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hymn:主よ、みもとに近づかん

 僕は夢見てたんだ。

 いつだったかママが話してくれた、天使が現れることを――

 

『天使はね、きれいな歌に惹かれて天から降りてくるの。だからみんな、教会で歌を歌うのよ』


 それはほんとのことだと、幼かった僕は心の底から信じてた。

 だから四六時中、歌ってた。いつでもどこでも。

 教区の教会だけでなく、自分の家でも。

 賛美歌だけでなく、自分で適当に作った歌も、たくさん。たくさん。

 かみさまのこと。怒るたいようのこと。泣いてるつきのこと。ささやくほしのこと。

 かぜやひかりや、ことりやむし。かわいいいぬやいじわるねこ。

 それから、僕とパパのいろんなこと。

 まわりに人がいることなんて、全然気にもしないで、いっしょけんめいうたってた。

 

 初等学校にあがったころ、聖歌隊に入った。

 荘厳なるお御堂の、高い高い丸天井へと、僕はうたごえを飛ばした。

 そこにはドームの内側をなぞるように、空舞う天使の壁画が描かれていた。

 だから僕は歌いながら、必死に祈ったんだ。


 どうか僕の声があなたにとどきますように。

 眼の前に、あなたが降りてますように。


 だってほんとに信じてたんだ。

 きれいな歌を歌えばいつかきっと、白くてきらきらしたあの天使が、僕のもとに降りてくるって。

 舞い降りた天使は、僕をだきしめてこう言ってくれるだろう。


「会いたかったわ、リシャル」


 天使はきっと、僕の頭のてっぺんにキスをしてくれる。

 僕の話をいっぱい、いつまでも聞いてくれる。

 それからこんがりおいしいガレットを焼いてくれて、僕のズボンの穴をふさいでくれるだろう。


「僕も会いたかった」


 天使を抱きしめ返してそう言おうと、僕は毎日待ちかまえていた。

 うたごえを飛ばしながら、ずっと期待していた。

 だってママのお葬式のとき、ぼろぼろ泣きじゃくる僕に、神父さまが言ったんだ。

 片膝をついて、僕の頭にぽんと、大きな手をのせながら。


『泣いてはいけない、リシャル。君のお母さんはあそこにいる』

 

 神父様の指の先に見えたのは。蒼い蒼い空を舞う、白い天使――


 僕はママも神父様も、大好きだった。

 だからずっと信じてたんだ。一所懸命うたえば、天使(ママ)が降りてきてくれるって。 

 

 届け。届け。飛んでいけ。

 まだだめ? これではだめ? 

 僕のうたごえはきれいじゃないの? どうして、天使はおりてこないの?

 何が足りないの? 飛ぶ力?

 高く高く飛ぶために要るのは、翼? それとも羽? 声にどうやってつければいいの? 

 どうやって……


〈主はみもとにいまし〉

「リシャル」


 あんなに悩んで考えて。何度も何度もうたって。何度も何度も泣いたのに。


〈つねに見守りもう〉

「リシャル・ローゼンフェルド」

 

 今は口すら動かせない。


〈罪咎憂いを取り去りたもう……〉

「リシャル・ローゼンフェルド! 声を出しなさい」

 

 今の僕は、うたえない。ほんの少しも声がでない。

 ママ。

 ママ。

 年をとって、僕はいろんなことを知った。

 どうあがいても、あなたには決して会えないと知ってしまった。

 

 だからもう二度と。

 うたえない。



 


 ママが死んで五回目の夏がきたとき、パパが死んだ。

 夕方突然、家政婦さんがグスグス泣きながら、パパは飲酒運転の交通事故に巻き込まれたんだと説明してくれた。ひどいざんざん降りの雨が、霊安室の窓に打ち付けていたけれど。家政婦さんのすすり泣きが、その嵐の音を打ち消した。

 

『リシャルだまって! もう歌わないで!』

『パパもママとおなじ、天使になったんだ。う、うたえばきっといつか……』

『そんなこと、あるはずないわ! 人は死んだら、それで終わりなの! 気休めなんか言わないで!』


 気休めなんかじゃない。死んだらなにもなくなるなんて、嘘に決まってる。

 人の御魂は天にのぼって天使になるんだ。

 神父様がそう言ったんだから。

 そして天使は、きれいな歌にひかれて、降りて来るんだ。

 ママが、そう言ったんだから。

 

 パパ、戻ってきて。

 ママ、降りてきて。

 

 僕は必死にうたった。何度も何度も、泣きながらうたった。

 でも天使(ママ)はいつもと変わらず、教会の天井画の中でほほえみを落とすだけ。

 パパの魂もついぞ降りてこなかった。

 そうしてお葬式のとき。僕はパパが、家政婦さんと婚約していたことを知った。

 教会の庭園のはじっこで、涙をこぼす家政婦さんを、神父様はやさしく慰めていたんだ。


「あの子のことは私に任せなさい。君は新しい人生を」

「でもあの子、心配だわ。歌ってばかりで。死んだ人は天使になるって。歌えば天使がおりてくるって、固く信じているのよ」

「私のせいですね。幼い子供をなぐさめるために、少々嘘をついてしまいました。守護天使になれるのは聖人だけだというのに。でもおいおい、あの子も分かるでしょう」 


 嘘? ママは天使になってない?

 そんな――


 神父様は、嘘つきだった。でもママは……

 ママが僕に嘘をつくはずはない。そんなことするはずない。

 たしかめないと。でもだれに? 

 神父さまは嘘つきだ。ならば、クラスの友だちに……。

 

「うたうと天使が降りてくる? そりゃおまえ、子供むけのおとぎばなしだろ」

「でもそれってすてきな想像ね、リシャル」

「フェアリーテイルっていうの。おもしろーい」

「え? まさかほんとに信じてんの? おまえってもしかして、いまだにサンタさん信じてるとか、そんな系?」

  

 だれに聞いても答えは同じ。


「素敵なお母さんだね、リシャル」


 みんなママを褒めたけれど、その話はほんとだと、うなずいてくれる人はいなかった。

 僕はだまされてたんだと、みんなは言った。でも僕は、みんなの方が嘘をついてると思いたかった。

 だから幾人かのともだちと、大げんかしたけれど。もうだいぶ前から、頭のかたすみにいるもうひとりの僕が、怒鳴ってきた。


『あきらめろよ、リシャル。いいかげんにみとめろよ。

 この世界にサンタはいない。ママは天使じゃない。天使は歌にひかれて降りてなんてこない。

 もうだいぶ前から、知ってたことじゃないか』


『黙れよ。また殺すよ?』


『おまえこそ、もう消えろ。幼稚園児!』


 決着をつける戦いは、七日七晩続いた。

 終焉の喇叭が鳴りひびく戦場で、僕らは激しく、お互いを切り裂きあった。

 幼い僕は、ママは嘘つきじゃないと立証しようとして、戦いながらうたい続けた。

 けれどうたごえはむなしく、地べたにびしゃびしゃ落ちていくだけだった。

 一進一退の攻防をくりかえす合間に、家政婦さんは神父さんのすすめにすんなり従って、僕のそばからいなくなった。幼い僕の胸に、致命傷となる槍をずぶりと突き立てていきながら。



「どうかおとなになって、リシャル」



 幼い僕はひるみ、みるまに力を失った。それでもずるずる抵抗したけれど。全世界を味方にしたかのようなおとなの僕に、ざっくり喉をかき切られた。

 口から真っ赤なものを吐き出して、幼い僕は死んだ。

 こうして戦いの決着がついたとき。親戚のいない僕は神父様の仲介で、同じ教区の信者のもとに養子に出された。

 新しい両親は、礼拝をさぼらない敬虔な信者。夫婦円満で、教会にたっぷり寄付しているお金持ち。

 神父様にしてみれば、これほどよい人たちはいないという人種だ。しかも彼らは、僕と同い年の息子さんを病気で亡くしたばかりだった。

 

「ああ、息子にそっくりだ」

「ええ、ほんとうに」


 新しいパパは――ローゼンフェルド博士は、大企業の研究所で、たくさんロボットを作ってる。たしかにとても、「()い人」だ。

 新しいママも、とても「かわいい人」だ。

 ふたりは僕に絹のシャツや上等な上着を買ってくれた。いい学校にも入れてくれた。そして聖歌隊をやめさせられたときには、やさしく慰めてくれた。


「仕方ないさ。声変わりしたのなら」

「気に病むことじゃないわ。むしろおめでたいことよ」


 理由はそういうことにしたけれど、本当は違う。

 おさない僕は死んだ。だからうたおうとしても、声がでない。

 うたごえはおろか、普通の言葉すら、めったに出なくなった。

 僕はみんなのように、これ以上嘘をつくものにはなりたくなかった。

 だから喋れなくなって良かったと思ってる。

 

 博士は僕の父親ということになったけれど、本当は違うように。

 僕の母親ということになった人も、本当はそうではないように。

 この世界は何もかも、いつわりでできている。


 嘘。

 嘘。

 すべて嘘。

 僕は嘘で固めた、分厚く透明な瓶の中で生きている。

 




 嘘に怯える僕は固く口を閉ざした。

 僕の新しい両親ほど嘘つきはいないだろうと、心の底でふたりを忌み嫌った。

 ふたりは根は善良だったが、ひどく世間を欺いていたからだ。


「おはよう。部屋を掃除させてね」

「……」 

「ふふ、これ、あの人が開発した、新式のファイバーモップよ。すごいでしょ?」


 教会の記録に僕の母親として記載されたアネットは、とても働き者だ。

 ひとしきりモップであちこち吹きまくり、それから何気なくモップの腕を抜いて、白い手に付け替えて、掃除機をかける。接続部分が銀色の金属だらけの、本当は機械の手を。

 はじめて手を付け替えられたとき、僕は驚きすぎて卒倒してしまった。見た目も動きもごくごく自然。なのに、体の中身はほとんど金属だ。

 

「この円い絨毯、お部屋に合わないわ。外してしまいましょうね」

「……」

「ああ重い。これ家中にあるの。部屋のもの、自由に使ってね。アーノルドのものだったけれど、今は全部、あなたのものよ」



 博士の本当の奥さんは、実はもう何年も前に死んでいる。アネット・ママは、博士が作ったガイノイド。とても優秀なAIを搭載している金属の人形だ。

 博士は自分と息子さんのために、奥さんが死んだことにはしたくなかったらしい。

 そして。

 博士は自分のために、息子さんが死んだことにもしたくなかったらしい。 

 アネット・ママはとてもやさしかったが、僕の名前を一度も呼んだことがなかった。たぶん博士が、名前を呼ばないようインプットしたんだろう。


「錬金術に興味があるなら、この本を読むといいぞ、アーノルド」

「……」


 博士はやさしく僕を呼ぶ。死んだ息子さんの名前で。

 そしていつも忍耐強く、僕に請う。


「父さんと呼んでくれるかな、アーノルド」

「……」


 トーサン。それは単なる音の羅列。僕にはなんの意味もない言葉。

 そう、この人は僕のパパじゃない。僕が知らない、アーノルドのパパ。

 もとより僕はほとんど声を出せない。この手でおさない僕をころしてしまったから。

 

「ふふ、分厚いだろう? でも大丈夫、あっという間にさらっと読めるよ」

「……」


 博士の表情が険しくなることは、決して無かった。彼はいつもにこにこ、「アーノルド」に微笑みかける。死んだ息子さんに……。 

 なぜ博士は、アンドロイド・アーノルドを作らなかったんだろう。

 アネット・ママは非の打ち所がない。はたからみれば、まるきり人間と変わらない完璧なヒト。

 周りの空気を読んで、ちゃんと笑ったり泣いたりする。

 だからもうひとり、金属の塊から家族を再生すればよかったのに。

 なぜこの人は、僕を引き取ったんだろう。なぜ、家族ごっこに巻き込んだんだろう。

 金属の塊ばかりのこの家に。チューブやネジがいっぱい散らばってるこの場所に。

 なぜ、連れてきたんだろう……



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