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第9話

 ***





「おはよう、店長」


 灰色かかった髪から突き出た犬耳、揺れる長い尻尾、そして、砂糖菓子みたいに甘い笑顔。

 いつものガウル。そして、ここはいつもの俺の部屋だ。


「お前、ガウルだよな?」


 身体に馴染んだベッドの上で横になったまま、念の為に訊いてみた。するとガウルは、洒落たベストの前を広げて「こんなイイ男、他にいるか?」と、気取ってみせた。


(うな)されていたようだが、気分はどうだ?」


 ガウルは心配そうな顔をして、水差しとコップを持ってきてくれた。

 間違いない。あんな夢を見た後に、こんな風に水を持ってきてくれる奴なんてガウルしかいない。


「ガウル、サンキューな」


 そのさりげない優しさに、つい滲んでしまった涙を欠伸で誤魔化していると、ふとした疑問が頭に浮かんできた。


「お前、いつから俺の部屋にいた?」

「いつからって、一晩中ずっと君の傍にいたさ」

「……そういうの、いらないから。いつから見てたんだ。言え」


 少し声を荒げて訊くと、ガウルは両手を上げて降参の意を示した。


「すまない。からかったのは謝る。昨晩は随分と酔っていたから心配になってね。今し方、様子を見に来たんだ」


 長い尻尾が居場所を失ったように右往左往している。それは、ガウルの本心を表しているように見える。


「……まあ、良いよ。酔っ払った俺をここまで運んでくれたんだろ? それでおあいこだ」

「店長の寛大なるお気持ちに感謝するよ」


 ガウルは胸に手を当てて大袈裟な溜息を吐いた。頼りなく床を掃いていた尻尾は、途端に息を吹き返したようだ。


「良いような、悪いような夢を見たんだ」


 冷たい水を一気に飲み干して、俺はベッドから立ち上がった。


「夢に意味なんて無いんだ。あまり気にするな、店長」

「いやいや、それがさあ、悪いことばっかじゃ無いんだって」


 俺は、うーん、と伸びをして、空になったコップをガウルに手渡した。


「さあ、朝飯作るか!」

「今朝は何を作ってくれるんだ?」


 澄ました顔で訊いてきたが、「待ってました!」って、顔に書いてあるぜ、ガウル。


「玉子と小麦粉とバター、あとミルクと砂糖を用意してくれ」

「パンケーキでも作るのか?」

「いーや。違うね」


 忘れかけていたあの味は、しっかりと舌に覚えさせた。そう思えば、あの夢は悪い事ばかりでは無かったんだ。


「今朝は女神様への捧げ物を作る」

「女神?捧げ物?」

「揚げドーナツと練乳、いや、れんぬーだ」



 さて、まずは湯を沸かしてバターを湯煎にかけよう。その隣では練乳にする為に砂糖を混ぜた牛乳を温める。そして、程よくバターが溶けてきたら、そこに砂糖と玉子とを良く混ぜて合わせて卵液を作る。


「ガウル、粉」

「はい、店長」


 ガウルは手際良く小麦粉と膨らし粉を(ふるい)にかけ、俺の手元に持ってきた。


「粉、出来たぞ」

「ゆっくり、慎重に入れてくれ」


 俺たち二人の、この辺のコンビネーションは息ぴったりだ。


「店長。生地混ぜるの、手伝おうか?」

「いいや、このドーナツ作りの勘所は生地作りにあるんだ」

「そうなのか?ただ混ぜるだけではないのか?」

「ふっ、これだから素人は」


 俺はそこで、ジャジャーンと木べらを取り出し、生地を切るようにして手早く混ぜてみせた。


「おお、これは名人芸。さすがは店長」

「さっくりホロホロなドーナツにするには、あんまり生地を練ったら駄目なんだ」

「どうして駄目なんだ?」

「生地に粘りが出ると、もっちりしたドーナツになっちまうんだな。それはそれで美味いんだけど……」


 手を止めず、空気を含ませるように生地を切りながら説明を続ける。


「俺が作りたいのは、口の中でホロホロ崩れるようなドーナツなんだ」


 ほほう、と興味深げに俺の手元を眺めるガウルに、「かわりに練乳、混ぜといてくれ」と、木ベラをグルグルしてみせた。


「はい、了解しました!」


 ガウルは、お手伝いを頼まれた子供みたいな返事をして、嬉しそうに練乳をかき混ぜ始めた。


「調子に乗って焦がすなよ」

 

 鼻歌を歌い始めたガウルに注意しつつ、十分に混ぜ上がった生地を冷暗所の奥の方に仕舞った。生地と揚げ油との温度差があるほど、ドーナツはサックリ仕上がるんだ。

 しっかし、休日の朝っぱらから男二人で楽しくスイーツ作りかよ……

 ついつい苦笑いが漏れてしまう。でも、そんなに悪い気はしない。


「店長、そろそろどうだろう?」

「ん、良い感じにトロトロだな」


 ガウルが丁寧に混ぜてくれたおかげで、練乳の出来は申し分無さそうだ。


「よし、じゃあ、これも冷やしておいて……」


 冷暗所の扉を開けたその時、店のドアをコツコツと叩く音と共に「定期便でーす」と、若い男の声が聞こえてきた。


「店長、オレが出るよ」

「悪い、んじゃ支払いも頼むわ」


 ほいよっ、と放った財布をガウルが見事キャッチするのを見届けて、俺は油壷の蓋を開けた。

 せっかくだから新鮮な油を使いたいところだけど、ここは敢えて使い回しの油で揚げてみよう。

 なんせあのドーナツは上級士官の食べる高級料理に使った油の、その残り油で揚げたんだ。正確にあの素朴な味を再現するには、それがベストだろう。


「まだイケそうだな」


 匂いを嗅ぎ、大丈夫だと判断した油を火にかけ、冷やしておいたドーナツ生地を取り出す。さあ、いよいよ楽しい作業の始まりだ!

 ドーナツでもクッキーでも、この甘い香りの柔らかい生地を、丸めたり型抜きしたりする作業が一番楽しいんだよね。

 

「ガウルー、お前も生地、丸めっか?」


 この楽しさを分かち合おうと相棒に声を掛けたが返事が戻ってこない。その代わりに納戸の方からバタバタと騒がしい音が聞こえてきた。そこはガウルが私室として使っている物置部屋だ。


「すまない、店長。ちょっと出かけてくる」

「それは別に構わないけど……どうしたんだ? その恰好は」


 肩当てに膝当てに胸当て、そして、その手に持つのは矢筒と長弓。それは、ガウルが初めて俺の店にやってきた時の出で立ちそのものだ。


「お前、どこに何しに行くんだ?」


 魔王が倒されて以来、すっかり見かけなくなった冒険者スタイルに身を固めたガウルの姿を見た途端、ぎゅうっと胃袋が締め付けられるように痛んだ。

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