第二話 暖簾に腕押し
突然ですがわたくし、酔いが覚めました。何故ってそれは、この川ぜってー三途の川じゃねーだろって事件が起こったから。
なんと下流の方へ川沿いに歩いて行けば村をひとつ見つけてしまったのです。
三途の川の近くに村があるなんて話私聞いたことありませんことよ。ちゅーことでコンコンと一つの家のドアを叩いたのですが…誰も出てくる気配がない。すんませーんと呼びかけたのですが、反応無し。致し方無しとそこいら中全ての家々にピンポンダッシュならぬノックダッシュしたのですが…なんとこの村の家全てから、返事どころか人の気配すらもすっかり無いと気付いてしまったのです。
ひょっとしてここはゴーストタウンなのか…と外国風に言うとゴーストな私が高度なギャグを呟いた時、そいつは現れました。
「ゔおお…」
わお。ゴースト。
人間が頭から薄くてボロボロの布を被り、その布の目鼻口の部分に穴を開け、そのまま人間をくり抜いた感じのものがふよふよと浮かびながらこっちに来ているのが見えたのです。
まあ、こいつが私の酔いを覚ました原因です。
今の今まで心霊体験なんてした事無かった私。ひっと短い悲鳴の後、腰を抜かしてその場にへたり込んでしまいました。
え?も、漏らしてないよ。うん。ほ、ほら。これ雨水だから。ちょうど尻餅ついたとこに黄色い水溜りがあっただけだから。
…ま、まあ、その時ですよ。恐怖か何か知らないけど、変な方向に脳がパチリと活動しまして。
あんなベタな幽霊見た事ねえ!→俺も幽霊だけどちゃんと人型じゃん!→て事はあいつニセモンじゃね??→じゃあ近くで操ってる奴いるんじゃね??→ふざけた事しやがって!見つけてぶん殴ってやる!
と脳内緊急会議での結論が出た時です。恐怖心がすうっとなくなり、代わりに怒りがふつふつと湧き上がってきたのです。
折角痛い思いをして死んだというのに三途の川のほとりにほっぽりだされ、閻魔様に裁かれようにも船がないので会いにも行けぬ…
こんな中、低予算の新人が作ったやっすいドッキリ番組のターゲット役の様な扱いを受けて、怒らないはずがありません。
怒りですっかり脳筋になってしまった私は、とりあえず目の前のそいつをぶん殴ってみる事にしました。
一、二歩踏み込んで…
「オラァ!」
渾身の右ストレート!
近付いて来るだけで何もしなかった?そいつの土手っ腹に上手い事クリーンヒットした私の拳はしかし、まるで暖簾を腕で押したような僅かな抵抗を受けながら、肘をボキリと鳴らすことでその進撃を止めたのです。
「あっ…」
その時、私は思い出した。ゲームなどでよく見ていた『属性』の相性、ノーマルタイプの技はゴーストタイプには効果が無いことを…
ハッハーン!なるほどなるほどー!そうですかー!魔法とか使えってか!ふざけんな!
冷静に考えれば先程までの誰かがゴースト操ってる説が頭から抜け落ちてたことに気付くのだが、攻撃が無効化された事で不完全脳筋から完全脳筋へと変貌したこの馬鹿野郎は意識を目の前の布切れの可能性へと全集中させていたのです。ゴーストの遥か後方から忍び寄る、謎の怪しい集団に気付きもせず…
「ごあぁ!」
ひえっ。こ、こいつ怒りやがった!大してダメージ受けてねえくせによ!(皆さんは冷静だ。ゴーストの立場に立って考えてみよう!見知らぬ人がいたから話しかけようとしたらいきなり殴られたぞ!)
くっそ…右肘も痛いしここはションベン…いや、雨水で丁度ぬかるんでる…戦うには不利だな!逃げよう!えっ?いやいや、怖い?そんなことないって!足元の水溜りが増えてるって?それはあれだ!…地下水だ!そう!地下水がしみだしてきたんだよ!とっ、とにかく逃げっぞ!
勢い良く方向転換した私は、幽霊とは逆方向に走り出そうとしました。しかしそう上手く事が運ぶ筈も無く。
ずるり。
そう、例の謎水溜りによって足を滑らせたのです。
「ぶえっ!」
どちゃりと水溜りに強かに顔面を打ち付けた衝撃でバウンドし、(方向転換の時の遠心力がまだ働いていたのか)くるりと仰向けへと向きを変えたあと、また強かに後頭部を打ち付けるというスゴワザを難無くこなす私は一度死んだだけの普通の30歳おじさん。『頭部を強かに打ち付ける』って競技があればオリンピックにも出られる実力者である。
そんなおじさんも最早死にゆく運命なのか。身体中からメラメラと炎を出してパワーアップした様子のゴーストがゆっくりと近付いてくるなか、ゆっくりとその意識を手放していくのであった…