第8章
「アヤカ!オランジュ・ティー・シフォンよ」
「了解!」
アヤカが厨房と作業台をつなぐ窓からトレーを受け取った。
紅茶とオレンジの爽やかないい匂い。
そのまま空いているケーキドームに入れ、カードとペンを手に取った。
少し考えてから書き始めた。
『オランジュ・ティー・シフォン オレンジの爽やかな風味と紅茶に合うシフォンケーキ』
これでよしっと。
カード立てに指し、それをケーキの前に置く。
「これはマドレーヌ・ド・アールグレイね」
ミナがすぐ次のトレーを出す。
(今日は紅茶に合う焼き菓子が多いなあ)
『マドレーヌ・ド・アールグレイ アールグレイの香り高いバターたっぷりのマドレーヌ』
かなぁ・・・。
アヤカはペンを持って少し悩んだ。
木曜日のカフェ・ヴェルデは昨日に引き続き、多くのお客様が開店から詰め掛けた。
10時半現在、テーブルはあと2席しか空いていない。
カラン、玄関のベルが鳴る。
「いらっしゃいませー」
チカが歩み寄って新客を迎え出た。
「あの・・・鈴井さんは・・・」
名前を呼ばれてアヤカが顔を上げるとそこに前田コウキが立っていた。
今日はグレーと白のボーダーTシャツに白のジーンズ。
肩からネイビーのカーディガンを掛けていて、6月の爽やかな初夏にぴったりの格好をしている。
手には黒の『ノースフェイス』のリュックサックを持っていた。
「前田さん!いらっしゃいませ」
「あ、おはようございます、鈴井さん」
2人の様子を見ていたチカがは~んとしたり顔で笑みを浮かべた。
「あの・・・報告に来たんですが・・今大丈夫ですか?」
「あ、そうですね、じゃあ・・・」
とアヤカがフロアを見回す間に
「じゃあ、こちらにどうぞ」
チカがさっと空いたテーブルに案内する。
何やら二言三言、チカと前田コウキが話している。
戻ってくるとチカはそのままカウンターに入り、
「姉さん、交代するから行ってきたら?」と言った。
何そのニヤニヤした顔は。
「彼、けっこうイケてるわね」
チカにカウンターから押し出され、そのまま前田コウキが座っているテーブルに向かった。
「いらっしゃいませ、あの、何か召し上がりませんか?」
「いや、ちょっと寄っただけなので・・・」
「じゃあ、お任せでいいですか?」
「・・・はい、すいません」
アヤカはトレーに紅茶と先ほど焼きあがったまだ少し暖かいマドレーヌを2つ皿に乗せて戻ってきた。
「・・・じゃあ、頂きます」
ティーサーバーから浅めのカップ2つに紅茶を注ぐ。
「ん・・・これはなんというか・・・紅茶っぽくないですね。濃くて・・・表現が稚拙ですいません」
前田コウキが一口、そしてもう一口飲んで感想を言う。
「そうですね。これはキーマンという種類で紅茶というか中国茶なんです。スモークされて燻した風味が特徴なんです。食事にも合うんですよ」
「なるほど・・・。僕は紅茶はあまり飲まないので・・・でもこれ美味しいですね」
アヤカを見てにっこり微笑んだ。
「これはイギリスのフォートナム&メイソン社のものです。・・・前田さんは確かイギリスに留学されていたんでしたよね?」
自分が選んだものが褒められるやはり嬉しい。
「ええ。2月から4ヶ月の短期留学ですが・・・教授や仲間と交換留学でロンドンの大学で英語と経済を学んできました。あそこは欧州の経済の中心ですから・・・卒業したら外資系の銀行に入る予定なのでいろいろ勉強になりました」
「そうなんですか!もう就職が決まっているなんて優秀なんですね」
「いや・・・そんなことは」
手を頭の後ろに当てて、少し照れている。
「叔母さんが何かと援助してくれてるんですよ。今回の留学だってお金を出してくれたんです。・・・ホントは帰国してからすぐ挨拶に来なきゃいけなかったんですが、その、大学でいろいろレポートを書かなきゃいけかったんで・・・お土産も買ってあるんですけどね」
前田コウキが今度はマドレーヌを手に取った。
「このマドレーヌはさっき焼きあがったばかりで紅茶によく合うんですよ」
「うん!しっとりしてほんのり紅茶の香りがしますね」
そしてそのまま紅茶を飲んだ。
「合いますね、美味しいです。・・・さっきは女性ばかりなので店に入ってから少し躊躇したんですよ。でも男一人でも来たくなりますね」
最高の褒め言葉だ。
カフェ・ヴェルデは焼き菓子中心の店ということもあって女性客率が高い。
女性と一緒に同伴する男性はいるが、男性一人という客は少ない。
出来れば、男性にももっと来てほしい。
若い人ばかりではなく、シニアの人たちにも。
地元に根付いた愛されるカフェになりたいとアヤカは思っていた。
「ああ、すいません、すっかり寛いじゃって。鈴井さん・・・田中カズキのこと、少しだけわかりました」
アヤカはハッと我に戻った。
いけない、前田コウキは報告に来てくれたんだった。
ポケットからスマホを取り出し、少し操作をしたあとアヤカを見た。
「・・・えーと。田中カズキは経済学部4年生。僕のいるサークルに経済学部のヤツが何人かいたので聞いてみました。聞いた範囲じゃ友人は少なく、付き合いはあまりよくなかったようですね・・・。大学構内で偶然会ったら話すくらいで飲み会にも誘っていたんですが、あまり来なかったので最近は誘いもしなかったようです」
アヤカがうなづく。
飲み会だと夜だろう・・・その時間、田中カズキはホストクラブで働いていたはずだ。
「彼女もいなかったようですね・・・。前はいたみたいなんですが別れたみたいです。・・・別れたあと、その彼女がひつこく何度も大学まで押しかけていたみたいですよ」
あの、刑事さんが話していた女子大の彼女かしら。
「どんな人だったんでしょう?その彼女って」
前田コウキはスマホから顔を上げてアヤカを見た。
「聞いた話では、お嬢さんタイプのようですね。遊んでいる風ではなかったと。田中カズキが普段その・・・派手目な格好をしていて、彼女が地味目な格好をしていたので、周りの目を惹いていたみたいです」
なるほど。
「残念ながら分かったのはそれくらいです。ただ、付き合いが悪かったものの、授業にはちゃんと出ていたみたいだし、ノートもしっかり取っていたみたいで友人は頼りにしていたみたいです。・・・だけどここ半年くらいは話しかけても上の空みたいなことがあって・・・ますます付き合いづらくなっていたようです」
半年前・・・1月・・・やっぱりこの時期なのね。
盗難事件があって、恋人と別れて、態度がおかしくなって。
「すいません、これくらいなんですけど・・・」
前田コウキがスマホをテーブルに置いた。
「いいえ、ありがとうございます。貴重な情報です。今まで集めた情報と合わせてみなくっちゃ・・・」
「今まで?何かわかったことがあるんですか・・・?」
そうだ、前田コウキにも今までわかったことを伝えなくちゃ。
アヤカは火曜日からの出来事、調べたこと、分かったことを手短かに前田コウキに報告した。
前田コウキは驚いた様子で聞き入っていた。
「そんなに・・・いろんなことが?」
そう、田中カズキが発見されたのが月曜日で、今日はまだ木曜日だ。
3日前のことなのにずっと昔のことのような気がする。
「はい。・・・皆さんに協力してもらったお陰でいろんなことがわかったんです。あとは・・・この情報を警察に伝えて何かの役に立てば・・・と」
「いや、ここまで来たら仲間内で犯人を捕まえられるかもしれないですね」
前田コウキが興奮して言う。
アヤカも本心は自分達の手で犯人を捕まえたい気持ちなのだが、一応遠慮した言い方にしたのだ。
「僕ももっと情報を集められるかどうかやってみますよ!」
「あの、でも、学業に差し障りがあるでしょうし・・・」
「大丈夫ですよ!単位はほぼ取ってあるし、どっちかというとヒマなんです」
目がキラキラとしている。
アヤカは前田コウキの様子を見て思った。
人は探偵行為に興奮誰でも興奮するものなのかしら・・・?
前田コウキが出て行ってすぐ、ヨウコさんとキクさんが若い女性を連れて入ってきた。
「いらっしゃいませ」
アヤカが3人を出迎える。
「おはよう、アヤカさん。急にごめんなさいね。あのことで・・・今話せるかしら?」
ヨウコさんが遠慮がちに言う。
「おはようございます!・・・あのさっき甥子さんが来てらしたんですよ。そのへんで会いませんでした?」
「コウキが?・・・いえ、ちょうどすれ違ったのねぇ・・・」
ヨウコさんがドアの方を振り返る。
アヤカがフロアを見渡すと先ほど前田コウキがいたテーブルがまだ片付け終わっていない。
「すいません、今ご案内しますので・・・何か召し上がりますか?」
「ええ!もちろんですわ、アヤカさん。奥様も私もサクラもお茶を頂くつもりで来たんですよ!」
キクさんがウキウキとした声で答えた。
そうか、もう一人の女性・・・というかまだ女の子と言った年頃の子はサクラさんと言うのね。
「いらっしゃいませ!あ、長谷川のおばさま!」
カウンターからチカが声を掛ける。
「まあ、チカちゃん!じゃなくてもうチカさんね。いけないわ・・・」
ヨウコさんが頬に手を当てた。
チカに注文はまかせてアヤカは急いで今いたテーブルを片付け、カウンターに戻った。
「・・・今日は紅茶に会うお菓子が多いんです」
チカが紅茶を勧めている。
「じゃあ、このオランジュティーシフォンに・・・紅茶はチカさんが選んでくれるかしら」
「はい!かしこまりました!」
ヨウコさんとチカがあれこれ喋っている間に、キクさんとサクラさんを先にテーブルに案内する。
「どうぞ、こちらに」
「まあ、ありがとうございます。アヤカさん」
「・・・・・」
もう一人の・・・サクラさんは一言も声を発しない。
どうしたのかしら、この店が気に入らないのかしら。
「あの~キクさん、こちらは・・・?」
「ああ!アヤカさんは初めてですね。私の孫のサクラです」
え!?キクさんに孫!?
いや、いてもおかしくないけれど、キクさんに孫がいるなんて、結婚していたなんて!
「・・・初めまして」
やっとサクラが話したが、嫌々という様子だ。
「あの・・・私、キクさんに孫がいたなんて、結婚してお子さんがいたなんて初めて知りました・・・」
アヤカは動揺を隠せなかった。
「ああ、そうね。今はキクさんは住み込みで居てもらっているけど、昔はそう、アヤカさんが小さい頃は通いで、この近くでご家族と暮らしていたのよ」
いつの間にかテーブルに来ていたヨウコさんが言う。
知らなかった!
というか子供の頃はそんなこと気にも留めていなかったんだけど。
そうか・・・キクさんはずっと独身だと思っていた。
「そうなんです。ずっと前に連れ合いを亡くして・・・娘が独立してから奥様から住み込みでと請われたんです。一人で暮らすのも寂しかったので奥様に甘えてしまって・・・」
「いやね、キクさん。私こそ来てもらって嬉しかったのに」
この2人は主人と使用人という主従関係という間柄だが、間違いなくそれを超えた信頼と固い友情で結ばれている。
(いいな、こういう関係)
そこへチカが注文した品を持って来た。
「お待たせしました。姉さん、話があるんでしょ?こっちは大丈夫だから」
「ありがと、チカ」
トレーを受け取り、アヤカはテーブルにカップなどを並べた。
ほんとチカは頼りになる。
一緒に働くまでこんなに妹が頼もしいと思っていなかった。
アヤカは自分ばかりサボっているみたいで、少し罪悪感を感じた。
話をするのは3人が人心地つくまで待った。
せっかく来て貰ったんだから、すぐ殺伐とした話を始めるのは気が引ける。
「・・・美味しい!」
サクラがやっと若い女性らしい声を上げた。
それまで下を向いて暗い顔をしていたが、紅茶を一口飲み少し本来の気質であろう明るさが垣間見えた。
チカが入れたのは『ベノア』社のアッサムのようだ。
芳醇な麦芽の香りと、何にでも合う紅茶だ。
ストレートでも美味しいが、ミルクを入れるのが一番美味しい飲み方だ。
「この紅茶はアッサムで、ミルクを入れても美味しいんですよ」
アヤカが薦めてみた。
さっそくサクラがミルクを入れてもう一口飲んでみるとため息をもらした。
「ミルクティも美味しい。・・・なんかホッとする・・・」
あ、やっと少し顔のこわばりが取れたみたい、良かった。
でも・・・なんでこんなに不機嫌なんだろう・・・?
「まあ、このシフォンケーキも爽やかな風味ね」
ヨウコさんがケーキをつまみながら言う。
「はい、ミナが作るシフォーンケーキは絶品ですけど、この間食べて頂いたバニラ以外にもアレンジがいろいろあるんです。初夏なのでオレンジピールとオレンジジュースで軽めに仕上げたんです」
ほんっとミナってば天才!
毎日ミナが何を作るのか、私もワクワクしちゃう。
「・・・んん、それでね、アヤカさん」
お手拭で手を拭きながらヨウコさんが話し始めた。
「昨日話してた車のことなんだけどね。あのあと大友さんの家に行ってきたんだけど、残念ながら留守だったのよ・・・。それでさっきお花を届ける口実でお宅へ伺ってきたの」
ここでヨウコさんが一口紅茶を飲む。
「ああ、美味しいわね、紅茶も。・・・それで玄関先で聞いてきたんだけど、そのシルバーの車が止まっていたのは夜の9時過ぎだったみたいよ?」
夜9時・・・ということは死亡時刻の後ってこと。
そして、その時刻は私もミナもまだ店にいた。
その車が犯人の車で、あのブルーシートを運んでいた時にそこにいたと思うとゾッとする。
「なんで大友さんが覚えているかというとね、ちょうど9時から見たいドラマがあったんですって。大友さん、大通りからタクシーを降りて急いで自宅まで歩いていたら、ちょうど銀色の車が道を占領していて邪魔だと思ったんですって。ほら、あの道狭いですものね」
「運転手の顔は見なかったんですか?」
「それも聞いてみたの。アヤカさん達かと思ってチラッと見たらしいけど、そんなに人様の車の中を見るなんて失礼でしょう?だから、ちょっとだけだったからわからなかったって。お庭のほうも少し見たらしいけど、暗くて全然わからなかったらしいわ」
そうか、駐車場には人が近づくとライトが点くようになっているが、店の裏口のほうは暗いわね。
・・・そのうち裏口にも照明を付けなくちゃ。
「でも、やっぱりそのシルバーの車怪しいですね・・・」
「そうでしょう?」
ヨウコさんが静かに頷いた。
これはやっぱり重要な手がかりかもしれない。
あとで刑事さんに電話しなきゃ・・・。
「あの~アヤカさん」
ん?キクさん?
「お話し中、すいません。実は私もちょっとお話がありまして・・・」
「なんでしょう?キクさん。何かまたわかったんですか?」
「いえ、私というかこの・・・サクラなんです」
「サクラさん?」
ヨウコさんとの会話に夢中になっていて2人とも視界からすっかり外れていた。
見ると彼女はアヤカをすがるような目で見ている。
「あの、サクラさん?どういった・・・?」
「私・・・実は助けて欲しいんです」
「助ける?」
アヤカが面食らう。
「私じゃなく、先輩の滝川さんです」
滝川?滝川さん?誰だっけ・・・?
でもどっかで聞いたような気がする・・・。
「私、聖マリア女子大学の児童学部にいるんです。私は今2年生なんですが、4年生の先輩の滝川先輩が疑われているようなんです!」
あ!
「もしかして、田中カズキの元恋人!?えーと名前は・・」
「滝川マナミさんです」
どっかで聞いたわけだ。
でも警察ではもう元彼女の滝川マナミは容疑者対象ではないはず。
「でもね、昨日刑事さんから話を聞いたんだけど、その滝川さんはもう容疑が晴れているみたいよ?田中カズキの・・・その・・・死亡時刻にはアリバイがあるって」
「そうなんですか?・・・でも・・・」
「でも?」
「先輩、すごい落ち込んでて・・・。私、2年生なんですが、先輩とは実習授業のパートナーを組ませてもらっているんです。その関係で前からその彼との話も聞いていて・・・別れたあとだったんですけど、一度千花大学にも一緒に田中さんに会いに行ったことがあるんです」
そういえばさっき前田さんから元彼女が大学に押しかけてきていたって聞いたっけ。
「滝川先輩が真面目な人だったので、田中さんに会ったときはビックリしました。こんな・・・そのチャライ人なの?って」
「そうね・・・田中カズキは日常もホストっぽい派手な格好をしていたって聞いたわ」
アヤカが頷く。
「でも会いに行ったと言っても・・・その言い争いをしたって訳じゃなく、静かに話をしただけなんです。私も同席させてもらって・・・一度一緒にお茶を飲んだんですが、田中さんも見かけと違って誠実な感じを受けました。そうしてこの2人が別れることになったのか・・・私にはわかりませんでした」
サクラは紅茶を飲んで一息ついた。
「月曜日にこのニュースを聞いて、おばあちゃんに電話したんです」
サクラがキクさんを見た。
「そうなんです、おばあちゃんは大丈夫?って。優しい子なんです」
キクさんがサクラの肩を抱きながら言う。
「それでも心配になって、大学に行く前に家を訪ねようとしたんですが、警察に止められて・・・親戚の者ですって言ったのに・・・」
サクラが少し膨れ顔をする。
そうするとまだ少女らしい幼い表情になった。
「滝川マナミさんは・・・まだ田中カズキさんのことが好きだったのね」
「そうみたいです。口ではもう忘れたって言って笑ってましたけど・・・でも・・・全然忘れていなかったと思います。田中さんも先輩のことはまだ好き・・・だったんだと思います。今回のことで先輩、月曜日も火曜日も大学にも来ていなくて、私、心配になって昨日の夜、先輩に会いに行ったんです。・・・部屋にはいました。でも・・・辛そうで・・・食事もあまり取っていないようでした。私が訪ねていったので無理していたみたいですが、私、無理やりコンビニでサンドウィッチを買ってきて置いてきちゃいました」
だんだんサクラの表情は怒りを帯びてきたようだ。
「さっきおばあちゃんからも、長谷川のおば様からも聞いたんです。こちらのオーナーの方が事件を調べているって。・・・お願いです!どうか先輩を助けてください!」
アヤカは絶句した。
そんな・・・助けるなんて、私が・・・?
無理よ!
「あの、あのね・・・私は情報を集めているだけで警察はちゃんと捜査しているわ。いずれ滝川マナミさんの容疑も完璧に晴れて犯人は捕まるはず。それまで待って・・・」
「でも!警察が掴んでいない情報だって手に入れられたじゃないですか!」
「それはみんなの協力があって・・・」
「警察が解決してくれるかもしれないけど、もしかしたらこっちのほうが先かもしれませんよね。・・・まだ調べているんですよね?」
「そうだけど・・・」
困った・・・。
彼女は過剰な期待を私にしている。
サクラの顔は真剣だ。
確かにシルバーの車のことは警察も把握していなかった。
私達にもできることがあるのは確かだ。
「・・・助けられるかどうかわからないけど、調査は続けるつもりよ。でも・・・警察が先に解決するかもしれないし、無駄になるかもしれないことはわかってね」
「はい・・・それでもいいです。早くこの事件が解決してくれれば」
やっとサクラが笑顔を見せた。
「まあ、とにかく探偵家業はまだ続くのね!」
ヨウコさんがパンと両手を合わせた。
「私達もまだ出来ることがあるかやってみますし。・・・失礼して、お化粧室はどちらかしら?」
「あ、こちらです、ご案内します」
アヤカが先頭になってフロア奥の化粧室に案内する。
テーブルに戻ってくるとキクさんとサクラが小さい声で話していた。
「・・・私、あの人キライ」
「サクラ、でも・・・」
え?なんの話・・・?
アヤカがテーブルに戻ると2人はピタッと話をやめた。
「ああ、アヤカさん、このお店すっごいいいですね。うちの女子大でもウワサになってるんです」
サクラが何も無かったように無邪気に笑った。
「お菓子も美味しいし、それにこの店の雰囲気!」
サクラがぐるりと店内を見回す。
「ありがとう。あのね・・・実はここは私の祖母がずっと住んできた場所なの。私もよく遊びに来たわ・・・。楽しかった思い出ばかり。だからここを大事に守っていきたいの。今はここでたくさんのお客様に楽しんでいただいて幸せだわ」
「そうですね・・アヤカさん。私と奥様もこちらに何度も来させて頂いていましたから・・・。家は随分変わりましたけど、まだおばあ様、ミドリさんのあのお優しい雰囲気は残っていますよ」
そう。
建物は変わってもまだ祖母がいたあの穏やかな雰囲気は残っている。
ずっと、ずっと大事にしたい。
その後、いつも通り昼になると少し客足が減ったのでミナとチカに断り、アヤカは2階に上がった。
ドサッとソファに勢いよく座り、スマートフォンを手にとる。
・・・さて、どっちに掛けよう?
少し躊躇してから電話を掛けた。
プルル、プルルルル・・・ブチッ。
「一之瀬です」
「もしもし、カフェ・ヴェルデの鈴井です」
やはりここは上司の顔を立てたほうがいいと思い、一之瀬刑事に掛けた。
「ああ、鈴井さん。・・・昨日はうちの久保がお世話になりました、・・・鈴井さんからの情報、役に立たせてもらってます」
「いえ、その後、何かわかりました?」
「ええ、まあ、いろいろ・・・」
ん?言葉を濁している気がする。
また非公式で答えられないとか・・・?
・・・しょうがない、またこの手でいくか。
「刑事さん、実はお知らせしたい情報があって・・・」
少し沈黙があったあと、一之瀬刑事のため息が聞こえた。
「鈴井さん・・・またですか?しかし・・・」
一呼吸あった後、
「しかし鈴井さんの情報はなかなか興味深いものでした。今回ももしかしたら重要なことかもしれません。・・・鈴井さん、今日も夕方に伺ってもいいでしょうか?電話じゃなく、直接お話を伺いたい」
「もちろんです!お待ちしています。・・・今度は一之瀬さんも・・・?」
「あ、いや・・・そうですね、久保と一緒に伺わせて頂きましょう」
そう言って電話が切れた。
アヤカは一人ニヤっと微笑んだ。
警察が・・プロの捜査員が私達の情報を重要視している。
私達も捨てたものではないかも。
そう思うと少し気分がいい。
さて。
アヤカは立ち上がって大きく伸びをした。
部屋の壁にある古い掛け時計を見た。
祖母が大事にしていたもので、そのまま使っている。
12時半・・・刑事さんたちが来るまであと3時間くらいあるだろう。
階段の下からは賑やかな話声が聞こえる。
今は、そう、たくさんのお客様が待ってる。
あっという間に午後5時。
予告どおり、2人の刑事がカフェ・ヴェルデにやってきた。
前もって一番奥とその周りのテーブルを”予約席”にしてある。
今回はチカも同席する気満々だ。
ミナとチカにまた刑事さん達の訪問予定を告げると、チカが抗議した。
「また姉さん達ばっかり!今回は私も会議に参加するからね!」
そう言うと、チカは休憩時間にすぐアンの幼稚園に行き、延長保育の申請とアンのおやつを届けに行った。
アンの幼稚園は連絡とおやつさえ持たせれば、延長保育として午後7時まで預かってくれるそうだ。
幼稚園でそういうことが出来るとは思っていなかった。
チカが届けたおやつはもちろん店の焼き菓子だが、そこはチカ。
先行投資とばかりに他の延長保育のお友達にもと多く持っていった。
「だって、これで子供達や先生がお菓子を気に入ってくれれば、お店に来ることは難しくてもテイクアウトで買って行ってくれるかもしれないじゃない。ウチのお菓子は無添加だし。子供が気に入ればそのママたちもね」
さすがチカ、抜け目ない。
「大賛成」
ミナも片手を上げて賛成する。
これで宣伝になってくれれば安いものだ。
そういう訳で、一応お客様対応優先前提のチカを含めて捜査会議(?)は5人になった。
用意したテーブルにはキーマン茶が2つ、珈琲が3つ。
テーブルの真ん中にはオープサンドとマドレーヌ・ド・アールグレイ。
オープンサンドはミナが近くのデパートで買ってきたハードパンを薄切りにして具をのせたものだ。
ツナときゅうり、ラタトゥーユ、ハニーマスタードチキンとバジル、とミナが厨房で作った。
「刑事さん達、きっとお腹を空かせているでしょう」というミナの配慮だ。
「ミナちゃん、優しいね」
とチカが褒めると、ミナが顔を真っ赤にしたのはなぜだろうか。
そういうわけで会議が始まったが、まずは話より刑事さん達の食欲を満たすことが先。
美味しいものを食べれば口も滑りやすくなるかも。
「まずは召し上がってくださいね」
アヤカが勧めると、思ったとおりお腹が空いていたらしく、あっという間にオープンサンドは無くなっていった。
「美味しいですね。今日はあまり食事する時間が無くて。用意して頂いて恐縮です」
思った通りやはり珈琲派だった一之瀬刑事。
「このパン旨いですね。紅茶もですけど。これはどこのですか?」
紅茶好きだと公言した久保刑事。
「これは・・・」と少しうわずったように話すミナ。
「普段も作ればいいのに」とオープンサンドをパクつくチカ。
店内にはあと4組だが、新しい客は入ってくる様子はなく、あちらは大丈夫そうだ。
ひとしきりお皿の食べ物が無くなってきて、一之瀬刑事がコーヒーカップを置いた。
「さて・・・そろそろ始めましょうか。まずは鈴井さん、先ほどの電話の話をお願いします」
「はい、実は・・・」
久保刑事が手帳とペンを構えた。
アヤカは昨日と今日の朝聞いたヨウコ達の話をした。
シルバーの車が裏道に停まっていたこと、目撃された時間、その様子。
黙って聞いていた一之瀬刑事はすべて聞き終わると立ち上がってフロア奥に歩いていき、どこかに電話をかけた。
電話はすぐ終わり、テーブルに戻ってくると笑って説明した。
「そんなに注目しないでくださいよ。今、捜査本部に電話をしてきたところです。・・・日曜日の夜にこの辺りのNシステム・・・自動車ナンバー自動読取装置にシルバーの車が映っているかどうかをね」
「あ、もしかしたらグレーかもしれません」
アヤカがあわてて言うと一之瀬刑事が手で制した。
「ああ、わかってます。その辺りは我々もプロですから」
「そうですか」
アヤカはホッとした。
「では・・・昨日話した古川夫妻や田中カズキの件はどうなりました?」
紅茶を手にしたミナが久保刑事に尋ねる。
久保刑事は一之瀬刑事をチラッと見ると頷いたので、手帳をめくりながら話し始めた。
「えーと、まずは古川夫妻ですね。夫は古川イチロウ・・・香椎で不動産や娯楽店を経営しています。妻マサコとは平成10年に結婚。元々は妻の実家の事業だったようで、ほぼ婿養子のような状態ですね」
「夫婦仲はどうなんですか?」
チカが聞く。
「それなんですが・・・表向きは仕事上の付き合いに夫婦同伴で出席したりしておしどり夫婦という評判です。しかし、夫婦をよく知る周囲ではいいウワサは聞きません。夫のイチロウは自分の・・・その愛人みたいな女性に店を経営させていて、通っているみたいです。その他にもお気に入りのホステスがいる店にもよく行っていたみたいですね」
ふーむ、よくドラマで見るパターンね。
婿養子で、妻が金持ちで、愛人持ち。
その妻がホストに夢中で離婚を迫られて・・・なんてよくある。
「妻のマサコは、鈴井さんのご指摘通りに被害者田中カズキに入れ込んでました。ほぼ毎日通っていたようですね。一度にずいぶんとお金を落としていので上客だったみたいです。結婚は父親の薦めだったみたいで、お金には苦労したこともなく根っからのお嬢様ですね」
うーん、こちらも決まったパターン。
自分の意に沿わない結婚、若い王子様のような男性との出会い。
その男性を独占したかったんだろうか、それとも周りに群がる女性たちへの嫉妬で?
「2人のアリバイは?」
とミナ。
「それが・・・まず夫のイチロウ。こちらは田中カズキの死亡時刻午後8時には例の・・・そのお気に入りのホステスがいる香椎のクラブにいたんです。その前は取引先会社と社内で打ち合わせしていたみたいで、鉄壁のアリバイですね。妻のマサコはその時間には田中カズキのホストクラブ、ダイヤモンドヘッドにいました。えーとこちらは7時くらいから3時間ほどいたみたいです」
「え、田中カズキがいなかったのに?」
アヤカは驚きの声を上げた。
「本人がいないみたいでガッカリしたみたいですが、別のまあまあお気に入りらしい・・・えーと、『雅』というホストが付いていたみたいですね・・・」
「ああ、あの・・・」
「あの?」
チカの発した言葉に一之瀬刑事が鋭く聞き返した。
「い、いえ、あの・・・珈琲、入れ直して来ますね」
チカが急いで席を立ったのを一之瀬刑事がじっと見送った。
もうチカってば!
『ダイヤモンド・ヘッド』に行ったことはたぶんナイショにしたほうがいい。
「あ、あの!じゃあ2人ともアリバイはちゃんとあると!」
アヤカが少し大きい声を上げた。
一瞬お客様達がこちらを見てけげんな顔をしたが、すぐ自分の世界に戻った。
「すいません・・・じゃあ2人とも容疑者から外せますね」
今度は小声で言った。
「・・・皮肉にも、2人ともお互いの浮気相手とまでは言いませんが、別の恋人達がアリバイを保障してくれました」
一之瀬刑事が顔をゆがめた。
じゃあ、古川夫妻犯行説は消えたってことね。
そうすると・・・残る容疑者は?
「田中カズキの収入のほうはわかりました?」
アヤカが久保刑事を見た。
「店長に給料明細を見せてもらいました。田中カズキの月収と両親が受け取っていたという振込み額は・・・確かにおかしいです」
そう言うと久保刑事は脇においておいたブリーフケースから2枚の紙を取り出した。
テーブルの真ん中にあった皿を隣のテーブルに移動させるとそこに2枚を並べて置いた。
「これを見てください。左が給料明細、右が田中カズキの父の銀行口座です」
おそらく捜査課で作った資料だろう。
右下に極秘資料と書いてある。
2015年10月 手取り・・・72万!?
「70万も貰えるんですか!?」
アヤカはまた大声を上げそうになったがぐっと抑えて小声で言った。
「田中カズキはナンバー2だったので毎月これくらいは貰えていたそうです。ナンバー1のえーと、『仁』というヤツにいたっては、100万近い。ダイヤモンドヘッドは香椎あたりでは繁盛している店です。しかし、香椎は栄えているとはいっても地方都市なので、都会であればナンバー1なら300万近く稼ぐホストもいるそうです」
「はーーーー」
アヤカはゆっくり息を吐いた。
すごい世界があるものね。
11月は78万、12月は94万。
「そして父親の銀行口座の金額と比べると・・・」
久保刑事が右の資料を指で追う。
2015年10月は45万の振込み、11月は50万、12月は・・・130万!?
「刑事さん、これって・・・」
アヤカが顔を上げると一之瀬刑事が大きく頷いた。
「そうです。鈴井さん達のおっしゃるとおり、収入よりも振込み額のほうが多い。田中カズキは他にアルバイトをしていませんでした。・・・この不明金はどこからきたのか。こうなると盗難事件関係者として再捜査しなければなりません」
「家の捜索はしたんですよね?」
新しく入れた珈琲と紅茶をトレーに乗せたチカが戻ってきた。
「もちろんです。益戸のアパートも、今回のことがあって実家の捜索も徹底的にやりましたが・・・見つかりませんでした。しかし盗難事件に関係していたらまだ金は残っているはずです」
「店や大学は?」
ミナが言った。
「店のロッカー・・・まさかそんなところに隠しているとは思いませんでしたが・・・はすでに捜索済みです。大学には個人ロッカーとかもありませんのでどこかに隠したとしたら・・・あの構内は広い。かなりの人手で捜索しないといけないでしょうね。しかしまだ憶測だけです・・・大学の捜査許可は取れない」
一之瀬刑事が悔しそうな顔をする。
アヤカが資料に目を戻すと、口座振込みは1月110万、2月140万、3月120万と百万以上が続く。
給料日は25日、振込み日は大体月末で金額はバラバラだ。
「田中カズキの親は・・・この振込み額についてどう思っていたんでしょうか?」
アヤカが久保刑事を見て言った。
「父親も急に額が増えたので一度田中カズキに電話して聞いてみたそうなんです。そうしたら自分はクラブのナンバー1になったと。東京だったらもっと貰えているからこれくらい普通だと笑って言っていたそうです。・・・おかげで家に掛けられていた担保も借金も先月でだいぶ返し終わったそうですよ。あとは毎月数万づつで済むそうです」
そうか・・・。
元々は学費や生活費を稼ぐためにホストに勤めることになったんだっけ。
それで両親の借金も肩代わりして・・・。
傍から見れば親孝行な息子だが、もし盗難金を含んだお金を送金していたとしたら・・・・。
田中カズキのご両親はどう思うだろう。
それを思うと気が重くなった。