第38話「広がる世界」
昨日の夜、宿の部屋でのことです。
「えっと、じゃあ撮りますね」
「うん! ……ん? どうすればいいの?」
「どうするんでしょう……ねえお姉ちゃん」
「そのまま止まってろ」
ナナさんと、シオンさんと、ユリさんと。
3人と一緒に私、イヴは、写真機を使って写真を撮ろうとしていました。私のアルバムを見て、1枚撮ってみようという話になったのです。
ナナさんとユリさんは写真を知らないようで、撮影に対して戸惑っています。
「動いたらブレるから撮れねえんだよ」
「ブレる……?」
「え、えっと……」
そんなこんなで私達は写真を撮りました。
写真機を机に置いて、タイマー機能を使ってボタンを押します。そして急いでナナさんの隣へ駆け寄って、撮影範囲内に私も入るのです。
写真は綺麗に撮れました。
「これを現像して……出来ました」
「わ、ホントに出来てる……!」
「綺麗ですね……」
写真機から現像された写真を出します。本来の写真機では簡単に出来ない事ですが、魔導具であるこの写真機ならすぐに出来上がってしまうそうです。
そうして映し出された写真には、私達4人が並んで映っていました。シオンさんはただ立っており、ナナさんとユリさんは不思議そうな顔で戸惑っています。よってポーズを取っているのは、控えめにピースしている私だけでした。
ちょっと恥ずかしい。
「こうやって写真を作って、思い出としてこのアルバムに貼ってるんです」
「へえ、すごいなぁ……それにしても」
ナナさんは感心したような声を上げ、私のアルバムを手にとってめくっていきます。魔導教会の関係者であることがバレるような、見られたらマズい写真がないかとヒヤリとしましたが、すぐにその心配は無いと思い直しました。
だって、まず写真の数が少ないですし。
それに……
「山とか、湖とか……街とか。景色の写真がいっぱいだね」
「はい。色んなところに行くのが好きで……」
そうです。
私は色んなところを見て回るのが好きです。魔導教会に入ってから、私の世界はとても広くなりました。任務などで遠出する度様々な景色に出会い、感動し、それを写真として記録に残す。思い出として風景を切り取る。
それが好きなんです。
「私、前はあんまり遠出とか出来なかったので……最近はよく出かけるようになって、その時に写真を撮ってるんです」
「なるほどな。だから枚数が少ねえのか」
シオンさんがアルバムを覗き込んで言います。
確かに写真の数は少ないです。アルバムも最初の数ページだけ埋まっており、残りの数十ページは全て白紙でした。
何もないというのは少し、こう……
「はい……こうもがら空きだと少し寂しいですね」
「確かにそうですね……何か書くとかどうでしょうか。寄せ書きというか」
「卒アルじゃねえか」
ユリさんの提案に困惑しているシオンさん。
卒アル、卒業アルバム。学校などを卒業する際、記念として贈られるアルバムの事です。私は学校へ通っていたことがないので持っていませんが、そういう物がある事は知っていました。
たしかに、寄せ書きとか。
そういうのがあると、嬉しいかも。
「寄せ書き……」
アルバムのページをめくります。
最初の数ページを除き、ほとんどのページには何もありません。白紙のアルバムは少し寂しいです。
その空白に。
私は何を記すのでしょう。
「……ぁ」
目を開く。
ぼんやりとした視界に映るのは、黒い鋼鉄の天井。
自分が仰向けに転がっていることに気がついたイヴは、上体を起こそうと腕に力を入れた。しかし思うように力が入らず、ふらつきながらゆっくりと重い頭を上げる。
「イヴちゃん、大丈夫?」
「……ナナさん」
隣ではナナが、イヴと同じようにベッドの上に座っている。
ベッドの上、薄暗い部屋、鋼鉄の壁。
ここはグロリア魔術学院の一室のようだ。二人のいるベッドの他にも複数のベッドが並んでおり、また室内に置かれた器具などを見るに、ここは医務室か何かなのだろう。
窓からは陽光が差し込んでおり、あれからそこまで時間は経っていないらしい。丸一日眠っていた、という可能性も捨てきれないが。
「ここは……」
「私も気づいたらここで眠ってたんだ。学長さんが運んでくれたのかな?」
「そう、ですね……」
イヴは曖昧に返事しながら俯いた。眠る前のことを思い出しているのだ。
魔術大会、幽玄竜、任務、学長、カレン・クラディウス、シリウス、そして……
「ナナさん……無事で良かったです」
「イヴちゃんもね! でも、キツかったらまだ横になってた方がいいんじゃ……」
「いえ、私よりナナさんの方が……」
普段の調子で話すナナに、イヴはぼんやりとしたまま首を横に振っていた。
ナナによるこれまでにない規模の魔力放出。視界が完全に遮られるほど濃い魔力の霧を、ナナは十数秒ほど放出し続けていた。その無理が祟ったようで、体力がつきすぐに倒れてしまったのだ。
「私はもう元気だよ。にしても大変だったね……イヴちゃんがいてくれてホントに良かったよ!」
「……いえ……いえ、私は……」
笑顔を見せて礼を言うナナ。その純粋な瞳を、イヴは直視出来ずに目線を落とした。僅かに震えている手のひらを見つめ、頭の中で何度も言葉を響かせる。
(私はナナさんを……ころ……殺そう、と……)
「何もできませんでした……」
「そんなことないよ。イヴちゃんがいなかったら私きっと死んじゃってたし」
「それは……」
(それは、きっと違う……)
イヴは口に出さずにナナの言葉を否定する。きっとそうはならなかったことを知っているからだ。
イヴは少し黙ったあと、顔を上げてナナに問いかけた。未だナナの目を見ることはできなかったが、それでも一つ、気になることがあったのだ。
「……ナナさん、一つ、聞きたいことがあるんですけど……」
「ん、なあに?」
「あの時、どうして……」
イヴは一瞬口を止めたが、すぐに言葉を続けて問いかけた。
どうでもいい事かもしれないが。
そこが少し引っ掛かっていた。
「どうしてアルバムの寄せ書き、書かなかったんですか」
「アルバム?」
「昨日の夜……」
夜、宿の一室にて。
ナナと、シオンと、ユリと。3人と写真を撮り、アルバムの話をしていた時のことだ。卒業アルバムのような寄せ書きの話が出たのだが、結局それは書かないまま話が終わってしまった。
(せっかくなら、書いてくれても良かったとに……)
そこが気になっていた。
どうでもいい事だけれど。
でも。
「だって、もったいないじゃん」
「……え?」
「イヴちゃん、前はあんまりお出かけ出来なかったって言ってたでしょ?」
予想外の言葉に、イヴは少し目を見開いて顔を上げる。
ナナは笑っていた。透き通るような純粋な笑顔で、夢を見るように言葉を並べる。
「これからイヴちゃんは色んなとこに行って、色んな景色と出会うんだ。その度に新しい写真が増えて、どんどんアルバムのページが埋まっていって……」
「……」
イヴは僅かに目を見開いたまま固まっていた。ナナの語るこれからに耳を傾け、その笑顔を目に焼き付けている。
「いつかページが無くなっちゃうくらい、イヴちゃんの世界が広くなるんだよ! 何か書く場所なんて無くなっちゃうんだから!」
「……ふふ」
「ぁえ?」
自分の事のように明るく語るナナに、イヴは思わず笑いを零してしまった。何故笑われたのか分からず首を傾げるナナだが、イヴはお構いなしにクスクスと笑っている。
「そうですね……確かにもったいないです」
「でしょ? そうだ、せっかくだし一枚撮ろうよ! なんとか生き残った記念、みたいな!」
「ふふ、いいですよ」
そうしてイヴは写真機を取り出し、ボタンを押して近くのタンスに置いた。そしてベッドの端に寄ると、写真機のレンズに収まるよう姿勢を整える。
一方写真に不慣れなナナは、何処にいればいいか分からず戸惑っていた。ボタンを押してから数秒でシャッターが切られるため、イヴは慌ててナナの袖を掴んで引っ張った。
「ナナさんこっちこっち」
「っとっと……」
イヴに引っ張られナナはベッドの端に寄った。そしてイヴと肩を寄せ合って並び、写真機のレンズを覗き込むようにして捉える。
そうして切られたシャッター。
その音を、色を、情景を。
イヴは、今でも忘れられないでいる。




