第9話 シトリナ
次に目を開いた紫音が次に見たのは、埃っぽい風が吹く不毛の荒野ではなく、白い部屋だった。
壁や床はもちろんのこと、オブジェや調度品まで何から何までが白で統一されている。
あまりにも白以外のものが見当たらないせいで、長い時間いたら狂ってしまいそうな空間。
そのすべてがあまりにも真っ白なせいで境界が分からず、しっかりと目を凝らしても部屋がどこまで続いているのか分からなかった。
「お姉ちゃん!」
背後から声が聞こえる。振り返るとそこには花音がいた。
今の彼女はターコイズブルーの剣ではなく、人間の姿をしている。元通りの花音だ。
「花音……!」
妹が無事であったことを知った紫音はホッと息をつくと、花音の元へと駆け寄ろうとする。だがその足はすぐに止まった。
「……待って。あなたは本当に花音なの?」
「えっ?」
突然示された紫音からの拒絶の色に、花音は足を止めて困惑したような顔を見せる。だがすぐに、その幼い顔に笑みを浮かべた。
「何言ってるの? そうだよ、わたしは花音。お姉ちゃんの電怜だよ?」
(電怜?)
花音の口から出た聞き慣れぬ言葉に紫音は眉根を寄せる。
やはり何かがおかしい。話が噛み合っているようでまったく噛み合っていない。完成したと思っていたパズルが実はピースを無理矢理はめ込んで作られた歪なものだと気づいたような、そんな不思議な錯覚に襲われる。
先程の出来事と合わせて、紫音が更に追及しようとしたその時、
「これ以上はややこしくなる。ここからは余が話そう」
頭上から鈴を転がすような声が聞こえる。
見上げるとそこには白い階段が続いており、その先にはこれまた真っ白な石の玉座が鎮座している。そしてそこには一人の少女座っていた。
少女はその髪も肌も身に着けているワンピースもすべて白でありながら、周囲の白に溶け込んでしまうこと無くその存在感を放っている。彼女の白が、周囲の白を圧倒的に凌駕しているのだ。
そして彼女のすぐ側には、この空間においては異端とも言える黒い燕尾服を着た蔵野が執事のように控えていた。
「あなたは、誰?」
見下ろす紫音から投げかけられた質問に、少女は厳かに、そして大仰に名乗る。
「余の名前はシトリナ。このアンリアルの神だ」
「アンリアル……?」
その言葉を聞いて紫音は思い出す。学が言っていた。自分たちがいるのはアンリアルという世界で、この世界は仮想世界なのだと。
「神様ってことは、あなたがこの世界を作ったの?」
「うん? 思ったより話が早いな。……そうか、確か貴様は倉田学から多少なりともこの世界について説明を受けていたのだったな。やはりプレイヤーは余が最初から説明するより、とりあえずセグメントに放り込んでやる方が何かと手っ取り早いな」
そう満足気に言ってシトリナは双眸を細めて微笑む。全身真っ白な彼女だったが、自分たちを見下ろすその目と口は赤かった。
「その通り。余が仮想世界アンリアルを構築し、ここにいるオペレーターズが一人、蔵野を使って貴様たち人間の身体にナノポートを埋め込み、この世界に招いたのだ」
言ってから「毎回言ってっけど疲れるね、これ」と疲労を訴えるシトリナに、蔵野が拍手をもって労う。
学が言っていたことは嘘ではなかったのだ。やはりこの世界は仮想世界。
そう考えると同時に紫音はシトリナの言葉に違和感を覚える。先程、彼女は『貴様たち人間』と言った。それはまるで、彼女自身は人間ではないかのような物の言い方だ。
まるでそんな紫音の心を読んだかのように、シトリナは不気味な笑みを唇に浮かべる。
「そうだ。貴様が考えている通り、余は人間ではない」
「人間じゃない?」
「余は電怜。人間の脳をリバースエンジニアリングして完全再現した存在……。まああえて貴様に分かりやすいように言い換えれば、人工知能とでも言うべき存在か」
そうシトリナは鷹揚に言う。そのあまりの堂々ぶりに最初は唖然としていた紫音だったが、やがて鼻で笑った。
「有り得ない。人間のように振る舞う人工知能ができるのは当分先だって聞いたことがあるわ。あなたはどう見ても人間でしょ」
現在、未だ人類は自分たちと同等の知能を持つプログラムの開発に成功していない。
もしも人のように振る舞う人工知能の開発が成功しているというのならば連日大きなニュースになっていて、いくらその手の話に疎い紫音でもその存在くらいは知っているはずだ。
紫音の言葉にシトリナは「ふむ」と考える素振りを見せる。
「なるほど、確かに余がプログラムであることの証明は難しい。いわゆる逆チューリングテストと言うやつか。だがしかし、貴様も聞いただろう。先程貴様の後ろの少女が、自分のことを電怜だと名乗ったのを」
シトリナの言葉に紫音は後ろを振り向く。花音はこちらと視線を合わせることなく、じっと下をうつむいたままだった。
確かにそうだ。彼女は自分のことを『お姉ちゃんの電怜』だと言っていた。これまでに知り得た情報と合わせて、果たしてそれが何を意味するのか。それを紫音が考えるよりも先にシトリナが口を開く。
「さてここで一つ余から質問だ。その少女の一挙手一投足、一言一句をどこかで誰かが操作して、演じていると思うか?」
「……」
答えることが出来なかった。
だってあの少女の立ち振る舞いや言葉遣いは完璧に自分の記憶の中にある花音だった。
アレを再現出来るとすれば可能性があるのは両親だけだったが、彼らがこんなことに加担するとは到底考えられない。
そして必然。今度は幾分考える時間のあった紫音は、その奥にある一つの可能性に気づいてしまう。
「い、いや……ちょっと待って……。じゃあ、この花音がその電怜ってことは……!」
「答えは簡単だ。そこにいるのは貴様の本当の妹などではなく、妹を模したプログラムというだけの話」
「嘘、でしょ……?」
まともな言葉が出てこない。呼吸が激しくなり、息が苦しくなる。そんな紫音の反応をシトリナはおかしげに笑う。
「ほう? では聞くが、貴様の可愛い可愛い妹は武器になったりするのか?」
その質問に答える余裕は今の紫音にはなかった。まるで一つ一つ丁寧に追い詰められていくような、そんな錯覚に陥ってしまう。
「あれこそが電怜に備わった機能、武器化。電怜とはこの世界に招かれた人間すべてに与えられる武器でもあるのだよ」
そこでようやく事実を受け入れた紫音は膝を折り、床へと崩れ落ちる。
「じゃあ、この花音は作られた存在……。本物じゃない……?」
そうだ。冷静に考えてみれば、ここがあの世ではなく仮想世界だと言うのなら、彼女が本物の花音であるはずがない。むしろ人工知能であるという方が幾分説得力のある話だ。
学からアンリアルが仮想世界であるという話を聞いた時、自分はその違和感に気づいていたはずだった。でも深く考えることはしなかった。
そんな複雑な真実など信じたくなかったから。だから自分は、違和感から目を背けていたのだ。
「お姉ちゃん……」
そう心配するような声と共に背後から少女が駆け寄ってくる気配がする。だが紫音は、
「来ないで!」
気づけばそう叫んでいた。それと同時に少女の駆け寄る気配が止まる。
恐らく自分の行動に一番驚いていたのは紫音自身だった。
だがそれでも彼女に後悔はない。今、背後の少女に触れられたら、いよいよ本当に気がおかしくなってしまいそうだった。
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