プロローグ
初投稿になります。
拙い作品になりますが宜しくお願いします。
1941年1月1日
トラック環礁
大日本帝国海軍の拠点であるトラック環礁から、数多の艨艟たちがゆっくりと外洋へ進んでいた。
彼等が向かうのは、激戦が続いてる欧州であった。
1939年9月にナチス・ドイツによるポーランド侵攻から始まった2度目の世界大戦は、連合軍に厳しい戦いとなっていた。1940年5月には、西ヨーロッパに侵攻したドイツ軍は6月にフランス・パリを占領下に置いた。
その最中に、イギリスはフランス・ダンケルクからの撤退作戦である「ダイナモ」作戦を発動、ドイツ軍の不備もあり、英・仏将兵の脱出に成功するも、撤退途中に多くの重火器類を損失したため、状況はかなり悪い状態であった。
これを受け、イギリス政府はアメリカ政府に対し、参戦と武器貸与を求めた。これにアメリカ政府は武器貸与は許可したものの、本格的な参戦については、中立法を理由に議会で否決されてしまった。
そこでイギリス政府が頼ったのが、極東の島国である大日本帝国だった。イギリス政府は中東にある石油を無償提供し、必要な整備や技術提供を提示し、日本へ参戦を求めたのであった。
1923年に失効した日英同盟であったが、1936年に日本が第二次ロンドン条約からの脱退を宣言後、秘密外交を経て1938年に再び日英同盟が香港で締結された。
この日英同盟において、イギリス政府が大日本帝国に求めたのは、アジア方面におけるイギリス植民地の安全確保と、再び欧州で戦火が起きた際にイギリス側で参戦することであった。
2回目の日英同盟締結には、実はイギリス側もある考えがあった。それは第一次世界大戦の西部戦線で日本軍がみせた戦いぶりであった。特に1918年の帝政ドイツによる春季攻勢を受けた際に、各戦線が突破されつつあるなかで大日本帝国の欧州派遣軍は、1歩も引くこと無く帝政ドイツ軍の攻勢を押し止めることに成功し、最終的に連合軍に勝利を呼込むことができたからだ。(その結果、欧州派遣軍は文字通り全滅しかけている)
イギリスからの参戦要請を受けた大日本帝国では、直ちに御前会議が開かれ、数日にわたる話し合いの末、枢軸国への宣戦布告が決定された。1940年10月に大日本帝国は慣例に従いドイツ・イタリア両国に対し、外交文書による国交断絶を勧告したのであった。
日本の参戦を歓迎したのは、イギリスだけではなかったドイツの侵攻を受けパリを開城した後、アメリカへ亡命し、救国フランス委員会を設立したポール・レイノー元首相はラジオ放送で「東洋のサムライたちが一緒に戦う」と告げると、それまで様子見をしていたフランス植民地に避難していたフランス軍が、救国フランス委員会へ合流することを決めたのであった。