§2@八神アカデミー中庭
私に対して脅迫もどきのことをしてきたのは、桑原タツキ(くわばらたつき)と名乗る男だった。クラスメイトの男5人女5人の中ではやっぱり地味な方で、授業内でも目立つことはほとんどなかった。けれど、アカデミーのことをよく知っていたり職員さんとも話す姿を見たことがあって、実は本科生じゃないの?と思うことがよくある。何より、どのクラスメイトより優秀で、正解を導き出すスピードは誰に負けることもない。これが、彼を敵に回すのが怖かった大きな理由のひとつ。
アカデミーは全学休講となってはいるが、ふたつの校舎を結んでいる中庭を通り抜け出歩く職員さんが多い。それだけ事態は緊急ということなのか。私を先導していた桑原くんの足が止まり、振り返った。
「ここでいい?ここなら多分、座れば大丈夫」
「…? いいわ。クラスメイトがついてきていなければ」
「平和だね、君は」
「どういう意味」
真面目に問いかけたつもりが、目を細めていたらしい。睨まないでよと返された。もとからこういう顔なの、ごめんなさい。
中庭にある休憩スペースは、緑もあるしベンチもある。初めて来たけど結構いいスポット。ベンチに座ろうとしたら、違うそっちじゃないと言われ、何故かベンチに背を向ける形で芝生に座った。
「あんた、ほんとに新米なんだね。アホすぎて最高」
「私をけなすためにこんなとこに来たわけ?」
「まさか、俺様が助けてやろうって話だよ。とりあえず、アカデミー内の監視カメラには気をつけた方がいいよ」
「あら、そういうこと。……ご忠告ありがとう」
そんな俺様キャラだったっけと思いつつ、私の隣にあぐらをかいていた桑原くんは更に距離を詰めてきた。
「で、あんたほんとに殺してないの?」
いきなり本題ですか。
「確かに、クロフォード先生に時間指定で仮眠室に来るよう言われた。けどそれは、先生が欠席分の授業レジュメを渡してくれなかったからで、みんなも知ってる通りでしょ? まあ22時に行ったものの、仮眠室でオタノシミ中の声が聴こえたから呆れて帰ってきたってわけ」
アカデミー授業初日欠席は、何度思い返しても後悔しかない。自己紹介のタイミングは失うし授業もグループワークだったし。顔と名前が一致しないだけで、その後の授業に支障をきたす。その欠席理由は、何に反応したのかわからないが、甲殻類アレルギーの症状で寝込んだことだった。ちゃんとアカデミー側に申請したし、食事にもそれっぽいものはなかったはずなのに。
「へぇ、仮眠室に入ってみればよかった。損したぜ」
「最低」
クロフォード先生は、アカデミー内でも中堅講師のポジションで、有名になった卒業生を何人も送り出しているらしい。その評判に反して、私だけには冷たくあたる。初日授業を欠席したせいかはわからないけれど、名前すら呼ばれたことない。「生意気な目をしてる奴」が授業中彼からの呼称だ。講師のくせして人権侵害とは何事だと思わなくはない。
2日目も3日目の授業の後にも、初日分のレジュメをくださいとお願いしに行ったところ、めんどくさいこと言うなやら、お前にあげる紙などないと返される。それがやっと、22時に仮眠室に来れば、レジュメを渡してやると言われて行ったらこの展開である。確かに外国籍で背は高く目鼻立ちも良く整っているけれど、私からしたら差別されているし敵認定だ。
「で、あんたは俺に守ってほしいの?ほしくないの?」
「守ってほしいとは思わないけれど、私が犯人にされるのは避けてほしいわ」
「それを守ってほしいっていうんだよ」
「そうかしら」
容疑をかけられていることに危機感を感じつつも、頭の中はどんどん冷静になってゆく。棒読みのようなセリフ返しになってしまったところに衝撃的な言葉が降ってきた。
「なら、契約しろよ。俺と」
「は? 」
「このご時世口約束なんて信用できない。俺は契約を守ると決めたら徹底的に守るし、クライアントを傷つけさせることはしない。その代わり、お前にも契約事項は守ってもらう」
「例えば…?」
「基本的に俺と共に行動すること、常に連絡端末を携行すること、俺が連絡したら3分以内に折り返し連絡すること。そうだな…あとは、互いに名前で呼ぶこと」
「まるで下僕…」
「これくらいでちょうどいいんだよ、このアカデミーにとってはね」
やたらとアカデミーのことを知っている口ぶりに、桑原くんは本当に何者なのか聞きたくなる。まあ怖くてそんなことを聞けはしないのだけれど。もしかしてアカデミーの回し者?私が無能すぎて退学させたくなったとか?いやまさか。
「年齢教えてないから知らないのは当然だけど、俺あんたより年上なんだよね。で、君づけで呼ばれると馬鹿にされてる気がして腹が立つ」
顔は下を向いていたけれど、視線だけは私を見ていた。つまり、横目で睨まれていた。
「それは、えっと……ごめんなさい。お若くみえたから」
「いいよ。許す」
「…ありがとう、ございます。桑原、さん」
とって食われるかと思った。じわりと冷や汗が出た。握ったこぶしから力が抜ける。
「タツキって呼んで。呼び捨てでいい。俺は、ユイって呼ばせてもらうから」
「え、でも」
「何、文句あんの?」
「いえ、無いですすみません」
「そっか、じゃあちょっと待って。書類作る」
そう言ってポケットから四つ折りになっていた紙とペンを取り出し、ささっと文字を書いていく。少し経つと、はい、名前書いてと言われ手渡された。もちろん素直に署名をする。
「ずいぶん手早いけど、こういうの慣れているの?」
「ユイに答える義務は無い」
また機嫌を損ねてしまったようだ。いまいち彼の不機嫌スイッチが読めない。
「で、これから何処へ?」
契約書を太陽へ透かすようにして眺めた後に腰を上げたタツキ、さんに向かって声をかける。アカデミーは全額休講だけれど、事件が解決したらまた授業が再開されるらしく、研修費も寮費や食費も追加で払う必要はないとのこと。貯金が少ない私にとってはありがたいことだ。
「とりあえず、寮に帰る。今日くらいゆっくり休まないと、これから体力もたないからな」
「そう。じゃあ私も帰ろうかな。ちなみに、タツキ、さんは」
「タツキ」
「…タツキ、は…」
「そう、いい子。ちゃんと俺の名前呼んで」
「……」
「で、俺がなんだって?」
不意打ちで優しく見つめられたりしたら、聞こうと思ってたことが飛んで行った。寮へ戻って部屋番号はどこか、との質問を思い出したが、普通男女別であるはずの寮の階は同じであった。
「俺の部屋、この廊下の一番奥310室だから。呼んだらすぐ来て」
と言い残して去っていった。
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