「ご主人、様……」
……さて、契はどうなったのか。
「えっと……ここだよね」
結に言われた通り、神社へやって来た契。鳥居を潜って境内に入ると、小さな社が見えてくる。その社の前に、彼女を待つ人物がいた。
「あれ……あなた、確か、あのときの」
そして、契はその人物に見覚えがあった。ただし、彼女はそいつに対して、決していい印象を抱いてはいないが。
「ああ、覚えててくれたんだ。嬉しいな」
何せ、その人物とは、谷口だったのだから。……先日、ほぼ初対面の契に対して公衆の面前で告白して、見事に振られた男。そいつが何故か(というか、彼がそう仕組んだのだが)、契の前に姿を現したのだ。
「……もしかして、結が言ってた先輩って、あなたのこと?」
「うん、そうだよ。妹さんに協力してもらったんだ」
「きょ、協力……?」
それで契は、妹が谷口に強制されて、自分をここに呼び出したのだと悟った。契は谷口に対して悪い印象を持っている、というのもある。だが、自分には大切なご主人様がいるのに、それを知っている妹が、こんな奴に加担するはずない。故に強制されたのだと解釈した。契のほうも、結のことは大好きだし、信頼している。だから、そういう結論に至ったのだ。
「そう、協力してもらったんだ。……犬飼さん。あんな奴とは別れたほうがいい。あいつはただの害虫だよ」
そんなことはない。契はそう、否定したかった。誰が何と言おうと―――例え、客観的にどうであろうと―――呈は、契にとって唯一無二の主なのだ。その忠誠心が、主に対する侮辱を許さない。妹ならばただのツンデレだと思えるかもしれないが、相手のことを良く知らない現状では無理だった。―――けれど、呈には「谷口と口を利くな」と言われている。さっきは、彼が約束の相手か確かめる必要があったから仕方ないにしても。その必要がなくなったのだから、会話を続けたくなった。彼の言葉も、聞きたくなかった。
「あいつは社会不適合者だ。人を見下して、自分が気に入らない相手を暴力で叩きのめして、人の人生を踏み荒らす悪党だよ。犬飼さんも、あいつと一緒にいたら、傷つけられてしまう」
それがいいんじゃない! 契はそう、突っ込みたかった。誰が何と言おうと―――例え、客観的にどうであろうと―――呈は、契の性癖に付き合ってくれる稀有な人間だ。その事実が、彼を主とする理由だ。それならば、寧ろ傷つけられたほうがいい。とはいえ、口を利けない今の状況では言えないことだし、こんな奴に主の素晴らしさを教えてやるつもりも彼女にはなかった。
「今からでも遅くない。あいつとは縁を切るんだ。報復なら大丈夫、僕の親は弁護士だから、ああいう手合いを潰すことには長けてる。……ね? 僕のところにおいでよ?」
故に、契は谷口の話を聞かないことにした。気に留めなければ、何ら問題は起こらない。
「あっ……!」
そしてそのまま、回れ右をして、ここから立ち去る。……いや、立ち去ろうとした。つまり、それが出来なかったのである。
「へへっ……」
「おぉ、確かに可愛いじゃん」
「な、何……?」
鳥居へと向かう道には、二人の男―――柄の悪い少年が立ち塞がっていた。よく見れば、神社を囲む木々の中からも、似たような身なりの少年がぞろぞろと出てくる。その数、ざっと数十人ほど。
「……折角、この僕が忠告したのに。やっぱり、犬飼さんは騙されてるんだね。だったら、ちょっと強引な手を使わないと」
「おいおい。要するに、無理矢理やっちまうってことだろ?」
「そうとも言うね」
「鬼畜だな~。ま、そのお零れに預かろうとしてる俺が言えたことじゃないけどよ」
谷口と、その隣に現れた少年が、そんなことを言い合っている。……よし、今の会話を要約すると、こういうことだな。契が説得に応じないから、大勢で強姦しよう、と。
「最初は勿論僕だからね。後でちゃんと貸してあげるから」
「へいへい。……んじゃあお前ら、さっさと始めようぜ」
谷口隣にいる少年(恐らく彼らのリーダー的存在なので、リーダーと呼ぶ)がそういうと、他の少年たちもニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべながら、契へと近づいてくる。
「……ご」
一歩、また一歩。契の精神をいたぶるように、少年たちが歩むを進める。その光景に、契は言い知れぬ恐怖を感じながらも、主の名前を呼んだ。
「ご主人、様……」
……いや、名前ではなかったが。この際そんなことはどうでもいいか。
……その頃、結は。
「……何の用だ?」
「か、勘違いしないでよねっ……! 私はただ、お姉ちゃんのために来たんだからっ……!」
場所は呈の自宅、その玄関先。結は呈の家を訪ねていて、呈はその応対に出ていた。
「……」
「あっ……! ちょ、閉めないでよっ……!」
が、結の(ツンデレっぽい)台詞を聞いて白けたのか、呈はドアを閉めてしまい、結がそれに抗議する。
「……何の用だ?」
仕方がないので、もう一度ドアを開けて応対する。「これ以上ふざけたらもう取り合わない」という台詞を、言外に篭めて。
「……話があるの。お姉ちゃんのことで」
それを汲み取ったのか、結は素直に用件を告げた。それを聞いて、呈は無言でドアを広げ、結が入りやすくする。……入れ、ということか。
「……変なこと、しないでよ?」
「するわけないだろ」
「どうだか」
警戒はしつつも、どこか安心した様子で、結は呈の家に入った。……姉が心を許している相手だから大丈夫、という意識があったことは、指摘しても本人は全力で否定するだろう。
「……ほら」
益田家のリビングにて。呈から差し出された麦茶に、結は躊躇いながらも口をつけた。
「……で? 何で契じゃなくてお前が来たんだよ?」
「お姉ちゃんの名前を呼ばないで。穢れるから」
「……」
話を聞こうとするも、どうでもいいことで話が停滞してしまう。
「……何でお前が来たんだよ?」
しかし、それを一々突っ込んでいてはどうにもならない。だから呈は、極力突っ込まれないように言葉を選んで話すしかなかった。
「簡単よ。あんたがお姉ちゃんと接触しないようにするため。……今、お姉ちゃんは説得してもらってるの。あんたみたいな有毒廃棄物男と一緒にいたら駄目だって」
「説得?」
結は男嫌いでシスコンだが、悪い子ではない。寧ろ、同性相手だと(悪い意味で異性にも、だが)素直な性格だ。だからこそ、頼まれると断れないし、聞かれれば答えてしまう。……そういう、本来なら秘匿するべき情報すら、問われれば話してしまう。しかも、本人はそれを失策だと気づいていない。
「そうよ。……あんた、前から色々と酷いことしてたらしいじゃない。だから、そのときの被害者に、お姉ちゃんを説得してもらうの」
「……まあ、確かにしたな」
谷口から聞いたことを鵜呑みにしている結だったが、呈はその内容をあっさりと認めた。それにより、結が一気に調子付く。
「やっぱりっ! とうとう白状したわねっ!」
「ああ。中学時代、後輩の女子に性的暴行してた男共を片っ端からぶっ潰した」
「……え?」
だが、興奮はすぐに冷めた。それも、無理からぬことだろう。それだけ、呈の言葉が想定外だったということだ。
「俺のいた中学は屑の巣窟でな。気弱な女子は、一部の男子から「そういうこと」をされることも多かった。俺が助けた奴も、実際されてたしな。ああ、幸い最後の一線は超えてないぞ。その前に、加害者側の男―――生徒も教師も、全員潰したからな。生まれてきたことを後悔するくらいには」
……もう一つ。結は他人の話を信じやすい。無論、信じる程度もあるし、信頼できない相手の話はそう簡単に信じない。まして、彼女は呈に対して不信感を募らせているのだから、大概のことは信じない。―――だが、それが突拍子もなかったり、姉に関わることだと、信じやすい傾向にある。
「一番の心当たりはそれだが、もっと瑣末なことを含めれば、まだあったぞ。共通点があるとすれば、全員屑の塊だってことくらいか」
例えば、呈の話が事実だったとして。呈の被害者は―――姉を説得している者は、どんな危険人物なのか。結は、それくらいの気は回る子でもあった。
「……それで、その話はお前がけしかけたのか? それとも誰かの差し金か?」
「谷口っていう、二年の人だけど……」
「谷口だと?」
だから、結の言葉に呈が反応したとき、彼女は自身の過ちを悟った。
「あいつは、契のことを狙っている―――もっとストレートに言えば、性欲の捌け口にしようとしてるぞ。そんな奴の言うことが、まともなわけないだろ」
そして、続く言葉で、過ちは確信に変わった。……自らの手で、大切な姉を、窮地に追いやった―――いや、もしかしたら、もう手遅れなのかもしれない、と。
「場所はどこだ? 知ってるんだろ?」
「じ、神社……」
「そうか」
場所を聞き出すと、呈はそのまま飛び出して行った。……結を一人、残したままで。




