い号作戦②
アレキサンドリア空軍基地では、日が昇る前から喧騒に包まれていた。
滑走路脇に駐機された航空機に整備員が取り付き、弾薬や燃料の補給を行っていた。
ここアレキサンドリア空軍基地には、日本海軍の第十一航空艦隊、日本陸軍の第一渡洋航空兵団が展開していた。
展開当初は、防空戦が主だったが大本営からのい号作戦発動を受け、これまで出番のなかった爆撃機部隊の搭乗員達は、これ迄の鬱憤を晴らせると喜んだ。
出撃準備を行っていたのは、第十一航空艦隊所属の第二六航空戦隊(七〇二空 七〇五空 七〇七空)、第三四航空戦隊(二〇三空 二〇五空 二〇七空)、陸軍第渡洋航空兵団から飛行第59戦隊、飛行第64戦隊、飛行第14戦隊、飛行第20戦隊であった。
どの部隊も支那大陸紛争やノモンハン事変を戦い抜いた精鋭パイロットが揃えられていた。
使用する機材も、海軍は零戦三二型、一式陸攻一二型が、陸軍からは、飛燕一型、百式重爆が揃えられていた。
整備や補給を行われている日本軍機は、軽く百機を超えていた。
これだけの数の航空機を準備できたのも、1930年代に計画された軍備増強計画の賜物であった。
元々は、物量で勝るアメリカとの戦争を見据えて計画された物であった。
特に航空機部門にあっては、陸海軍航空本部からの指示により、各航空機メーカーに対して航空機増産に備えた生産ラインの開設もあり、米英に劣るも月産三〇〇機という大量生産を行っていた。
アレキサンドリアを飛び立った陸海軍航空隊の戦爆連合は、百式司偵の誘導を受けながらシチリア島へ向け飛行していた。
イギリスからの情報で、シチリア島にはドイツ空軍戦闘航空団が多数展開し、どの部隊もポーランド戦役からの腕利きばかりである精鋭部隊という事を聞かされていた。