「ご主人様のこと? うん。大好きだよ」
◇
……数日後。
「うぅ……全然うまくいかない~」
疲れきった様子の結は、かび臭い畳の上に身を投げ出した。……ここは、虚露の自宅であるアパートの一室。作戦会議の頻度が多くなって飲食店は金銭的に厳しくなり、更には学食のおばちゃんからも目をつけられるようになってしまったため、最近ではここで話し合うようになったのだ。
「虚露ちゃ~ん、お茶飲みたい~」
「う、うん……」
お互いに名前で呼び合う仲になって、心の距離も縮まったようだ。……とはいえ、馴れ馴れしすぎる気がしないでもないが。特に結。
「……はぁ。畳って落ち着くわね~」
麦茶を飲みながら、足を畳に擦り付ける結。最初に来たときは、臭い臭いと文句を言っていたのだが……慣れてくるとそうでもないのだろうか。
「でも、虚露ちゃんって、どうしてこんなところで一人暮らししてるの?」
「っ……!」
だから、結がその問いを口にしたのは、何気ない世間話のつもりだった。特に答えを期待してのものではなかったし、深い意味があったわけでもない。
「虚露ちゃん?」
「……」
だから、虚露を追い詰めるつもりなど毛頭ない。それは、虚露もよく分かっていた。
「……パパが、再婚したの」
「え……?」
故に、虚露は答える必要などなかった。「秘密だよ」と言えば済む話だった。適当にはぐらかせば良かった。でも、それでも、彼女は話すことにしたのだ。
「相手の人、私のことが嫌いみたいだった。……だから、追い出されたの。家から」
「……っ!」
虚露にとって、この秘密は然程深刻なものではなかった。そもそも両親が離婚したのだって自分が原因だったし、それは自分が悪いんだと割り切っている。
「仕送りも殆どないから、家賃の安いアパートしか入れなくて……あ、でも、先輩が時々支援をしてくれたの」
「先輩……あのゴミ男のこと? ―――あいつ、そんなことしてたんだ」
虚露の話に、結は意外そうに呟いた。……そうか。呈が虚露を専属エンジニアにしているのは、彼女の生活費を援助するためだったのか。代金もちゃんと払ってたみたいだし。そういう名目で金を渡してたんだな。
「先輩は色々助けてくれたの……」
あのときも―――と続く言葉は、結には届かなかったが。
「そうだったんだ……ごめん、なさい」
「え……?」
すると結は、虚露に対して頭を下げた。彼女の態度に、虚露は戸惑っている様子だ。
「そう、だよね……そんな大事な人なのに。私ったら、勝手に勘違いして、余計なことしちゃって……ごめん」
どうやら、今までの行いを恥じているようだ。まあ、ちゃんと釈明しなかった虚露も悪いが。
「う、ううん……結ちゃん、楽しそうだったから」
「た、楽しそう……?」
虚露の台詞に、結は素っ頓狂な声を上げた。そんなに意外だったか?
「うん、楽しそう、だった。作戦会議のときの結ちゃん、生き生きしてた」
どうやら虚露は、結の内にある想いにも気づいている様子。……なるほど。だから、あんなにむきになるわけか。
「そ、そんなわけないでしょ……!」
虚露の指摘を、必死になって否定する結。……やっぱ、ツンデレだよな、この子。
「……そう?」
そんな彼女を見て、虚露は不思議そうに首を傾げた。
◇
……結が帰って。
「……」
部屋で一人になった虚露は、いつものように押入れの中で丸くなっていた。……彼女の中には、大きな葛藤があった。それは、結のこと。今日、虚露は彼女に、秘密を一つだけ打ち明けた。しかしそれは、虚露の中では大したものではない。もっと大きな秘密―――中学時代の忌まわしい記憶は、まだ明かせそうにない。
「……結ちゃん」
いつもと違うのは、とある少女の名前を呼んだこと。……虚露にとって、今までに友達と呼べる者はいなかった。結は、始めて出来た彼女の友達なのだ。
「……駄目」
けれども、だからといって、自分の全てを曝け出せるわけではない。寧ろ、折角仲良くなれたのだから嫌われたくないという気持ちが働いて、より一層話しづらくなっている。
「……」
ぐちゃぐちゃになった思考を放棄して、虚露は眠りに就く。それは、現実逃避と言えなくもない行動であったが。
……その頃、結は。
「ただいまー」
「おかえりー」
帰宅した結を、契が出迎えた。今日は珍しく、契の帰りが早かったようだな。
「……お姉ちゃん」
「ん? なあに?」
すると結は、神妙な様子で姉に話しかけた。彼女の深刻そうな雰囲気を察しながらも、契はいつも通りの声色で問い返す。
「お姉ちゃんって……あいつのこと、好きなの?」
その問いは、虚露の話を聞いてのものだったのか。ともかく、結は、姉の真意を問い質したかった。あの男が好きだから、姉はあの男に服従しているのではないか、と。そう思ったから、そのような質問をしたのだろう。
「ご主人様のこと? うん。大好きだよ」
妹からの唐突な問いに、契は笑顔でそう答えた。……そういえば、契が呈をどう思っているのか、性癖抜きで語られたのは初めてじゃないか? だから結も、拍子抜けしたように驚いていた。
「え、そうなの?」
「当たり前だよ。好きな人じゃなかったら、調教してもらいたいだなんて思わないもん」
意外そうな結に、契は当然のようにそう言った。……確かに契は、性癖が絡まなければ比較的まともな子だ。見知らぬ男に襲われたときも普通に嫌がってたし。
「まあ、ご主人様の場合、あの冷たい眼差しに心臓を撃ち抜かれちゃったんだけどね」
尤も、惚れた理由は性癖のままだったが。それは致し方ないことだろう。
「もしかして、結も調教されたいの?」
「ち、違うってば……!」
姉の的外れな予想に、結は焦って否定した。……っていうか、まだ諦めてなかったのか、姉妹同時調教を。
「ただ……私、あいつのこと、何か誤解してたのかなって」
「誤解?」
「うん……私、あいつがお姉ちゃんを苦しめてるんだと思ってた。だから、あいつからお姉ちゃんを助け出したかった―――ううん、違う。ただ単純に、お姉ちゃんを取られるのが嫌だったの。だから、自分の行いを正当化するために、あいつを悪者扱いしたの。……私、最低だよ、ほんと」
彼女を突き動かしていたのは、嫉妬。姉を取られるのを恐れ、呈を執拗に攻撃した。自分の男嫌いや不信感も、その目的を正当化する理由にした。虚露のことも、所詮はただの大義名分に過ぎなかった。今まで気づかない振りをしていたけれど、ようやく認めることが出来たのだ。
「……大丈夫だよ」
「え……?」
心の内を曝け出した妹を、契は優しく抱き締めた。それは、いつぞやのように、暖かな抱擁だった。
「私は結のお姉ちゃんなんだから、いなくなったりしないよ。だから、安心して」
「お姉ちゃん……」
「でも、結が一緒に調教されてくれると、何が何でも離れられなくなるんだけどなぁ~」
「ふぇっ!?」
折角、美しい姉妹愛を見れたと思ったのに……やっぱりこうなるのか。残念な姉。




