第5章
水曜日、午前9時。
カフェ・ヴェルデメンバー3人がカフェフロアのテーブルを囲んで座った。
1日の休業をあけて、今日からカフェ・ヴェルデ再始動。
チカが少し早めに出勤してくれたので、開店前に少しミーティングをすることにしたのだ。
テーブルには3人分の珈琲と焼きあがったばかりのスコーン。
今日は胡桃とアーモンドのナッツスコーンだ。
香ばしい匂いが漂う。
本日の珈琲は『土居珈琲』から取り寄せた『グアテマラ』
高い焙煎技術を持ち、製法にこだわった土居珈琲の人気銘柄だ。
柑橘系の爽やかな香りと、酸味と苦味が少ないマイルドな口当たりの珈琲だ。
「じゃあ、まずチカに話しておきたいことがあるの」
アヤカは昨日の出来事をすべて語った。
チカは表情をクルクルと変えながら、聞き入った。
3人で同じ情報を共有しなくては、これからの活動の差し障りになる。
「姉さん達、ズルイ!なんで私も誘ってくれなかったのよ!」
アヤカが話し終えるとチカが興奮気味に言った。
「チカちゃん、アヤカもあなたの家庭を気遣って・・・」
「わかってるよ、ミナちゃん、それぐらい。でも、私もメンバーの一員でしょ!?」
あらら、仲間はずれにされたと思ったみたい。
「じゃあ、このことは知らないでしょ?」
ふふん、とチカが得意顔になる。
「え?何、チカ」
ミナもスコーンを割ろうとしていた手を止める。
「昨日姉さんから電話をもらって私も何かできないかと思ったの。姉さんのとこにはそのホスト狂いのおばさんと旦那が転がってきたけど、私のとこには来ないから。で、私もちょっと調べてみたの」
「で?」
アヤカが続きを促す。
「アンの幼稚園のお迎えに行ったとき、ママ友達に話を振ってみたの。・・・ちょっと参ってるフリしてね。そしたらみんな興味津々で急に話をしだして、その中に被害者と近所だっていう人がいてね、そのママ友とはそんなに仲良くないけど」
さすがチカ、話を引き出すのがうまい。
「田中カズキはアパート住まいだったみたい。その人、たまにゴミ捨て場ですれ違ってたりしていたみたいだけど、会釈したりして結構礼儀正しかったって言ってたわ」
やっぱり・・・田中カズキは見かけとはちょっと違ったみたい。
「でね、一度朝ゴミ捨て場で見かけたとき、女の子と一緒にいたって」
え!?
でも23才の男の子だ。
恋人がいたって不思議じゃない。
「一緒にゴミを捨てにきてそのまま部屋に戻っていったらしいから、恋人じゃないかってその人思ったらしいの。遠めから見ただけだったけど、綺麗そうな女の子だったって。でもね、なんか言い争いをしていたみたい・・・これって役に立つよね?」
刑事さんからは何も聞いていないけど・・・あとで聞いてみなきゃ。
「姉さん?どう?」
チカが期待に満ちた表情でアヤカに聞く。
「ねえ、チカ、それって最近の情報なの?」
「え!?うん、そうだと思うけど・・・」
「ごめん、それ確認してくれる?」
田中カズキは2年前までは地味で真面目な生徒だった。
今も真面目なことは変わらないけど派手なカッコでホストをしていた。
人は少しの期間だけでも状況が変わってしまう。
その女の子もけっこう前のことなのかもしれない。
「じゃあ、ライン交換したから聞いておくね」
チカはSNSで連絡を取ることを約束してくれた。
「とりあえず、みんな。今日からまたカフェ・ヴェルデを再始動。
お客さんが来るかどうかわかんないけど、とにかく頑張ろう!」
アヤカは激をいれたつもりで言ったのだが、
「弱気なことを」ポツリとミナ。
「姉さん、わかってない」と言うのはチカ。
「大丈夫よ、姉さん。みんな好奇心にあおられて来るって。この殺人があった話題の店にね」
午前10時。
店はオープン時間とともに満席になった。
かくしてチカの言ったことは証明された。
イングリッシュガーデンに面した窓際の席からあっという間に席が埋まった。
オープン日よりも混んでるんじゃない?
玄関から入るとカウンターにぎっしり並ぶ焼き菓子が目に飛び込む。
お客さんはお菓子を見てからレジで注文し、番号札を受け取り、好きな席に座る。
番号を頼りにあとからアヤカとチカが注文されたものを運ぶシステムだ。
皆一様にイングリッシュガーデンのほうをチラチラと見ている。
みんな好奇心と刺激を求めているようだ。
(あの庭じゃないんだけどな)
アヤカは否定したい言葉をぐっと飲み込んで、笑顔で注文をとり、接客に勤しんだ。
直接アヤカやチカに事件を聞くお客様はいなかった。
庭も気になっているようだが、
お客様は皆お菓子と珈琲や紅茶に満足にもしてくれているようだった。
キッカケはともあれ、これでウチのファンになってくれれば・・・とアヤカは思う。
開店してから1時間、レジに立ったアヤカはチラっと後ろを振り返った。
背後の厨房の窓からミナが忙しく立ち回っているのが見える。
「ねえ、ミナ、そっち手伝う?」
「大丈夫、まだ」ミナが簡潔に答える。
ダメそう?
ヘルプに入ろうとカウンター横から厨房に入ろうとすると正面の玄関から母が入ってきた。
「おはよう、アヤカ」
「母さん!」
母が店に来るのは初めてだ。
プレオープンには歯科医院のスタッフを連れて来てくれていたのだが、営業時間に来たのは初めてだ。
フロアを見渡すと、あ、奥が空いてる。
「母さん、何にする?」
カウンター上の焼き菓子を手で示しながら言う。
「そうね・・・じゃあこのスコーンと珈琲で」
「オーケー。じゃあ、あの窓際の奥の席に座ってて」
母は席に座ると、給仕をしていたチカに手を振った。
気づいたチカがびっくりした表情を浮かべながらも母の席に近づく。
アヤカはそれを見ながら母の注文したものを用意し始めた。
カフェ・ヴェルデでは珈琲はフレンチプレスで提供する。
フレンチプレスは『ボダム社』のものを使用。
フレンチプレスは、コーヒー油分まで残すことなく抽出でき、
コーヒーの素材本来の美味しさを楽しめる。
それに誰が入れても同じ美味しさを引き出せるのがいいところだ。
本日のお薦め珈琲のグアテマラの粉をフレンチプレスのビーカーに入れ、熱湯を注ぐ。
大体4分くらい待つので、その間にケーキドームを開けてナッツスコーンを取り出す。
作業台下のオーブンに入れ、少しだけ温める。
そして小皿にメイプルとバターを乗せてスコーンに添えた。
最後にフレンチプレスのつまみを押し下げて準備完了。
用意が整ったので、カラトリー類と全てをトレーに乗せ母のもとへ運んだ。
「母さん、お待たせ」
「ありがとう、アヤカ」
アヤカがぐるりと店を見回すとちょうど新規の客も無く、
皆おしゃべりとカフェ・ヴェルデの味を楽しんでいるようだ。
少しくらいなら母と会話してもかまわないだろう。
アヤカはそっと母の正面のソファに座った。
フレンチプレスからカップに珈琲を注ぐ。
「どうぞ、感想を聞かせて」
母はブラックで飲む主義だ。
注いだ珈琲をゆっくりと口に運ぶ。
「朝飲むにはちょうどいい軽さの珈琲ね」
そのままスコーンをナイフで横半分に割り、メイプルバターを付ける。
サクサクしたスコーンは朝の軽食としてピッタリだ。
かじったあと、満足げな声を出した。
「メイプルバターがすごく合うわね。メイプルシロップみたいに垂れないからお上品に食べられるし」
そのまま珈琲を飲んで流し込んだ。
「美味しいわ、アヤカ」
母がにっこり笑う。
三十いくつにもなるが、やはり母に褒められるのは嬉しい。
「で、今日はどうしたの?」
「どうしたのって心配だったから来たのよ、いけない?」
あらら、せっかく機嫌良かったのに私ったらもう損ねちゃった?
「テレビでニュースになったあと続報も流れないし、あなたからどうなったか連絡も無いし」
「続報なんて・・・あれ以上ニュースが流れてたら悪い評判がたってお店が大変」
「で、どうなのその後?」
ああ、きた。
「うん、見てのとおり。お客様がたくさん来てくださってよかったわ」
「違うわよ、事件のほう」
しょうがないか、アヤカは渋々ながら母に説明した。
「ふーん、じゃあ、あのブルーシート君、見かけどおりのコじゃなかったってことなのね?」
「そうみたい。・・・私もホストって仕事に偏見を持ってたから意外だったんだけど真面目なコだったみたい」
母がフレンチプレスから2杯目の珈琲をカップに注ぐ。
「香椎のダイヤモンド・ヘッドね・・・」
母が小さくつぶやく。
「姉さん、ちょっといい?」
チカがこっちに近づいてきた。
店をぐるっと一望するとまたレジ前にお客様が何人かいた。
いけない!
「ごめん、母さん!そろそろ仕事に戻るね」
「え?ああ、そうね」
母が珈琲を持ったまま軽く手を振った。
それからは新しく来店したお客様をさばいていたので、母がいつの間にかいなくなったことに気づかなかった。
正午になると少しお客様の波が引いたので、アヤカはミナに休憩を取るように言った。
いつもお昼どきには少しお客様が減るのだ。
厨房をのぞくとミナがフル回転してお菓子を焼いたのでたくさんの焼き菓子が並んでいた。
「これでしばらくもつと思う」
そう言ってミナは2階に上がっていった。
チカも今日は早く来てくれたし、あとで休憩をとってもらおう。
そう思いながらカウンター内に入ると
「姉さん!返事が来た!」
チカがスマホを持ちながら近づいてきた。
「どうだった?」
「うん、それが見たのは2月か3月だったみたい」
「じゃあ、最近じゃないのね?」
「そうみたい・・・」
チカがしゅんとしている。
「でも大事な情報よ。あとで刑事さんに聞いてみなくちゃ」
あわててアヤカが言い添えた。
「それに今もお付き合いしていても、別れていても、そこから男女トラブルでってことも十分考えられるわ」
「そうね・・・。そういう恋人同士からってよくあることよね」
チカが少し元気を取り戻したのを見てアヤカはホッとした。
もう警察は恋人の存在を確認しているとは思うけど、念のため聞いてみよう。
そう思っていたら、玄関ドアが開いた。
「いらっしゃいませ」
カウンターのお菓子越しに声をかけると、タウン誌編集長のユキコさんだった。
「ハイ!アヤカ!」
「ユキコさん!いらっしゃいませ」
ユキコさんはアラフィフの2人の子供がいるキャリアママだ。
グレーのピンストライプのパンツスーツが決まっていて、颯爽としていてカッコイイ。
お子さんは1人は家を出てすでに独立していて、下の子は高校生だ。
アヤカ憧れの女性で、性格もサバサバして頼りがいがある編集長だ。
ちなみに離婚経験者である。
「アヤカ、大変なことがわかったの」
周りのお客様に気をつかってか、ひそひそ声で話しだした。
「え?」
そこに2階からシェフコートから私服に着替えたミナが降りてきた。
「あ、ユキコさんでしたよね。いらっしゃいませ」
「こんにちわ、ミナさん。何を選んだらいいかわからないくらい美味しそうなものばかりね」
ミナとユキコさんはプレオープンの時に顔を合わせていた。
「本日のオススメはこのナッツスコーンです。胡桃とアーモンドがたっぷり。それとこっちのタルトシトロンも」
「きっとあなたが作るものは何でも美味しいと思うけど、お勧めを頂くわ」
「ええ、ぜひ・・・これはメイプルバターと一緒に・・・」
ダメだ、話に花が咲いてしまいそう。
「あの~ユキコさん?」
話に夢中になっていた2人の会話が止まった。
「さっき大変なことがって・・・」
「あーー!ごめん、そうだった。・・・でもココじゃしにくい話だから・・」
アヤカがフロアを見渡すと奥のテーブルが空いていた。
「あそこは?」
ミナが同じ場所を指指す。
「私がご案内するから、アヤカ、用意して持ってきてくれる?あ、私も珈琲いい?」
ミナとユキコさんが2人連れ立って席に向かう。
アヤカは急いで支度をしてテーブルに向かう。
どうやら二人は都内の美味しい店について情報交換しているらしい。
「お待たせしました。それでユキコさんの話って・・・?」
「ありがと。うん、昨日アヤカから電話をもらってスタッフにいろいろと調べてもらったの。
ねえ、覚えてる?去年香椎のホストクラブでの盗難事件」
「え?そんなことありましたっけ?」
「まあ、小さい記事だからね・・・」
そう言ってユキコさんはカップに珈琲を注いだ。
「それがどうやらその田中カズキがいたホストクラブだったみたい。
盗難事件があったのがちょうどクリスマスだったから、ちょっと話題になったのよ。
サンタの仕業かって、逆だけどね」
「そんなことが・・・。それで・・・その事件、解決したんですか?」
ミナはそう言うと珈琲を一口飲んだ。
「それがね、まだ犯人は捕まっていないみたい。電話でも聞いてみたんだけどね・・・これってなんか関係あるのかしら?」
ユキコは持っていた大きなバッグからプリントアウトの束を取り出し、アヤカに渡す。
「はい、これその資料。これによると内部犯行ではないみたい。だから田中カズキはシロみたいなんだけどね」
「そうなんですか?」
「窓から侵入したみたいなんだけど、割られてもいなくて、開けられていたのよ。だからプロの仕業じゃないかって」
ユキコから渡された資料をパラパラとめくってみる。
地方の小さな盗難事件だが、クリスマス時期とあって話題性もあり、それにこの金額。
「こんなにすごい金額なんですか!?」
「ミナさん、このタルト美味しい☆」
「これから夏に向けて柑橘系のものを出していこうと思って・・・」
あのー、聞いてる?
「あ、ごめん。やっぱりクリスマス時期って稼ぎ時だったみたいなの。
それで金庫にはたくさんお金があったみたい。それを狙ったみたいね」
なるほど。
それにしても・・・1千5百万?
「ホストって儲かるんですね~」
アヤカが素直な感想を言う。
「ホストクラブがね。ホストは売り上げによってかなりお給料が違うみたいだし」
そうなんだ。
うーん、これに田中カズキが絡んでいるのかなあ。
考えることが増えちゃった。
ユキコに礼を言いつつ、断って仕事に戻った。
接客をしながら、カフェ・ヴェルデ特製のボックスに焼き菓子を何種類か詰める。
再びユキコの席に戻る。
「ユキコさん、これ、みんなで食べてください。ありがとうございました」
ユキコさんはびっくりしつつも笑顔で受け取った。
「いいのに。でも有難くいただくわ」
「これくらいじゃ足りないでしょうけど、みんなによろしく言ってください」
本来の仕事をしつつ、忙しいなか事件の情報を集めてくれたタウン誌編集部のみんなへのお礼だった。
「ありがとう。アヤカ・・・メゲちゃダメだからね」
本当にありがたい、ミナを見るとミナも少し微笑んでいた。
午後1時過ぎ、ミナが戻ってきたのでチカに断って2階に上がり、
益戸署の一之瀬刑事の携帯番号をかける。
・・・・出た!
「・・・一之瀬です」
「もしもし?私、カフェ・ヴェルデの鈴井です」
「ああ、鈴井さん。どうしましたか?」
「あ、いえ。捜査のほうはどうなったかお聞きしたくって・・・」
ややあって間が空いて
「・・そうですね。順調とはいえませんが、わかったこともいくつかあります」
「どういったことですか?」
アヤカが聞き返すとまた間が空いた。
「まず被害者の田中カズキの死亡時刻が分かりました。前日、日曜日の夜8時くらいです。死因は腹部の刺し傷で出血死でした。それと…被害者は睡眠薬を飲んでいました、コーヒーと共に」
前日・・・ということは私たちが店にまだいたときかしら?
それに睡眠薬って…。
「それと被害者なんですが、大学ではあまり友人がいなかったみたいで、大きなトラブルも無かったようです。恋人は現在いません。それにバイト先のホストクラブでも恨みを買っていた感じではなかったようですね。・・・実は被害者の職業からしてそういうところからの怨恨ではないかと考えていたのですが、真面目に勤務していたようで、同じ店の同僚からも好かれていたみたいですね」
「田中カズキさんの、固定のお客さんはどうなんですか?」
「今そちらのほうは全力でリストを作成しています」
そこまではまだ進んでいないのね。
アヤカは古川マサコを頭に想い浮かべた。
「あの~刑事さん、実は・・・」
アヤカが手短に昨日古川夫妻の来店(?)のことを話した。
電話の向こうで一之瀬刑事が驚いているのがわかる。
「それは・・・どうしてもっと早く連絡してくれなかったんですか?」
「すいません、もっと早くお電話すべきでしたね・・・」
電話の向こうで黙り込んだ。
「あの~それに恋人がいないっておっしゃいましたね?」
「言いましたが。・・・それも何か知っているんですか?」
アヤカはチカの話をそのまま伝えた。
「恋人の存在はあったようです。・・・しかし3月頃に別れてしまったようです。話はもう聞きに行ったんですが、別れたのは3月初めだったみたいで、もしそのときの恨みがあってもそれから6月までずっと怨恨を引きずっているとは思えません」
確かに。
別れた直後なら分かるが、3ヶ月経ってから殺人を犯すのはちょっと考えられない。
「ちなみに・・・ホストクラブの盗難事件は解決したんですか?」
「ああ、もう、鈴井さん!一体どこまで調べたんですか?・・・あとでお店に伺って直接話をお聞きしましょう。それからお話しましょう」
そう言って電話が切れた。
午後2時前になると、食後のお茶とお菓子を求める人が増えた。
ちょうどチカに休憩をとってもらっていたので、アヤカは目が回るほどの忙しさになった。
それを見てミナも厨房から出てきてカウンター内で注文を受けている。
カラン。
玄関の音が鳴る。
フロアを歩いていたアヤカがそっちを見ると、あら、長谷川のおばさんとキクさんだわ。
今日は知人の訪問が多い。
急いで2人のところに行く。
「いらっしゃいませ、おばさん、キクさん」
「ごきげんよう、アヤカさん」
「お邪魔いたします、アヤカお嬢様」
それぞれ挨拶をかわす。
しかし・・・お嬢様・・・もうそんなトシではないんだけど。
「ちょっとお話があって寄ったのだけなのよ。・・・忙しそうね」
おばさんがフロアを見渡す。
「ありがとうございます。・・・何か召し上がっていきませんか?」
アヤカが誘う。
「そうね・・・お昼を頂いたあとだけど・・・キクさん、どう?」
キクさんは楽しそうに辺りを見回している。
「え、そうですね奥様。せっかくアヤカ様に誘って頂いたのでちょっとだけ・・・ご招待されましょうか」
「いらっしゃいませ、何になさいますか?」
カウンター向こうからミナが声を掛ける。
「あなたがこの素晴らしいお菓子を作ってらっしゃる、シェフさんなのね」
長谷川のおばさんの丁寧な話し方に少しミナが戸惑う。
「は、はい。パティシエの平原ミナです」
「アヤカさんがね、家に来るたびに持ってきてくれるので、私、すっかりあなたの、ミナさんのお菓子のファンになってしまったわ」
おばさんが上品に笑う。
「そんな・・・」
ミナが恥ずかしそうにうつむく。
「私はこの珈琲ケーキにしますね」
キクさんがニコニコとケーキを指差す。
「じゃあ、私も同じものを。あと珈琲を頂ける?」
「かしこまりました」
そう言ってミナが準備を始める。
レジでキクさんがお財布を出そうとしたので
「あ、キクさん、お代はけっこうです」アヤカがあわてて止めようとした。
「アヤカさん。いつもいつもお菓子を持ってきて頂いて私たち、一度もお支払いしていないのよ?」
急におばさんが少し厳しい顔をした。
「あなたも店の主になったんだからもっとお金に厳しくしなくちゃダメ。これからはちゃんとお代を払わせてね」
アヤカは思わず黙ってしまった。
そうだ。
お店を出す夢を叶えることで必死だったけど、これは商売なんだ。
オープンさせただけで満足しちゃいけない。
お店の売り上げを上げて、材料を買って、商品を作り、お客様からお金を貰って、
スタッフにお給料を支払わなくちゃいけない。
それが商売の基礎だ、決して慈善ではない。
アヤカは自分の甘さに恥ずかしくなった。
「・・・わかりました。じゃあお代は頂きますね」
「ええ、もちろん」
おばさんはやっとニッコリ笑った。
ミナに断って、アヤカがおばさんとキクさんの分のトレイを持ちテーブルに向かった。
「お待たせしました、本日の珈琲と珈琲ケーキです」
珈琲ケーキは生地に珈琲シロップを入れ、マーブル状になった四角いケーキだ。
ホロ苦く甘さ控えめだが、上に胡桃と甘いクランブルがトッピングされている。
もちろん珈琲との相性はバッチリ。
長谷川のおばさんは珈琲から口にしたが、キクさんは早速珈琲ケーキに手をのばした。
一口食べ、二口食べ、珈琲で流し込む。
「お嬢様、とても美味しゅうございますね」
「ほんと、これは大人向きね。今日来ていた方たちにも振舞って差し上げたいわ」
おばさんもケーキを一口食べた。
「今日、初めて出してみたんです。もっといろんな方たちに来て頂きたくって」
「私たちみたいなおばあちゃん達にも?」
少しいたずらっぽい顔でおばさんが尋ねた。
「もちろんです!・・・その・・・シニアの方たちにも」
「甘さ控えめで私たちでも食べやすいですよ、お嬢様」
褒めてくれたのはうれしいが、またその呼び方・・・。
「あの~キクさん。・・・そのお嬢様って言い方、その・・・恥ずかしいのでもう・・・」
アヤカが勇気を出して言った。
「あら・・・ダメですか?」
キクさんが首を傾げて言う。
「ダメってわけじゃあないんですけど。私も・・・その30半ばですし、もうお嬢様という年では・・・」
「じゃあ、アヤカさんも私のことをいつまでも『おばさん』って言うのやめなくてはね」
長谷川のおばさんが少し笑いながら話に割って入った。
「去年あなたと再会したとき、私はあなたのことを『アヤカちゃん』から『アヤカさん』と呼ぶようになったわ。もうあなたは大人だから、一人の女性として扱おうと思ったの」
そういえば、あまりにも自然だったから気づかなかったけど、
小さい頃は『アヤカちゃん』だった。
「そうですね奥様。私としたことが、いつまでもアヤカお嬢様とずっと小さいときのままにしてしまって。
・・・アヤカさん、大変失礼しました」
「い、いえ、ごめんなさい、キクさん。そんなつもりじゃなかったんですけど、なんとなく恥ずかしくって。でも、私もそうですよね。いつまでも『長谷川のおばさん』じゃないですね。じゃあ、・・・長谷川さんって呼べばいいですか・・・?」
「ホホホ、それじゃあ堅苦しいわね。ヨウコさんって呼んでくれるかしら?」
ヨウコさん。
「わかりました。じゃあ・・・ヨウコさん・・・で」
言い慣れないなあ。
「じゃあ、これで私たち、対等の一人の女性同士になったわね」
ヨウコさんが笑い、隣でキクさんも笑う。
私はいつまでも子供じみていたのかもしれない。
こんな風に”女性同士”なるときが来るなんて・・・小さいときには想像もしていなかった。
おばあちゃんがいたら、びっくりしてただろうな。
「それでね、話というのは・・・」
長谷川のおばさん、改め、ヨウコさんが話し出した。
そうだ、話があってって言ってたっけ。
「今日の午前中にお花のお稽古があったの。公民館じゃなく自宅でご近所の方たちとね。事件のことを聞いてみたの。そしたら、みんな一斉に話し出すのよ、もうおかしくって」
ヨウコさんが口を押さえて笑う
「一昨日の朝、いろんな人達が裏庭に見にいったみたいね。なんでも大通りのほうからは入れなかったみたいだけど、さすがにこの路地の近所の方達は出入り禁止に出来なかったらしいわ。警官が多すぎてあまり見えなかったみたいだけど」
アヤカはふーっとため息をついた。
「そうなんです、警察が裏庭を調べている間もご近所の方たちが集まってきちゃって」
「残念ですわ、行けなくて」
と言うのはキクさん。
「ホントにね。私たちはもう9時くらいには家を出てしまってて知らなかったんですものね」
ヨウコさんもそっとため息をつく。
「それで、生徒さん達の一人が言うのよ。朝早く怪しいトラックが店の裏口に止まっていたって」
アヤカに緊張が走った。
「それって何時くらいですか?」
「そうね・・・朝9時前だったとか」
怪しいトラック?それってひょっとして・・・
「ヨウコさん、それってたぶんウチに来る配達業者のトラックじゃないかと・・・」
「まあ、そうなの!ああ、残念、すごい情報だと思ったのに・・」
まあね、こういう事件のときってどんな車だって怪しく思えてしまうのかもしれない。
「・・・それにしてもなぜあなたの店に置いていったのかしらね。空き家に捨てていけば済むものを」
「確かに数ヶ月前までは空き家でしたからね」
キクさんが言い添える。
「ごめんなさい、アヤカさん。役に立てなかったわね」
「いいえ、とんでもない!おば・・・ヨウコさん。ありがとうございます」
「じゃあ、きっとあの銀色の車も関係ないですわね」
キクさんがぼそっと行った。
「銀色の車?」
「ええ、一昨日じゃなくて、先一昨日の・・・日曜日の夜らしいんですけど、アヤカさんの店の裏側の道に銀色の車が止まっていたらしいんです」
シルバーの車なんて街中にはたくさん走ってる。
それこそ5台に1台はシルバーではないだろうか。
アヤカの車もシルバーに似たグレーだが、少しくらいホコリを被っても目立たないので便利なのだ。
店裏の小路地は細く車1台通るのがやっとで一通だ。
大通りへの通り抜けには使いづらいのでご近所の方達くらいしか使わないはず。
これってひょっとして大事な情報じゃない?
「キクさん!それすごい情報かもしれません!」
アヤカはヨウコさんとキクさんに被害者の死亡推定時刻が日曜日の夜8時頃だと話した。
もし殺した後に運んできたとすれば、目立たず運べる夜の間だったはず。
驚いた2人だったが、興奮させてしまったようだ。
「まあ、じゃあ奥様、私達すごい情報を掴んだんですよ!」
「もっと詳しく大友さんから聞かなきゃダメね」
「いえ、あの・・・それが事件に関係あるとは限らないんですが・・・」
アヤカは急に弱気になったが、ヨウコさんとキクさんはヒートアップする一方だ。
「じゃ、鉄は熱いうちにですわね、奥様」
「落ち着いて、キクさん。でもすぐ訪問しましょ」
2人とももう腰を浮かせかけている。
「行くんですか!?じゃあ私も・・・」
「私達にまかせて、アヤカさん。大友さんは4軒先の私の生徒さんなの。わかったら連絡するわ。行くわよ、キクさん」
「はい、奥様」
そう言うとヨウコさんとキクさんはせかせかと出て行った。
残されたアヤカは・・・パワフルな2人の女性達にボーゼンとするしかなかった。