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第9章

アヤカはベッドの横に手を伸ばし、鳴っている目覚まし時計を止めた。

「おはよ・・・」

返事も帰ってこないのに小さい声で朝の挨拶をした。

(7時か・・・)

ブランケットからごそごそ抜け出るとキッチンに直行した。

ヤカンを火にかけ、少し迷ってから棚にある珈琲と紅茶のコレクションから『セレッシャル』の『レモンジンガー』の箱を取り出した。

眠い・・・。

窓の外は明るく、日が差しているのがわかった。

昨日は刑事さん達が帰ったあと、閉店まで3人で仕事をして先にチカを帰し、

ミナと2人で2時間残業した。

昨日と一昨日の2日間、お客様がたくさん来てくれたのでお菓子が足らなくなってきたのだ。

そこでパウンドケーキやマドレーヌなどのバターケーキ系を今日からのためにたくさん焼いたのだ。

バターケーキは焼いてから1週間ほど置いたほうが、バターが生地になじんで美味しくなる。

それにタルト用の土台も。

焼いておけば今日は中身を詰めるだけ・・・。

その時、お湯が沸騰してヤカンがピーッと音を立てた。

ポットにレモンジンガーのティーパックを入れ、お湯を注ぎ、

トレーにカップやハチミツの小瓶、スプーンを乗せて運ぶ。

ソファに座り、テレビをつけようとしたがやめて、パソコンから音楽を流した。

ジブリの曲をアレンジしたボサノヴァ。

目を閉じると寝てしまいそうだ。

昨日もいろいろあった。

皮肉なことに、あの事件のおかげで店は有名になり、お客様が多く足を運んでくれるようになった。

おそらく今日も開店からお客様が詰め掛けるだろう。

忙しくなりそう・・・・だけどなんて幸せなことなの。

知らず知らずのうちに顔がほころぶ。

目を開けてそろそろいい頃合になったレモンジンガーをカップに注ぐ。

ハイビスカスやローズヒップが主な原材料だが、香りは刺激は少なくほんのりレモンが漂う。

これに少しハチミツを入れて混ぜる。

程よい酸っぱさにハチミツの甘さが口の中に広がる。

ノンカフェインで朝には向かないかもしれないが、心を落ち着けるときにアヤカはよく飲む。

少し胃が目覚めたので、そろそろパンを温めようかとソファから立ち上がりかけたとき、電話が鳴った。

ベッドの枕の横に置いておいたスマートフォンの着信音だ。

カップをテーブルに置いて取りに行くと、表示は母からだった。

(朝からなんだろう?)

手に取り、そのままソファに戻ってから『出る』を押す。

「もしもし、おはよう母さ・・・」

「アヤカ?すぐテレビを点けて!」

母の大きな声が響いた。

「何、母さん、いきなり・・・」

「いいから早くテレビを見なさい!」

言い返してもしょうがない。

アヤカは音楽を止め、のろのろとリモコンでテレビを付けた。

「何番?」

「4番!」

いらいらした母の声が聞こえた。

言われたとおりにテレビを4番にすると、いきなり田中カズキの写真が映った。

あ、また事件のことをやってるんだ。

すぐ画面が切り替わり、あのナンバー1ホスト、『仁』の写真が映し出された。

そして香椎のホストクラブ、ダイヤモンド・ヘッドの入り口の映像と音声が流れてきた。

《・・・6月・・未明に発見された田中カズキさん、遺体遺棄事件の容疑者が逮捕されました。容疑者は被害者と同じホストクラブ、ダイヤモンド・ヘッドの同僚『今井サトシ』・・・》

「母さん、これって!」

アヤカが電話口に叫んだ。

「そうなのよ、びっくりしてすぐあなたに電話したの!やっぱりアイツなのね!」

母の声には満足げな響きがあった。

アヤカは受話器を耳に押し当てながら、テレビに目を戻した。

《・・・今井容疑者が身に付けていたスーツのポケットから覚せい剤が発見され、被害者田中カズキが所持していたものと同じと断定された。また今井容疑者が所持しているマンションのゴミ置き場からは、店の内部の鍵も発見された・・・》

テレビからはまだ事件の詳細が流れている。

「これで決まりね。よかったわ、犯人が見つかって。あの人、怪しいと思っていたのよね」

昨日確か、『仁』には大それた犯罪はできないとか言ってなかったっけ。

《・・・警察は昨年末に起きた盗難事件と併せて・・・》

「どうしたのよ、アヤカ。もっと喜びなさいな」

「う、うん、よかったわ」

「本当にね。とにかく解決して良かったわ。それじゃあね、あなたもそろそろ仕事に行かなくちゃいけないでしょ?私もこれから支度しなくちゃいけないから」

そう言って母は電話を切った。

アヤカはスマホを持ったまま、ソファにゆっくりと座った。

テレビはもう次のニュースに移っている。

終わった・・・の?

この事件は、あの『仁』って人がすべてやったこと・・・?

時計をチラッと見た。朝7時20分。

まだ早いかもしれないけど、一之瀬さんに電話してみよう・・・。


「おはよう、ミナ」

カフェ・ヴェルデの裏口をノックすると鍵を開ける音がしてドアが開いた。

すでにミナは今日の作業を開始していた。

「おはよう、アヤカ。・・・今日は少し早いわね」

ミナが時計を見上げると8時過ぎだった。

「うん・・・ミナ、テレビ見た?」

「テレビ?」

ミナの反応からするとまだ知らないようだ。

「テレビで朝やってたの、犯人が捕まったって。田中カズキを殺したってことで同じホストクラブの『仁』って人が・・・」

「ああ、アヤカ達が乗り込んで行ったっていう・・・?」

ちょっと語弊があるが・・・。

「そう。昨日話したホストクラブのナンバー1の人」

「そうなんだ。・・・じゃあこれで解決ね?」

「うん・・・そうね」

「どうしたのアヤカ。嬉しくないの?」

ミナがアヤカ様子を見て顔を曇らせた。

「なんかね・・・スッキリしないというか、納得できなくて」

アヤカの顔をじっと見ていたミナは持っていた泡立て器を置いた。

「ちょっとこっちに来て」

ミナがアヤカの腕を引っ張って、カフェフロアに移動した。

「座って」

アヤカは窓際のソファ席に押し込められ、

カウンターの後ろの作業台からもうできている珈琲をマグに2つ入れてミナは戻ってきた。

「話して」

テーブルにマグを置いて、真向かいにミナは座った。

アヤカは感謝の言葉を口にしてから珈琲を飲んだ。

そして朝のテレビのことをミナに話した。

「それでねミナ・・・私変なのかしら。犯人が捕まったっていっているのに、なんかこう・・モヤモヤしてスッキリしないの。警察が犯人だって言っているならあの『仁』が犯人なのよね?」

「容疑者よ、まだ」

ミナが訂正した。

「でも、容疑者っていってもほぼ犯人確定ってことでしょ?それに『仁』のポケットから覚せい剤が見つかったんだって。・・・ミナも見たでしょ、あの時・・・」

「田中カズキを発見したときね。でもその捕まったやつが同じものを持っていたからって、田中カズキを殺して、ココに死体を置いていった犯人と同一人物とは限らない」

「でも、私たちの推理では盗難事件と今回のことは関係あるってことで話していたわよね?」

ミナが頷いた。

「『仁』のマンションから店の鍵が見つかった・・・そして仁が覚せい剤を持っていた・・・その覚せい剤を田中カズキも持っていた・・・これで繋がって決まりのはずなんだけど・・・」

「そうね。もし『仁』が犯人だったとしてそんな覚せい剤や鍵をまだ持っているなんて、そんなにマヌケなのかしら」

アヤカは母の『仁』の印象についてもう一度考えてみた。

確かにそういうマヌケなことをしそうな行き当たりばったりなことはしそうだが、

いくら何でも証拠になりそうな危ないものをそんなにずっと持ち歩いているだろうか・・・?

「さっき、一之瀬刑事に電話してみたの」

アヤカがそう言うと厨房からアラームが鳴る音が聞こえた。

「ちょっと待ってて!」

ミナが急いで厨房に駆け込んだ。

その間、アヤカは首を回してイングリッシュガーデンを眺めた。

梅雨の合間の晴れ日、朝日で庭は輝いている。

ちょうどラベンダーが盛りで、紫と緑のコントラストがキレイだ。

・・・庄治准教授、そろそろ来てくれないかしら・・・。

もちろん庭のためによ、でも一緒に庭で・・・。

「で?なんて?」

ミナが戻ってきた。

しょうがなくアヤカはつかの間の妄想を打ち切った。

「・・・それで、電話してみたんだけど出なくて、代わりに久保刑事にかけたの」

「久保さんに?」

ミナの声が少し裏返った。

「え?うん。一之瀬刑事は捜査会議に出てるんだって。で、久保刑事がいろいろ話してくれたわ」

「それで?」

ミナがテーブルに身を乗り出した。

「まず鍵はホストクラブの事務室の鍵だったって。どうやら鍵をコピーしたものみたい。おそらく店長から盗んで作ったものだったろうと言ってた。それで事務室に入って金庫のお金を・・・」

「ちょっと待って。窓から侵入したって話じゃなかった?」

「そうなのよね・・。鍵があればドアから入ればいいし・・・だけど盗難があった日は防犯カメラに誰も映っていないし、店の店長を含めてホストたちにはアリバイが全員あるのよ」

「じゃあ、なんで鍵を・・・?」

「それは・・・まだわからないみたい。『仁』の取調べを昨日の夜からしているみたいだけど、自分はやっていないと言うばかりで、全然会話が成り立たないみたいね」

「そうなの・・・昨日からずっと仕事で大変ね」

ミナがため息をつく。

ん?何か論点がずれている気がするけど?

「覚せい剤は昨日、『仁』が仕事を終わって刑事さんたちが衣服を調べたらしいわ。でも・・・」

「でも?」

「・・・タレコミがあったんだって」

「タレコミって・・・つまり『仁』が覚せい剤を持っていますっていう?」

「そう。『仁』が覚せい剤を持っている、事務所の鍵を家に隠しているって夜の2時頃に警察に電話があったって。それで昨日の夜、一之瀬刑事さん達が仕事が終わって帰宅途中の『仁』を捕まえて、身体検査と家の捜索をしたんだって。・・・鍵は家からは出てこなかったんだけど、マンションの敷地内のごみ置き場から発見されたんだって」

「なるほど・・・」

2人はそれぞれの考えに耽って、しばらく沈黙が続いた。

「ねえ」

ミナの声でアヤカは顔を上げた。

「ねえ、やっぱりおかしいと思う。そんなに都合よく昨日一度に覚せい剤も鍵も出てくるなんて」

ミナがアヤカをジッと見て言った。

「それに、言っていたわよね?久保刑事はこれは計画的で頭がいいヤツが犯人だって。アヤカ達の印象だとその『仁』って人は頭が悪そうで、度胸も無さそうな人なんでしょ?」

「そうね。でも・・・」

「黙って聞いて。私も・・・考えていたことがあるの。あの田中カズキを包んでいたブルーシートなんだけど・・・」

「ブルーシート?」

「そう。あのブルーシートは死体を隠すためじゃないかって言ってたわよね?」

「そうね・・・普通はブルーシートって工事現場とかで土や道具を覆ったり、見せたくないものを隠したりするものだと・・・」

「私ね、考えたんだけど、もしかしたら汚さない為じゃないかな」

「汚さない?・・・うちの裏庭を?」

「違う。殺害現場を汚さないため」

犯行現場を?

血とか、髪の毛とか落とさないように?

「この間、千花大学に行ったとき・・・庭のセンセイが床を汚さないように汚れた作業着をマットの上で脱いでいたでしょう?あれを見てもしかしたらって」

そういえば、ミナはじっと准教授を見ていたっけ。

私ってば、もしかしたらミナが准教授に好意を・・・なんて思っていた。

「でもミナ、もし田中カズキじゃなくて私だっとしても、ビニールシートの上に立たされたら変だと思うけど・・・」

「ほら、思い出してアヤカ。田中カズキは睡眠薬を飲んでいたって。・・・例えば犯人が田中カズキに睡眠薬を飲ませて、前後不覚にしてからビニールシートの上で・・・刺したら」

「・・・そうしたら、犯行現場はどこでも可能じゃない」

「でも、人を運ぶのは思うより大変なのよ?私たち、いつも10キロ入りの小麦粉を運んだりするけど、大変でしょ?田中カズキは細身だけどそれでも身長からして70キロくらいはあるんじゃないかしら。

部屋で殺したとしてもそこから車まで運ぶのにも目撃される可能性が高い。だから・・・車の中で殺されたんじゃないかと思って」

車の中?あ!

「あのシルバーの車!」

アヤカが叫んだ。

「そう。あの目撃された車。・・・例えば飲み物に睡眠薬を入れて車の中、もしくは車のすぐそばで飲ませて意識が朦朧としてから後部座席にブルーシートを敷いて田中カズキを包んでから・・・最初から敷いてあると怪しまれるわね。だから後部座席の床とか後ろのクランクにでもブルーシートは隠してあったのかもしれない。そして・・・その上で刺したんじゃないかと思う」

そう言ってミナはマグを2つ持って立ち上がった。

ミナの説明に、アヤカは言葉を失った。

そんなことって!

ミナの言ったことをもう一度頭の中で噛み砕いてみる。

もしそれが本当だとしたら一人でも犯行は可能だ。

車で殺害まで完了したとしたら、そのまま裏庭まで車で来て、引きずって庭に運べばいい。

それに・・・。

「ねえ、ミナ・・・」

「ん?」

ミナが熱々の珈琲を持って戻ってきた。

「ミナの説だったとしたら、ウチに死体を置いていったのも説明がつくかも」

「え?」

「なぜ、空き家や人目が無い場所じゃないくてウチに死体を置いていったかって言ってたでしょう?」

「ええ。あんなとこじゃ、すぐ見つかるのにって」

「もしかして・・・人がいる家って知らなかったんじゃないの?」

「え!?」

今度はミナが絶句する。

「だって・・・前から改装工事はしていたし、店の宣伝だってしていたのよ?」

「それは半年くらい前からじゃない。それに裏庭は雑草を抜いただけで他はそんなに変わっていない」

「そうだけど・・・」

「だから犯人はウチが空き家だと思って裏口まで車で運んでビニールシートを降ろした・・・んだと思う。だけど人がいることに犯人は途中で気づいたのよ」

ミナは珈琲を飲みながら黙って聞いていた。

「あの夜・・・日曜日、私とミナは2人で遅くまで店にいたでしょう?裏庭は暗いし、駐車場は人が近づかないと照明が点かない。ブルーシートを引きずった跡は駐車場とは反対のアジサイが咲いている側だった。厨房の明かりは窓を通してだから、あまり見えないのよね。だけど、裏口近くの小屋まで近づけばさすがに気づくはず。だからあそこに死体を放り出したんじゃない?」

アヤカが珈琲にミルクを入れて飲む。

「犯人はそれに気づいてブルーシートを車に戻そうとしたかもしれないけど・・・たぶんそれは出来なかったんだと思う」

「なぜ?」

ミナが即座に口を挟んだ。

「ブルーシートの上で殺すほど犯人は気をつかっていたんだから、車にブルーシートを戻したら床に引きずったときに付いた土が残るんじゃない?・・・わからないけど、掃除機で掃除したとしても細かい土や砂なんて警察が調べたらどこの場所のものか、すぐに分かるんじゃないかしら?」

「確かに・・・じゃあシルバーの車の持ち主が分かれば、犯人もわかるってこと?」

「わからない。でも私とミナの推理を足すとそういうことになるわね」


「姉さん!3番を片付けてくれる?」

カウンターからチカの声が飛ぶ。

「はーい!」

朝11時、店が開店してから1時間、ちょうどお客様が一周したところで少しテーブルが空いた。

といっても、今日もオープンから満員御礼。

朝のニュースを見てきた人も多いのだろう。

再び店の宣伝になったらしい。

ちょうどカフェ・ヴェルデはオープンして1週間経った。

金曜日は明日から週末を迎える人も多く、テイクアウトを求めるお客様も多い。

知人を訪ねる手土産にしたり、家で楽しむために買い求める人も多いのだろう。

チカが注文を取りつつ、せっせと焼き菓子を箱に詰めている。

「チカちゃん、これ、タルト・オ・マスカットね」

「はーい」

チカがミナからトレーを受け取り、カウンターのお菓子たちの新しい仲間として加えた。

「ねえミナちゃん、これなんて書いたらいい?」

チカがメニューカードを持ちながら厨房の窓のミナと話している。

「そうねえ・・・『ヨーグルトクリームカスタードの爽やかな甘みとマスカットの酸味のマリアージュ』とか・・・」

「マリアージュ?」

「マリアージュってね・・・」

ミナがチカに説明している。

カラン、玄関の音が鳴った。

「いらっしゃいま・・・・」

「やあ!鈴井くん!ここが君の店だね!」

入り口いっぱいにエネルギーを発しながら入ってきたのは・・・柏原教授!

「まあ、素敵なお店ね」

「お邪魔します、鈴井さん」

その後ろから秋元さんと庄治准教授が続いた。

わあ!さっき准教授が来ないかと思っていたところだ。

今日は黒のポロシャツにブルージーンズ。

髪はいつもよりは整っている。

「いらっしゃいませ、教授、秋元さん、准教授も」

「来たことがなかったものだからね。どうかね、庭のほうは?」

柏原教授の声は大きく、よく通る。

フロアのお客様が柏原教授に注目する。

それに今『庭』という言葉はこの店ではタブーだ。

「あ、あの、何になさいま・・・」

アヤカが言いかけると

「庄治くん!先に庭を見ようかね!」

そう言って教授が今入ってきた玄関から出て行こうとする。

「教授。庭は逃げませんから。まずは珈琲を頂きましょう」

秋元さんがやんわりと諭す。

「そうかね。じゃあ鈴井君!珈琲3つと何かお菓子を見繕ってくれたまえ!!」

そう言ってさっさと庭が見える窓下の席に歩いていった。

「まあ、そんなことを言って・・・」

秋元さんがすぐに追いかけた。

他のお客様たちは呆気にとられていたが、すぐ自分たちの世界に戻ったようだ。

「すいません、お騒がせして。あ、あとで庭を見させて頂きますね」

准教授がアヤカに話しかけた。

「はい、お願いします。まだキレイに保たれているとは思うんですけど・・・」

「あ、庭のセンセイですね。いらっしゃいませ」

そこにチカもカウンター内から准教授に挨拶した。

「こんにちわ、えーと、チカさんでしたよね、鈴井さんの妹さん」

私は鈴井さんでチカは名前なんだ・・・。

まあ、そう言うしかないけど、いいな。

「今だと、ちょうどラベンダーですね。それと・・・裏庭もついでに見させて頂いていいでしょうか?」

准教授がアヤカに向き直って言った。

「はい、あとでご案内・・・」

その時、アヤカの脳裏にあることが浮かび上がった。

持っていたトレイが落ち、重い金属音がカフェ中に響いた。

店のすべての目がアヤカに注いだがそれにもかかわらず、アヤカは目に入らなかった。

頭の奥で浮かび上がったひとつの光、いや闇がだんだんと大きくなっていたからだ。

そしてガンガンとしたティンパニーのような音が頭の中で響いていた。

「・・・さん、鈴井さん?大丈夫ですか?」

気づくと目の前に准教授の顔があった。

「どうしたんです?具合でも悪いんですか!?」

「あ、あの、わたし、わた・・・・」

身体がガクガクと震えてきた。

アヤカの両肩を准教授が掴んで身体を支えてくれた。

「姉さん!どうしたの!?」

准教授の後ろからチカの心配そうな顔が覗いていた。

「大丈夫・・・大丈夫だから・・・」

そう言っても足ががくがくして准教授が支えてくれなければ床に膝を着いてしまいそうだ。

「センセイ!すいません、姉さんを2階に運んでくれますか!?」

「わかりました、さ、鈴井さん!」

ふわっと身体が浮き上がった感覚がした。

准教授とチカが何か喋っているが、アヤカにはよく聞こえなかった。

アヤカは准教授に抱えられて2階のソファに寝かされた。

「すいません、センセイ!ちょっと見ててもらえますか?」

そう言って一緒に2階に上ってきたチカはまた階段を下りていった。

アヤカの身体の震えは止まらず、准教授はソファの背もたれに置いてあったひざ掛け用のブランケットを取り掛けてくれた。

そこへミナがコップを持って急いで階段を上がってきた。

「大丈夫なの!?アヤカ!顔が真っ青よ。とにかく飲んで!」

アヤカはかすかに首を横に振ったが、ミナがコップ口に押し付けたので身体を少し起こして少し飲んだ。

そしてそのままゴクゴクとアヤカは水を飲みつくした。

「どう?」

ミナがアヤカの顔を覗き込む。

「・・・大丈夫。ありがとう」

「貧血?アヤカ」

アヤカは首を横に振って、膝あたりに目を落とした。

「・・・そうじゃない、そうじゃないの。・・・私、犯人がわかったかもしれない・・・」

「え!?」

ミナと庄治准教授の声が重なった。

顔を伏せたまま、アヤカは顔を上げられなかった。

「どうしよう・・・」

「どうしようって何が?犯人がわかったんなら・・・アヤカ?」

ミナがアヤカの肩をつかんだ。

「そうしよう・・・あの人が犯人なの・・・」

アヤカはブランケットの端をギュッと握った。

「あの人って・・・アヤカの知ってる人なの!?」

「・・・ミナも知ってる」


「鈴井さん・・・」

上から准教授の声が降ってきた。

「事件の犯人が分かったって言いましたよね?」

「・・・・・・・」

「本当ですか?」

「・・・あの人の言ったことが・・・そうだと」

「証拠はあるんですか?」

証拠。

あの人が犯人だという証拠は・・・ない、今のところ。

アヤカはゆっくりと顔を上げて2人を見て首を横に振った。

心配そうなミナの顔、少し緊張したような准教授の顔。

「証拠は・・・今のところ無い、です。ただ・・・あの人の言った言葉が、どうしてもあの人が犯人だということを指しているんです」

「誰なんですか?」

アヤカは静かにその人物の名前を言った。

「アヤカ、でもなんであの人が?」

「なぜ・・・」

ミナの驚いた顔と、庄治准教授の戸惑った顔。

「でも犯人しか知り得ないことをあの人は言った・・・もう、どうしたらいいのか・・・」

アヤカは額に手を当てた。

「・・・アヤカ。証拠はまだ無いって言ったわよね。じゃあ、その人が犯人だと仮定して調べてみましょう」

ミナがソファの横にしゃがんでアヤカの手を取った。

「鈴井さん・・・その人が犯人だとしたら僕もお手伝いできます。・・・僕に何かできることは?」

あの人が犯人であってほしくはない。

もし・・・もし私の勘違いなら、調べても何もでてこないはず。

アヤカは顔を上げて、ミナと庄治教授の顔をかわるがわる見た。

「犯人が・・・調べてみて何も出てこなければ私の勘違いで済む。でもそれには確かめなきゃいけない・・・お願い・・・協力してくれる?」

「ええ」ミナが大きく頷いた。

「やってみましょう」准教授も力強く頷いた。

「ありがとう・・・」


アヤカとミナと庄治准教授は、今のところ犯人の名前は周囲には内緒にするということで口を合わせた。

もう大丈夫と起き上がろうとしたアヤカをミナが強引にソファに押し付けたので、アヤカはミナの言葉に甘えてもう少し休ませてもらうことにした。

まだ少しクラクラする。

ソファ横のテーブルにはミナが持ってきてくれた熱い紅茶がある。

「甘い紅茶はショック療法になるのよ」

一口飲むとほっとした甘さで気持ちが落ちついた。

紅茶にはレモンと蜂蜜が入っていた。

クッションを頭に当てて、アヤカは仰向けになった。

天井を見上げて目を閉じた。

階段下からは人の声や食器の音が少し聞こえ、壁時計の秒針の音が響いている。

アヤカは、自分の言ったことをもう一度考えた。

世の中に・・・益戸には何万人という人がいるのに、本当にあの人が犯人なのか。

なぜ自分はそれに気づいてしまったのだろう。

このまま・・忘れてしまって日常を送ることはできないのだろうか。

田中カズキは知らない只の他人だ。

むしろウチに来てしまった迷惑な人。

それに比べて・・・あの人は・・・。

「・・・・・」

ダメだ。

アヤカは身体を起こし、テーブルの上に置いてあったスマートフォンを手に取った。

「・・・もしもし?ああ、鈴井さんですか?朝は電話に出られなくて申し訳ない」

電話の向こうで一之瀬さんが謝っている。

「いえ、久保さんが出てくれましたから。・・・そちらはいかがですか?」

「そうですね・・・鈴井さんならまあ、お話してもいいでしょう。今もまだ容疑者、今井サトシの尋問は続いていますよ。しかし、なかなか口を割らない・・・」

「刑事さん」

アヤカは一之瀬刑事の言葉を遮った。

「一之瀬さんは、『仁』・・・今井サトシが犯人だと本当に思っているんですか?」

「・・・・・どういうことです?」

「本当は・・・違うと思ってらっしゃるんじゃないかと思って」

「・・・・・鈴井さん、また何か知ってるんじゃないですか?」

「・・・・・」

電話口から大きなため息が聞こえた。

「夕べ、仕事帰りの今井を拘束し調べた結果、衣服から田中カズキと同じ覚せい剤が発見されました。事務所の鍵も今井が住むマンションの敷地内から・・・ついでに、これはまだ発表されていませんが、凶器のナイフも発見されました」

「え!?」

「電話のタレコミがありましてね、今井が川にナイフを捨てたのを目撃したという・・・。その場所を今朝から調べたところ、川底から発見されました。指紋は取れませんでしたが、これで決まりでしょう。・・・ですが・・・」

「電話を掛けてきた人物はわからないんですね?」

「・・・そうです」

つかの間の沈黙が2人の間に流れた。

「刑事さん・・・お願いがあるんです」

「何でしょう?」

「おととい話したシルバーの車なんですが、もう見つかりましたか?」

「いえ、Nシステムで調べてみたんですが、目撃された車は大通りから進入したようではないようですね。大通りとは逆の細い道から来たみたいで、わかりませんでした。ただ、田中カズキの関係者を調べてみたところ、古川マサコの夫はシルバーのメルセデスを所有しています。それとホストの連中もかなりがシルバーの車を所有しています。しかし・・・どの人物も車の内部調査をするほどの令状を取るにはまだ証拠が足りません・・・」

「レンタカーはどうですか?」

「レンタカー?」

「そうです。しかも日曜日の夜10時から月曜日の夕方4時までにシルバーの車を返した人です」

「夕方4時?鈴井さん・・・また何か追ってるんですね。しかしそれならまだ絞りやすい。しかし、リストを作り、該当した人物に一人づつ聞き込みをするとなると・・・かなり人員も時間もかかりますね・・・」

「もしかしたら、葛飾や、香椎のレンタカー会社かもしれませんが・・・」

「わかりました。・・・あとは?」

「あと?」

一之瀬刑事の抑えた笑い声が聞こえた。

「まだあるんでしょう?」

「はあ・・・・。実はもうひとつ、いえ、あと2つ。ホストクラブの事務室内に何か、その、監視カメラのようなものが取り付けられた跡が無かったでしょうか?」

「監視カメラ?」

「そうです。小さな穴の跡とか・・・今は小さいサイズのカメラがあるんですよね?秋葉原やなんかで簡単に手に入る。もし社長や店長が犯人じゃなければ、金庫の暗証番号をどうやってそれを知ったか・・それは、本人たちから聞き出すか、金庫を開けるところを『視た』んじゃないかと」

「なるほど・・・」

「それと、田中カズキが12月25日の真夜中に通話したかどうか」

「鈴井さん・・・あなた、もう犯人の目星が付いているんじゃないですか?」

一之瀬刑事がつぶやいた。

「え!?」

「なんとなくですが、鈴井さん、犯人が誰かわかっていて裏を取ろうとしているように聞こえますよ?」

「刑事さん・・・」

「誰なんです!?」

憤慨したような刑事の口調だった。

「すいません・・・今は何も言えないんです。明日・・・明日まで待ってください」

「わかってるんですか!?今このときにも犯人は野放しになっていて、また犯行を起こすかもしれないんですよ!?」

一之瀬刑事の感情が爆発した。

「それはありません!・・・もう無いんです・・・」

何分の静寂があっただろう、実際には20秒くらいの沈黙だったが。

一之瀬刑事の大きく息を吐く音が聞こえた。

「・・・わかりました。さっきのこと、急いで調べましょう」

「・・・・・すいません」

つぶやくようにアヤカが言った。

「もし・・・この人物が事件に関係していてあなたが知っている人物だとしたら・・・鈴井さん、気をつけてください。こいつは人ひとりを殺しているんですから」

「ええ、危険なまねはしませんから」

そう言ってアヤカは電話を切った。

長い息を吐き、体育座りをして膝の上におでこを乗せた。

もし・・・これで私が考えたとおりなら、犯人は警察に渡さなくてはならない。

私はここで刑事さんの報告を待つ。

いや、私も・・・ひとつやることがある。

そう言ってもう一度スマートフォンを手に取り、電話をかけた。


午後2時。

アヤカが1階に下りて行くと、食後のお茶を求めるお客様でフロアの7割は埋まっていた。

チカがテーブルを片付け、ミナがカウンター内で注文を取っている。

アヤカの姿に気づいたチカが急いで駆け寄ってくる。

「姉さん!もう大丈夫なの!?」

「うん、大丈夫。・・・ごめんね、2人に任せちゃって」

「こっちは大丈夫だから、まかせといてよ。・・・もう少し休んでいたら?」

「そうはいかないわよ。2人とも休憩取っていないんでしょ?さ、どっちか休んできて」

「じゃあ、ミナちゃん、休憩行ってきていいよ?」

カウンターを出てきたミナにチカが言った。

「うーん・・・じゃあお先にいいかしら?」

「もちろん!ミナちゃん、朝早かったし、先に休んでよ」

アヤカはその様子を見て思わず心が温かくなった。

ほんとにこの3人で店をやれて良かった。

最初はアヤカとミナの2人でカフェ・ヴェルデを経営していけると思っていた。

そこにチカが加わって3人になり、店がオープンした。

絶品の焼き菓子を次々と繰り出してお客様を満足させるミナ。

明るく一生懸命に頑張るチカ。

先につぶれたのはオーナーの・・・この私。

私、この2人がいないと何もできないのかもしれない。

「アヤカ、もう・・・大丈夫なの?」

「うん。・・・ごめん、いろいろ押し付けちゃって」

ミナの心配そうな顔。

「大丈夫だよ!私一人でも何とかなるから!」

チカが笑顔でガッツポーズをとる。

事件は仕事が終わってから。

私はオーナーなんだから、もっと私がしっかり先頭になって店を切り盛りしなきゃ。

今はフロアにいるお客様のために働こう!

「本当に大丈夫!さあ行って、ミナ!・・・・あ、いらっしゃいませ!」

アヤカは新しいお客様を迎えるために笑顔で玄関に向かった。


「ありがとうございました」

午後6時過ぎ、最後のお客様が帰って行った。

アヤカは外に出てドアノブに『CLOSE』のプレートを掛けた。

店内に戻ってカウンターの上を見ると残っているのは、パウンドケーキ2切れとスコーン3つだけ。

今日もたくさんのお客様の来店のおかげで店の焼き菓子はあらかた売り切れた。

(明日もまた足りなくなるかも・・・)

今夜もこれから少し厨房で作業したほうがいいみたい。

「ねえ、ミナ。今日はこれからどうする?」

「そうね・・・明日は土曜日でしょ?日曜日は休みだから・・・今日はもういいんじゃない?」

厨房からミナの声が聞こえた。

「そう?」

「明日用にもうタルト生地はたくさん焼いたし、その他の仕込みも済ませちゃったわ」

早っ!

ミナってばどんどん厨房の効率化が良くなっていってる。

「じゃあ今日はもう上がろっか・・・」

その時、エプロンのポケットからスマホの着信音が聞こえたので取り出した。

誰が電話を掛けてきたかわかってアヤカはすぐ電話に出た。

「もしもし」

「あ、鈴井さん?今、大丈夫ですか?」

庄治准教授の優しい声がした。

「はい大丈夫です。もうカフェも閉めてしまいました」

「そうですか。体調のほうは・・・」

(准教授が私のことを心配してくれてる!)

「もう大丈夫です!・・・今日も忙しかったので、ずっと寝てられません」

アヤカの声が弾んだ。

「そうですか、でも無理はしないでくださいね。・・・それで、さっき頼まれたことですが・・・」

急に准教授の声がワントーン低くなった。

「はい・・・どうでした?」

「・・・鈴井さんのおっしゃるとおりでした」

「そうですか・・・」

アヤカはぎゅっと目をつぶった。

高揚していた気分が一気に急降下した。

片手でカウンターに掴まって体を支える。

「・・・さん、鈴井さん?それで、どうするんですか?」

准教授の声が聞こえて、アヤカはハッと自分を取り戻した。

「どうするって・・・」

「・・・警察に言うんですか?」

「今・・・刑事さんに調べてもらっていることがあるんです。もしそれが、私が考えていたことと一致したら・・・話します」

「そうですか・・・今、誰かそこにいますか?」

「ええ、ミナがいます」

「鈴井さん、絶対一人にならないでくださいね。・・・僕が一緒にいられればいいんですけど・・・」

え!?もちろん、いて欲しいわ!

だけど・・・そんなこと言うわけにはいかないじゃない!

「それは・・・嬉しいんですがそこまでご迷惑かけては申し訳ありませんから・・・」

うう、本当は違うのにぃ。

「そんなことはありませんが・・・。十分に気をつけてくださいね。ミナさんにも気をつけるようにと。何かあったらいつでも電話してください。・・・じゃあ」

そう言って電話が切れた。

最後の言葉の意味は何?

准教授は私のことを単純に気をつかってくれているだけ?

それともこれって・・・。

満面の笑みを浮かべて厨房を振り向くとミナと視線がぶつかった。

ミナが目を細めてアヤカの顔を見ている。

何、その顔は?

「大丈夫?暗くなったり明るくなったり・・・面白いけど、なんだったの?」

そうだ、ミナにも准教授の話を伝えなくちゃ。

「・・・じゃあ、やっぱりアヤカの考えた通りなのね」

「まだよ。上で休んでいる時に一之瀬刑事に電話したの。調べてほしいことがあるって・・・。もしそれが確認出来たら・・・」

「出来たら?」

「・・・話す。警察に」

「そう」


それから20分後。

1階の片付けがすべて終わってミナと2人で2階に上がって着替えようとしたとき、

またアヤカのスマートフォンが鳴った。

一之瀬刑事だった。

「もしもし?」

「鈴井さん?一之瀬です」

一之瀬刑事の声の後ろで車が行き交う音が聞こえた。

どうやら外にいるらしい。

「刑事さん?どうしたんですか?」

ミナが動きを止めてこちらを見て耳をそばだてている。

アヤカはスマートフォンをスピーカーに切り替え、ミナにも聞こえるようにした。

「今、葛飾のレンタカー屋です。犯行に使われたと思われる車を発見しました」

「もうわかったんですか!?」

「ええ。あれからすぐ署内の人員や派出所の警官を総動員させ近くのレンタカー屋に向かわせました。犯行に使用されたのはシルバーのオデッセイ。借りたのは片山ミツル、21才・・・誰なんですか?」

「それは・・・・それより車内から何か見つかりました?」

アヤカは一之瀬刑事に続きを促した。

ミナもアヤカの隣で耳をそばだてている。

「片山ミツルは車を月曜日の午前5時過ぎに返却しています。返却されてからレンタカー会社で清掃し、鑑識の結果、指紋は見つかりませんでした。しかし、助手席の床から珈琲と睡眠薬が混ざった飲みこぼし跡が採取されました」

アヤカはごくりと唾を飲み込んだ。

やっぱり・・・ミナの想像通りだった。

横をちらりと見るとミナがコクンと頷いた。

一之瀬刑事は話を続けた。

「それと、『ダイヤモンド・ヘッド』に久保を向かわせ再び調べたところ、天井から小さな穴の跡を見つけました。ちょうど金庫の斜め上あたりです・・・その穴の周りから1つだけ指紋が出ました」

「残っていたんですか!?」

「ええ。盗難事件のとき、鑑識は天井あたりは調べていなかったようです。こちらの手落ちですが・・・もしそこにカメラを設置していたとしたら、付けるか外すかのときに付いたんでしょう。天井を拭いたような跡があって念を入れたみたいですが・・・犯人にとっては不幸なことに一部だけ拭き損ねたんでしょう。その指紋はすぐ照合したんですが、田中カズキのものでも今井サトシのものでもありませんでした」

「そうですか・・・」

あの人にしては手落ちだったわね。

まさか指紋が検出されるとは思わなかった。

「それと、田中カズキの去年の12月25日の通話記録ですが、今井の誕生日会があった居酒屋近くの携帯電話の中継基地で田中カズキの通話記録を確認しました。午前3時頃に数十秒。通話先は使い捨てのプリペードカード電話ですでに使用停止され、契約者は不明です」

アヤカはゴクっと唾を飲んだ。

本当に用意周到な犯行計画だったんだ。

ほぼ完璧にやってのけた犯人は頭が良く、慎重な性格だったからだ。

唯一のミスは天井の指紋とあの発言だけか・・・。

「ねえ、鈴井さん・・・こいつが犯人なんでしょう?片山ミツルという・・・」

「違います」

「え!?」

「恐らく・・・この片山さんという人は関係ないと思います。ただ・・・もしかしたら千花大学の学生さんかもしれません」

「千花大学の・・・ということは、田中カズキの関係者ですか?」

「そう・・・だと思います」

「思いますって・・」

一之瀬刑事は電話の向こうで混乱しているようだ。

「ねえ、鈴井さん・・・もういいでしょう?あなたが考えている犯人は誰なんです?」

「すいません・・・今はまだ言えません・・・もう少し待ってください」

アヤカは小さな声で言った。

「待てとはどういうことですか、鈴井さん!これだけ調べたんですよ?あなたの考えた人物が犯人なんでしょう?」

我慢強くアヤカの話を聞いていた一之瀬刑事の不満が電話口を通して伝わってくる。

「わかっています・・・。だけどあと1時間くれませんか?」

「1時間・・・?その間に何を・・・何かするつもりですか?」

「どうしても・・・どうしてもその人と先に話をしたいんです」

「犯人に会うってことですか!?鈴井さん、それは危険です!もしあなたが考えている人が犯人なら、あなたの身が・・」

「すいません・・・」

アヤカはそのあとの言葉が繋げなかった。

もしあの人が犯人なら警察の手に渡すべきだろう。

けど・・・私は甘いのだろう。

できれば逮捕される前に自首してほしい。

あの人だったら・・・話せばわかってくれるかもしれない。

電話の向こうでは永遠とも思える沈黙が続いたが、息を吐く大きな音が伝わってきた。

「・・・いいでしょう。でも1時間です。それ以上は待てません」

「ありがとうございます、一之瀬さん」

「しょうがありません。この事件がここまで進んだのはあなたのお陰なんですから。・・・しかし無茶はしないでください。いいですね。すぐ私の番号を短縮ダイヤルに登録して危なくなったら、ボタンひとつで連絡できるようにしておくこと。1時間経ったら・・・また電話しますから」

「ありがとうございます」

「それとそちらに・・・まだお店ですよね?久保をすぐ行かせますから・・・いいですね?」

一之瀬刑事は不承不承な様子ながらも了解してくれ、電話が切れた。

「アヤカ・・・行くの?」

ミナは心配そうな声を出した。

アヤカはコクンと首を縦に振った。

「ミナ・・・珈琲を入れるわ・・・」

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