第1話
佐藤佳衣は俺にとって不思議な存在だった。
今、俺の左隣の席に座り、真っ白い紙にシャーペンを走らせている彼女。もちろん目でジロジロ見ることなんてできないから空気感で存在を認識している。
「……」
描くことに集中しているらしい彼女を横目で眺める。
肩につかないくらいのミディアムヘアに眉下に切り揃えられた前髪、絵を描いている時の彼女は非常に自然で愛くるしい。しかも、描いているうちに悩み始めて眉を潜めたり、閃いたときに頬が緩むのを見ると、なおのことだ。少し丸顔の彼女は、今、女性向けアイドルゲームに出てくるイケメンキャラを描いているらしい。
あまりにもまじまじと眺めていたせいか、佳衣も不審に思ったようで、こちらを軽く横目で確認する。それと同時に、俺が目を逸らすものだから、なんとも始末が悪い。しかし佳衣は気にする様子もなく作業に戻る。
なんとも気まずい空気だったので、俺から話しかけることにした。
「そういえば、中間テストどうだった?」
「……ん? 中間?」
予想の水平線の外からの質問だったみたいだ。
彼女は一瞬考え込んだが、すぐに理解してくれた。
「そうそう、中間テスト。そろそろ全教科、帰ってきたんじゃない?」
「私はぜーんぜんダメ。バカだから。この高校もギリギリ入れただけだし」
そんな風に身振り手振りで、必死に自分下げを行う佳衣。しかしそれもひとしきり収まると、今度は俺のほうに注意が向く。
「あ、でもそっちはいいじゃん! いきなり学年13位だっけ? 上野が昨日言ってた」
「あー、うん」
「頭いい人はいいなあー、うらやましい……」
佳衣はそんなことを言っているけど、俺からしたら絵が上手い佳衣がうらやましい。
この漫画イラスト研究部に入って、初めて佳衣に出会った時の衝撃は今でも覚えている。
衝撃は全部で2つ。
1つ目は絵がめちゃくちゃうまいこと。中学の頃絵がうまいと持て囃されてきたきた俺がショックを受けるほどに彼女の絵はプロだった。
2つ目は一目惚れしたということ。もはや説明不要。
「今度の期末、勉強教えようか?」
「え! まじ? もうめっちゃ訊きまくるかも!」
下心というよりは、どちらかというと、純粋に彼女に勉強を教えてあげたいという気持ちから言葉が出た。
母性本能というかなんというか。俺は男だけど。
「どんどん訊いてくれて大丈夫。教えるのも勉強になるし」
「ありがとう! まさかこんな身近に先生がいるとは……!」
佳衣は驚きつつもどこか安心したような表情でそう言う。
一旦会話が終わり、各々の作業へと戻る。
ここ漫画イラスト研究部は基本的に来ても来なくていいみたいな感じらしく、今日は俺と佳衣と二年生の女子の先輩の三人しかいない。
今いる部室は、よくあるイメージのめっちゃ狭い教室に漫画がぎっしりみたいな様子とは違い、学校の図書室だ。なんでもうちの学校には図書室に漫画が少量ながら置いてあるのでそうなっているとか。
部活という割には、活動内容も自由で、漫画やイラストを好きに描くみたいな感じで、なんで部活の体をなしているか不思議だ。確か入部時に、一年に一回はコンペに応募しなければいけないって言ってたっけな。
「ああ! それ今期のアニメのキャラ! めっちゃ可愛くて好きなんだよねー」
ちらとこちらを向いた佳衣の笑顔が可愛すぎて、脳内が完全にパニックになっていた。が、顔に出すとキモいので平静を装って返事をした。
「そうそう、俺も結構好きでさ。アニメ自体もすごい面白い」
「だよね! 先週の9話の展開とかすごい感動した!」
部活に入って約1ヶ月、最初はほぼ喋らなかったけど、イラストを描くのが俺と佳衣しかいないことや、そもそも部活に全然人が来ないことも相まって、今では少しずつ喋るようになっていた。
「そういえば佐藤さん、めっちゃ絵上手いじゃん? いつからイラスト描いてたの?」
「佐藤さんってもうやめようよ、同じ苗字の人多いし名前でいいよ、あっ、『かえ』ね、佳衣。ていうか君の方こそすごい上手いじゃん! なんかもうエネルギーが違うというか! ……君が名前で呼ぶなら私も名前で呼ぶね? えっと日千澄衣芹いせりだっけ?」
「そうそう、で……佳衣は結局いつから描いてるの?」
『佳衣』と発した瞬間、彼女は一瞬止まったけど、すぐに硬直が解けた。
「……えっと物心ついた時から描いてたってお母さんが言ってたから、正確にはわかんない!」
やっぱり小さい時からか。もう絵を描くのが生活の一部って感じの人種だ、彼女は。
「……衣芹はいつから描いてたの?」
若干どもりながら彼女は質問を返してきた。
「俺は中学校に入ってからイラスト書き始めたよ、いろいろあって」
「ヘえー、じゃあ私の方が先輩だ!」
「そうなるね」
「勉強の代わりに私が絵を教えてあげなくちゃね!」
流石に彼女も俺と自分の実力差を理解しているので、ここまで来て謙遜はしないみたいだ。
「佳衣の絵って本当にプロの絵みたいだけど、仕事とかしてるの?」
佳衣は若干顔を赤らめて、手をブンブンと振りながら、
「そんなわけない! そんなわけない! 仕事なんて夢のまた夢だし……」
「佳衣なら絶対できると思うんだけどなあ、デッサン力とか人体への理解とかすごいし」
「そう? あんまり考えたことなかったけど……」
佳衣の絵はかなりバランスが取れていて、基本に忠実というか、基礎力みたいなものを感じさせる絵だ。俺とは対照的で心底羨ましい。まあしっかり練習すればそれくらい描けるようになるのかもしれないが、練習できるのも才能だと思う次第だ。
「絵といえば、衣芹はコンペ出すの? 夏にあるとかいう」
「ああ、あれか」
正直、こんなに上手い人間が身近にいるのにコンペに出したいとは思わない。そりゃあ勝負してみたいって気持ちも少しはあるけど、もっと上手くなってから応募したいっていう気持ちの方がずっと強い。なんだか負け戦みたいで嫌なのだ。
「ちなみに私は出さないよ」
「え!? 何で!?」
「……!」
「あ、ごめん……」
彼女からそんな言葉が出てくるとは思わなくて、反射的に大きな声が出てしまった。
でも、なんで出さないんだ? もしかしたら入賞とかできるかもしれないのに。
「とりあえず俺は出さない予定。でもなんで佳衣も出さないの? 入賞とかできそうなのに」
「あ、えっと、その……ん〜」
俺は当たり前みたいな、さも当然みたいな質問をしたつもりだったけど、その回答を佳衣は持ち合わせていないらしく、深く黙り込んでしまった。
彼女にとって答えにくいか、答えたくない質問だったことは明らかだったけれど、俺は上手い人間が然るべき行いを、今回で言うところのコンペへの応募を拒むことに納得がいっていなかった。
「上手い人はコンペに応募するべきだと思う」
「……そう、かな」
圧力的な物言いになっていたことに気づいたのは、全て口から溢れた後だった。
「やっぱりせっかく上手いんだし、世間に評価してもらわないと、もったいないって」
「……」
俺の悪い癖なのだ、あるべき姿に戻る、じゃないけれど、人それぞれの本来のあるべき場所にいて欲しいと強く願ってしまう。佳衣がこんなに黙ってしまった後でも、その思いは変わらない。
「だったら……だったら、衣芹も応募してよ……」
「……俺が?」
さっきの話を聞いていたのか? 上手い人が応募すればいいのだ。だったら俺まで送る道理はない。
「だって衣芹も上手いじゃん、絵……」
「いやいやいや、どう考えても佳衣の方が……」
「それは衣芹がそう思ってるだけじゃん。私からすれば衣芹も上手いよ……」
「……」
わからなくなった。上手い。絵が上手いってなんだ。わからない。俺よりも圧倒的に上手な彼女に絵が上手いと言われた。しかも建前で言ってるような雰囲気でもなさそうだ。うーん。彼女は自分下げが過ぎるんじゃないか?
「とりあえず俺の絵が上手いかどうかは置いておいて、佳衣も出すなら俺も出すよ」
「そっか、わかった」
こんな小さいことでいざこざになるのも馬鹿らしいので、俺の希望を含有する形で話は進んだ。
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若干言い合いみたいなやり取りをして、その場の空気をどうしたものかと困っていたけど、先に口を開いたのは佳衣だった。
「コンペの内容ってどんなだったっけ?」
「……あ、えーっと確かひまわりコンペみたいな名前で、」
言いながら、俺はスマホでコンペの詳細を検索する。
さっきから見れていなかった佳衣の顔を確認したかったけれど、目のやり場の口実ができてしまったため、結局佳衣の表情はわからない。
「あった、えーっと、高校生イラストコンテスト(ひまわり学園主催)って名前で通称ひまコンって言われてるらしい」
「へえー、でもなんでひまコン? 高校生イラストコンテストじゃダメなの?」
「なんか他にも高校生限定のコンペがたくさんあるみたいで、呼び方を分けないと紛らわしいらしい」
「あー、確かに。それにしてもひまわり学園かあ」
ひまわり学園を佳衣は知っているらしい。
「ひまわり学園って知ってるの?」
「知ってるけど……衣芹、知らないの?」
「全然聞いたことない」
佳衣はそのことに大層驚いたようで、
「え、うっそー! テレビCMでよくやってるじゃん! 『ひまわり学園は未来ある若者を応援していますっ』って!」
芝居がかった様子で、おそらくそのテレビCMの真似をしている佳衣は、少し恥ずかしそうにしていて面白かった。
「俺テレビとか見ないからそういうのよくわかんないんだよね」
「そうなんだー、家族も見ないの?」
「親とかは見てるけど、単に俺が見てないだけ」
「ふうーん、テレビ見ないなんて私にはちょっと考えられないなあ」
そんなふうに少し天井を見上げて佳衣は話す。
「私は小さい時からずっと絵に触れてきたけど、本格的に上手くなろうと思ったのは、あるテレビ番組がきっかけでさ、」
少しうっとりとした彼女はいつもとは違う雰囲気で、どこか色気を感じさせた。
「テレビアニメ制作の裏側へ潜入してみた的な番組だったの。それを見てさ、『ああこの人たちは本気で画を作ってるんだ』ってその時初めて知ったんだー、それこそ衣芹と同じで中学一年生の時だったかな」
その真剣な眼差しはどこか決意を決めたような目だった。自分にはない魅力を彼女は持っている、そう確信できた。
「その時から『絵が好きだからー』とか『描いてて楽しいからー』とかいう感情が『描くことを仕事にしたいから』になったんだよね。そこからはもう早くて、ちゃんと基礎から真面目に取り組もうって思っていろんな資料とか記事とか見て必死に勉強してたんだよねー」
そこには俺が一目惚れした彼女のもう一つの顔があって。
俺は心底、この人は『絵描き』なんだなと思わされた。
「あ、ごめん、私ばっかり喋っちゃって……こんな話つまんなかったよね」
「いやいや、なんかすごい話聞いちゃったな」
「私も本当はこんな話するつもりじゃなかったんだけど……」
俺は本当に絵描きをできているだろうか。あんなにも真っ直ぐに絵に向き合えているあろうか。自分みたいな気持ちで絵を描いていて良いのだろうか。そんな気持ちばかりが溢れてきていた。
「あーー、私の話は置いておいて、ひまコンの話だよね!?」
「ん、あぁ」
「なんかさ条件とかあるんじゃない? テーマとか」
佳衣に促されて、たどたどしくスマホを操作する。
「a3からa4サイズ、アナログデジタル不問、デジタルの場合150dpi以内」
「うんうん」
「テーマは『気持ち』」
「気持ちかぁ」
色々なイラストコンテストの募集要項を見たことがあるけれど、テーマがなかったり、選択式だったりするものも多い。だけどこのひまコンは完全指定式だ。しかもテーマが『気持ち』っていうんだからなかなかどうして難しい。
「一層のこと『桜』とか『童話』とかまで絞ってくれれば描くもの悩まなくて済むのにー」
佳衣は少しダレつつ、握っていたシャーペンを机に放る。
「はあー、何描こ……」
「……」
俺はそもそもコンペに送ったことがない。だから正直題材が難しくても、そんなものだ。初めてはそもそも難しい。
「佳衣はコンペ送ったことあるの? 中学の時とか」
「あー、うん。二回くらいかな。でも全部ダメだった。掠りもしなくて」
そう言って佳衣は肩をすくめる。
「佳衣のレベルで入選しないって、よっぽどレベル高いんだね」
「いやいや私のレベルが低いだけだから! あと……」
「あと?」
「私の絵ってコンペ向きじゃないっていうか普通すぎて面白くないんだって」
「……」
独白のような佳衣の言葉は俺の今までの価値観を揺るがすには十分すぎた。
『普通すぎる』
俺と対極にいるもの。
俺は中学の頃散々言われてきた言葉がある。それは
『あなたの絵はクセが強すぎる』
自分の世界に入り込んでしまっていた俺は、上手いという指標を自分の中の物差しでしか測ることができず、周りの世界から隔絶していた。
そんな俺は俺自身をそう認識するたび、もっと普通でいよう、もっと普通な上手さを目指そうと思っていたのだ。
もちろん今もその意識が変わることはない。佳衣の言葉を聞いた今ですらもだ。
しかしやはりモヤモヤする。その信念は間違っているのではないか、と。
「衣芹の絵はコンペ向きかもね、自分のそのままが絵にバァーって乗る感じ?」
「……っ!」
後押しされて、もう自分の意思が分からなくなっていた。
「まあそれは結果次第ってとこじゃない?」
「まあ確かにそだね」
なんとなく適当なことしか言えず佳衣もそれを察したのか、その部分について深く言及はしてこなかった。
「っで! 締め切りはいつなの? 夏休み中とか?」
「うん、ホームページには八月三十一日締め切りって書いてある」
「今が六月頭だから……結構時間あるね」
「まあ、たくさん時間かけた方が良いって訳でもないし、まだ本格的に取り組まなくて良いんじゃない?」
持論だが、絵は時間をかけて悩めば悩むほど質が落ちてくる。改良しようとして悪化したなんてのは本当によくある話だ。だからこそ枚数をたくさん描くことが大事だったりするが。
「じゃあ応募用に何枚でも描こうよ! 締め切りまで! その中で一番良いのを送るっていうのはどう?」
「さすが佳衣。まるで絵の戦闘狂だ」
「えーひどくない? ……ん? いや、褒めてるのか?」
「褒めてるよ。褒めてる」
ちょっと抜けたような反応もするんだなと思う。本当に生粋の絵師だ。
本人は『普通すぎる』ことが弱みだと言っていたけれど、きっとそのうちそれすらも克服してしまうんだろうなと思う。
「で、結局どうなの? やるの? やらないの?」
「やるよ、やるやる。面白そうだし」
「よしそうと決まれば、明日からはタブレット持ってくるぞー! 衣芹はアナログデジタルどっち?」
「俺もデジタル、というかデジタルしかほぼ描かない」
「おお奇遇だね。私もデジタル一筋でさー」
最近はアニメ制作や漫画制作の現場でもデジタルが増えてきているみたいだし、紙に鉛筆やシャーペンというのは減ってきていると思う。
「私は11インチのやつ。衣芹は?」
「俺は12.9インチのでかい方で描いてる。なんかどっかの記事ででかいやつで描いた方が上手くなるって書いてあって、それからずっと」
「へえー。やっぱり衣芹めっちゃまじめー」
「まじめか? ……まあそうなのかも」
絵を上手くなるために色々調べて、研究しているつもりだけど、それこそ佳衣の方が真面目じゃないかと思う。これだけ上手くなるためにどれだけ練習してきたかは、そこそこ描いてきた人なら誰でもわかる。
「じゃあ明日からは一日一枚描いて批評し合おう?」
「一日一枚!?」
「え? 私なんか変なこと言った?」
「一日で一枚仕上がらないでしょ、普通……」
「えっ! そうなの!?」
たった今とんでもない事実が判明した。佳衣は、この佐藤佳衣はとんでもない速筆絵師らしい。
「えっと確認なんだけど、佳衣はいつも何時間くらいで一枚仕上げるの?」
「キャラのみ着彩までで二時間くらい?」
「……おお早い」
プロ絵師だったらそんなものなのかもしれないけど、佳衣はまだ高校一年生だ。どう考えても同年代よりは早いだろう。
「衣芹は?」
「俺は……十時間ぐらい」
「あ、そうなんだぁ。まあ描く時間なんて関係無いよね、できたものが大事だし」
まあそれは確かに言えてる。
しかし、描くのが早いというのは何物にも代え難いアドバンテージだ。さっき言ったように限られた時間内で複数枚描けるから、試行錯誤の周期が早い。その分成長も早くなりやすいだろう。
「しかしそうなると、俺だけ一日じゃ完成しなくなるね。授業が終わってから部活動時間は三時間くらいだし」
「私が合わせるよ、ゆっくり丁寧に描くのも面白そう」
「いや、俺が合わせる。早く描くのは良い練習になりそうだしね」
「おお! やっぱりまじめだね!」
「まあ、ね」
存外俺と彼女は似ているかもしれない。最初は技術力もお互いの強みも違うと思っていたけれど、絵の戦闘狂という意味では割と、ね。
「明日から忙しくなるなあー」
「佳衣はいつも家で描いてるの?」
「まあ、気が向いた時にバァーって描くみたいな感じ。まったり描きたいときは、部活来てるみたいな」
「なるほど、使い分けてるのか」
息抜き的な描き方は俺にはない考え方なので非常に参考になる。ガッツリ描くときと軽く描くときでしっかり切り替えても良いかもな。
しかし息抜きで絵を描くという考え方自体、わりとその道の人っぽいよな。
「俺も気合入れないとなあ。二時間で一枚なんて書いたことないし」
「私も昔は描くの遅かったんだけど、なんか遅い自分にイラついちゃって。下手でも良いから描き上げることを意識したら、すごい早くなったし質も上がったよ」
「……なるほど」
確かに理にかなっている。よくSNSで落書きやラフのみを上げて満足してしまうが、そればかり繰り返していても、肝心の本番は上手くならないということか。
描いたという事実だけで満足してしまって、下手な絵を投稿することを恐れていたかもしれない。
「やっぱり佳衣はすごいなあ。技術だけじゃなくて考え方とかまで」
「いやいや、そんなことないって! たまたまそうしたら上手く行ったってだけだし! 私の真似とかして変になっても困るから真似しないでね!?」
「まあ参考程度にするよ」
もちろん上手い人の前をすればその人と同じようになれるとは思っていない。でももっと前に進みたいときは、他の人から吸収するほか無いと思う。
「ふぅ。なんか面白いね。衣芹は」
「え、どこが面白いの」
素で反応してしまった。
なんにも面白いことは言ってないぞ。
「そういうところだよ。そういうところ!」
そう言って、少し子供っぽくクスクス笑う佳衣。
揺れる横髪とはにかむ笑顔が可愛すぎる。
……にしても参った。どんな反応をすれば良いんだ?
「困った顔してる……。あははっ!」
そりゃそうだ、訳もわからず面白いと言われて『そうだろう面白いだろう!?』と便乗して笑うやつなんかいないだろう。居たとしたらそれは面白くないってことなんじゃないか?
「まあまあちょっと落ち着いて。えっと、なんの話ししてたっけ」
「あはは……ごめんごめん。ちょっとツボに入っちゃって。……えーっと、明日から一日一枚描くって話だったよね?」
「あ、そうそう。それだ」
佳衣はまだ若干笑いを堪えつつ、目尻に溜まった涙を手で拭う。どんだけ笑ってるんだよ。
「ふぅー、ふぅー、ふぅー……よしこれで大丈夫」
「……」
己でなんとか落ち着かせたみたいだ。
しかし、佳衣はなんだ、笑い上戸なのか?
「私ちょっとツボに入ると、止まんなくて。……でも笑うって楽しくない!? なんか気分が良くなるっていうか!」
「まあそれは確かに否定しないけど……」
「でしょ!」
笑うことは体に良いという情報もどこかで聞いたことがあるし本当なんだろう。でも、なんだろう、納得いかない。
「とりあえず明日から頑張って描いてこうね!」
「あ、うん」
テンション高いな。
「そういえばRine交換しよ! あ、Twiqqerも!」
「うん、ちょっと待って」
俺はスマホのRineのQRコードを自分の画面に表示させる。
「はい。俺出したから、佳衣が読み込んで」
「はーい」
スムーズに友達登録が済む。
問題は次だ。Twiqqerの相互フォローだ。
正直、俺のアカウントは弱小すぎて見られるのが恥ずかしい。でもここで断るのも体裁が悪いし、何より佳衣のアカウントを知りたいという気持ちが大きい。どんな絵を投稿していて、どれくらいgoodがついているのか気になる。気になりすぎる……!
「衣芹、Twiqqerのアカウント名、なんて名前?」
「……千澄ってやつ」
「えーっと、ちずみちずみちずみ、いっぱいあるなー」
漢字で千澄だがまあそれなりに同じ名前の人がいる。
「えーっと、これ?」
そう言って、顔とスマホの画面をこちらに向けて、少し首を傾げる確認してくる。可愛すぎ。わざとやってるのか?
「……そうそれ」
同じ名前の人が多いと言っても、絵をアップロードしている人はそんなには居ないはずなので、簡単に見つけてくれた。
ちょっと経って通知が来た。
『かえさんにフォロされました。』
すぐさま佳衣のアカウントページを開く。
「ぇ……」
思わず声が出てしまった。
「万越え……まじか……」
正直膝から崩れ落ちたかったけど、椅子に座っていたので崩れ落ちることはできなかった。
「佳衣、フォロワー一万人もいるの……?」
「……うん、あ、でもこれはね、すごい上手い絵師さんにリツイートしてもらったりして伸びただけだし、たまたま運が良かったというか、」
「……」
「……お互いフォロワー数なんて気にせずに描くもん描こうよ!」
「……まあ確かにそうだね」
そんなことばかり気にしても仕方ない。佳衣に気を遣わせるのもよろしくない。
「……オーケーオーケー、じゃあよろしく『かえ』さん」
「あ、うん!」
ひとまず俺もフォローを返して、佳衣のツイートを覗く。
「やっぱ上手いなあ」
「上手くいったやつだけ載せてるだけだし!」
言いつつ、佳衣は少し自慢げだ。
投稿したイラストツイートは基本的に700から1000good前後。バズったときは2000くらい行くみたいだ。
「すげぇ……」
対して俺は、そもそものフォロワー数が500人、フォローしてくれている人にはもちろん感謝しているが、佳衣と比べると戦闘力としてショボ過ぎる。
イラストツイートもどれだけ調子が良くても500goodが関の山。四桁を超えたことは一度もない。
「佳衣のイラストめっちゃgood付いてるじゃん」
「まあ、ね……あーっもうそんなに褒めないでよ! 照れるから!」
顔は恥ずかしさを堪えているようだが、耳が真っ赤である。
「俺もこれくらい有名になれるように頑張るかあ」
「うん、とりあえず明日から一緒に頑張ろう!」
なんだかとても嬉しい気持ちだ。中学の頃、一緒にイラストを描く友達はいたが、どちらかというとその人は漫画を描きたいらしく、ストーリーがどうとかそういう要素もあって、佳衣とは少し違うのだ。
佳衣は本当にイラスト一本で、しかもこんなにも本気で取り組んでいて——。
なんだか妙に感動していた。
「どうかした?」
「……いや、別に」
『六時三十分です。生徒は速やかに下校してください』
「もうこんな時間か」
「片付けてもう帰ろう?」
「おう」
随分と話し込んでいたら、下校時間になってしまっていた。今日は全く描けなかったな。
手早く筆記用具等を片付けて、図書室を見回る。
「もう誰もいないよねー?」
「うん。先輩はもう帰ったみたい」
俺や佳衣は最後の人になることが多いので、こうやって図書室を見回るのがいつもの慣例になっている。
「じゃあ電気消すねー」
電気が消えると一気に当たりが暗くなる。冬、春を超えて日照時間は長くなりつつあるもののそれでも、外からの光源は少ない。
二人揃って生徒玄関まで降りる。
「上野は?」
「あー、笹子はもう先帰っちゃったって」
上野笹子は同じ部内の一年生で佳衣とよく一緒にいる人だ。
「衣芹こそ、岸方は? 一緒に帰らないの?」
「あーなんか、今日発売のゲーム買いたいからって先帰った」
「へえー……なんか楽しそうだね、岸方っぽくて」
「俺もやりたいんだけど、お金がなあ」
そうこう言っているうちに、靴を履き替えて校門まで来てしまった。
一緒に帰るのか? これ?
「まあ、じゃあ帰ろっか」
え!? 普通に帰るの? いいの? 俺が意識しすぎなだけ?
「あ、うん」
なぜか一緒に帰ることになった。