「はい。その分、ご主人様にいっぱい「調教」して頂けますから」
◇
……家を出た二人は、契の自宅へと向かっていた。帰宅する契を、呈が送っているのだ。飼い主らしく。いや、飼い主だから送り届ける、というのも変か。どうでもいいけど。
「……そういえばお前、家族構成は?」
そんな時、呈はふと、後方を歩く契にそんなことを尋ねた。単純に暇だったのか、それとも何か意図があったのか。多分前者。
「私の家族ですか? 両親と、妹が一人です」
「なるほど……驚くほどに普通だな」
「はい、家族はみんな普通です」
じゃあ何で長女だけ異常なんだよ? と思った呈だが、口にしても答えは得られないと分かっているので黙っておいた。もしかしたら、彼女が気づいていないだけで、変態の家系なのかも知れないし。
「因みに俺は一人暮らしだ。だから、俺の家族に挨拶しようなどとは考えないことだな」
「はい。その分、ご主人様にいっぱい「調教」して頂けますから」
「……」
雑談すらまともに成り立たず、呈は何度目になるか分からない後悔をした。もう、必要のない会話はしないと、心に誓うのだった。
◇
「送って頂いて、ありがとうございました」
自宅まで辿り着き、契は呈に頭を下げた。彼女なら土下座くらいはすると思ったのだが、忠誠心を示し過ぎて主を困らせていることは理解しているのか、今回はそこまでしなかった。
「じゃあ、また学校でな」
「はい。それであの、夜伽は―――」
「奉仕は要らんと言っただろう」
だからと言って、あくまで隷属している身であるのは変わらない。若い娘が男の主人に服従する以上、それは当然だと思った彼女だが、主はそれを望んでいない―――寧ろ、忌避しているような傾向があった。
「それでは、夜這いに備えて窓の鍵を開けておきますね」
「しねぇ。ちゃんと戸締りしておけ」
「畏まりました」
今日のやり取りで、契は確信した。……呈は、奴隷に対して性衝動をぶつけるタイプではないということを。対等な相手ならいいのか、女性が趣味でないのか、そもそも性欲がないのかは分からないが、これ以上主の不興を買うこともないだろうと判断。今後は出来るだけ、その手の内容は控えるように決意……していればいいな。
「じゃあな」
「はい、ご主人様」
呈が家路に着き、契はその背中が見えなくなるまで彼を見送っていた。その姿は、恋する乙女にも見えなくはなかったが―――思考内容は、かなり残念だった。
「はぁ~。今日はご主人様に、沢山見下して頂けて……本当、ご主人様の「ペット」になって良かったぁ~」
本人が聞いていたら更に罵ってくれそうな台詞を口にしながら、契は表情を蕩けさせる。ご近所さんに見られてなくて良かったな。
「本当は、もっと物理的に滅茶苦茶にされたかったけど……この欲求不満も気持ちいいし」
最早、焦らされるだけでもいいのか。ここまで来ると、変態を通り越して才能だな。快楽の永久機関だ。快楽をエネルギーとして外部へ取り出す装置を作れば、不可能といわれた永久機関も完成するだろう。
「……ふぅ。さてと、帰ろっ」
回想と妄想で満足したのか、契は表情を元に戻して家に入っていく。
「ただいまー」
「お帰りなさい」
契が帰宅すると、彼女の母親が出迎えてくれた。母親は契に似て、控え目で大人しく、黙っていればごく普通の主婦だ。……娘があれなので、実はこの人も大概かもしれないが。
「あら、何かいいことでもあった?」
「分かる?」
娘の小さな(?)変化に気づき、契の母親は嬉しそうに微笑んだ。……まさかとは思うが、「今日はご主人様にいっぱい虐げられて嬉しかったの」とか言うつもりじゃないだろうな?
「今日ね、ようやく念願が叶ったの」
「良かったじゃない」
うん、良かった。それ以上食いついてこなくて。「やっとご主人様に調教してもらえたの」とか言い出したら、目も当てられないことになっていただろう。
「それはそうと、ベッドの上に洗濯物を置いておいたから、ちゃんと仕舞いなさいよ」
「はーい」
契は母親との会話を終え、自室へと向かった。
「ふぅ……」
自室にて。契は制服を脱ぎ、軽装に着替えた状態で、ベッドに横たわっていた。そうしながら、思い浮かべるのは主のことだ。
「ご主人様……はぅ、ご主人様に殴られたいな」
乙女チックな声色で、ど変態発言をする契。ほんとに一回、殴ってやったほうがいいかもしれないな。昔のテレビも殴れば直ったし。
「殴られなくても、言葉責めでも、冷たい視線でも、放置プレイでもいいのに……あ、でも今は焦らしプレイじゃん。はぁ……はぁ……」
呈が何かをすれば、或いは何もしなくても、勝手に都合のいいように解釈して、自家発電に繋げてしまう。ある意味、この世で最もエコな変態ではないだろうか? 「HENTAI LOOP」とでも名づけよう。一銭の価値もないけど。
「ご主人様ぁ~……」
……ここからは、描写しないほうがいいかもしれない。
「……お姉ちゃん」
その頃、契の部屋と隣接する廊下にて。一人の少女が、部屋の中を覗いていた。枝毛のない黒髪を二つに結わえツインテールにした彼女は、小学生と見間違うほどに小柄な体躯を丸め、僅かに開いた扉の隙間に、その円らな瞳を押し付けている。その様子はどこか必死で、何となく狂気めいたものを感じる。
「お姉ちゃんが……発情、してる」
彼女は犬飼結。契の妹で、彼女と同じ学校の一年生だ。そんな妹が、姉の部屋を覗いているのだ。……一体どうした?
「もしかして、男……? でも、男っ気皆無だったお姉ちゃんに、男なんて……」
姉のあれなシーンを眺めて涎を垂らしながらも、結はそんなことを呟いた。……因みにこの子、実は極度の男嫌いである。思春期なので父親を嫌うのは勿論、男であれば大人も子供も同級生も嫌いという徹底振り。挙句、犬や猫もオスは駄目ときた。そんな彼女が、姉に男の影を見出したら―――というか、姉が男に調教されていると知ったら、どんな反応をするのか。考えただけでも恐ろしい。
「でも……もしそうだったら、大変じゃない。お姉ちゃんの初めては、私のものなんだから……!」
……もっと言うと、男嫌いが強いせいで、若干百合っぽくなってます。ついでにシスコンです。姉の部屋も覗いてるし―――やっぱ、変態家族だったか。
「お姉ちゃん……ぐふふっ」
まあ、似た者姉妹ってことで。
……その頃、呈は。
「……ふぅ。どうしたものか」
契を送った後の帰り道。呈は溜息混じりに、家路についていた。考えているのは、勿論、下僕たる少女のことだ。
「あまりに危なっかしいし……かといって、ずっと相手するには疲れるしな」
契は己の欲望に忠実だ。しかし、それ故に周りが見えていない。例えば、周囲からどう見られるかを気にせず本心を述べたり、何の躊躇もなく変態行動を取ったり等だ。フォローの難しいことをされると、世間体……はともかく、日常生活を送ることすら困難になりかねない。それは契だけでなく、呈も同様である。
「……めんどくせぇ」
考えるのも億劫になり、呈はそうぼやくしかなかった。