東地中海戦域①
スエズ運河通過を前に、第三艦隊はアラビア海では最後になる給油を行っていた。
艦隊への燃料補給を担っていた高速給油艦の殆どは、此処で別れることになっていた。
そして分離する高速給油艦は、ペルシャ湾内でBPの製油所で石油製品や原油を満載した後、コロンボ、シンガポールを経由し、本土に戻る予定である。
これは大日本帝国陸海軍の参戦を要請された際に、帝国政府と英国は遣欧艦隊や中東派遣軍に関する費用の一部を、石油製品で支払う密約を結んでいた。
また東南アジア地域における防衛を帝国陸海軍が引き受ける代償に、蘭印産原油を管理するロイヤル・ダッチ・シェル社からも、経費の半分を原油で支払われていた。
これに関して英国のチャーチル首相は、側近に対して、「帝国政府が今欲しているのは何よりも石油だ。海外領土から産出される石油で帝国政府が連合軍側で戦うのなら安い対価だ」と言っていた。
第三艦隊はスエズ運河入りを前に、運河通過の規定に沿って、改めて隊形を組み直していた。
艦隊は大型艦を中心に、大小の艦でそれぞれ二〇隻程の集団を作っていた。
各集団は充分なかんかくを取り、時速七〜八ノットの低速で航行する。
また地中海から紅海へ抜ける集団が、反対側からも来るため、対面で集団同士が通過する際には、片方の集団が予め決められた水面で通過を待たなければならなかった。
このようなこともあって、最初の集団がスエズへ入り、ポートサイドへ到着するまでに約一二時間が経過していた。
地中海入りした第三艦隊は、速やかに輪形陣へ移行すると、案内に派遣された英海軍の軽巡を先導役に、西へと進路を取った。
ナイル川河口を左舷に見ながら、航行するところから見て、行先はアレキサンドリア軍港と考えられた。
尤もアレキサンドリア軍港は、第三艦隊の全艦艇が入港できる程大きくはない。
したがって、戦艦群や重巡戦隊、超甲巡の主力はアレキサンドリアを母港とした。
一方空母戦隊は英領パレスチナのガザ、テルアヴィヴ、仏領レバノンのベイルートを根拠地とした。
これは本来であれば、中近東方面におけるソ連赤軍の影響や脅威を排除するため、英海軍が一個艦隊を展開しなければならなかったが、マルタ島の陥落により地中海が事実上二分化されてしまい、英国地中海艦隊に余力がなくなってしまったからであった。