第47話 脅迫
アガルトリアの作戦室。
そこの床にアリサとエルは出来の悪い生徒の様にして並んで正座していた。
そしてそんな彼女たちの前には、眉間に縦皺を刻む裕貴と、にこやかながら剣呑とした空気を放つ典千紗が並んで立っている。彼ら二人からしてみれば、アリサは自分たちを陥れようとした存在。今まさに、断罪の時が訪れようとしていた。
きっとアリサには逃げるという選択肢もあったのだろう。
だが彼女は逃げることをしなかった。たとえ逃げたとしてもシトリナへの奉納がある以上、リソースを稼ぐためにどうしてもアンリアルに来る必要がある。結局そこで裕貴や典千紗に見つかって、意趣返しされる可能性があるのだ。それを考えれば、彼女に取れる行動は一つしかなかった。
「すいませんでしたーッ!!」
本日二度目のお手本にしたくなるような綺麗な土下座を披露するアリサ。エルも彼女に倣って頭を下げる。そんな二人を見下ろしながら裕貴はやれやれと頬をかいた。
「どうするんだ、こいつら」
典千紗の方へと向ける裕貴の顔には、『殺せと言われれば殺す』とそう書いてあった。そんな彼を見て、典千紗は悩ましい笑みを浮かべる。
「気持ちは分かるけど、ここで彼女を殺したところで何の解決にもならない。それに今回は彼女のおかげで助かったところもある」
典千紗はアリサの前にしゃがんで、彼女の肩に軽く触れる。
「だからさ、一つ脅迫されてみないか?」
「きょ、脅迫?」
何やら物騒な言葉にアリサは期待と不安の入り混じった顔を上げる。
「これから僕がするお願いを断れば、君には普通に死んでもらう」
「ふっ、普通に……」
「結果的にセグメントを落とせたとは言え、僕らは騙されたわけだからね。騙されたままというのは、今後の僕らの面子にも関わってくる」
「そ、それでお願いって……?」
「いいか? 君はこのままエリュシオーネに戻ってセグメントを護るんだ。報酬は三十日ごとにシトリナに奉納しなければならないリソース……ということでどうかな?」
その提案に何かを言いたそうにする裕貴だったが、典千紗は振り返りもせずにそれを片手で制する。
「これで君はまた君の電怜と一緒に過ごすことが出来る。君にとってもこの上なくいい提案だと思うのだけど」
「それは……ここの役に立つことですか?」
「もちろんだとも。ウチは常に人員不足だから大いに助かるさ」
「やります!」
即答するアリサ。そんな彼女の横顔をエルが見やる。
「私、紫音ちゃんを見てて思った。自分の大切な人は自分で守らないといけないんだって。私は直接セグメントを攻略できるほど強くないけど……私もエルくんの存在を消したくなんかない!」
アリサは立ち上がり、高らかに拳を掲げる。
「やらせてください! 私中卒でひきこもりだし……これと言ってやれることは無いけど、がんばってエリュシオーネを護ります! それで今度こそエルくんとの幸せなハッピーライフを守るんだ!」
「幸せが二回出てるぞ」
「うんうん、それだけ幸せってことだね。素晴らしいことじゃないか」
そう軽く流すと典千紗は、背後を振り向く。
彼の視線の先には、黙ったまま壁に寄りかかる紫音の姿があった。
「それじゃ紫音ちゃん、彼女をエリュシオーネまで送ってやってくれ」
エリュシオーネへと向かう紫音たちを見送ってから、裕貴は典千紗の方に向き直る。
「本当に良かったのか? 奴にエリュシオーネを任せて」
「どの道、エリュシオーネの防衛を指揮するプレイヤーは必要だろ? それに彼女の望みは自分の電怜と平和に暮らしたい、であってアンリアルを制したいではないからね。その辺の妙に欲のあるプレイヤー連中よりは、中々信頼できそうだし御しやすそうだ。あと彼女ひきこもりだし、二十四時間いつでも動けるだろ?」
「そんなに上手くいくものかね……」
「無論監視は付ける。エリュシオーネにも彼女にも。……利用させてもらうさ。僕がアンリアルを統一するためなら、たとえ誰であってもね」
何やら覚悟を秘めた瞳を覗かせて、典千紗はふうとため息をつく。
「それよりあっちをフォローしてあげてくれるかな。ロクに声をかけてやれなかった」
典千紗は紫音のことを思い出していた。
エリュシオーネから帰還してアリサの見送りに再びエリュシオーネに向かうまで、彼女は一度も口を開くことは無かった。エリュシオーネ攻略成功に歓喜することもなく、ただ視線を床に落としたまま――まるでひたすら自分の無力さを呪うかのように。
本当のところを言ってしまえば、別にわざわざ紫音に送らせなくても、ここから直接エリュシオーネにアリサを転送することは出来たのだ。
だけど、それでもあえて典千紗が紫音に見送りを任せたのは、果たしてどう彼女に接していいのか分からなかったからに他ならない。
典千紗の『フォローしてやれ』という言葉に、裕貴は露骨に嫌そうな顔をする。
「何で俺が。嫌われ者の俺は適任じゃない」
「僕だって違うさ」
「俺よりはまだお前に心を開いているだろ?」
「裕貴は彼女の戦いの先生だろ?」
「戦いの先生の仕事は子守じゃ――」
言いさして、面倒事の押し付け合いが始まってしまったことに気づいた裕貴は一つ咳払いをする。
「……奴はアンリアルに来てから今まで奪うだけだった。それが今日初めて奪われる側になった。だがこんなことは、奴がこのゲームを続けるならばこれからも起こり得ることだ。他人から奪うならば、同時に奪われる覚悟が必要だ」
「それは真理かもしれないけども、彼女は普通の女子高校生だ。あまりに厳しすぎるよ」
「アンリアル攻略は、奴が自分で進んで始めたことだ。別に奪われるのが嫌なら今からでも止めればいい。誰も止めはしないさ。ここで折れる程度ならばやはり奴にアンリアル攻略は無理だった。それだけの話だ」
アンリアルは不自由なようでいて、実は選択肢のある自由な世界だ。戦うことが嫌なら非武装地帯でリソースを稼ぎ、三十日ごとに訪れる奉納をしのぐことが出来る。
だがそれは裏を返せば、他のプレイヤーを殺す理由を誰かのせいに出来ないということにもなる。奪うことによって結果自分も奪われるのが嫌だと言うなら、裕貴の言う通り止めればいい。リソースを手に入れる手段なら、殺す以外にいくらでもあるのだから。
「それにやはり俺もお前も、あの女を支えるような役どころじゃないさ」
言って裕貴は、常に紫音のそばにいる少女の顔を思い出す。
「もしあの女を支えられるとすれば、それは一人しかいない」