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第2章

「あれは間違いなく人間の死体よ!」

急いで厨房に戻ったアヤカは、そのまま丸椅子にドサッと座り込んだ。

チカも座って青い顔でミナに渡された水を飲んでいた。

アヤカはミナに状況を報告しつつ

「私にも水ちょうだい」と手を出した。

髪の毛しか見ていないけど人間だった・・・。

生きていたらあんな風におとなしく包装なんかされていないはずよね?

ミナは信じられないというような顔をして聞いていたが

「本当なの?もしかしたらマネキンじゃないの?ゴミで誰かが置いてったとか」

と言いながらコップを差し出す。

アヤカはコップを受け取り、思いきりゴクゴクと水を飲み干した。

ふーっと息を吐き出す。

ミナに冷静に言われるとアヤカも先ほどまで死体だと確信していた自信が揺らいだ。

あれは・・・ホンモノの髪の毛だったかしら?

ニセモノだったらもっと人工的なツヤだし。

での今のマネキンはリアルにできているのかも。

だからといってもう一度見に行く気にはなれない・・・。

「絶対、絶対人間よ!だってアレは人間の髪だもん!私、触ったもん!」

チカが叫んだ。

「チカ、触ったの!?」

アヤカはチカを信じられないとばかりの目で見た。

「だって・・・何かわかんなかったし、まさか人間だと思わなかったし・・・」

消え入りそうな声でチカが答える。

2人の様子をかわるがわる見ていたミナがため息をついた。

「とにかく、警察に電話する前に確かめないと。もしマネキンだったらマズイでしょ」

そうだ。

もし間違いだったら?

オープンしたばかりなのに警察が来るなんて店の評判が悪くなる。

「じゃ、私見てくるから」

「ま、待って!!私も行く!」

アヤカはあわてて立ち上がった。

ミナはいつも冷静だし、もし本物の死体だったとしても動揺しないかもしれないけど

私はこの店のオーナーで責任があるんだから。

「じゃ、行きましょう」

ミナは裏口のドアを開けて外に出ていく。

「チカ、ここにいて」

アヤカは内心の動揺を隠しながら自分を奮い立たせて続いた。


これは現実じゃない、夢であって欲しいと願った。

だがやはりその水色のかたまりはあった。

アヤカとミナはその前に佇んだ。

2人の幻じゃなければそこから茶色い髪の毛がのぞいている。

「これね。ふむ」

普段あまり表情を出さないミナでも緊張した面持ちのようだ。

アヤカはブルーシートを見下ろしながら一点、はみ出した髪の毛を見ていた。

茶色い髪で長めのようだ。

女?いや男かも?

小屋の影になって見えにくいけど白髪は混じっていないようだ。

ということは若いのよね。

「開けるわよ」

ミナが少し膝を折って手を伸ばし、髪近くの水色のビニールシートを手前に少しはがした。

すると顔が・・・白い顔が現れた。

マネキンじゃない、やはり本物の人間だった。

男性、しかもかなり若い。

顔は傷ついたりつぶれたりしていなくキレイなまま、目も閉じていたので少しホッとした。

まだ可愛さが残る顔をしていて片方の耳に光るピアスをしている。

(ダイヤかな?)

目を開けていたらイケメンの部類に入るのではないだろうか。

アヤカは頭の中で知りあいのファイルをめくってみた。

今まで知り合った人、近所の人、・・・覚えはない。

ミナの様子からも知り合いではなさそうだ。

とにかく警察に電話しなきゃ。

「ちょ、ちょっと、ミナ!」

ガサガサ音をたてながらミナはしゃがんで真ん中のビニールテープをほどき、

シートをもっと下に下げようとしていた。

もう人間だと確認しただけで十分じゃない!

アヤカはミナの肩に手を置いたが、

好奇心がまさってミナのやることをそのまま見ていた。

服は着ていた。

光沢がある白いシャツ、襟元の首にはシルバーの大ぶりのネックレス。

黒のジャケットを身につけていたが乱れて前が開いている。

サラリーマンのようなスーツのジャケットではなく、

少しキラキラとした、そうクラブで着るような遊び風のジャケット。

下に視線を移していくと腹部あたりにどす黒い染みがシャツに広がっている。

そこには黒い棒が、というかナイフの柄・・・?

ということは・・・これは血!?

「きゃああああああ!」

アヤカは急に現実に戻って叫び声を上げた。

「!」

ミナも息を呑んだ。

死体、それも刺された死体だった!

大変!本当に、本当に警察に連絡しなきゃ!


30分後、裏庭の路地に静かにパトカーが止まった。

死体を確認したあと厨房に戻り、ここの責任者としてアヤカが警察に電話したのだ。

110番に電話するのは初めてだ。

だから一瞬119だか110だかわからなくなったが。

パトカーはサイレンを鳴らしながら到着するものと思っていた。

だから普通の車のように裏口に到着したのは奇妙な気がした。

こんな大変なことが起こっているというのに。

思わず胸の前で腕を組んで、足元でコツコツと音を立てた。

ブルーシートの見張り役としてアヤカとミナは庭に残っていた。

念のため、手に大きなしゃもじを持って武装しながら。

死体が動くとは思ってはいなかったが、ま、念のため。

本当は包丁を持ちたかったのだがミナに止められたのだ。

ちなみにミナが手にしているのはボールに入った小麦粉だった。

なんでなの?


死体を確認後、一度ミナと厨房に戻りチカに詳しい事情を話した。

そして店の表に臨時休業の札を掛けさせ、厨房で待機するように言った。

こんな状態じゃ店を開くことはできない。

ううん、もしかしたらこれからずっと開けなかったりして。

アヤカの胸に不安がどんどん押し寄せてくる。

「とにかくママに連絡しなきゃ」

少し落ち着いたチカがLL.Beanのトートバッグの中からスマホを取り出した。

立ち上がって母に電話をしている。

そう、私の母にだ。


チカはアヤカの5歳下の妹である。

このカフェ・ヴェルデの3人目のメンバー。

フロア担当をしてもらい、接客、会計、テイクアウトでお菓子を詰めてもらったりもしている。

「そう、だから、本当なのよ!冗談じゃなくて!」

アヤカはその様子を見ながらため息をついた。

チカがこの店で働きたいと言ったのは母の差し金だということはわかっている。

姉アヤカを見張るため。

一応カフェ経営を認めてくれたものの、自分の目が届くようにスパイ(?)を送り込んだのだ。

チカは20代前半で結婚して夫と女の子が1人いる。

アヤカにとっては姪にあたり、アヤカも可愛がっている。

姪のアンは幼稚園の年中で5才。

母親の小さい頃そっくりの活発な子だ。

もう大人のようなしゃべり方をして、テレビで覚えたことを聞いてはチカやアヤカを困らせる。

チカはカフェ・ヴェルデで朝10時から午後4時までの勤務になっている。

アンを幼稚園に送ったあと、自転車でこの店に来る。

お迎えは母やチカの夫がしているようだが、

賢い子なのでママがいなくてもあまり無理を言わないようだ。

チカの夫はIT企業に勤めていて、都心に会社がある。

義弟は時間の融通が効き自宅でも仕事ができるので、チカが働き始めても文句はなかった。

むしろチカの仕事を理由に、アンと一緒にいられる時間が増えて喜んでいるようだ。


シングルのアヤカから見ればうらやましい結婚生活だ。

チカ一家は益戸駅から歩いて15分程のタワーマンションに住み、

夫は会社役員で高給を貰っているはずだ。

チカは経済的に働く必要がないはずだが、ココで働くと言い出したときは驚いた。

それが母の差し金であるということはすぐに察したのだが。

正直、ミナと2人だけで店を回せるとは思っていなかったので、

店が軌道に乗ったらバイトを雇うつもりだった。

だから思いがけなくチカが来てくれたのは嬉しかった。

アヤカと母は今少しギクシャクした関係にあり、

ま、主にアヤカの人生についてが原因だが、妹のチカとは小さい頃から仲が良かった。

チカはほっそりとした小柄の美人で学生の時から男性にモテるタイプだった。

それに人の気持ちを察するのが得意で、いわゆる世渡り上手。

反対にアヤカは男性には近づきがたい印象を与えるらしく、

初めて彼が出来たのは大学生になってから。

それも長続きせず、すぐに終わってしまったのだが。

サバサバした性格なので、女友達は多いがアヤカは一人で行動することが好きだった。

チカとはまったく違う性格だが、なぜか昔からケンカをした覚えもなく気が合った。

ミナは小さい頃から家に遊びに来ていたので、チカともよく遊んでくれていた。

一人っ子なのでチカのことを

妹のように思ってくれていたようだ。

この3人で店の中はうまくいくはず・・・だった。

「姉さん、ママ、すぐこっちに来るって」話しを終えてチカがアヤカに振り向いた。

ため息。。。


パトカーから制服を着た警官が2人降りてきた。

ゆっくりこちらに歩いてくるので少し腹が立った。

女性2人が死体の番をしているのに、

気づかう気がないのかしらと思いながら

アヤカは一歩前に出た。

「益戸警察署、駅前交番のモノです。

お電話を下さったのはあなたですか?」

年上の先輩だと思われる警官が一度アヤカのしゃもじをチラっと見てから、

にこやかにアヤカに話しかけた。

「そうです。鈴井アヤカと申します」

「お電話にあった死体というのは・・・?」

「こちらです」

アヤカが小屋の後ろを指差すと2人は後ろに回りこんだ。

死体を確認すると2人の警官はお互い目を合わせてうなずいた。

そしてゆっくりとブルーシートを剥がしていった。

先ほどの親しみやすい、

明るい雰囲気は消えてしまっていた。

先輩警官はスマホで(今ってトランシーバーじゃないの?)どこかに連絡をしているようだ。

後輩警官は胸ポケットから手帳を取り出し、

何かを書き付けている。

もしかしたら・・・死体があると言ったことを疑われていたのかもしれない。

私、そんなに落ち着きなく警察に電話したかしら?

まあ、死体なんてそうそう転がっていないものね。

しばらくこの死体と一緒にいたのでアヤカは以外と冷静に警官たちの作業を眺められた。

ブルーシートがすべて剥ぎ取られ、全身が見られるようになった。

死体は上着と同じ黒のズボンを履いていて、足元は尖った黒い革靴。

これもビジネス用ではなく、金属の飾りが付いた派手なものだった。

ズボンの裾を持ち上げると靴下は履いていないようだ。

バッグ等の持ち物は無いようで、年上警官が靴を脱がしたりポケットをひっくり返していると、

「おい、これを見ろ」

急に先輩警官が鋭い声を上げて後輩警官を見た。

「これは・・・」

二人の警官が緊張したような様子を見せる。

一気にこの場に重苦しい空気が漂う。

アヤカもミナと一瞬顔を見合わせたあと、

警官の上から覗き込んだ。

死体のズボンのポケットが引っくり返っていて白い粉のようなものが付いていた。

小麦粉・・・じゃないわよね。

反対のポケットには小さいビニール袋に入った白い粉が出てきた。

「この死体に触りましたか?」

急にアヤカ達を振り返り、先輩警官が重い口調で尋ねた。

アヤカはその質問を頭の中で反芻はんすうした。

「私は・・・触ってないですが、妹とミナ・・・いえウチのこのパティシエが」

「そうですか。それはマズイですね」

「というと・・?」

さっきまでふらっと寄りましたというような感じだった

二人の警官にもう親近感は感じられなかった。


それからはもう悪夢というより他はない。

小路地には”立ち入り禁止”の黄色いテープが張られ、

追加のパトカー、救急車、警察のワゴンが続々と到着し、

大通りから入った路地はちょっとした渋滞になった。

大通りには規制線が張られ、

一般人は通れないようになったおかげで

幸い奥で何が起きているかはわからない。

さすがに近所の人たちは騒ぎを聞きつけ集まってきたようだが。

鑑識の人達があちこちでフラッシュを炊いて写真を撮り、

ブルーシートに付いた指紋を採取しようとしているのか、

白い粉を吹きかけている。

死体はストレッチャーに載せられて救急車で運び去られた。

アヤカとミナは所在なくあ然とその様子を見守り続けた。


「失礼、こちらのオーナーの方ですか?」

最初に来た警官と話していたYシャツ姿の男性が近寄ってきてミナに話しかけた。

「いえ、こちらがこのカフェ・ヴェルデのオーナーです」

ミナが手の平をアヤカに向ける。

「申し訳ありません。こちらの店のオーナーですね?」

アヤカに向き直った男性が改めて聞く。

50代くらいの人の良さそうな人だ。

白いYシャツに茶色いズボン、

背はアヤカより少し低いくらいだ。

「はい。このカフェ・ヴェルデオーナーの鈴井アヤカと申します」

軽く頭を下げた。

「あの・・・刑事さん、なんですか?」

「益戸警察署捜査課の一之瀬と申します。このたびは大変なことになりましたね」

捜査課?

やだ、大掛かりになってきちゃった。

「はい。びっくりして・・・」

「ショックを受けられたと思いますが、少しお話を聞きたいのです。

中でお話を伺いたいのですがよろしいでしょうか?」

「中でですか!?」アヤカが少し首を後ろに回して厨房を見た。

「立ったままじゃご気分が悪くなると思いますので」

すると一之瀬刑事の後ろに控えていた背が高い若い男性刑事が一歩前に出てきて、初めて口を聞いた。

「何か都合が悪いことでも?」

「いえ、そういうわけじゃ・・・。ただ・・・妹と母がいてショックを受けているので」

「なるべくご気分を害さないように努めますので」

一之瀬刑事がとりなした。

「はあ・・・・じゃあどうぞ」

アヤカはミナを促して厨房に通じるドアを開けた。


「アヤカ!一体どういうことなの!?ママをこんなところに閉じ込めて!」

アヤカとチカの母、鈴井ショウコがこちらに向かってきた。

「ママ、落ち着いてよ!」

チカが母の後ろから服を掴んで引きとめようとする。

やっぱり。

チラっと刑事さんたちを見ると母の迫力に圧倒されているようだ。

チカが母に連絡したところ案の定、香椎の家からタクシーで飛んできたのだ。

庭に出ようとする母を厨房に引き止めて、チカに任せていた。

「母さん」

自分が落ち着いたところを見せれば母も落ち着くかもしれないと冷静に母に呼びかけたつもりだったが

「アヤカ、人が殺されたんでしょ?どういうことなの?あなたの知り合いじゃないの?」

立て続けに質問を浴びせてくる。

ふう。

「母さん。こちらは益戸署の刑事さん達よ。これから私たちの取り調べをするみたい」

「取り調べですって!?」

余計興奮させてしまったみたい。

「お母様。大変不幸な出来事が起きてしまったようですが、ご協力頂きたいのです」

一之瀬刑事が母に向かって神妙に語りかけると

さすがに母も他人がいると思うと落ち着きを取り戻したようだ。

「ええ、・・・そうですね。わかりました。

でも私も母としてここにいていいですね?」

お母さん、私達もうけっこうな大人ですけど。

「いえ、できれば外に・・・」

若い刑事が口を挟もうとすると一之瀬刑事が手で制した。

「久保、いい。お母様としてはお嬢さんたちがご心配でしょう。・・・少し酷い表現の話もすると思いますが」

「あの・・・」

ミナが手をあげる。

「もし良ければ店のカウンターのほうで珈琲を入れたいのですが。おばさんが落ち着くように」

一之瀬刑事がチラっと久保と呼ばれた刑事を見る。

「俺が付いていきます」

ぼそっと耳打ちした声が聞こえた。

「ではそちらのお嬢さん、お願いします」

ミナを見てうなずいた。

ミナはホッとしたしたように厨房のドアを開けて店へ入っていった。

続けて久保刑事も出ていく。

「さて」

一之瀬刑事は残った人を見回してアヤカをひたと見据えた。

「まずはこちらのオーナー、鈴井アヤカさん。あなたからお聞きましょう」


「なんてことかしら。母の家にあんなものを捨てていくなんて!」

アヤカから順番に供述を取る間、

全員が厨房にいたがその間誰も私語は話さなかった。

というか、挟めなかったのだ、母ですら。

一之瀬刑事は一見ニコニコとした人の良さそうな人だったが、

時々鋭い目でアヤカ達を見、

話し方は優しいが切れ者という印象を持った。

4人とも人生初の指紋まで取られた。

そしてやはりというか、

予想通りカフェ・ヴェルデは営業停止を告げられた。

いつ再開できるのかわからない。

尋問されている間、イングリッシュガーデンの面した大通りには

マスコミや見物人が大勢いたようだ。

店内やイングリッシュガーデンの捜索、

裏庭の作業も終わり、

警察関係の人たちは引き上げていき、

店には4人だけが残った。

午後2時。

店のテーブルに珈琲を前にして4人は集まった。

母はまだ憤慨している。

チカはぐったりとした顔でテーブルに頬杖をつき、

ミナは椅子の背もたれに寄っかかって腕を胸の前で組んで遠くを見ている。

アヤカといえば珈琲マグを両手で包んだまま無言で考え続けていた。

時計の音だけがしばらくカチコチ響く。

「ねえ」

アヤカがとうとう口を開く。

「おかしいと思わない?こんなところにアレ・・・死体を捨てていくなんて」

「そりゃそうよ、まったく迷惑だわ!」

「母さん、そういうことじゃなくて」

母を一度制してから

「ごみ置き場の裏とはいえ、

すぐ見つかるところに置いてあったのよ?」

「何が言いたいの?」

ミナがこちらを向く。

「死体を見つけて欲しいんなら、そのまま家の前に放りだせばよかったじゃない」

3人とも一斉にうなずく。

「だけど・・・ブルーシートに包んであった。

それってどういうこと?

見つけて欲しかったの?欲しくなかったの?」

「そうね、ブルーシートに包むってことは普通は隠すためよね?」

ミナがうなずきながら答える。

矛盾してるわ。

「それに、田中カズキなんて人、知らないし」

チカが口を挟む。

アヤカ達が尋問を受けている間、裏口から警官が出入りして何度も一之瀬刑事達に報告していた。

被害者の上着の裏ポケットから財布が出てきて、

自動車免許証、学生証が見つかり、

被害者の正体がわかったのだ。

田中カズキ。

歳は23歳、千花大学4年の学生ということもわかった。

そして驚くことには、ホストクラブの名刺も出てきてどうやら田中カズキはそこで働いていたらしい。

どおりで派手めな格好をしていると思った。

「香椎にもホストクラブなんてあるのね」

ミナがぼそっとつぶやいた。

「あら、ミナちゃん、知らないのね!

香椎や益戸にもいろいろとそういう遊び場があるのよ」

アヤカとチカは驚いて母の顔を見た。

「ママ?行ったことあるの!?」

チカが声を上げる。

「ええ、あるわよ。店のコ達と一緒にね。

なかなか面白かったわよ。

非日常的な感じで」

これを聞くと他人は誤解するかもしれない。

実際には母が経営する歯科医院の先生や

歯科助手の女性達と行った、ということだろう。

「その田中・・・ナントカと同じ店じゃないかもしれないけどね。

店の女の子達がたまにホストクラブに遊びに行くらしくって、私も一緒に言ったのよ。

ほら、よくテレビでホストのドキュメントとかやってるでしょう?本当かしらと思ってね」

ミナも驚いた顔をうかべて母を見つめている。

「面白い経験だったわよ。私達はそんなに遊ばなかったけど、他のグループがシャンパンタワーって言うの?それをやっててね。お店は大盛り上がりだったわ」

チカがアヤカを見つめている。

わかってるわよ。

ここは長女としてアヤカが聞かねばならない。

「ママ・・・その・・・ホストクラブに通っているの?」

動揺するとたまにまだ母のことをママと呼んでしまう。

「アヤカ!ママのこと何だと思っているの!そんなことしないわよ!」

本当かしら?

母はアヤカのことをよく考えないで行動するとか言うけれど、

娘2人からしたら母のほうがよっぽど暴走しがちだ。

そろそろ還暦なんだから少しおとなしくしていて欲しい・・・なんて言ったら絶対怒るに決まっているけど。

「とにかく、しばらくお店は開けられないのね」

ミナの言葉で改めて全員の間によどんだ重い空気が流れた。


母はそのまま帰り、アヤカ、ミナ、チカの3人は店の片付けをした。

ミナは朝早くから作ったお菓子たちを残念そうに見つめ、

振り切るように大半をゴミ袋に放り入れた。

午後4時。

チカが娘アンの幼稚園のお迎えに行き、

ミナが自分のバイクで帰ってからアヤカは一人で裏口に出てみた。

立ち入り禁止のテープがクチャクチャになって寂しくぶら下がっていた。

ミナかチカが怒りにまかせて破ったのだろう。

ため息をついて一応ソレを直す。

それ以外はブルーシートも死体も片付けられ、以前のように静かな裏庭だ。

さっきまで大勢の警察の人がいた庭とは信じられない。

空を見上げると6月の空はまだ日が高く、日が暮れるまでにはまだ時間があった。

これからどうなるんだろう。

おばあちゃん・・・。

祖母とこの裏庭で花をみていたことを思い出す。

思い出の場所が土足で踏みにじられたようだ。

ふと頭に視線を感じた。

首をぐるっと回して隣の家を見上げると2階の少し開いた窓から人影が消えるのが見えた。

誰?

隣は長谷川さんの家よね。

なんで急に隠れたんだろう。

こっちを見ていた。

声をかけてくれればよかったのに。

そういえば・・・長谷川のおばあちゃんはこの間のプレオープンに来なかったわね。

どうしたのかな。

よし・・・今日のことで迷惑かけたし、行ってみよう。


アヤカは店に戻り、新しく入れた珈琲をポットに入れた。

そして持ち帰ろうと思っていたバニラシフォンケーキとマドレーヌ、

ナプキンなどを籐カゴのバスケットに詰めてから店の正面から外に出た。

左に曲がり、少し歩くと立派な日本家屋の門がある。

門には”長谷川一葉華道教室”という木の看板が立てかけられている。

門をくぐると左右に広い日本庭園が広がっている。

どこもよく手入れをされていて、松が青々として初夏を感じさせる。

飛び石の上を歩き玄関にたどり着くと、カメラ付きインターフォンを押した。

少し待つと引き戸が開けられた。

「まあ、いらっしゃいませ、お嬢様」

「こんにちは、キクさん」

白いエプロンを付けた女性がにこやかに出てきた。

この長谷川邸のお手伝いのキクさんだ。

苗字はずっと知らない。

小さい頃時々祖母に連れられ、この長谷川邸に遊びに来ていた。

そのときからずっとキクさんはいた。

「あの・・・知ってると思いますけど、今日ウチで大変なことが起きて・・・」

「大変なこと・・・でございますか?」

キクさんは無邪気に首をひねる。

あれ、知らない?

「とりあえず、お入りなさいませ。奥様は大きな居間にいらっしゃいますよ」

「じゃあ、お邪魔します。あ、これウチの店のお菓子と珈琲です」

「まあ、ありがとうございます。お嬢様、立派になって・・・」

ちょっとズレてるけど・・・。

キクさんはバスケットを受け取ると奥へ消えていった。


玄関から左に曲がり、庭に沿った廊下を進むと「大きな居間」がある。

祖母のミドリと長谷川のおばさんはお隣同士で、同じ華道教室に通う友人だった。

アヤカはよく祖母に連れられ、この家に来た。

いつも同じ居間に通され、そこでいつも美味しいお菓子をご馳走になった。

大人の会話に飽きると庭園に下りて、池の金魚などを眺めた。

その間、祖母と長谷川のおばさんは庭を見ながらずっとおしゃべりをしていた。

祖母が亡くなってからは足が向いていなかったが、

カフェ・ヴェルデを開店するにあたり、長谷川のおばさんにお菓子を持って挨拶に訪れた。

当然ながら長谷川のおばさんは以前より年を取って、髪も白くなっていた。

だけど記憶にあったあたりを払うような風格と上品な笑い声は変わっていなかった。

アヤカが挨拶に来たときは久しぶりに会いに来たことを喜んでくれ、

祖母の家でカフェを開くことを歓迎してくれた。


「おばさん、アヤカです、お邪魔していいですか?」

アヤカは居間の手間で一度止まってから声を掛けた。

「お入りなさい」

畳を敷き詰めた和室の奥におばさんは座っていた。

水色の着物を着て、ちょうど花を挿していたところだったみたいだ。

おばさんの目の前には新聞紙の上に置いたアジサイやアガパンサス、青いモミジ、

水色の平たい大きな水盤が置いてあった。

「ちょっと待っててね・・・」

一度アヤカに目を向けてから手に持っていたアジサイを剣山に挿した。

アヤカは少し離れたところで正座した。

和室は15、いや20畳ほどの広さで、ベージュと薄緑色の畳が交互に敷きつめてある。

壁は薄グレーでモダンな雰囲気の和室だ。

隅にはお茶を立てるための囲炉裏もあったはずだが、畳でフタをしてあるようだ。

パチン、とおばさんがハサミで花を切る音が部屋に響く。

静かだ。

大通りから奥まったところにある家なので車などの音も聞こえない。

5分ほど経ったであろうか、おばさんがふう~っと大きな息を吐いてこちらを見た。

「お待たせしたわね」

出来上がった作品を背後の床の間に乗せ、切った葉や茎を新聞紙で丸めた。

アヤカは立ち上がっておばさんの正面に座りなおした。

「おばさん。おばさんにちょっとお話があって。・・・実は今日ウチで・・・」

そこへキクさんがアヤカが渡したお菓子と珈琲をお盆に乗せて運んできた。

おばさんが立ち上がって部屋の隅に置いてあった小さなテーブル向かったので

「私、やります」

アヤカが代わりにテーブル持ち上げて部屋の真ん中に置いた。

キクさんがテーブルに皿やカップをセットすると

「キクさんも一緒にお茶にしましょう。いいわよね?」

おばさんがアヤカを見る。

「もちろんです。私、キクさんにも話しを聞いてもらいたくて・・・」

「まあ、私も?じゃあ、お皿を持ってきますね」

キクさんが嬉しそうに部屋を出て行った。

その間アヤカが代わりにテーブルセッティングをする。

「足りないものはありませんか?」

キクさんが追加のカップと皿を持って戻ってきた。


3人揃ったところでアヤカは今日の出来事を話した。

キクさんは「まあ」「そうなんですか?」「どうしましょう」とオロオロと動揺していた。

無理はない。

すぐ隣りに死体があったんだから。

おばさんは死体が見つかったと聞いたときは少し目を大きくしたが、ずっと冷静に聞いていた。

「おばさん達は騒ぎに気づかなかったんですか?」

「今日は朝から公民館にお花の会に行っていたのよ。もうすぐ発表会があってね、キクさんも一緒に」

おばさんが上品に珈琲カップに口を付ける。

なんだ、そうだったんだ。

「ごめんなさい、迷惑をかけて」

「何言ってるの。あなたこそ大変だったでしょう?」

おばさんが優しくアヤカに微笑んだ。

「そうですよ、お嬢様、そんな騒ぎがあったなんて」キクさんもあいづちを打つ。

「ありがとう・・・でも・・・お店もこれからどうなるか・・・」

アヤカは頭の中でいろんなことを考えて気分が悪くなった。

死体が出た店。

オープンしたばかりなのに、これからどうしたらいい?

ふいにアヤカの目から涙が落ちてきた。

え!?

あれ、どうしたんだろう、私泣いてるの?

自分で自分に驚いたけど、涙が止まってくれない。

見られないように下を向いたけど、おばさんもキクさんも気づいている。

キクさんがスッとハンカチを膝にのせてくれた。

しばらく2人ともアヤカを泣くがままにさせてくれていた。

ふーっと長いため息をついたあと、アヤカは顔を上げた。

顔はきっと涙でぐちゃぐちゃだ。

「ごめんなさい、おばさん、キクさん。もう大丈夫。

しばらくお店は開けないけど、私、まだ頑張れるから」

「大丈夫ですからね。あなたはミドリさんの孫なんだから、私は味方ですよ」

キクさんがうんうんと相槌を打つ。

2人ともアヤカが急に泣き出したのに、そっとしておいてくれた。

ヘタななぐさめは何にもならないことをわかってる人たちだ。

さすが、いろんなことを乗り越えてきた人生の先輩だ。

私もこういう女性にならなきゃ。


「ヨウコ伯母さん、大丈夫ですか!?」


急に庭の方から声がして振り向くと若い男性が立っていた。

誰?

「まあ、びっくりした。あなた、帰っていたのね」

おばさんは一瞬驚いたようだが、すぐ笑顔になってこの男性を迎えた。

男性は水色のシャツに、濃いインディゴジーンズ、黒いスニーカーを履いていた。

「インターフォンを鳴らしたんですけど、聞こえなかったようですね」

「あら、私ったらまた操作を間違えたのかしら」

キクさんがもぞもぞと体を動かした。

「ニュースを見て飛んできたんです。伯母さんの家の隣の裏庭で死体が見つかったって」

男性はキクさんを無視して言った。

「あら、ありがとう。でもね、私は大丈夫ですよ」

ふーっと息を吐いて男性がスニーカーを脱いで庭から居間に上がってきた。

どさっと座るとアヤカを見る。

「あの、こちらは・・・?」

「こちらはお隣りのお店のオーナーのアヤカさんよ。私の亡くなったお友達のお孫さんなの」

おばさんが手を向けてアヤカを紹介する。

「え!?」

男性は目を見張ってこちらを見た。

そして胡散臭そうな目でアヤカを眺め回した。

無理はないだろう、ちょうど今彼が言った死体が出た店のオーナーがここにいるんだから。

コホン。

「鈴井アヤカです。隣のカフェ・ヴェルデのオーナーをしています。

長谷川のおば様には小さい頃から可愛がって頂いていました」

「前田・・・コウキです」

お互い紹介したけれど、前田コウキの警戒心は全然消えないようだ。

「コウキ、こちらのアヤカさんが珈琲とお菓子を持ってきてくれたの。あなたも召し上がりなさいな」

おばさんが重い雰囲気を変えようとコウキに勧める。

「じゃあ、カップを持ってきますね。あ、ついでにインターフォン・・・」

キクさんが立ち上がって部屋を出て行った。


「珈琲、美味しいです」

コウキは珈琲を飲んで褒めてくれたが、お菓子には全く手をつけなかった。

毒でも入っていると思っているのかもしれない。

きまずい雰囲気は少し薄れたものの、それでも居心地は悪いままだった。

前田コウキはおばさんの亡くなった旦那さんの弟の息子だそうだ。

つまりおばさんの甥。

5月末にイギリスの短期留学から帰ってきたばかりだとか。

益戸のローカルニュースをたまたま見て、飛んできたそうだ。

アヤカはおばさんに語った今日の出来事をもう一度コウキに話した。

最初は硬い表情で黙って聞いていたコウキだったが、だんだんと話に聞き入ってきた。

男性の名前が「田中カズキ」、千花大学の学生だとわかると、身を乗り出してきた。

「僕と同じ大学ですよ!でも田中カズキ?知らないな。違う学部かな。でも4年生ですよね?」

「年は23才みたいですから、留年か一浪していたのかもしれません」

「でも、知った顔かもしれないんですよね」

コウキが顎に手をあてて考え込んだ。

長谷川のおばさんはアヤカとコウキが話しをしているのをずっと静かに見ていた。

キクさんは「夕飯のお買い物に行ってきます」と部屋を出て行っていた。

「犯人、まだわからないんですよね?」

コウキがふいに顔を上げてこちらを見た。

「ええ、ただ刑事さん達はポケットに白い粉・・・たぶん麻薬だとおもうんですけど、

それを気にしてましたから。それとホスト関係じゃないかと考えているようです」

「そうですか・・・。とにかく伯母さん」

コウキが緊張した声でおばさんに身体を向けた。

「気をつけて下さい。犯人はまだ捕まっていないし、この家はおん・・・女性2人なんですから」

おばさんが顔をしかめる。

「コウキ、私は大丈夫ですよ。いざとなれば犯人を返り討ちにしてやります」

チラっと和室の梁の上に掛けられた長い棒を見た。

おばさんが立ち上がってその棒を取り、少し振ると先っぽが外れた。

それは、ギラッとした冷たい刃を備えた薙刀なぎなただった。

アヤカとコウキが目をみはるとおばさんは静かに笑い出した。

「ホホ、初めて見るかしら?」

コウキも初めて知ったらしく驚いていた。

「自分の身は自分で守れますからね。もちろんキクさんの腕もなかなかのものよ」

びっくりした。

いや、おばさんは昔から女主人然とした強いイメージだったからわかるけど、

あのキクさんまで・・・?

想像できない。

「わ、わかりました。とにかく気をつけてください。

あの、僕、今日ここに泊まったほうがいいですか?」

コウキは千花大学近くのマンションに1人暮らしだという。

「ありがたいけどね。私が犯人だったら、もうこんなところにウロついちゃいないわね」

そうだ、もう犯人はどこか遠くへ逃亡しているに違いない。

「だけど本当に気をつけてくださいね。アヤカさんも」

急にこちらを振り返って真剣な顔をする。

「僕・・・ちょっと大学で調べてみますよ。その田中って奴のこと」

「え!」

「だってこのままじゃ伯母さんだって危ないし、

犯人が捕まらないとアヤカさんだって店を再開出来ないでしょう?」

「それはそうだけど・・・」

確かにこのまま犯人が捕まらなければずっと店は閉じたままだ。

きっと警察が何とかしてくれるとは思うけど、自分で少し調べてみてもいいのかもしれない。

もし犯人につながる情報が手に入れば、それだけ事件解決が早くなる。

アヤカが考え込んでいると、コウキがシフォンケーキを手で口に運んでいた。

「ん、美味い!これ男でも全然イケますよ!」

コウキがにっこり笑っている。

アヤカは思わず笑顔を浮かべた。

「ありがとうございます、じゃあお願いします。私も少し・・・アテがあるので調べてみます」

「じゃあ、私もやってみようかしらね」

2人が驚いてヨウコを見た。

「これでもこの近所では顔が広いし、いろんなところにお友達がいるのよ」

おばさんはテーブルにカップを静かに置いた。

「もうニュースで被害者の方の顔が流れていたから、まず近所の方たちと話をしてみるわ。

それに華道教室の生徒さんたちとも。案外何か見ているかもしれない」

「でも、それは警察がもうやってることじゃ・・・」

「あのね、アヤカさん。たぶん警察が聞くのは怪しい人がいなかったどうか、ということ。

でも、知ってる人を近所で見かけた場合は、そんなこと、警察に話さないでしょう?」

アヤカはおばさんを見てうなずいた。

なるほど、確かに。

警察には話さなくても、おばさんだったらご近所話として何か重大なことを話すかもしれない。

「わかりました。じゃあおばさん、コウキさん。よろしくお願いします。

何かわかったら連絡してくださいね。」

アヤカはおばさんとコウキに自分の電話番号を教えて長谷川邸を後にした。


店に帰ったあと戸締りをし、アヤカは車に乗り込んで自宅に向かった。

まだ午後5時。

だけどなんと長い1日だろう!

朝はあんなに希望に満ちた日だと思ったのに。

今は・・・。

アヤカは軽く頭を振った。

ううん、ダメよ、悪いことばかり考えちゃ。

長谷川のおばさんみたいに助けてくれようとしてくれる人たちもいるんだし。

私も何かしなきゃ。

できるかどうかわからないけどやってみよう。

店を守るためにも、犯人を見つけてやる!


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