hymn:ささげまつる
やあ、よく来たね。
君を引き取ってから何年たったかな。冬が五回きたかな。時のたつのは実に早いものだ。
タキオンの波動を捉えて操ることは、実に難しい。いずれ時間流を自在に扱えるようになるとよいのだが。
それにしても面と向かって会うのは、ずいぶん久しぶりだ。
君は私の子になってからというもの、ぶすぶすに燻っていたね。今も絶賛、焦げ付き中のようだ。
まあ、わけのわからぬ私に困惑したのは無理もない。どうせ聞いても、わけのわからぬ答えを返されるだけだと予測し、諦観するのも当然だ。
「……」
はは、いつものようにだんまりか。
それにしてもまあ、ひどいものだね。家には寄り付かないわヤクはやるわ警察にしょっぴかれるわ。そのぼろぼろのジーンズはなんだね? どこをどう見ても、りっぱなワルに大成長だな。
いやでも、私から逃げて大正解だよ、アーノルド。
「……」
遺産受領手続きの書類は、その卓の上の封筒に入っている。まあなんだ、臨終を迎えようとしている病床の養父に、のこのこ会いに来てくれてありがとう、アーノルド。
「……」
ふふ。あと十七回呼べば、私の勝ちだよ。アーノルド。
「?」
私は決して君に怒らない。
アーノルド。
アーノルド。
アーノルド。
愛する息子の名を呼んで、ただほほえむ。ああそんなに歯を食いしばって、私を睨まないでくれ。
狂っていることは自覚している。おのれは異様だと、私はちゃんと感じているよ。
君に家出されるのは当然のことだと。
ずいぶん痩せてしまったこの体、本当ならばだれにも見せたくはない。こんなにひからびてベッドに横たわっているなんて、なんと情けない体たらくか。錬金をたしなむ科学者ならば、死を超越してしかるべきなのに。
君もそう思うだろう、アーノルド?
「……」
そんなに眉をひそめなくていい。私が秘匿してきたものは、いまここで開示される。
説明しよう。君の足元にある、その絨毯。それは私が開発精製した特殊な科学魔法陣だ。この中で六百六十六万六千六百六十六回、死者の名前を対象物に唱えると、死者の魂が降りてくるのだよ。
「……?!」
そう、君の体は、私の息子のものになるんだ、アーノルド。
ふふ、苦虫をつぶしたようなすごい顔だね。
完全に、迷信くさい世迷いごとだと思っているのだね。
しかしその絨毯、見覚えがあるだろう?
我が家のそこかしこに敷いてあるものだ。君はただのトルコ絨毯だと思っていたようだが、この魔方陣は、互いにリンクしあっている。カウント機能もついていて、私が何回息子の名を唱えたか、繋いである私の端末にすぐ表示される。
「っ……」
六百万回なんて途方もない数のように思えるかい?
そんなにアーノルドと連呼された覚えはないって?
しかしね、どうしても失いたくないものを取り戻すためならば、かける労力にたいして辛さなど感じないのだ。無に等しいのだよ。
ひきとったばかりのころ、夜にひたすら、眠っている君に名前を連呼した。しかし残り一万回で夜の耳打ちはやめた。儀式を開始して、三日目のことだ。
「……! ……!」
どうして連呼をやめたのか、眉をひそめる君に打ち明けよう。
容易に答えが予測できることだろうが……ベッドの中で眠る君が、かわいらしい顔を涙でぼろぼろ濡らしていたからだよ。僕はアーノルドじゃないと言いたげにね。
それがゆえに私は、逡巡の迷宮をさまようことになってしまったのだ。まったく、柄にもないことに。ああでも、あと九回で儀式は完了する。はやく、その科学魔法陣から逃げたまえ、アーノルド。
君のいいたいことはその表情からよく分かる。
サンタはいない。君のママは天使じゃない。歌っても、天使はおりてこない。
そう言いたいのだろう?
死者を蘇らせることなどできはしないと。
ただの迷信、絶対ありえないことだと。
「……! ……っ!」
図星を突かれてびっくりしたかい? 君の気持ちなど、手に取るようにわかるさ。言葉は出ずとも君の表情は実に豊かだ。神父がずいぶん心配していたが、君は実に立派なおとなだよ。
なにもかもあきらめ、なにもかも捨てた。
幼く、いまだ夢見る私とは正反対だ。なれど私は、ただ結果を夢想しているわけではない。
私は曲がりなりにも科学者だ。信念とは、この手で叶えるものだと心得ている。
この術式は必ず成功する。なぜなら――
「あなた……やめて!」
ああアネット、我が妻よ、ようこそ。
ごらんアーノルド。
彼女の、清楚な白のワンピースに包まれた、全く老いない機械の体。そのつややかな白磁の顔に浮かべる表情を。
青白い顔。やつれて腫れた目。彼女は私との別れを哀しんでいる。看病も実に献身的だ。私を愛していると、何度も囁いてくれる。これはAIに入れられたシステムではなく――
「逃げて! その絨毯から離れて! ここからいますぐ出ていくのよ。私の子に体を奪われる前に!」
目を見開いたね。ふふ、気づいたかな。そう、私はかつて機械の体に妻の魂を入れたのだ。
あきらめることなど、一度も考えなかった。無我夢中でシステムを構築し、魔法陣を発明した。
見事な成功例があるのだから、息子のために試さない手はないだろう?
アネットの場合はこれで最善だったが、病で亡くなった息子には最適解ではなかった。いきなり大人サイズの体に入れるのはかわいそうだし、それに私は、息子が成長する姿を見たかったのだよ。
だから君を選んだのだ。
美しい声で歌う美しい少年。息子にそっくりの君を。
「こっちへ……あう!」
アネット、邪魔をしないでくれ。この子を逃してもらっては困る。
「お願いやめて。これは悪魔の所業よ……あなた、さんざん悩んだじゃな――……っ!!」
「!?」
アネット、しばらく大人しくしていてくれ。
すまないね、しゃがませて。体の自由も声も、奪ってしまって申しわけない。しかし残念ながら君の意志は、今この場では必要ではないんだ。ふふ、もとよりこの子の名前は言えないように細工していたけれど、今回はこの端末機で、君の動きをすべて制限させてもらうよ。
「ぁ……!」
はは。危なかったな。アネットが君の名前を叫んでいるよ、アーノルド。
必死に口をぱくぱくさせて、君の名を。
我が子の名前を叫べばよいのにね。でも彼女は、とても正義感が強いんだ。私たちは君を巡って何度も喧嘩したよ。たしかにこれは非道な儀式だ。でも私はおとなではないから、決して君を息子にすることをあきらめはしないんだ。
こういうたちだから、君を儀式から解放することはできない。しかし私は本当に、自分のことを罪深い奴だと思っているよ。
だからその絨毯から離れたまえ、アーノルド。
もうあと数回しか猶予がないぞ。
単にここを離れるのもよいが、おすすめは自分の名前を言うことだ。たった一度でいい。そうすれば魔法はとける。別の名前で呼ばれたら、器にたまった魔力は消える。儀式は一からやり直しになるからね。
「く……!」
おや……どうして逃げないのかね?
なぜ名前をいわないのかね? なぜ魔法陣から動こうとしないんだ、アーノルド?
ああ……
奇跡なんて起きない、そう信じているからか。
私が望む結果には決してならないと、その身で証明してみせるつもりなのだね。
だが顔色が悪いぞ。足もがくがくだ。ずいぶん震えている。
無理をしないで、そこから数歩下がりなさい、アーノルド。
「……! ……!!」
もうあとがない。
たった一回、自分の名前を言うだけでよいのだよ、アーノルド。君の名を、さあ。
「……っ!」
ああ、裏付けと正当性がほしいのだね。おさない君は、殺されるしかなかったと。
でも私は信じているよ。決してあきらめない人種だからね。
サンタはいるのだよ、アーノルド。
君を産んだママは、天使になった。
歌えばきっと、天使が降りてくるだろう。君のそばに。
「!!!!」
さあ、あと一回だ。これで最後だ。あと一回呼べばようやく、我が儀式が完了する。
迷宮をさまよったせいでずいぶん時間がかかったが、これで君は私の息子になるのだ。
本当にそこから動かなくていいのかね? ふふ、頑固だな。
「し……ない……っ……たい……に!!」
そうか。絶対に信じないか。ありがとう。君の選択は私にとって最高の結果を産むだろう。
では、これでさらばだ……
「ぜったいに、しんじな――」
「………………リシャル」
「え……」
……。
……。
……。
……。ああ……口が滑ってしまった。
魔法陣から魔力が失せていく……。
「う……」
六百六十六万六千六百六十五回。一所懸命、息子の名を呼び続けたのに。最後の最後で。
ふふ。ふふふふ。はははは。
「ううう……とーさ……」
やり直す時間はもうないだろうな。ああまったく、我ながら詰めが甘すぎる。
これでは私の技術が完璧だと、この子に証明できな――
「父さん……父さん! 父さんっ!!」
はは、ちゃんと声が出せるじゃないか。
「死ぬなちくしょう!」
実に良い声だ。まるで羽か翼か、生えているようだ。天へと通る澄んだ音色。
また歌うといい。きっと天使は降りてくる。
できなければできるようにするのだ。
それが。
科学者の矜持というものだ――