「ご主人様は凄く素敵な方なの。ご主人様は、私のことを物として扱ってくださるんだから。いっぱい調教してくださって、いっぱい愛してくださるの。それって、とても素晴らしいと思わない?」
……さて、結はどうしているのか。
「……お姉ちゃん」
呈の自宅、そのリビングにて。ここに来たときのまま、結は唇を噛み締めていた。何せ、自分が谷口の口車に乗ったばかりに、大好きな姉が危ない目に遭っているのだから。彼女ほどのシスコンでなくとも、落ち着いていられないだろう。
「……私、どうしたらいいの?」
今、呈が契の元に向かっている。緊急性が高いのだろうということは、結にも分かった。
「……お姉ちゃん」
姉が戻ってくるのを、今か今かと待ち続ける結。しかし、今更顔を合わせたくない、とも思う。呈が間に合わなければ取り返しがつかないだろうし、例え間に合っても事実は変わらない。自分が姉を追い詰めたことは、もう取り消せないのだ。
「……っ!」
すると、何やら物音が。どうやら、呈が戻ってきたようだ。玄関の扉を開き、中に入ってくる。
「戻ったぞ」
リビングに入ってきたのは、家主である呈と―――
「あれ、結。どうしたの?」
姉である契の姿。見たところ、平然としていて、乱暴された様子もない。……まあ、その前に呈が助けたのだが。
「お、お姉ちゃん……」
しかし、結は手放しで喜べなかった。姉が無事なのは不幸中の幸いだが、それでも、自分が責められるのは当然のことだった。
「あ、もしかして、ご主人様に調教してもらいに来たの?」
「へ……?」
だから、姉の奇天烈な発言に、結はそんな間抜けな声しか出せなかった。
「良かったぁ~! ようやく結も、ご主人様の魅力に気づいたのねっ!」
しかし、それも無理からぬことだ。契は完全に勘違いしている。それも、結にとってはかなり不名誉な風に。……というか、そもそも何で彼女がいるのか、契は忘れているようだ。あんなことがあったのだから、記憶の混乱くらいは無理もないが。
「喜んでるところ悪いんだが、お前の妹、硬直してるぞ」
呈に突っ込まれるが、彼女は全然聞いていない。というか、態と無視しているのか? 都合の悪いことは無視しているとか。……あり得る。
「さ、結、一緒に調教して頂こう? ご主人様、私たち姉妹を存分に躾けてください」
「ちょ、お姉ちゃんっ! 何言ってるのよっ!? っていうか大丈夫だったのっ!?」
「あ、うん、大丈夫。ご主人様が助けてくれたから」
フリーズから復帰した結は、姉の妄言に突っ込みつつ、彼女の身を案じるという面倒なことをしていた。しかし、返ってきたのはあっさりとした答え。それにより、結は拍子抜けすることとなった。
「凄かったんだよ~! ご主人様、男の子たちを次々と地面に叩き落として、頭蓋骨を打ち砕くように何度も踏みつけて……あぁっ! 私もして欲しいっ! っていうかしてくださいっ!」
「あほ。お前にやったら冗談抜きで死ぬぞ。ペット風情が主人の手を穢すな」
「はいぃ~! 今のお叱りだけでキュンキュンしちゃいますぅ~! はぁはぁ……! というわけで結、早速ご主人様に調教して頂こう?」
「堂々巡りしてるっ!」
一回コントやって、また同じことを言い出す契。こいつの頭はそれしかないのか?
「契、今日はもう帰れ。妹も連れてな」
「はい、ご主人様。結のご調教はまた別の日に―――」
「しないからな」
「しないからっ!」
主と妹に突っ込まれながら、契は結を連れて帰宅することにした。
「……ふぅ」
契たちが帰った後。呈は溜息混じりにソファへ腰を下ろした。……今までは平然としていたが、実は結構疲労が溜まっていたのだ。怒りに身を任せて動いた影響で、全身の筋肉が悲鳴を上げている。
「……全く。あんなゴミ共を信用するとは、あれも結構危ういんだな」
呈が呟くのは、結のこと。いくら自分の目的に適っているとはいえ、初対面の谷口を信じて騙されるなど、呈には考えられなかった。
「まあ、これで少しは懲りただろう。もうこんなことはしまい」
姉のことを案じるのなら、もう少し冷静に対処して欲しいと、呈は願った。
……その頃、契たちは。
「……お姉ちゃん」
「ん? なあに?」
帰り道。結は、前方を歩く姉に声を掛ける。すると契は立ち止まり、振り返って、妹と目を合わせた。
「……っ」
その無邪気な目線に、一瞬、結は言葉を紡ぐのも忘れそうになった。……気にしていないなら、このまま有耶無耶にすればいい、と。そんな考えが脳裏に過ぎる。
「その……私のせいで、酷い目に遭っちゃって、ほんとにごめんっ!」
「え?」
それでも結は、姉に謝罪の言葉を示した。だが、当の姉は、謝罪の意味を理解していなかった。
「私があんな男の口車に乗ったせいで、お姉ちゃんが酷い目に……」
「結」
姉に名を呼ばれて、結は体を強張らせる。しかし、襲ってきたのは、暖かな感触。
「何をそんなに思いつめてるのか分からないけど、私は結を責めたりしないよ? だから、安心して?」
契は結を抱き締めて、彼女の頭を撫でながら、優しい口調でそう語りかける。……多少おかしな言動があっても、やはり契と結は姉妹なのだな。
「お、お姉ちゃん……」
そんな姉の言葉に、結は涙ぐんだ声で、そう呼びかける。それに対して契は、一度結から離れて、彼女と目線を合わせた。
「それはそれとして。結、ちゃんとご主人様に服従するのよ」
「……へ?」
しかし、今までのいい雰囲気も、この一言で台無しになった。……そんなに妹を巻き込みたいのかよ。こんなときにまで引き込もうとしなくてもいいのに。
「ご主人様は凄く素敵な方なの。ご主人様は、私のことを物として扱ってくださるんだから。いっぱい調教してくださって、いっぱい愛してくださるの。それって、とても素晴らしいと思わない?」
「思わないからっ!」
「えぇー?」
あまりに価値観が違いすぎて、姉妹の間に亀裂が生じてしまいそうだ。……なんで男に襲われたことよりも、険悪な感じになってるんだ?
「ま、いっか。結もすぐに分かるから」
しかし、契は思いの他あっさりと諦めた。いや、今は喧嘩する必要がないと思ったのか。
「……ふぅ」
どちらにしろ、結は命拾いしたのだった。……まさか、ここで姉と仲違いするわけにもいかないからな。
◇
……翌日。登校した呈は、谷口が欠席であると知らされた。どうやら、あれだけやってもまだ生きていたらしい。しかしこれで懲りただろうと、呈は彼に対する興味を失った。
「ご主人様」
そして昼食。呈と契はいつものように、裏庭で一緒に食事を取っていた。そんなとき、契がふと呈のことを呼んだ。
「何だ?」
「結から聞いたのですが。ご主人様は中学生時代、後輩の女の子を助けていらゃっしゃるとか」
「それがどうした?」
契が口にしたのは、昨日、呈が結に話したこと。男に乱暴されていた女子を助けるために、昨日のような大立ち回りをしたという話だ。
「いえ、その子はご主人様に服従しなかったのかなと思いまして」
契の疑問は、その女子が自分と同じ道を歩まなかったのかというもの。……特に嫉妬している様子もないので、多分、純粋に気になっただけだろう。或いは、同じ人物に助けられた者同士、シンパシーを感じているのかもしれないが。
「……まあ、体のいい修理工にはしているな」
彼女の問いに対して、呈はそんな風に返した。……修理工って、年下の女の子じゃないのか?
「修理工、ですか?」
「というよりは、専属のエンジニアだな。家電製品の修理やメンテをさせている。勿論、助けた恩を存分に使ってな」
なるほど、売った恩で仕事をさせているのか。ということは、その子は機械類の扱いに長けているのだろう。
「ま、その内会わせてやるさ」
「はい、ご主人様」
その内、というのは、明日明後日とかではないだろうか? なんとなくそう思った。




