第36話 癖
「侵入困難と言われるアガルトリアだが、入るためにはいくつか方法がある。一つはアガルトリアに所属すること。そしてもう一つがアガルトリアのメンバーを伴ってあの大穴に落ちることだ。僕がアリサを使ってここにアガルトリアのプレイヤーを招いたのは、プレイヤーを生け捕ってアガルトリアに侵入するためだったんだ」
「プレイヤーの生け捕り? そんなこと出来るの? コアエリアならいざ知らず、コアエリアの外に出てしまったらログアウトして逃げられるんじゃないの?」
「君もある程度この世界のことを知っているみたいだね」
複雑な表情を浮かべる渉の横に、光とともに銀色の檻が現れた。
まるで鳥かごを大きくしたようなそれは、大人数人が余裕で収まってしまいそうな大きさだ。
「何それ?」
「これはクノスの檻っていうプログラムなんだけど、これ自体が小さなコアエリアなんだ。加えてこの檻は電怜を使っても壊すことが出来ない。つまりこの檻に捕まった人間がどうなるかと言うと――」
「セグメントに所属していないプレイヤーは、コアエリアからはログアウトできない。つまり誰かに出してもらわなければ、その檻の中から……アンリアルから永遠に出ることが出来なくなるということね」
自分の言葉に続いた紫音の答えが満足するものだったのか、渉は笑顔でゆっくりとうなずく。
「その通り。だからこいつでアガルトリアのプレイヤーを捕まえた後、一緒に大穴に落ちれば、アガルトリアに侵入するための条件である『アガルトリアのメンバーを伴ってあの大穴に落ちる』を容易に達成出来るというわけさ。……だけど、アガルトリアのメンバーである君が僕に協力してくれるならこいつも必要ない。紫音、僕と一緒にアガルトリアを攻めよう」
そう言って渉は紫音へと手を差し伸べる。
なるほど、彼がアリサを使ってアガルトリアのプレイヤーをエリュシオーネに呼び込んだ理由はよく分かった。
だが紫音には、まだ気になることがあった。
「その手を取る前に聞きたいことがある。花音のことはどうするつもりなの?」
「君の電怜のことか? そんなに彼女のことが大切か?」
「彼女をアンリアルの崩壊から救うことこそが、私がアンリアルを攻略する目的よ。一番大切だわ。どうなの?」
その問いかけに僅かに眉間にしわを刻む渉だったが、やがて顎を撫でて言う。
「……どうもしない。君の望み通りだ、何もかも。何ならアリサの身の保証も付け加えてもいい」
「……そう」
短くつぶやいて、あまりにもあっさりと、紫音は渉へと突きつけていた剣を下げる。その行動に彼は安堵したような笑みを浮かべた。
「ありがとう。君なら僕の味方になってくれると信じていたよ」
「い、いいの……? アガルトリアの人たちを裏切ることになっちゃうんじゃ……」
二人の様子を見守っていたアリサが、紫音に対して不安げに問いかける。だが紫音は肩をすくめると渉の方へと歩み寄った。
「別にアガルトリアの連中に大した思い入れは無かったしね。あいつらと一緒に行動するくらいなら、渉との方が気楽にやれそうだわ。それにあなたも良かったじゃない、身の安全を保証してくれるってさ」
「それはそうだけど……」
それでもアリサは相変わらず釈然としない顔のままだった。
『お姉ちゃん……』
花音の複雑そうな声が聞こえる。
心優しい彼女は紫音と違い、アガルトリアの面々を裏切ることに後ろ向きだった。短い付き合いとは言え、彼女には彼女なりに彼らに対して思い入れもある。ただそれでも姉が自分のやりやすい環境で戦えるならそちらの方がいいと、そう考えているのだ。
「紫音、今アガルトリアに戦力は?」
「一人だけ、非戦闘要員が留守番で残っているだけよ」
「結構。何かと秘密の多いアガルトリアだったけど、思った通り大した数の人員はいないらしい。そりゃそうだ、人が多ければ多いほど内部の秘密が漏れる確率は高くなるからね」
「エリュシオーネには何人所属しているの?」
「僕たちもそう人数は多くない。僕と、先ほど君が戦った梵の二人だ。これで君が加入してくれれば三人になるかな」
「……そう。もうこれ以上、他にプレイヤーはいないのね。それだけ聞ければいいわ。ありがとう」
次の瞬間、渉の身体が固まる。
背後に感じる何かに、渉が恐る恐る振り返ると、そこには彼の背中に剣を突きつける紫音の姿があった。
「……どうして?」
困惑げに尋ねる渉。そんな彼に紫音は僅かな物悲しさと郷愁を覚えながらも告げる。
「相変わらず、あなたは嘘つく時に顎を撫でるのね」
紫音の頭には過去の記憶が過ぎっていた。
学校の宿題を忘れたことを言い訳する時も、おやつを一人黙って多めに食べたことを隠す時も、三人でしたいたずらの罪を自分一人で被ろうとした時も。
そして、花音のことをどうするつもりか問いかけた時も……。
(何一つ、変わらないのね)
小さく息を吐いてから紫音は続ける。
「あなた、花音には消えてもらうつもりでしょ? ついでに言えばアリサを見逃すつもりもない。私の協力を得てアガルトリアを制圧。その後、タイミングを見計らって花音とアリサを殺す……ってのが、今その賢いお頭の中に描いている絵ってとこかしら」
彼女の言ったすべてが図星だったのか、歯噛みする渉だったが、
「目を覚ませ、それは本物の花音ちゃんじゃない! 花音ちゃんの様に振る舞っているだけのプログラムだぞ! 君がその電怜のためにこれ以上危険を冒す必要は無いんだ!」
そう絶叫するように背後の紫音へと言い放つ。だがその懸命の言葉は、彼女の心を動かすには至らなかった。
「嘘つきの言葉に耳を貸せるような余裕は今の私には無いの」
冷然と渉の叫びを切り捨てると、紫音は剣を振り上げる。刃はディスプレイの光を反照して、碧色に光った。
アンリアルにおける姉としてのルールは未だ健在。花音に仇なす存在であれば、たとえそれが幼少のみぎりを共に過ごした相手であっても容赦する気は無い。
心の隅にあった僅かな躊躇いを殺意でかき消して、紫音は剣を振り下ろす。
渉との思い出も縁も、何もかもを断ち切るような容赦の無い一撃。
だがその瞬間、渉の身体がくるりと翻ると同時に刃が弾かれた。
そこから更に二度三度と金属同士のぶつかる音と共に火花が散る。
まるで弾丸のような威力の反撃に耐えかね、紫音は背後へと大きく飛び退った。
渉から距離を取ったところで、紫音は彼の両拳にはめられたゴツゴツとした金属の塊を見て取る。金と黒に彩られたそれは鉄甲だった。
「君にこれ以上危険な真似はさせられない。」
空気を切るような鋭い音と共に彼の拳が宙を切る。
先程、自分の攻撃を防いだのはあの鉄甲に違いない。電怜による攻撃を防いで傷一つ無いところを見るに、あれこそが渉の電怜が武器化した姿という事か。
「へぇ、中々格好いいじゃない」
「……君が花音ちゃんを亡くしてから、僕は君のために何か出来ないかと考えていたんだ。強くあらねばならない。そのために色々学んできたよ。これもその一つさ」
「臆病者のわーくんって呼ばれていたのは遥か昔の話ってことかしら」
「そういうことだ。それと、」
渉の姿が消える。果たしてどこへ消えたのかと問うている余裕はない。
「昔話に花を咲かせている時間は、ない」
背後から聞こえるその声に、紫音は迷いなく振り返りざまに一刀振るう。
だが渉めがけて振るわれた刃は、またしても鉄甲によって弾かれてしまった。
力負けした紫音の身体は背後へと飛ばされ、勢いのままにたたらを踏む。
「紫音、君がさっき言った言葉には続きがある。僕は君の協力を得てアガルトリアを制圧した後、君の電怜とアリサを殺すつもりだった。……そこまでは正解。だが肝心なのはその後の話だ」
渉は鉄甲で背後の檻をゴンゴンと叩く。
「僕はね、君にこの檻の中にいてもらうつもりなんだ。僕がアンリアルを統一するまでね」