「……あの、ご主人様? もしかして、お疲れですか?」
◇
……翌日。
「おはようございます、ご主人様」
「……ああ」
「……あの、ご主人様? もしかして、お疲れですか?」
登校途中。いつものように、呈と契は一緒に学校へ向かう。しかし、少々やつれ気味な主の様子に、契は心配そうに尋ねた。
「……ああ、まあな」
彼女に応じる呈の声も、心なしか弱々しく思えた。……ほんとに、何かあったのか?
「今朝から、うちの姉貴が張り切りやがって……下手糞な手料理をたらふく食わされた」
「それは、その……」
愚痴りながら不調の原因を話す主に、契は困った顔をしていた。……彼女は誠を好意的に見ているようで、更には主の姉でもあるので、どう反応したらいいのかよく分からないのだろう。
「暫くはあいつが家事をやるつもりらしいが……正直、あの生活能力皆無女に任せたら、三日と経たずに死ねるぞ」
呈曰く、誠は家事が出来ない女らしい。その上で弟の面倒を見ようというのだから、ありがた迷惑もいいところだ。
「幸い、弁当はお前が用意してくれるから、それだけは断れたけどな。それがせめてもの救いだ」
「あ、ありがとうございます……」
喜んでもらえたのは嬉しいのだが、それを素直に受け取れない契。……今回だけは、本当に気の毒だな。
「……はぁ」
深い溜息を漏らしながら、呈は契と一緒に登校するのだった。
……その頃、一年生たちは。
「虚露ちゃーん」
「あ、結ちゃん」
朝の通学路。登校する学生たちに混じって、結と虚露も顔を合わせた。
「ほんと、昨日は大変だったね」
「う、うん……」
昨日―――つまり、虚露が少年二人に絡まれたことだろう。あの後誠が登場したせいで忘れていたが、あれからまだ一日しか経っていないのだったな。
「そういえば、結ちゃんはお姉さんと一緒じゃないの?」
「え? あー、うん……あいつと一緒にいたいみたいだから、態と時間ずらしてるの」
「そうなんだ……」
ふとした虚露の疑問に、結は気まずそうに答えた。なるほど、シスコンの結が契と一緒に登校しないのは、そういう理由があったのか。
「夏休みもあいつのところに通い妻らしいし……はぁ」
「え、えっと……」
溜息を漏らす親友に、虚露は困惑するしかないのだった。……色々と大変だな。
◇
……昼休み。
「……ふぅ」
「ご主人様、まだお疲れなのですか?」
いつもの中庭にて。主の挙動から彼の状態を見破った契が、心配そうにそう尋ねる。
「ああ……もうすぐテストだから、余計に疲れるんだ」
この学校では、夏休みの直前に定期試験がある。逆に言えば、それさえ乗り越えれば夏休みなのだが……やはり彼も学生なのだから、テストが憂鬱なのだろうか?
「テストそのものは楽なんだが……姉貴が色々とうるさいんだ。やれ勉強しろ、勉強しろ、ってな」
「それは……」
それは普通の反応だと契は思ったが、主の手前、言い出しにくかった。……まあ、呈の学力なら一々勉強しなくてもそこそこの点は取れるだろうが、誠は「そこそこ」で妥協はできないのだろう。
「今日の放課後辺りからは虚露の家に避難するつもりなんだが……お前はどうする?」
「是非、お供します」
「そうか。なら、虚露に連絡しないとな」
一人暮らしの後輩に匿ってもらう算段をつけ、とりあえず当面の危機は逃れようとする呈であった。
……その頃、一年生の教室では。
「はぁ……」
「どうしたの?」
互いの机を合わせて、仲良く昼食を取る結と虚露。しかし、結はどうにも浮かない顔だ。
「もうすぐテストだから……成績、あんまり良くないんだよね」
結も学生らしく、テスト期間は憂鬱になるらしい。どいつもこいつも、その点では変わらないんだな。
「前はどうだったの?」
「それが―――」
「……」
結が前回の結果を告げると、虚露は無言になった。こういうとき、どうやってフォローすればいいのか、彼女は分かっていなかったのだ。
「……虚露ちゃんって、成績いいの?」
「そ、それなりに……」
実は虚露、学年でもかなり上位だったりするのだが、結が受けるダメージを考えて適当に誤魔化しておいた。……こういうのは分かるんだな。
「……はぁ。お姉ちゃんに教われるといいんだけどなぁー」
弁当のおかずを口に放り込みながら、結はそんな言葉を漏らす。……彼女の口振りからすると、契は勉強が出来るんだな。
「……あ」
すると、虚露は携帯を取り出す。メールだろうか? 中身を開いて、読み始めた。
「……先輩が、今日、勉強会しようって」
「え……?」
メールの内容は、呈が先程言っていたことだろう。一応、勉強会という建前にしたのだな。
「お姉さんも来るって―――」
「行くっ! 絶対行くっ!」
契も参加すると聞いて、結は即座にそう言った。……っていうか、呈もいるんだが、構わないのか?
「じゃ、じゃあ、先輩には了承のメールを送るね……」
結の勢いに気圧されながらも、虚露は返信のメールを送った。
◇
……放課後。
「……」
「……」
というわけで、虚露の部屋にて。呈と結は、互いに向かい合って、無言のままで勉強していた。虚露が押入れから簡易テーブルを引っ張り出してきて、その上にノートを広げているのだ。
「~~~♪」
一方の契は、呈と結の隣に陣取り、軽快にペンを走らせている。そして何故か、鼻歌交じりの上機嫌だった。部屋が狭いので、時々呈と肩が触れ合っているのだが、それが原因なのか。
「……」
残る虚露も、契と向かい合う位置で古文の教科書を読み込んでいる。集中しているのか、居心地の悪さは感じていないようだ。
「……」
しかし、結はそうでもなかった。折角、大好きな姉と親友が一緒なのに、対面の男のせいで気分が台無しだった。無論、彼が来ることは織り込み済みだったし、覚悟はしていたのだが―――やはり、息が詰まるのは避けられなかった。
「……っ」
おまけに、物理の問題で躓いていた。他の面々は苦戦している様子がないし、この沈黙を破るのは忍びなくて……何より、目の前の男に弱みや恥を見せたくなくて、誰にも聞けないでいた。
「……その問題は」
「え」
すると、呈が結のほうを見て、こう言った。
「普通なら、縦軸と横軸に運動を分解するんだがな。落下に要する時間は縦軸方向の運動しか絡んでこないから、単純に高さhから自由落下させたときと同じ解法でいい」
なんと、呈は結に物理を教えていた。どういう風の吹き回しだ?
「……も、もう一回言いなさいよ」
そんな彼に、結は不満げな表情をしながらも、その厚意を受け入れることにしたようだ。よっぽどピンチなのか?
「落下は上下方向の運動だろ? 上下方向の動きにだけ注目すればいいんだ」
「……ま、まあ、たまには役に立たないと駄目よね」
「理解したのか?」
「あ、当たり前じゃないっ! こんなの、あんたの手なんか借りなくても、楽勝だったわよっ!」
「ほう? なら、後は自分で解けるな」
「~~~っ!」
「―――ふふっ」
呈が教えて結が照れ隠しして、それを呈がからかって結が悔しがる。そんな光景を、契は微笑ましく眺めていた。




