第37話 無手VS.鉄甲
力負けした紫音は、にじり寄る渉に圧され、一歩、また一歩と後退を余儀なくされてかいた。
一方で、渉は顔に余裕の笑みを浮かべている。
「君がさっき言ったとおり、君の電怜とアリサを殺す。そして君には、僕がアンリアルを統一するまでずっとあの檻の中にいてもらう。これ以上君を危険な目に遭わせるわけにはいかない。今度こそ僕は君を守る」
「守る?」
「ずっと後悔していた。花音ちゃんを亡くして、一人傷つく君に何もしてあげられなかったことを。君がそんな偽物に頼らねばならないほど追い詰められていたなんて」
「今更うざったい! そういうのを余計なお世話って言うのよ!」
隙を見て紫音は渉へと飛びかかると剣を振り払う。
力負けはしているかもしれないが、リーチでは負けていない。然らばそこに突破口があるはずだ。だが――
「あっ!」
まるでこちらの攻撃を見抜いていたかのようにして、渉の正確無比なカウンターが放たれる。
打ち込まれた拳の勢いに耐えられず、紫音の手の中から剣が弾かれた。
剣は遠く壁際のアリサの足元まで転がる。
「リーチは確かにそちらが上。だが、間合いにさえ入れば僕の方が早かったな」
泰然と語る渉に対して、鈍く痺れる腕を抑えながら紫音は歯噛みする。先程彼が見せた隙は自分を引き込むためのハッタリ。そして自分はまんまとそれに引っかかったのだ。
「さあ、君の武器は無くなった。さっさと投降してくれ」
そう静かに告げる渉だが、この程度で諦めるつもりなど紫音には毛頭ない。彼女は弾き飛ばされた剣へと視線を向ける。
(どうする? 花音の武器化を解除してこちらに来てもらうか……?)
一瞬そんなことも考えたが、それでは生身の状態になった彼女を危険に晒すことにもなりかねない。きっと渉は躊躇なく花音を攻撃するだろう。武器化した状態というのは、戦闘の際は電怜にとって一番安全な状態なのだ。
一方こちらの視線に気づいたのか渉は、冷ややかな笑みを浮かべる。
「変な期待はするな。君が電怜と合流するよりも先に、僕は君を気絶させることが出来る」
「気絶? 随分と優しいのね」
「君を殺したくはないからな。それに君には僕をアガルトリアに導いてもらう必要がある。大丈夫。加減はしよう」
そう言うと渉はこちらへゆっくりと拳を振り上げる。
殺すのではなく、気絶させようという慈悲によって大いに加減を加えられた拳。その拳がこちらへと迫るその瞬間、紫音は渉の手首を外へと弾いた。
果たして、軌道を逸らされた拳は、あらぬ方向へと撃ち抜かれる。
「あ?」
想定外の出来事に間の抜けた声を上げる渉の顔めがけて、今度は紫音の拳が振り抜かれる。
振り抜かれた拳は渉の顔面数センチ前で受け止められ、彼の顔を穿ちぬくことはなかった。
それでも紫音の一連の動きは、渉を驚かせるには十分だったらしい。声音に驚きの色を滲ませ、渉は尋ねる。
「受け流しに正拳突きとは……君も何かを習っているのか?」
「別に……ただの我流よ」
そう答えながらも、紫音はアガルトリアの格技室で、徒手格闘の講義を受けていた際の裕貴の言葉を思い出す。
『お前とお前の電怜の相性はいい。このゲームにおいて電怜との相性は、プレイヤーに付与されるギフトの度合いに大きく影響する。電怜と距離が離れてしまい、武器を取れないタイミングもあるだろう。そんな時は参考にするといい。まずは己の強みを理解しろ』
腹の立つ男だったが、今だけは少し感謝も出来ると言うものだ。
紫音が拳を引くと、自分の拳を捕らえたままだった渉の身体が前へと引っ張られてバランスを崩す。
すかさず拳を手放して態勢を立て直そうした彼の顎を、今度は紫音の振り上げた足が掠めた。
攻撃を回避した渉は後ろへと飛び退って紫音から距離を取る。
「……なるほど、剣がなくても少しは戦えるってことか」
「そういうこと」
そう言って涼し気な顔を見せる紫音だったが、彼女は内心、冷や汗をかいていた。
素手でまともに鉄甲と殴り合うなど狂気の沙汰。そんなことをすれば、自分の手はいともたやすく粉砕されてしまうことだろう。それに、自分のにわか仕込みの格闘技など、鉄甲の電怜からギフトを与えられた彼には通じるはずがない。
だからこれはあくまで応急処置的な戦い方。
電怜相手に真っ向から挑むのならば、電怜以外では勝てない。これはこの世界における揺るがぬルールの一つだ。今の紫音は戦いの土俵にすら立てていない。
(なるべく早く花音と合流しなきゃ!)
だがそんな紫音の考えなどお見通しとでも言うように、渉は花音のいる方を背に、立ち塞がるようにして身構える。
続けて、今度は先程よりも僅かに速度を増した拳が放たれた。
何度か攻撃に転じようとした紫音だったが、やはり渉とは違い徒手格闘はド素人の身。予想通り、拳をかわすだけで精一杯だった。
(このままじゃマズイ! 何とか状況を打開しないと!)
迫りくる拳の連撃に、紫音の中で焦燥が積み重なっていく。