第11話
いや……そうに違いない。さっき定期便が届いた直後に、いきなり狩りに行くなんて言い出したんじゃないか。
もしや、わざわざ新聞を持って出て行ったってのも、俺に気付かせない為か?
「どうするよ……」
常連客の狩人から聞いたことがある。
魔王の放つ瘴気に当てられて半ば魔物化した猛獣が、魔王亡きあとも未だにジローメの森には生息している。その中でも特に"ジローメの王"とも呼ばれる『赤兜熊』だけは、森で出逢ってしまったら死んでも逃げろ、と狩人は頬に走る深い傷跡を撫でながら言っていた。
しかも、冬眠し損なった熊はエサを求めて凶暴になるというし、仮にガウルが弓の名手だったとしても、さすがに一人ではヤバいだろ。
今から街まで走って自警団に助けを求めるか? いや、往復する時間を考えたら、ガウルと合流出来る可能性がその分、少なくなる。
「俺が連れ戻すっきゃねえな」
『悩んだ時は前進あるのみ』だ。
これは爺ちゃんから教えてもらったんじゃない。料理人である俺の信念であり、『魔王禍』を生き残った俺の生き方だ。
蒸そうが焼こうが茹でようが、火を入れたら途中で止める事は出来ない。悩んだ挙句に火を止めたところで、料理は確実に失敗する。
やるか、やらないか、なんて悩んでいるヒマは無い。火を消す訳にはいかないんだ。あーすりゃ良かった、こーすりゃ良かったなんて、生焼けになった食材を前にウジウジ後悔するくらいだったら、燃え尽きるまで見届けてやったほうが、よっぽど諦めが付くぜ。
なんで失敗したかなんて、そんなの後で考えりゃいい。
俺は自室に戻って、ベッドの下から埃を被った木箱を引きずりだした。そこに仕舞っておいたのは、軍から支給された装備品だ。
ロングソードは……もうサビサビで鞘から抜けない。革の胸当てはカビだらけで、もはや兜は被る気にもならない。ある程度、予想はしてたがダメだこりゃ。
だけど、俺が探しているのは武具じゃない。だいたい、俺がそんなん装備したところでカカシの役にも立たないだろう。俺の目当てはこれ。
じゃじゃーん! 『音響閃光弾』!!
こいつは爆音と閃光でもって喰らった相手をしばらく動けなくする、俺みたいな腰抜けにはピッタリな戦闘補助アイテムだ。強盗にでも襲われた時に使ってやろうと、ドサクサ紛れに武器庫からパクっておいたのが役に立つ日が来たぜ。こいつで怯んだ隙に熊をブスリと……いや、無理だな。その隙に逃げよう。
閃光弾は、湯呑みサイズの金属缶に指を引っ掛けるピンが付いただけの簡単な作りだ。試しにピンを軽く引っ張ってみたが、手応えはある。閃光弾は生きているようだ。
俺はいつでも取り出せるように閃光弾を腰の巾着に入れ、外に出る準備を整えた。
「うおっ、寒いな」
吐く息は白く、朝の空気は冬の匂いを孕んでいる。昨日の雪が積もるほどには降らなかったのには助かった。
さて、ガウルが店を出てから半刻ほどか。どっかでドーナツ休憩でもしてくれれば、森に着く前に追いつける可能性は十分ある。だけど、先に森に入られたら合流するのは一苦労だろう。
森には良い釣り場があったり、野草摘みお気に入りスポットがあったりと、俺も足しげく通っているが、それはあくまで整備された林道を通っての話だ。
もしガウルが本格的なハンターだとしたら、息も気配も消しているだろうし、熊を狙っているのならバカ正直に林道を歩いているとも思えない。
俺に出来ることは、なるべく早くガウルと合流し、店に連れ帰って説教することだ。
「む……腹減ったな」
しばらくガシガシ歩いていると、朝食の途中で出てきたせいもあって、やっぱり腹が減ってきた。
俺は、あらかじめ練乳を塗しておいたドーナツを取り出し、歩きながら食べる事にした。
「あの野郎、見つけたら何て言ってやろうか」
ドーナツを飲み込む度に「ばーかばーか!」とか「まだ生きてたの?」などなど、文句の数々が浮かんできたが、「お前が帰って来なくっても、俺は別に困らないんだからな」と呟いた時に、今まで考えていたようで考えていなかった疑問に思い当たった。
――――ガウルは、どうしてウチの店にいるんだろう?
二か月前、食堂の客としてやってきたアイツは食うだけ食った後、「美味い! 感動した!」とか何とか適当な事を言いだしては「ここで働かせてくれ」と、俺が良いとも悪いとも言ってないのに勝手に給仕をし始めたんだ。ただ、その仕事っぷりがあまりにも有能だったもんで、ついつい雇ってしまったのだが……
考えてもみれば、あの洗練された給仕の技術は、一朝一夕で身に着くような代物ではない。正しい指導を受けた上に長年の経験を経ないと、ああも巧みに客をもてなす事なんて出来るはずがない。ウチに来る前は、帝都のレストランで働いてでもいたのだろうか? だとすると、あの使い込まれた武具は何なんだ? 初めてガウルを見たときは”獣人族の冒険者が来たな”としか思わなかったぞ。
ガウル、あいつは一体、何者なんだ……いや、今は悩んでいる場合じゃないか。前進あるのみ、だな。
「うん、我ながら美味かった」
俺は最後の一個のドーナツを口に放り込んで「ごちそうさま」と呟いた。
うんうん、こうしてドーナツに練乳を塗しておけば冷えてきた頃に食べやすいし、お持ち帰りにも良いな。それに、こうやって歩きながらも食べれるし……って、しまった! ガウルも今頃、休憩しないで歩き喰いしているかも知れないじゃないか!?
悩む必要は無いが、先を急ぐ必要はありそうだ。
「はぁ、とりあえず入口には着いたぞ」
俺は、『ジローメの森・林道入り口』と書かれた立て看板に両手を乗せて息を整えた。
速歩で歩いたおかげで寒さを感じないほど身体は温まったが、さっき食べた甘い、甘過ぎる練乳ドーナツのせいで喉がカラカラだ。俺は水筒の水を飲み、一息ついて辺りを見渡してみた。
「静かだな……」
冬枯れの木立の向こうに、寒さにも負けない常緑の森が広がっている。この広大な森を越えるには歩き慣れた旅人でも一日掛かりになるので、森の林道の所々には人が泊まれるだけの設備を備えた休憩所が設けられている。たかが林道とは言えども、一応は旧街道の一部なのだ。
とりあえず俺は、最初の休憩所に向かって林道を歩き始めることにした。