第2話
青いローブを着た女の子たちはガウルの揺れる尻尾の後ろに続きつつ、「小さくて可愛いお店ね」とか「味のあるテーブルがステキ」とか「私、お腹空いちゃった」などと、華やいだ声で囀り合っている。
銀鎖の刺繍をあしらった紺色のローブは、聖鎖教会の信者が身にまとう定番の衣装だ。だが、年頃の女の子らしくキャッキャウフフとはしゃぐ彼女たちの姿は、とてもじゃないけど聖職者の類には見えない。となると、教会都市への巡礼者、ってトコか。
「どうぞ、こちらへ」
ガウルは優雅なエスコートで女性客をテーブル席へと案内する。
しかし、すらりとした絵になる立ち姿だ。仕事が出来る男のオーラが、全身から溢れ出てるぜ……って、おいおい、見とれている場合じゃない! テーブルの上に買い物袋が出しっぱなしじゃないか!!
慌ててテーブルに駆け寄って買い物袋を引っつかむと、弾みでタマネギが袋から転がり落ちる!
「ウはぉっ!!」
奇声を上げて床に身を投げ出した俺より一足早く、ダンサーみたいに見事なステップを踏み、ガウルは鮮やかにタマネギをキャッチした。
「お目汚しを」
すごーい! かっこいー! と、女子の歓声を背に、ガウルは床に這いつくばる俺を跨ぎつつ、何事も無かったような顔で買い物袋にタマネギを戻して頭を下げた。
「騒がしくて申し訳ありません。こんなのが当店のオーナーシェフですが、料理は期待して頂いて結構ですよ」
「おいガウル! こんなのとは何だよ! こんなのとは!?」
寸劇みたいな俺たち二人の遣り取りに、女の子たちはクスクスと笑い合いながら席に着いた。
「おのれ……」
くそぅ、ガウルのヤツめ。よりによって料理人であるこの俺をダシに使うとは!
ようし、ここは俺の超絶テクニックで、女性陣のハートをガッチリ鷲掴んでやるぜ。
闘志を胸に秘め、ガウルが買い込んできた食材を調理台に並べる。
ふんふん。卵にミルクに調味料っと。メイン食材はジローメ鹿の三枚肉に冬野菜か。どちらも新鮮で、コトコト煮込んでポトフなんかにしたら美味そうだね……って、あの野郎。いくら獣人族だからって肉ばっかり、こんなに大量に買い込みやがって。自分の好物をメニューに反映させ過ぎだ。
「店長。オーダー入りました」
「って、早いな。もう決まったのか?」
まだ席に着いたばかりだろ? 基本、女性だけのテーブルは「あれも食べた~い、これも食べた~い」って、注文が決まるまで時間が掛かるのが相場だってのに。
「んで、オーダーの中身は?」
「”慌てんぼう店長の気まぐれランチ”を3つ」
「何だ、お前、その、”気まぐれ店長の慌てんぼうランチ”ってのは?」
「店長、逆だよ、逆。”慌てんぼうランチの気まぐれ店長”を3つだよ」
「さっきと言ってる事が違くないか?」
「おや? 甘えんぼう店長だったか?」
「いやぁ、俺はどっちかっていうと甘えるよりも……って、違うわ! そもそも、そんなメニューはウチには無いだろ」
「ま、お任せ3つ、って事だよ」
ガウルは『おまかせ×3』と走り書きされた伝票を、俺の顔の前でヒラヒラさせた。
「お任せ?」
「そうだよ」
「って、俺の?」
「店長の他に誰がいるの」
「お任せって言われてもなぁ……」
ざっ、と調理台に並んだ食材を眺めてみる。そうだな、やっぱ無難にポトフでも作るか。
「”お兄さんのお勧めは何ですか?” って訊かれたから、”オレのお勧めは店長の作る料理、その全てです”と、答えただけだが、何か問題でも?」
「なっ、おまっ、それはっ」
ハードル爆上げじゃねえか。だが、給仕長にここまで言われては、料理長として応えねばなるまい。
「ちっ……分かったよ。作ってやろうじゃねえか。その、”ナントカ店長のオススメランチ”とやらを」
「”やさぐれ店長のおとぼけランチ”だ」
「お前さあ、もう何でも良いんだろ、それ」
俺のボヤキにガウルは、さも愉快そうに笑い返してリンゴ酒の瓶を手に取り、客の待つテーブルへと向かった。
灰色がかった長髪から突き出た犬耳が、機嫌良さ気に揺れている。まったく、いい気なモンだ。
「つい先日に収穫されたばかりのリンゴで作った食前酒です。フルーティーにして口当たりが良いのですが、飲み過ぎにはお気を付け下さい」
流れるような所作でガウルがグラスに酒を注ぐと、テーブルからは、きゃあきゃあ嬌声が上がった。
「やだぁ、手付きがやらしぃ」
「飲む前からドキドキしてきちゃった」
「もう、私たちを酔わせてどうするんですかぁ」
どうにもレストランらしからぬ雰囲気になってきたが、ガウルの立ち振る舞いからは、女の子たちを退屈させないように気を配っているのが伝わってくる。
よし、ガウルが上手く客をあしらっているウチに下ごしらえを進めよう。
ジローメ鹿は、近所の『ジローメの森』に生息する小型の鹿だ。すばしっこい分、筋肉質で噛み応えのある肉が取れるのだが、ニガリ草を主食にしているせいか、肉に独特の風味があって扱いが難しい。しかし、そこは腕の見せ所。上手く調理をすれば、欠点であるはずのクセが旨みに化ける面白い食材だ。
まずは強めの酒で鹿肉を洗い、皮に近い部分だけ薄く剥がして分けておく。こいつはパリッパリに焼き焦がして、後でトッピングに使うんだ。
「よし、これくらいで良いかな」
汚れを落とした鹿肉に金串を通し、爺ちゃん秘伝のタレに漬け込んで休ませておこう。
旬の冬野菜は、適度に泥を落としてからザックリと皮を剥いてグリルへ。あえて野趣を残しておくのが爺ちゃん流だ。
「店長。あと何分くらい掛かる?」
ガウルは前菜に使うピクルスを皿に盛りながら、さり気なく聞いてきた。
俺は竃の火加減を慎重に調節しながら答える。
「15……いや、12分で」
静かに、だけど俺の昂る感情に呼応するかのように、大きく炎が揺らめいた。
”良く覚えておきなさい。火の神は、女神なのです。だから大切に、丁寧に扱うのだよ”
火の前に立つと、いつだって爺ちゃんの教えが頭を過る。
”火の神様は女の子なんだから、ふとした事で直ぐに機嫌が悪くなる。目を離してはいけませんよ”
そう言って、爺ちゃんはヒャッヒャッと笑った。
どこまでが冗談で、どこからが本気だったのだろう? だけど俺は爺ちゃんの教えを、火の女神を信じている。
「火の神よ。ほんの少しだけ……」
目をつぶって祈りを捧げると決まって瞼の裏に浮かぶのは、俺の作った粗末なお菓子を喜んで食べてくれた、燃え上がる炎のような髪の色の少女。
「貴女の炎を貸して下さい」
俺はひたすらに料理を作り続けてきた。
女神に、そして、戦場で出会った少女に捧げるように。
昔も今も――――そう、この瞬間も。