
「それでは次……ハインツさん、どうぞ」
「あっ、はいはい」
なんてガキみたいにはしゃいでるうちに、今度はハインツにお呼びが掛かった。ハインツはいつもと変わらない、人畜無害の無邪気な笑顔を浮かべながらスタスタと奥へ歩いていく。
「頑張れよ! ハインツ」
高らかにコーが叫ぶと、ハインツは振り向きざまにニコッと笑いながら、何度も手を振った。
なんだ、ハインツも結構余裕じゃねえか。本番前からもうビリビリきてんのって、俺だけか?
「それじゃ、よろしくお願いします、グェンさん」
「ああ、こちらこそ」
コーがまき散らした氷のかけらが散らばっている床の上に立つと、ハインツはリラックスした表情を浮かべたグェンと真正面から向き合い、声をかけた。彼の顔に合わせるように口元を緩ませながら、グェンもまた答え返す。
なーんか和やかな雰囲気になってるけど……さーて、始まるぞ。
「いや、しばし待つがよい。二人とも」
なんて、グッと期待した矢先の出来事だった。
ぐんぐん上昇していた皆のボルテージを一気にしぼませたのは、マスターの声。俺とコーも、口を半開きにしたまんま顔を見合わせた。
なんだよ……せっかく盛り上がってきてたってのに。こりゃ拍子抜けだな。
俺は振り返り、審査員席に座るマスターの顔をじっとうかがった。彼は平然とした表情のまま、スッと片手を挙げる。そして……
「グェン君、ご苦労だったな。しばらく休むがいい」
え?
続くマスターの言葉は、俺にとっちゃあまりにも意外だった。
てっきり、これからハインツに胸を貸すもんだと思ってたのに。コーとほんの少し手合わせしただけで、グェンの出番はもう終わりだってのか?
「は? はぁ……」
やっぱり、驚いてたのは俺だけじゃなかったみたいだ。マスターは唐突な言葉に戸惑ったのか、さすがのグェンもマスターの座っている席をジロジロ見てる。でも、マスターは右手にペンを持ったまんま、その表情すら変えずにじっとグェンの顔を見てる。
「けれども、マスター。私でないとすれば、この少年の相手は誰が……」
「相手なら、そこにおるだろう?」
「え?」
俺は唖然としたまま、キョロキョロと辺りを見回した。
隣のコーは口を全開にしたまんまで、俺の方を見ていた。それだけじゃない、どうやら部屋の中にいる人。全ての目線が俺の方に向けられてるみたいだ。
そして……離れた席に座るマスターの指先も、俺にピタッと合わせられてた。つーか……マジかよ、おい。
「ユーイチ君。すまんが、ハインツ君の相手をしてくれたまえ」
「ち、ちょっと待って下さいよ! マスター」
何がなんだか分かんないまんま『はい』って口を動かそうとした時。突然、血相を変えたグェンが俺の言葉を押しのけるように口を挟んだ。
「しかしながら、マスター。彼らはまだ、経験1ヶ月の訓練生なんですよ? もしかしたら、何かの拍子で魔術が暴走する危険もあるかもしれません。訓練生同士の闘技は、いくらなんでも無茶では……」
「いいですよ、マスター」
無心のままぽつんと呟いた俺の言葉が、ざわついていた部屋を一気に静まり返らせた。
さっきはテキトーに「はい」って言おうとしたけど、今はその時とは気持ちがだいぶ違う。むしろ、今この場所でハインツとやり合いたいって感覚が、何故だか自然と芽生えてきた。それにしても……なんかすごいこと言ったか? 俺。
「おい、祐さん。マジかよ」
「だってよ、面白そうじゃねえか。お互い手の内はある程度分かっとるわけやし、実力を計るにはいいチャンスだがや」
俺はポンポンッと言いながら、先にコンクリートの戦場へ発ったハインツの澄んだ目をじっと見た。
さすがのハインツも、この急展開に少し困惑してたみたいだけど、物怖じなんかはかけらも見せやしない。よっしゃっ! どうやら向こうも結構乗り気みたいだ。
唯一、冷ややかな目でグェンが俺を見ていたのが、その面もちからもハッキリ分かった。けど、そんな事はどうでもいい。なんだか、まるで自分が自分じゃないような……言い換えれば、なんか戦の神にでも取り憑かれているような、そんな気持ちが俺を満たしていた。今はそれしか頭の中にはない。
チャンスがあればハインツと力を競ってみたい、それは俺が常々思ってることだった。理由は分からないけれど、ハインツには俺のライバル心をくすぐる何かがあるらしい。それが俺を突き動かす物の正体かどうか、確信は持てないけど。まあ、格闘技に熱中してた時もそうだけど、元来から俺は戦うのが好きなんだろうな。
「危険だと見なしたら、すぐにでも止めてくださいよ。マスター」
グェンが何か言ってたみたいだけど、そんなことはどうでもいい。何があろうと、全力でやってやる。
俺はとりあえずグッと気持ちを奮い立たせ、そしてちょうどいい感じになったところで一歩、足を踏み出した。
俺はハインツの前に立って、まず大きく息をついた。こういった時のモチベーション作りって、実はものすごく肝心だ。
ジャリジャリッていう氷の砕ける音が、ピンと張りつめた空気の中に響く。こういう、いい意味での緊張感って、なんだか久しぶりに感じるな。核ミサイルにぶちのめされそうになった時、俺はもう死んじまうんじゃないかって切迫感は感じたけど、それとは全然違う感覚だ。
戦いの匂いがする。汗くさくて、ムワッとして……けど、心地よい匂いだ。
これは空手とは違う。下手すりゃケガで済まないかもしれない。でも、不思議と怖くはない。そんなことを畏れてちゃ、全力は出せっこないってもんだ。
「それじゃ、ユーイチさん。どうかお手柔らかに」
「…………」
まずは洗礼。俺は挑発気味に、のんびりした表情を浮かべてるハインツをキッと睨み付けた。けど、一体何を考えているのか知らないけど、ハインツは逆に俺に向かって微笑み返してくる。
ハッハッハッ……まいったな、こりゃ。睨み返されるよりキツいかもしれない。俺はプッと吹き出しながら、ハインツから目を反らした。
「では、始めるがよい」
なんて、笑ってられたのもほんの数秒だった。
始まりを告げるマスターの声と共に、そんなハインツの表情が急にシャンとなったからだ。なんつーか、この変わり身の早さはすごいな。さっきまでおっとりしてた目にも鋭さが増して、グサリと俺を突き刺してくる。
(来るっ!)
そう直感的に感じた俺は、身体の重心を心なしか後ろに置いて、咄嗟に右人差し指の先をハインツの身体に合わせた。
ボゥン! ボォゥッ!
とにかく、先手必勝ってやつだ。
俺はハインツに向かって、まずは二つの炎の塊を立て続けに撃ち込んだ。炎はまるで吸い込まれていくかのように、真っ直ぐな直線を描いてハインツの身体に突っ込んでいった。
「ふっ!」
その炎の塊と真正面に向き合ったハインツは、足を踏ん張って、素早く手の平を身体の前に向けた。何をする気だ?
ヒュヒュン……ボゥンッ! ボゥンッ!
「……チッ」
さすがにこれだけじゃダメか。俺は無意識のうちに舌打ちをしてた。
俺が放った炎の塊は、ハインツのすぐ目の前でねじ曲げられ、まるで逃げていくかのように方向を変えた。そして炎は崩れた螺旋みたいなラインを描きながら天井まで達すると、ほんの一瞬で跡形もなく消えてしまった。
「ハハッ、今のは軽い準備運動だぜ」
なんて俺は軽く笑い飛ばしたけど、ハインツはキツい顔で突っ立ったままだ。さっきまでニコニコしてたハインツとは、まるで面もちが違う。
体勢を立て直しながら、ハインツはさらに険しい顔つきで俺の方を見据える。いつも穏やかな彼にしちゃ、今まで一度も見せたことがない顔だ。
どうやら手加減してくれそうにはないな……でもいいや。本気で立ち向かってきてくれた方が、俺としちゃ断然面白いし。
「どうした? 来ねえのか?」
俺は右手で挑発ポーズをとりながら、ハインツに言葉を叩きつけた。けど、ハインツは両方の手の平を正面に向けたまま身構え、こっちをじっと見たままピクッとも動かない。とりあえずは何にもしてこないんだけど、なんだか見てるだけでも不気味な様相だ。
凍ったような静かな時間が、延々と過ぎていくかと思った……その時、
ガチャッ!
「ごめんごめん! ちょっと遅れちゃって……って?」
俺はハインツと瞳で戦いながら、周囲から流れてくる音に耳を傾けていた。ドアが勢いよく開く音と、照れ笑い混じりのジュネの声が後ろの方から聞こえてくる。
「ちょっと! 何やってんの? あの二人」
「おっ! ちょうどいいとこに来たなぁ。まあ、見てなよ、面白いぜ」
「そうじゃなくて!」
コーとジュネが、なんだかけたたましく言い争ってるのが聞こえたけど、それもまた次第に遠ざかっていく。
両方の手の平を向けたハインツが一歩、すり足でジリッと歩みだしたからだ。既に俺の耳には物音どころか、人の声すらも届かなくなってた。俺はただ、全神経を研ぎ澄まして、人間アンテナみたいにハインツの動きを読みとろうとしてた。
「ふぅっ」
どっかから湧いて出たような緊張感で、身体の感覚が薄れてきてる。
俺は一つ大きな息をついて、じんじんしてる指先をハインツにピタッと合わせた。
ゴォッ……スパーン!
俺はすかさず、今度は炎の塊じゃなくて黒い稲妻をハインツに向けて放った。稲妻はハインツが立っている真横を駆け抜け、鉄板をパイプでぶっ叩いたような激しい音を立ててすぐに消滅した。
「あれは? あん時の……」
少しうわずったコーの声が、ずいぶん遠くから聞こえてきたような気がした。
へへっ、やっぱりビックリしてんな。ちょっと前に偶然編み出したこの黒い稲妻を、俺は延々続く炎の訓練の合間に、誰もいない別室にこもって練習してたんだ。体力の消耗が激しくて無駄撃ちできないから、この魔術は最初に出さなかったんだけど。
「フフッ、やっぱりそう来なくっちゃ」
ガチガチになってた表情をほんの少しだけ崩して、ハインツは悠々とした口調でそう答えた。何もかもを見透かしてるようなグリーンの瞳が、静かに俺を突き刺す。まるで、俺の手の内を全て読んでたみたいに。
「奥の手ってのは、最後の最後まで見せないもんだ。そうだろう?」
こんなところで気負けしちゃいけない。俺は右拳をギュッと握って、ハインツに言葉を叩きつけた。
既に自分自身が喋っているという感覚を、俺は感じなくなっていた。なんか、頭よりも気持ちが先に喋ってるという感じだ。
なんで、ハインツ相手にここまで本気にならなきゃならないんだろう。変な話だけど、その理由は未だに分かんなかった。それはハインツへのライバル心でも、路頭に迷うかどうかの瀬戸際で戦ってる威圧感でもないことは、少なくともハッキリしてる。
理由づけなんて必要ない……今ここでハインツをぶっ倒してやる。俺の頭の中は、その思いで埋め尽くされてた。
「そんじゃ、これで最後だぜ!」
俺は渾身の力を、ビリビリ痺れている指先に集めた。指先が熱………いや、指先だけじゃなくて、身体全体がたぎるように熱くなってきた。やがてその熱っぽさが、一気に俺の身体の中を突き抜けた。
バリバリバリバリバリッ!
身体がバラバラに引きちぎれるかっての衝撃が、俺の身体全体を突き抜けた。その瞬間、指先どころか俺の手の平全体から、幾筋もの青紫色の光が湧き上がり、のたうち回る毒蛇みたいに絡み合いながらハインツの元へと突っ込んでいった。
「最後……か、そうかもね」
ハインツは少しも表情を崩さないまま、細めた横目でチラッと俺の顔を見た。そこから先は、どす黒いもやに隠れてハインツの顔は見えない。けど、ハインツの足が一歩、二歩と後退していくのが、どうにか見えた。
「……ふぅぅっ」
自分の明らかな優勢を確信したその時。その時だった……いつものハインツらしからぬ、うめくような低い叫びが俺の耳に入ってきたのは。
その声を聞いた刹那、何故だか俺の全身に鳥肌が立った。そして、
ピシャァァァァン!
それは、ほんの一瞬の出来事だった。真っ白な光が……峠ですれ違う対向車のハイビームなんか比べ物にならないくらい、強く激しい光が俺の視界へと一気に被さった。
ハインツの姿は、この強い光の中ではどこにもうかがえない。それどころか俺はもう、気が動転して何も考えられなかった。俺が放った青紫の稲妻は消え去り、そして俺の意識も……その激しい瞬きの中に飲まれていった。
「ハッハッハッ。二人とも、そうムキにならなくともよい」
「……マスター?」
ふと気が付くと、俺は生暖かい床の上に仰向けになってぶっ倒れていた。ズシッとのしかかるような、鈍い痛みが身体に残ってる。俺は歯を食いしばって、とにかく必死で上体を起こそうとした。
足に力が入らない。なんか、ありったけの力を使い切ってしまったみたいだ。御前崎でジュネが早々に寝込んじまったのも、今にしてみればよく分かる。
「うっ……ううっ」
なんとか上体を起こすと、その目の前には濃緑色のローブを着たマスターが、口元を緩ませたまま立っていた。その向こうには、片膝を床に着き、ゼーゼーと息を切らせてうつむいているハインツの姿が見える。
「そこまで。どうもご苦労だったな」
まだ状況が飲み込めず、呆然としている俺とハインツの視線を受けながら、マスターはそう一言残すと、俺達に背を向けてスタスタと歩いて言ってしまった。
「どう……なってんだ?」
俺はただ、誰にでもなくぽつりとつぶやいた。さっきからずっと感じていた指先の痺れも、いつの間にか消え去っていた。
俺……負けたのか? どうなったんだ?
俺の勝敗は、結局分からずじまいだった。けど、なんか勝ち負けなんかどうでもよくなっていた。それよりもあの時、魔術をぶつけ合った俺達の身に何が起こったか……ってことの方が、よっぽど重要になっちまったからだ。
あとでコーから聞いた話によると、ハインツが一歩、二歩と下がった次の瞬間、真っ直ぐ前に突き出した手の平から真っ白な光の塊が生まれ、それが膨れ上がるようにだんだん大きくなって……俺とハインツを一気に飲み込んでいったんだそうだ。
俺は部屋に戻ってから、今日のことが気になってハインツを問いただした。けど、ハインツはぐったりした様子でベッドに潜り込んだまま、何も口を開こうとはしなかった。ベッドに入る前の彼は、やけに濁った目をしていた。どうやら、もう話す気力もなかったみたいだ。
今にして不思議に思うのは、あの時、俺がハインツに向けていた激しい敵意だ。別にハインツになんか何の恨みもないし、傷つける理由もない。どうしてあれだけ強烈な稲妻をハインツにぶつけたのか、俺自身も理解しきれないままだ。もしあれがハインツを直撃してたら、最悪の事態もあり得たはずだ。
なんか、ハインツと向き合っていた時の俺は、何か別の意志に操られてたような気もする。「手段は選ぶな! ハインツをぶっ倒せ!」って。多分こんなこと言うと、卑怯な言い訳になっちまうんだろうけど。
暗くなった部屋の中。まだいろんな思いに駆られて眠れない俺は、散らかったテーブルの上から手探りでタバコの箱を取った。
ハインツは隣のベッドで寝転がったまま、俺に話しかけもしない。ひょっとしたら俺が暴走気味にハインツに稲妻をぶつけたのを、本気でケガさせようとしたと思って気を悪くしてしまったのかもしれないな。
でも……そう言えばハインツも、俺に対して鋭い目線を突きつけてたっけな。まさか、ハインツも俺に敵意を……なんて、考え過ぎか。
なんか、考えても無駄なような気がしてきたな。この事に関しては。
「何も聞かない方がいいんだろう、たぶん」
俺はそう確信し、その事については以後も口をつぐんだ。