第7話 アンリアル
紫音と花音、それに学とアザミの四人は荒野を歩く。
ひび割れ、荒涼とした大地はあてどなく続いている。時々、ほこりっぽい臭いのする風が紫音の頬を撫でていった。
「さて……一体何から話したらいいだろうか」
こちらに背を向けたまま、学は足を止めずに言う。
色々聞きたいことがあったが、紫音はまず一番気になることについて尋ねてみることにした。
「さっきのあの変な動物は一体何なんですか?」
あの馬のような猪のようなよく分からない生物。あんなものは見たことも聞いたこともない。
紫音の疑問に学は「ああ」とつぶやく。
「さっきのアレは防衛プログラム。セグメントの侵入者を排除するために作られた番犬みたいなものさ」
「プログラム……?」
そこで学は足を止めると、くるりとこちらを振り返って両手を開く。
「ここはね、星宿さん。電脳空間アンリアル。すべてがプログラムで構成されたデジタルの世界なんだよ」
「デジタル……?」
「君も聞いたことあるんじゃないか? バーチャルリアリティ」
「……確か、コンピュータが作り出した世界を本物のように見せる技術……でしたっけ」
確かに最近そんな技術の開発が盛んに行われているという話は、ニュースで見たことがある。ただ――
「でもああいうのって確かすごいパソコンが必要なんですよね。私、そういうのに疎くて……パソコンなんて持ってないし、携帯電話だって未だにガラケーなんですよ」
そんなIT機器の類に無縁である自分が、いつの間にバーチャルリアリティなんて最先端の世界にまでやって来ていたというのだろうか。
紫音の問いに、学は少し難しそうな顔をしていたが、やがて口を開く。
「この世界に来た人間の身体には小さなコンピュータが埋め込まれている……と言ったら君は信じるかい?」
「……SF映画の話ですか?」
一瞬、何かの冗談なのかとも思った。だが学の顔は真剣そのものだった。
「僕が初めてこの世界に来た時、僕にこの世界のことを説明してくれた人はこう言ったよ。『お前の身体にはナノポートが埋め込まれている』ってね」
「ナノポート?」
また聞いたことのない言葉だ。
「僕も詳しくは知らないけれど、聞くところによれば超小型の機械らしい」
「それが倉田さんの身体に?」
「僕だけじゃないよ、君の身体にもさ」
「私の身体にも?」
口には出さなかったものの、紫音は露骨に信じられないという態度を取る。
だがそれも仕方のないことだ。
そんなもの、十七年間生きてきて自分の身体に埋め込まれていたなんて話は、一度も聞いたことがない。
「……君はここ最近、病院に行った記憶はないかい?」
「どうしてそれを……?」
「君はそこで注射を打たれ、その直後に意識を失った……違うかい?」
今日自分の身に起きた出来事を不気味なほど正確に言い当ててくる学に紫音は閉口する。そんな彼女を見て、学は不敵な笑みを浮かべる。
「何でこんなことを聞くのかと言うとね、実は今から二ヶ月ほど前に、僕も君とまったく同じ目に遭ったんだ」
「倉田さんも……?」
紫音の問いに学は首肯する。
「多分、意識を失った後で僕たちは身体にナノポートが入れられたんじゃないかな。そうしてこのアンリアルへとやって来てしまった」
「どうやって入れたのかまではわからないけどね」と彼は付け加える。
学の話を聞いて、紫音は天を仰ぎ見る。
正直、まったくもって胡散臭い話だ。
だが自分と学、まったく同じ目に遭った二人がこの場所にいる。それだけで少しは彼の話に真実味があるような気がした。
学は言う。
「僕たちはそのナノポートによってこのアンリアルに来ているんだ。ログインしている……と言う方が正しいのかな? ただこれほど没入性の高いVR技術も人の身体に埋め込める超高性能な機械も、今のところはまだ存在していないはずなんだ」
「どういうことなんですか?」
「僕らがこんなところにいるのは、謎の超技術を持った宇宙人の仕業、と考える方が自然なんだよ」
そう学はあまり面白くない冗談を言って愉快げに笑った。
* * *
しばらく歩いたところで突然何の前触れもなく、学とアザミの足が止まる。つられるようにして紫音と花音も足を止めた。
安全な場所に出られたのだろうかと紫音は辺りを見回すが、相変わらず周囲は草木一本生えていない不毛な大地が広がっている。
となりの花音に視線をやると、彼女の顔には疲労の色が見える。
無理もない。子供の足で長距離、しかも彼女が履いているのはローファーだ。ここまで文句一つ言わなかったことを褒めてあげたいくらいだ。
ここは一度学に休憩を申し出て、そこから先は自分が彼女を背負って進もうか。
紫音がそんなことを考えていたその時、突然、学のとなりにいたアザミの身体が赤く光り輝く。その眩さに一瞬目を背ける紫音だったが、光が収まるとそこにアザミの姿はなく、代わりに学の手に一本の紅色の大鎌があった。
(やっぱり彼女が武器になっていたんだ……!)
改めて目の前で起きた出来事に驚嘆すると共に、そういえば彼女は一体どういう存在なのだろうという思いに至る。
だが今はそんなことを考えている場合ではない。
学が戦闘態勢に入ったということは、すぐ近くに先程の防衛プログラムとやらがいるはずだ。
「もしかしてまたさっきの奴が近くにいるんですか?」
「いや――……」
学がそうつぶやいた瞬間、
「お姉ちゃん危ない!」
花音の叫び声、それと同時に紫音の服が勢いよく引っ張られる。バランスを崩した彼女は引きずられるようにして後ろへと倒れると、そのまま尻もちをついた。
「突然どうしたの!?」
紫音が振り向こうとした次の瞬間、それまで彼女の頭があった場所を真紅の大鎌が風切り音を上げて切り裂いた。
頭の上の光景に紫音は喉を鳴らす。
もしも花音が引っ張ってくれていなければ、今頃自分の首は地面に落ちていたことだろう。
「外したか」
上から舌打ち混じりの声が聞こえる。慌てて見上げると、そこには大鎌を構えた学の姿があった。
「な、何で……?」
その光景に紫音の口から掠れるような言葉が漏れる。自分の勘違いでなければ、学は今、自分のことを殺そうとしていた。だがそんなはずはない。
彼は襲い来る凶獣から自分たちを護ってくれたいい人のはずだ。そんないい人の彼がどうして自分たちに刃を向けているのか理解できなかった。
慄然とおののく紫音を見て学は口の端を吊り上げる。
「悪く思わないでくれよ。俺は最初からこうするつもりだったんだ。君をここまで連れてきたのは、ここなら防衛プログラムの邪魔も入らないからだ。……悪いね。俺にはもうリソースが無いんだよ!」
一瞬こちらに同情的な視線を向けてから学は大鎌を振り上げる。
正直話している内容は理解出来ない。だが一つ確かなのは、彼が自分たちに対して危害を加えようとしているということだけだ。
もはや、先程までの好青年だった彼はそこにいない。いるのは非現実的な凶器を携えた殺人鬼だった。
逃げようと尻もちをついたまま後ずさる紫音。彼女の手に硬い何かが触れる。
「じゃあな! 悪く思うなよ!」
そう叫んで学が大鎌を振り下ろそうとしたその瞬間、紫音は咄嗟に彼めがけて手に触れた何かを投げていた。それは本来ならささやかな抵抗で終わってしまったはずだったが、
「ギャッ!」
学が短い悲鳴を上げる。
狙いすますこと無く適当に投げたはずの石は、運良く彼の右目にヒットした。学は右目を抑えながら痛みに悶えている。
この好機、逃すわけにはいかない。
「花音逃げるよ!」
紫音は急いで立ち上がると、花音の手を取ってそのまま駆け出した。
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