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第二話 ペルシャ湾①

最新話になります。

長くなりそうだったので、複数回に分けています。

トラック環礁を出港した遣欧艦隊は、インド洋をペルシャへ湾へ向けて陸軍輸送船団を護衛しながら航行していた。

そこへ、英中近東方面司令部から空母航空隊の派遣要請が入った。

艦隊は、シンガポールで輸送船団と合流後、イギリス領セイロン島のコロンボに入港し、水や燃料、生鮮食品等の補給を行って以降、艦隊と船団は只管ペルシャ湾を目指していた。

英国からの情報で、インド洋にも時折、喜望峰を経由してUボートが侵入し、通商破壊を試みているとの事であった。そのため、遣欧艦隊でも昼間は空母艦上機が、夜間は水上機母艦から発進した水上機が対潜哨戒を行っていた。

だが、インド洋航路は英海軍航空隊の大型飛行艇や、英空軍所属の沿岸航空軍団からも、旧式爆撃機を転用した哨戒機が頻繁に哨戒飛行していたため、Uボートが商船航路に近づくのは夜間だけで、昼間は警戒して滅多に姿を表さなかった。

そのため、哨戒機は休みなく飛び回っていたが、航路帯の何処を探しても、Uボートが潜伏する痕跡は、発見できなかった。

「安全が確保されるのは良いことなのでしょうが、敵艦の痕跡がない日々が続くと、地中海へ入る前に部下の練度が落ちるのが一番の気がかりです」

第二航空戦隊を指揮する山口多聞提督は、自ら天山艦攻に乗り込んで旗艦赤城を訪れた際に、艦隊司令長官南雲忠一へ懸念を口にしていた。

そのため、艦隊がペルシャ湾に入港後、一時的に母艦航空隊を陸上基地へ進出され、英中近東軍を支援する作戦に参加することに異論は無かった。

短期間の航空作戦を実施した後は、遣欧艦隊は航空隊の機材と要員を再度乗艦させて、ペルシャ湾を出港する事になっている。以降の航空支援は、上陸と展開を終え、戦闘態勢を整えた帝国陸軍中東派遣軍へと、正式に移管される。

この中東派遣軍は、山下奉文中将を指揮官とする一個野戦軍で、展開当初はクウェートに拠点を置く事になっているが、準備が完了次第、イラク王国へ移動し、サマワに根拠地を構える。その後はイラク中部の、防衛を担当しつつ、中近東軍の作戦にも参加する予定だ。

なお中東派遣軍には、地上部隊に加えて、航空支援を担当する一個飛行師団(第二渡洋航空兵団)が直属部隊として編入されている。

装備機は、新鋭機の三式戦闘機「飛燕」を装備した飛行戦隊が二個と百式司令部偵察機を装備する一個独立飛行隊、更に九九式襲撃機を装備した一個飛行戦隊が先遣隊として予定されている。後に一〇〇式重爆撃機「呑龍」を装備した四個飛行戦隊と二式複座戦闘機「屠龍」を装備した二個飛行戦隊が追加派遣されている。

第二渡洋航空兵団が出撃準備を整え、イラクへ展開を完了する迄は、母艦航空隊による航空支援を行う予定になっている。

無論その間、王立空軍中近東方面航空団は、第二渡洋航空兵団と共に母艦航空隊にも[全面支援を行う用意がある]と通知してきている。


「言わば我々のお手並みを、この灼熱の砂漠で是非とも拝見したい。そういう訳ですな・・・・実に面白い」

二航戦司令官山口多聞は、こう言ってニンマリとした。

今回、遣欧艦隊に配属されたのは、一航艦所属の四個航空戦隊で、大型改造空母の天城、赤城、中型空母の蒼龍、飛龍、そして新造大型空母の翔鶴、瑞鶴、白鶴、紅鶴であった。

文字通り帝国海軍の主力空母ばかり、八隻を送り込んだ結果、日本国内には軽空母や改造空母しか残っておらず、

またそれ等の空母群も海上護衛総隊が航路帯防衛のために使用している状況になっていた。

戦略的にも危険な冒険をあえて行うのは、艦隊航空隊派が提唱し続けてきた、空母の集中運用を実戦で試みる為でもあった。

もし欧州海域でその効果が実証されたなら、連合艦隊司令長官山本五十六は海軍省と大本営に掛け合い、建造中の改翔鶴型航空母艦の「大鳳」型の追加発注と、計画されている「大和」型戦艦の五番艦〜八番艦の空母転用を認めさせる腹づもりであった。

しかも空母の建造計画は、それだけに留まらなかった。蒼龍型中型空母を原型とした量産型中型空母を十隻連続建造する計画案も、合わせて呑ませる気でいた。

無論、これだけの数の空母を連続して建造するとなると、膨大な予算が必要であると同時に、戦艦や巡洋艦の建造計画にも、相当な影響を及ぼす可能性があった。

しかし、既に戦艦の建造に関しては、大和型戦艦八隻の建造を最後に、新規建造計画は立てておらず、また巡洋艦に関しても、空母や戦艦と違い中規模の造船所でも建造できるため、空母の量産が与える影響は少なかった。

これだけの事を可能にしたのは、海軍休日と言われた軍縮期間中に、造船所の整備と並行して、敗戦による混乱期にあったドイツやイギリス、更にはフランスから技術者を招聘し、造船技術の底上げを行っていたからだ。

その結果、日本での大中型艦艇の建造速度は、史実に比べ格段に早くなっていた。


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