第三艦隊
中近東方面でのソ連侵攻軍による侵攻作戦阻止を終えた第一航空艦隊は、新たに展開した帝国陸軍中近東方面軍へ事後を引き継ぐと、一旦艦隊整備のため本土へ戻っていた。
本土に戻った彼らを待っていたのは、臨時編成の第一航空艦隊を解体、戦時艦隊編成による常備艦隊への格上げとそれに伴う人事異動の発令であった。
第一航空艦隊は、名称を第三艦隊へと変更されると、新たに第一艦隊に属していた「長門」「陸奥」「加賀」「土佐」の超弩級戦艦四隻、空母部隊の直援として二個防空戦隊が編入された。
これにより第三艦隊は、戦艦四隻、空母八隻、超甲巡四隻、甲巡六隻、乙巡四隻、駆逐艦三十六隻を有する大艦隊となった。
そして人事異動の発令により、艦隊司令官は南雲 忠一中将から小沢 治三郎中将へ交代したが、補佐役の参謀長や他の参謀はそのままとなっている。
そんな彼らに出された新たな命令は、帝国陸海軍の基地航空隊が展開する地中海での、独伊両軍の撃滅及びイギリスと救国フランス委員会が共同で行おうとしている反攻作戦の支援であった。
命令の発令を受け、第三艦隊は内地での訓練もそこそこにシンガポールのセレター軍港から程近いリンガ諸島へ向け各々の母港から出港していった。
リンガ諸島は、艦隊投錨地としての海域を除いても、各種訓練ができるだけの海域を有していた。
更にオランダ領東インドのパレンバンの油田・製油施設が近いこともあり、帝国政府はオランダ政府と交渉の末、石油の購入代金の内四割を現金で払うと、残りを亡命オランダ政府からの要請もあり、オランダ領東インドに展開する空軍の教育と機材の提供を行うバーター取引で合意した。
リンガ諸島に投錨した第三艦隊は、ここでシンガポールから王立海軍軍人を迎え入れることになった。
シンガポールから来た人物、ルイス・ウォルズ英海軍中佐は第三艦隊司令部首脳陣は、英国からの要請として、イギリス領インドのセイロン島コロンボに向かい、そこからスエズ運河を通り地中海に向かうよう伝えた。
この要請を聞かされた第三艦隊司令部首脳陣は、各々が表情を動かさず頭の中で今後の艦隊運用や訓練日程を考えていた。
しかしウォルズ中佐は、表情の乏しいモンゴロイド系の顔から、その感情の変化を読み取ることは出来なかった。
ウォルズ中佐自身、日本人と交流した経験は無く、内心では日本海軍の実力を疑問に思っていた。
中近東方面で、ソ連侵攻軍を撃滅できたのは、まぐれか単にソ連軍が弱かったかの何方か一方だというのがウォルズ中佐の考えであった。
「失礼、質問を宜しいか?」
内心日本軍人に対してその能力に疑問を感じていた時、一人の指揮官が声を上げた。
それは第二航空戦隊を率いる山口 多聞少将であった。
「先程の説明を聞く限り、貴国からの要請による地中海展開は速いことに越したことはないと考えらるが、我が艦隊も再編されたばかりで統一訓練が未了のため、約一ヶ月程このリンガ諸島で訓練を行いたいと思っているが如何か?」
これに対しウォルズ中佐は、少し考えると口を開いた。
「早くて来月、遅くとも再来月頃には地中海に展開し、作戦行動に入ってもらいたい」
これを聞いた指揮官たちは、少し考える様な表情を見せると、艦隊司令官である小沢中将が口を開いた。
「了解した。では母艦航空隊を一旦リンガ諸島に陸揚げし、約二週間の空中集合訓練と艦隊襲撃訓練を徹底して行い、リンガ出港後コロンボに向かう道中でその他の訓練を消化しよう。参謀長、訓練課程で消費するであろう燃料や消耗品は、後から合流する補給艦から貰えるよう手配しておいてくれ。航空参謀は、各空母の飛行長、飛行隊長と共に飛行訓練の日程を調整してくれ」
小沢提督はそう告げると席を立った。
この日から約二週間の間、再び陸揚げされた母艦航空隊は、パレンバンから供給される潤沢な石油を使い徹底的な訓練が行われた。
特に各空母から発艦した後の空中集合訓練は幾度となく行われた。
また艦隊側でも、対空戦闘訓練から回避運動訓練まで多岐に渡って行われた。
そしてそれらの訓練を終えると、セイロン島コロンボで簡易的な点検をした後、遂にスエズ運河に入ったのであった。