第一話 動き出す世界
第2話になります。
大英帝国の首都ロンドンにあるダウニング街10番街の住人は、夜更けまで続く空襲の中でも、防空壕への避難を頑なに拒否していた。それでも、自分の気紛れに周りを巻き添えにする気は毛頭ないため、防空壕へ避難させていた。
大英帝国宰相マールバラ公爵ウィンストン・チャーチルは、空襲の最中でも休まずに、普段通りの仕事を続けている。
チャーチルが最大の関心を寄せていたのは、ドイツ空軍の夜間空襲でも、ヒトラーの戦略でもなかった。ヒトラーの背後にいる共産主義者の陰謀を、どのように阻止するかであった。
共産党嫌いのチャーチルは、ファシストの独裁者よりも、世界革命を狙う共産主義者の方が、深刻な脅威だと見抜き、ドイツのナチスやイタリアのファシスト党が政権を獲る前から、一政治家として議会で危機を訴えてきた。
チェンバレン内閣が誕生し、チャーチルが海相として入閣してからは、MI5やMI6から提供される極秘情報を、直接見られる立場になった。その結果、チャーチルは共産主義者が危険な存在だと改めて危惧した。
MI6からの最新情報では、スターリンの指示により世界共産党運動事務局は、密かに米国政府中枢内にも浸透している事が判明した。
米国政府だけでなく米国企業のなかには、ドイツと繋がりながらも、ソ連にも親密な関係を築いた大企業が複数あった。その中でも、自動車王ヘンリー・フォード率いるフォード社は、ドイツにドイツフォードを設立し、ドイツでも有数な自動車会社に育て上げる一方で、ソ連にも大規模な製造プラントを輸出していた。このプラントは表向き民間仕様の製造元でも、戦時になれば軍用車両の供給元になった。
いくら知米派のチャーチルでも、現段階ではルーズヴェルト政権に対して不信感を募らせていた。更に、米国政府へ行った参戦要請も議会からの反対を理由に、否決され、代わりに武器を貸与される事になったが、送られてくるP40ではドイツ空軍を圧倒できないという有様であった。F4Fの輸出仕様であるFM2で何とか勝てるといった状態であった。しかも、米国は裏でソ連にも各種軍需物資を民間向けで輸出しているとの情報もチャーチルの元に上がってきていた。
この事からチャーチルが頼りにしたのが、同じ王制を維持する大日本帝国であった。
しかも大日本帝国は、既にソ満国境線でソ連との間で国境紛争を幾度も起こしていた。特に1939年に起きたノモンハン事件では、満州王国の国境を突破したソ連軍は、大日本帝国陸海軍による反撃を受け、大損害を受けたソ連軍が撤退するという戦闘まで起きていた。
そしてベルリン五輪後、ドイツとの親密さが一時期取り沙汰されたが、ナチス・ドイツが国是とした反ユダヤ主義を日本が批判し、更に1938年に起きたオトポール事件を契機に、国会内でユダヤ人保護を目的とした法案を成立させた。これはユダヤ人が日本を経由し、第三国へ避難する事を可能とするものであった。
現状ドイツとは国策の違いから、大日本帝国はドイツとも距離を置いた状態であった。
また日英の既得権益に関しても、東南アジアや支那大陸に多くの英国資本を抱えるイギリスではあったが、日本からすれば良質な油が輸入出来れば、東南アジアへ踏み込む必要がないため、英国は東南アジアの防衛を気にすることなく、欧州に戦力を割り振ることができるのだ。また支那大陸の上海や北京でも、幾許かの権益を獲得していたが、英仏の領域を侵害すること無く共存を図っていた。
実際チャーチルが報告を受けている限りでも、英国政府の出先機関や居留地警備部隊と、大日本帝国陸海軍駐留部隊との間には殆どトラブルが起きていない。
この事からチャーチルの中では、大日本帝国陸海軍の戦力をアテにしていた。また日本が神道という、他とは違う宗教を国教としているため、英国植民地軍と共闘する際に宗教的問題が発生しにくいという利点もあった。
そしてチャーチルは、大日本帝国の実力を確認すると同時に、敵も叩くことができる戦場を見繕っていた。
その場所は、中近東であった。
中近東方面において、ソ連による侵攻の予兆が既に情報としてチャーチルの元に上がってきていた。
そこでチャーチルは、これに大日本帝国を充てることにしたのであった。