056 - D&D
「……………………………………」
「………………………………………」
重苦しい沈黙が、周囲に静かに満ちていた。
声をお出すものは居らず、吐息すらも殺すように。
「……ランド。お前が言ってたのって、コレか?」
「……ガウ」
頷くランドの声色も、なんだか何処となく精彩を欠いていて。
まぁ、ソレも当然か。というか、俺の声も多分ランドの声と同じく精彩を欠いていると思う。
「正直、スマンかった。もう少しちゃんと警告すべきだった」
「ガーウ……」
俺の所為じゃないと否定してくれている様子のランド。
その心遣いがとても嬉しい。
――じゃなくて。
「あ、あわわわわわわ……」
昼に籠から出て、少し会話をしていたベリアが、すぐ隣で泡を食っている。
とりあえず弓と矢筒を渡しておく。どうせすぐに戦闘開始だ。
……いや、逃走開始、かな?
「ドラゴン――」
兵士の誰かが呟いた。
目の前に陣取るそれ。全身を緑の鱗に覆われた、二翼の翼を持つ、全長30メートルくらいの、どでかい怪物が一匹。
全身を緑色の鱗に覆われ、二本の角を備えた大怪獣。……但し左角は折れているようだが。
「――■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!!!!!!!!!」
咆哮、という奴だろう。
魔力も糞も無い、只純然たる声。
しかし、その声も規模が違えば威力も違った。その一吼えで、エネスクの精鋭たちが、完全にのまれてしまっていた。
情けない事に、かく言う俺も。
経験があれば別……いや、言い訳はすまい。その時、俺は確かに呑まれてしまっていた。
その余りの迫力に、出来たのは少しの魔力を右手に集めるまでだった。
そうして、ドラゴンの口元に輝く橙色の輝き。
咄嗟に前へと飛び出し、右手に溜めた魔力を全力で前へと放射した。
――ブァアアアアアアアアアアアアアアア!!!!
「ぬ、ぐっ……!!」
放射状に発散させた魔力で形成させた、ほぼ瞬間的に出せる全力を用いた防護膜。
しかし、その障壁にぶつけられたそれ……紅蓮と輝く炎は、その魔力の波動を逆に押し返すほどのもので。
純粋な炎ではない。当然ながら、魔力で編まれた炎だろう。
しかし、逸れにしては現実性……というか、物質的な側面からの干渉も強すぎるような気が……。
なんて、考えている場合ではなかったか。
伸ばした右手に魔力を注ぎ込みつつ、下げた左手にも魔力を集中させる。
右手の圧が低下して、段々と負荷が掛かってくるが……此処で防御に徹してもジリ貧。
ならば、少しでも攻撃を当てて、なんとか隙を作らないと……!!
左手に作り出したのは、単純な魔力の弾。
弾丸程度の、小さな物質化魔力結晶を撃ち出すだけの物。この世界では、最も効率とコストの悪い魔術といわれている代物だ。
なにせ、同程度の魔力があれば、直径60センチ程度の火の玉を作る事もできる。大してこの魔術なら、小さな礫が一つ。殺傷範囲も、汎用性も比べ物にならない。
でも、この魔術、使いようによっては凄い事になる。
生み出した魔力結晶を覆うように、更にもう一つ、膜状の魔力フィールドを展開する。
その昔某アニメで見た技術。弾丸を二層式にして、相手の防御を突破する弾丸、というやつだ。
試してみたところ、これが大成功。
俺が用意した簡易式結界と、その中央に居座る案山子を、この魔術で見事に打ち抜いて見せたのが少し前。
この魔術なら、このブレスだって突破できる……っ!!
「貫けええええええええ!!!!!!!」
――パシュンッ!!
そんな小さな音を立てて弾丸は射出された。
俺の右手が放つ防護膜を突きぬけ、竜の吐く魔力の炎を突き抜けて。
「―――ギャウンッ!!??」
そんな悲鳴が聞こえて、途端に炎の勢いが弱まった。
そのまま沈下した炎の先。口を閉じ、忌々しげに此方を睨みつけるドラゴンが一匹。
ドラゴンの足元に転がり落ちるアレは……ドラゴンの牙?
撃ち抜かれて半ばで折れたのであろうその牙に視線を下ろしたドラゴンは、更に憎悪を籠めて此方を睨みつけてきた。
「おい、騎士団」
「―――――――――」
「エネスク帝国騎士団っ!!!」
「お、おおっ!?」
呆けていた鎧連中に一喝を入れて正気に戻す。
ドラゴンの咆哮。幾らなんでも、此処まで人を停滞させるか……!!
「マルさん。アンタ達はベリアを連れて先に行け」
「し、しかしそれじゃアレは……」
言って視線を前へと飛ばす騎士団団長のマル。
その視線の先には、憎悪に歪むドラゴンの顔。
――正直、醜悪に過ぎる。
「俺が潰しておく」
「そんな無茶だっ!!」
「……間違えるなよ? 貴殿等の任務を」
「――っ」
いいながら、今度はランドの傍へと駆け寄る。
「ベリア、大丈夫か?」
「な、なんとか。でも、ヤマ……イーサンさん、如何する心算ですか……?」
「……単独行動に移れれば、能力を使って何とでもできる。だから、お前達は先に行け。ランド、お前もだ」
いいながら、ランドの頭を撫でてやる。
「ガウッ!!」
「心配するな。無理そうならちゃんと逃げる。それに、此処だけの話、いざというときにお前がベリアの傍に居てくれると安心だしな」
「……ガウ」
「うん、やっぱりお前は賢い子だ」
頷いて、前へと飛び出す。
視線の先、再び映ったのは光り始めるドラゴンの口元。
ブレスの予備動作だ。アレを連発されるわけにはいかないっ!!
「うらあああああああああああああああ!!!!]
踏み出した身体を魔術で弾き出し、ドラゴンの頭部へ向かって思い切り剣を振り下ろす。
――ガィッ!!
「んなっ!?」
鈍い音を立てて弾き返される剣。
この剣は魔力を喰って切れ味を増す、一種の魔剣だ。……だというのに、このドラゴン、俺の魔力を結構食っている、この剣の一撃を無防備に弾きやがった。
然し、とりあえず一撃分の目的は達した。
額を打たれたドラゴンは、しかしその衝撃からか、炎の大部分を口の中で暴発させ、騎士団へ向け放たれた攻撃は、その殆どが拡散してしまっていた。
だが、此処で攻撃をやめる理由も無い。
そのまま勢いに乗せて、もう一度剣を振りかぶる。
ギィィィッィイイイイン―――。
再び弾かれる剣。
しかし、効果は十分だった様だ。
「ギオオオオオオオオオオ!!!!」
可聴域の悲鳴を上げるドラゴン。
額を何度も叩かれ、相当に怒り狂っているようだ。
「今の内に走れっ!!」
叫びながら、ドラゴンを引き連れてその場を移動する。
駆け抜ける俺と、それを追って飛翔するドラゴン。
その隙に、この吹きさらしの道を駆け抜けていく騎士団。
「イーサン、頑張ってー!!」
「ガルルルルッ!!!!」
最後に、そんな声が聞こえてきて。
そんな巨大な怪物を前に、思わず顔を綻ばせてしまうのだった。
「さて」
ドラゴンを睨みつけながら思考する。
このドラゴン、身体はでかいが背中に翼がついている。最悪、飛行能力をも有すると考えた方が妥当だろう。
そも、こんな山岳地帯にいるのだし。その方が自然だ。
となれば。例え此処で時間を稼いだとして、下手をすれば空から追撃されかねない。
もし、このドラゴンが標的を俺から騎士団の隊に移してしまえば。機動力で圧倒的に劣る俺には、ドラゴンを追跡する手段は無い。
となれば。
「――殲滅する、か」
剣を構えて、魔力装填。
魔力で無理矢理に強度を増加させるが……剣自体の耐久度がかなり追い詰められている。
この剣を使えるのも、あのドラゴンの鱗の強度を考えれば、後数回か。
「発光(瞬)!!」
左手を掲げ、簡易術式を唱える。
瞬間、手の先から放たれる白い光。元は証明用の魔術を弄って、持続時間を犠牲に瞬間光量を思い切り底上げした目くらまし。
某ゲームからのアイディアだったのだが。……まさか、本当にドラゴン相手に使うことになるとは。
瞬間、ドラゴンが唸りを上げて身体を後ろにそらした。
その隙に、身体の下部……腹部を狙って思い切り突きを放つ。
剣の魔力集中を全て先端へ。魔力を凝縮・一点へ集め、威力を上げて。
――コレで駄目ならっ!!
ガチンッ!!
「グゴアアアアアアアア!!!!!!!!」
「なっ――!?」
必殺の意思を籠めた、渾身の一撃。
だというのに。その一撃は、なんとかドラゴンの鱗を一枚割るに留まって。
悲鳴を上げたドラゴンだったが、しかしその実たいしたダメージはなさそうだ。
「……っ」
何故、と考える前に視線を飛ばす。
騎士団の面子は……まだ有視界範囲にいる。
何せ吹曝しの峰の先だ。暫くは視認可能範囲にあるだろう。
――まだ闇は使えない。
だとすれば、残るはやはり剣と魔術。
しかし、魔術は使えない。いや、魔力が使えない。
どうやっているのかは知らないが、あのドラゴン、さっきの事と言い、今の事と言い。何等かの手段で魔力を無効化しているみたいだ。
抵抗か無効化か、吸魔なんて可能性もある。
瞬時に顎門を開いて噛み付いてきたドラゴンの首をバックステップで回避し、その頭の軌道上に剣先を残しておく。
自分から剣先に突撃する格好になったドラゴンは、そのまま剣先に額をぶつけて。
……っ。
ドラゴンが悲鳴を上げる。
然しそれよりも注視する部分がある。
ドラゴンの額。そこに、真一文字の裂傷が走っていた。
そうか、最初の連打。
頭をガンガン殴りつけていたし、大分鱗が弱っていたのだろう。
そこに、ドラゴン自らの突撃を利用したカウンターの一撃。
額の鱗が、あと少しで完全に砕ける。
コレはもしかして、チャンスなのだろうか。
――眉間への一撃。
脳への直接攻撃が出来れば、幾らドラゴンだろうが、生物である以上必殺の筈。
ドラゴンはまだ痛みに叫び散し、此方への集中をとぎらせている様子だった。
「――!!」
迷いは一瞬。
ドラゴンの視線が東へ……先へ進む騎士団の面々へと向いていた。
決して。其処へ向かうという選択肢を取らせてはならない。そうなる前に、此方で決める。
……そう、心の何処かで焦っていたのだろう。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■―――――――――!!!」
不意を突いて放たれた咆哮に、剣を振り上げた姿勢で一瞬固まる。
――が、それでも二度目。一度目程の硬直は無く、即座に斬りかかって。
咆哮をかけながら此方をかみ殺そうと顎門を開くドラゴン。けれども、此方の方が早い!!
だというのに。
ドクン、と心臓が跳ねた。いや、本当に心臓が跳ねたわけではない。
身体の奥が、突然跳ね、一瞬自らの身体が完全に制御不能になる。
――この痛みは……まさかっ!!
カノンでインテリ魔族とやりあった時に感じた負荷!
通して戦闘中に現れた発作のような症状。それが、再び俺の身体に襲い掛かっていた。
気力を振り絞って、乱れた意志を統制する。
全身を制御下においた途端、身体中を襲う倦怠感にも似た痛みは嘘のように消えて。
正面を睨みつける。
迫るドラゴンの顎門。痛みで硬直したのは一瞬だが、その一瞬でかなり距離が縮まった。
既に速度的な此方のアドバンテージは皆無に等しい。
――だが、それでも未だ此方の方がコンマ差で早いっ!!
ガッ―――――ィィィィィィィィンン………………
そうして、振り切った黒い剣だったのに。
俺の手に握られた黒い剣は、しかしその半ばから、ドラゴンに衝突した瞬間、結晶が砕けるような澄んだ音を立てて、粉々に砕け散ってしまった。
そうして、その先に残る結果は一つ。
ガ――ッ!!
「ガッ、ふ――っ」
腹に突き刺さるドラゴンの牙。
ガッチリと噛み付かれた腹からは、焼け付くような痛みが徐々に広がって。
だというのに、痛みに反して身体からは熱が奪われていく。魔力が……違う、生命力が奪われているようだった。
ドレインだったのか、はたまた単に俺が死に瀕しているだけなのか。
残った剣の柄でドラゴンの額の裂傷を叩くが……痛い。噛み付かれた牙越しに振動が伝わって、こっちの傷が痛む。
しかしそれでも、ドラゴンにも少しの痛みが伝わったのだろう。
ドラゴンは此方を睨み、屈服させようとしてか、俺を地面へと押し付けた。
ああくそ、大型トカゲ風情が。このにやつく様な視線が腹の立つこと。
闇を行使したいところなのだが。最早それを扱う体力が、この化け物に吸取られてしまっていて、最早どうしようもなかった。
「けほっ、カハッ――」
喉から血が零れだす。
ああ、糞。やっぱり一撃の勝負だったか。
相手はドラゴン。一撃の威力は、その全長から伺える。
人に直撃すれば、それだけで致命傷。見えていたから、当たらないように気をつけていたのだけれども。
腹は鎧のおかげか、どうにか繋がってはいる。
けれども、其処にあいた巨大な大穴。これはもしかすると、駄目かもしれない。
……いや、確実に駄目そうだ。
全く。ドラゴンと言うのは詐欺だ。
何なんだコイツは。俺の武器が全く徹りもしない。
やはり、より一撃の威力を求めるべきだったか。いや、それでは時間稼ぎにもならない可能性があった。
そも、武器が徹らないなんていうのが、常識はずれだと言うのだ。
まったく。それこそ竜属性の武器でもなければ倒せなかったのかもしれない。
―――いや、竜属性?
霞む視界の中で、押し付けられた地面の視界の先。
其処に転がる、人の腕ほどの三角錐。
「―――――っ、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
血を吐きながら、叫ぶ。
全身を残る気力で賦活し、休眠に入ろうとする細胞に活を入れて。
手を伸ばして、それを握って。そのままソレ――叩き折れたドラゴンの牙を、その持ち主であったドラゴンの額へと突き立てた。
グチャッ!!
「ギオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ―――――!!!!????」
額にソレを突き立てられたドラゴンは、しかし俺を放り出し、空へ向かって悲鳴を上げた。
「ガッ、ゲフッ―――っ、っ、ぐ、……くく、まさか、本当に、そうだとは……」
余りにも出来すぎた話に、血を吐きながらも思わず笑ってしまった。
額から、己の折られた牙を生やすドラゴン。
その一撃は、ドラゴンの鱗を叩き割り、その下にある肉へと一撃を下していた。
「ギオ、ギオオオオオッ!!!!」
「く、くくく……そうしていると、漸く爬虫類らしくなってきたじゃないか……」
地面に叩きつけられた身体を引き起こし、笑いながら、身体中に装備している鎧を脱ぎ捨てていく。
最早ドラゴンに喰らった一撃で鎧は酷く歪み、その機能を完全に終えていた。
こうなっては最早これは邪魔でしかない。今までありがと、黒の鎧。
「ガアアアアアアア――――――――!!!???」
「くくく、驚いてるか、爬虫類」
ドラゴンの顔が驚愕に歪む。
ソレはそうだろう。あれほどの魔力を奪われたのだ。普通の人間なら、ショック症状を起こし、下手をすればソレを原因に死亡とてし兼ねない程に魔力をすわれたのだ。というか、その前に失血死してるか。
……まぁ、腹にも大穴が開いてるし、俺だって何で生きてるんだか少し不思議だが。
魔力とは生命力。
ソレが枯渇すれば、当然だが死にとて至る。
そして今現在。ソレが枯渇しかかっているというのに、こうしてドラゴンへと向かって立ち上がる俺は、奴にしてみればアンデッドの如く不気味に映っているのかもしれない。
「……くく。そもそも、俺は魔力なんて使わなかったんでな……」
「ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!」
言葉半ばでドラゴンが咆哮を上げる。
最早怒り狂ったその瞳に、先ほどまでの見下すような意思は無く、映るのは只々底知れぬ憎悪の色だけだった。
魔力は……戦闘に仕える魔力は、もう無い。闇を扱うだけの集中力も余裕も無い。
だから、俺の本来有るべきものを使う。
気力と言う名の、人が誰でも当然に使う、本来あるべき意志の力を。
「――――アアアアアアアアアアアアアアアアアアアオオオオオオオオオオアアア!!!!」
頭から突っ込んでくるドラゴン。最早その急所を隠すほどの余裕もないか。
――世界が遅い。
流れる景色はスローモーションのようで。脳内アドレナリンがドバドバか。本格的にヤバイかも。
けど、コレならいける。
三戦立ちで小さく立ち、突撃してきたドラゴンの頭を半身突き出して回避。
右脇腹を少し削られるが、その痛みを頭からシャットアウト。そのまま右手掌底をドラゴンの額……其処に突き立つ、ドラゴンの牙へ向かって、思い切りたたきつけた。
体重的な差から、右腕が引かれ、肩に激痛が走る。
それでも、全ての気力を籠めて、そのドラゴンの額の牙へと全体重をかけて。
そうして腕を振りぬき、意識の飛びそうな俺に、更に追い討ちが掛かった。突進してきたドラゴンの身体。頭こそ回避できたものの、その倍以上面積をとるドラゴンの身体に勢いよく跳ね飛ばされて。
バイク……とは言わないまでも、自転車に跳ね飛ばされる程度の威力はあった。
只でさえ限界近かった俺は、その勢いに抗う事ができず、そのまま峰の西側へと突き飛ばされて。
気付いたときには、身体が自由落下を始めていて。
「………………………」
オワタ。
最後の瞬間。視界の彼方。重力に引かれる風の中で。
額から血を噴出し、峰から此方側へと力無く転がり落ちるドラゴンを視認して。
――まぁ、とりあえず役は果たせたな、なんて思いつつ。
俺の意識は、風の勢いに掻き消される様に暗転していった。