りんご
通勤で毎日通る駅の連絡通路に、りんごの絵が飾られていた。地元小学生の作品らしい。特に何かの受賞作品だとは書いていない。枝もたわわに実った、雪の中の赤い実が食欲を誘う。
ふわりと漂うりんごの香りに驚いて辺りを見回すと、私は冬のりんご園に立っていた。
春先の薄着では、凍えるように寒い。チラチラと降る雪には、手持ちの折笠で充分だ。無難な紺の軽量傘を灰色の空へと開く。
とにかく、何処か屋根の下を探さなければ。通勤用の歩きやすい布靴に雪が染みてくる。剥き出しの関節がヒリヒリと痛み出す。
見渡す限りのりんごを縫って、私は当てもなくさ迷い歩く。
雪国出身の同僚が、雪を被ったりんごを噛る楽しみを話してくれたのを思い出す。シャーベットのような味わいなのだそうだ。その話を聞いたときには、なんて素敵な子供時代なのだろうと憧れた。
だが、いま目の前に雪のりんご園が広がっていても、ノスタルジックな少年少女は現れない。りんご畑のおじさんもいない。静かに小雪の舞うなかで、ただ芳醇な赤い実の香りが私を包む。
耳も頬も冷たい。皮膚がピリピリしてきた。春物のガーゼスカーフをほっかむりにして巻き付ける。多少はマシか。手袋の無い指先も手の甲も、赤くなって痛い。息を吹きかけながら進む。
歩くうちに、雪が晴れて太陽が顔を出す。何処からか作業員のおじさんおばさんが現れた。黙々と実をもぐ者、お喋りしながら手だけは素早く正確な者、お喋りを咎める者。
皆収穫作業に夢中なのか、誰も私に気付かない。
ここでは皆手作業だ。以前テレビで観た収穫用の機械は使われていないようだ。その機械は、自動でりんごの樹を揺するのだ。実ばかりか樹も痛めそうな装置に驚いたものだ。
幹を乱暴にガシガシ揺らすと、りんごはボタボタ落ちてくる。葉や、時には小枝までが一緒になって落とされる。
りんごその他は、幹を囲むようにして機械が自動で開いた受け皿に落ちて行く。お腹を手術した犬猫が薬を嘗めないようにつけられる、エリザベスカラーみたいなやつである。
収穫されたりんごの列に、何となくついて行く。驚いたことに、この辺りには地面の雪がない。先程まで濡れていた私の足も、すっかり乾いていた。風も冷たくはあるが、身を切るような寒さではない。
りんご林が途切れて、道を隔てた向かい側に倉庫のような建物が見える。りんごの列は建物に吸い込まれて行く。開け放たれた扉の内側で、素早く検品しながら箱に積める作業員が見えた。
道路を斜めに横切る黒猫が、急に足を止めてこちらを振り向く。片手が中途半端に曲がって、空中で静止していた。
黒猫の金緑色をした双眸に捕らわれる。しかし、向こうから視てきたくせに、さっと眼を細めてソッポを向く。
猫が立ち去ると、私は何故かトラックの荷台に乗っていた。荷台に積まれた古いスタイルの木箱には、真っ赤に熟れた芳醇なりんごたちが、お行儀よく並ぶ。
心なしか楽しそうにひしめき合ったりんごたちを眺めていると、こちらも愉快な気分になってくる。これから、このりんごたちは、競りにかけられるのだろうか。それとも既に行き先が決まっているのだろうか。
贈答品の装いではないが、それなりに形の揃った果実ばかり。紅玉に似ているが、もう少し大きい品種である。紅玉より、多少は酸味が少なく柔らかいのかもしれない。
蜜の多い甘い実も良いが、酸っぱいりんごも好きだ。
紅玉は料理に使うもので生食には向かないと、菓子作りが趣味の知り合いに言われた事がある。でも私には美味しいのだから、そう教えられたあとでも、やっぱりそのまま食べている。
りんごたちの声なきお喋りに包まれて、ついうとうとと頭が揺れる。ぼんやりした視界には、途切れ途切れの景色が流れて行く。街から建物へ、建物からまた街へ。
果物店の店先に、若い店員のお兄さんが手際よく籠盛りのりんごを並べてゆく。実に積み方がうまい。一盛り五個の丸籠に、少しずつ違う大きさのりんごを組み合わせている。総ての籠がほぼ同じ量に仕上がった。最早職人技である。
私がぼんやり見ている前で、元気なおじさんが一山求めて帰って行った。それから子供がメモを片手に、真面目な顔をして買ってゆく。若いお嬢さんが、若さに似合わず疲れた顔で、やはり一山持ってゆく。庶民的なおばさんも、同じように一山手にいれた。
りんごを抱えた人々は、皆それぞれの家につく。どうした訳だか知らないが、私は店先に立ったまま、それらを全部見届ける。
おじさんが器用にタルトを焼いた。今日は奥さんのお誕生日だ。子供たちはテーブルセッティングを手伝っている。小さな女の子が、背伸びをしながら花瓶を置いた。年嵩の子は、シチューやサラダを作ったらしい。
お使いの子供は、お母さんに皮剥きを習っている。真剣な顔つきで赤い実を回す。白く剥き上がった実は、櫛形に切って硝子の器に盛り付けられた。満足そうな男の子の表情が眩しい。
お嬢さんは、ザクザク切って紅茶に浸す。熱い紅茶がかかったとき、りんごは華やかな香りをたてる。お嬢さんの疲れた顔が、ふっと緩んだ。
おばさんは、買ってきたりんごを一個、すりおろしてしょうが焼きに混ぜる。育ち盛りの息子と働き盛りの旦那さんがとても嬉しそうに食卓に着く。
ああ、よかったな。りんごよ。
お前たちは、みな食べられて幸せになったのだな。
お前たちは、皆に喜びを運んだのだな。
私は元の小汚ない連絡通路に降りたって、駅向こうの我が家へと向かう。今夜は焼きリンゴでも作ろうか。とんだ季節外れだけれども。それともやっぱり、大口開けて丸かじりかな。
ワインにオレンジやレモンと浸けて、即席サングリアも捨てがたい。ホットケーキに入れてもいいし、ポテトサラダにしても美味しい。でも、家族でポテトサラダにりんごを入れる派は、私しかいない。止めておこう。りんご入りのポテトサラダは、一人で食べる平日休の昼間だけにしよう。
帰路にある元は八百屋のスーパーで、りんごを一山手に入れた。