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い号作戦①

本日は終戦記念日になります。

あの世界大戦で亡くなった全ての方に哀悼の意を送りたいと思います。

1941年8月

地中海に日本陸海軍が展開して半年が経っていた。

この半年の間に、地中海を取り巻く戦局は大きく変化していた。

まず同年5月に、クレタ島がドイツ軍の侵攻を受け陥落した。

このクレタ島の陥落により、エジプトのアレキサンドリアへの空襲は激化。

特にアレキサンドリア港への攻撃が激しく、此処を母港としていた英国海軍西地中海支隊が独空軍からの空襲を受け、空母イーグル、フューリアスを独急降下爆撃機の攻撃で撃沈されただけでなく、伊海軍の人間魚雷マイアーレの侵入を許した結果、戦艦ヴァリアント、クイーン・エリザベスが大破、タンカー1隻が撃沈されてしまった。

これにより、西地中海支隊は戦力が低下、これを受け今までイタリア海軍の動きも活発化し、タラント軍港に主力艦隊が集結しつつあった。

これに呼応するように、ドイツも陸路で魚雷艇の配備を推し進めた。

危機感を募らせた英国本土では、同盟国である日本に戦艦を主力とする艦隊の地中海派遣を求めた。

この時日本海軍は、中近東方面に派遣していた第一、二航空艦隊はシンガポールにあるセレター軍港に入港し、整備を受けていた。

また中近東方面での母艦航空隊の活躍を受け、臨時編成だった第一、二航空艦隊を常備艦隊へ格上げし、第三艦隊とした。

また第一艦隊から、長門型二隻と加賀型二隻を引抜き、第三艦隊への配置を決定した。

この長門型と加賀型の引抜きの背景には、大和型戦艦の連合艦隊への引渡しの目処が立ったことにあった。

1941年8月の段階で、大和型は一番艦大和、二番艦武蔵が相次いで就役し、三番艦信濃、四番艦美濃にあっても年内には就役する予定であった。

第三艦隊はこの長門型と加賀型の合流を待って、地中海への進出が正式に決定された。

第三艦隊の地中海派遣が決定された頃、大本営は既に地中海に展開している基地航空隊に新たな命令を出した。

それは第三艦隊到着する予定の、1941年12月までにドイツ・イタリア両軍が展開するクレタ島及びシチリア島に対する航空撃滅戦を展開する事であった。

無論消耗する機材は、日本本土から英国領シンガポール、そしてセイロン島を経由して継続的な補給が行われる。

そして搭乗員に関しても、アレキサンドリアから離れたセイロン島で休養と練成が行われる。

後にい号作戦と呼称される航空撃滅戦が始まろうとしていた。




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