第13話
行く手と視線を遮る茂みを掻き分けて進むにつれ、血の臭いは確実に強くなってきた。だが、俺は次第に濃くなるその臭いに違和感を覚え始めていた。
「これは……動物の血か?」
俺は爺ちゃんから料理の一環として、屠畜・解体作業の知識と技術を叩き込まれている。鼻腔に染み込むほどに嗅ぎ慣れた獣の臭いを、今さら嗅ぎ違えようがない。
空気の臭いを嗅ぎながら、ようやく茂みを抜け出た俺の目に飛び込んできた光景は、ある意味では予想通りで、ある意味では不可解だった。
「こいつ、赤兜熊か!?」
冗談みたいに巨大な熊が、腹を上にして横たわっている。引きちぎられたように破けた腹からは、だらしなく臓物が溢れ、その名の由来となった赤い毛に覆われた頭は、落石でも当たったかのように右半分が吹っ飛んでいる。どう控え目に見ても、こいつはもう、死んでいる。
もしやガウルの仕業かとも考えたが、仮にもハンターがこんな雑な狩りををするはず無いし、ガウルにこれほど残虐な真似が出来るとも思えない。
俺は疑念を胸に抱え、ピクリとも動かない熊に慎重に近づいた。
「まだ温いか」
地面にこぼれた臓物に触ると、旺盛な生命力の残り火を感じた。
「って事は……」
赤兜熊を殺った何者かが、まだ近くにいる? それにしても凄まじい殺し方だ。そいつは多分、人の類いでは無いだろう。
そして、その予想と予感は両方とも的中してしまった。
「うっ、嘘だろ……」
茂みの向こうに人らしき姿が垣間見えた。ただし、その体格は森の木々と比べてみても人間の大きさとはかけ離れている。遠近感を狂わせるその巨体は、そこで死んでる人喰い熊と良い勝負だ。
「なんで、また、あの怪物が!?」
また夢の続きでも見てるのかと自分の頭を疑ったが、あの横一直線に割いたような異様に大きな口だけは、忘れたくても忘れられるはずも無い……人喰いの巨鬼、オーガだ。
竜種や巨人族みたいな極め付けにヤバい魔物は、魔王を倒した事で有名な勇者、『カーネリア皇子』が帝国騎士団を率いて、数年掛けて掃討作戦を行ったはずだ。
繁殖力が強すぎて駆除し切れないゴブリンならともかく、オーガなんて危険な魔物が未だに残っているなんて……
いや、考えるのは後回しにして、とにかく急いでこの場から離れよう。幸いにもオーガはまだ俺に気が付いていない。逸る気持ちを抑えて、焦らず慎重に逃げるんだ。間違っても枯れ枝なんて踏んでパキッて、やるんじゃないぞ……
パキッ!!
何でだっ!? 俺じゃないぞ!!
慌てて音のした方へ顔を向けると、横たわっていた熊の死体が、その生命の灯を燃やし尽くすようにビクン、と動いた。屠殺の際、絞めたての家畜に起こる現象だが、よりにもよってこのタイミングでかよ!?
どうか気づきませんように。俺は閃光弾を両手で握り締め、近くの茂みに身を隠した。
だが、俺の願いも虚しく、地面を揺らす足音は確実に接近してくる。
息を殺してやり過ごすんだ! そう心の中で呟いても、次第に荒くなる呼吸は抑えられない。
見つかる前に駆け出した方が良いんじゃないか? 心の中でそう思っても、足は次第に痺れてくる。
その時、天啓のように頭の中に閃きが走った! そうだ、俺にはコレがあるじゃないか!!
両手の中に閃光弾があったことを今さらながらに思い出したら、急にテンションが上がってきたぞ!
コイツをブン投げてオーガが怯んだ隙に、ダッシュで逃げれば良いんじゃないか!
こんな土壇場で思いつくにしては、我ながら素晴らしいアイディアだ!
多分、その時の俺は恐怖の余りに正常な判断が出来なくなっていたのだろう。閃光弾を投げてから走り出せば良いものの、何故か先に走り出してしまっていた。
「グォオオォオ!!」
咆哮を上げ、俺に気付いたオーガが追い駆けてきた!
見た目、鈍重そうに見えるオーガだけど、その歩幅の広さは俺とは比較にならない。
あっと言う間に追い付かれてしまった俺は、それでもどうにか閃光弾のピンに指を掛け――――
「うわっ!」
閃光弾をブン投げようと振り返った途端、普段の運動不足が祟ってか、足がもつれて激しく転倒してしまった。それでも、すぐに立ち上がろうと足に力を入れた瞬間、足首に鋭い痛みが走った。
「せ、閃光弾は!?」
痛みに耐えて、地面に落ちて転がり出した閃光弾に咄嗟に手を伸ばしたが、丸い金属缶は草むらの中へと消えてしまった。
「なんで丸いんだよ……」
俺は閃光弾の開発者を心の底から恨んだ。缶が丸いせいで俺は死ぬんだ。
腹を引き裂かれ頭を吹き飛ばされるような悲惨な死を遂げるんだ……と覚悟したその時だ。
どっかで見た事のあるシャレたデザインのブーツが、地面に這いつくばる俺の視界に入った。
「それは地面に転がして使う事もあるからだよ」
顔を上げると、そこに立っていたのは閃光弾を手にしたガウルだった!!
「お前、どこ、行って、たんだよお」
いかん、涙と鼻水が止まらない。どうにか嗚咽を堪えながらガウルに訊くので精いっぱいだ。
「どこって、狩りに行くと言っておいたはずだが。店長こそ、そんなトコで寝転がって何をしているんだ?」
「好きで寝転がってんじゃねえわ! 見ろ! 喰人鬼だぞ!!」
目と鼻の先にオーガが仁王立ちになり、巨大な顔面の割に小さな目で俺たち二人を見比べている。どっちにしようかな、とでも考えているのだろう。
だが、ガウルは閃光弾を片手でポンポンと玩びながら、長弓を構えるでもなく立ち尽くしている。
「熊狩りに来たつもりが、オーガ退治になるとはな」
「オーガ退治、って、お前、正気か!?」
「熊の狩り方は良く知らなくて困っていたのだが、こっちに関しては専門でね」
そう言ってガウルは得意げな顔で首を竦め、閃光弾を玩ぶ手を止めた。
「では、店長。不肖このガウル・グレイが、閃光弾の優雅な使い方をレクチャーして差し上げましょう」
ガウルは砂糖菓子の笑みを浮かべ、食器の使い方を指南する給仕のような手つきで閃光弾のピンに指を掛けた。




