「じゃあ、ご主人様によろしくね」
◇
……それから数日が経過した。呈と契は相変わらず、主人とペットの関係を続けている。学校では目立った行動を起こしていないものの、昼休みは一緒に食事を取り、放課後は呈の家で「調教」に勤しむ日々。―――しかし、そんな彼らの日常を、快く思っていない人物もいた。それも、二人。
「……おねえちゃん。どうしてあんな奴と、楽しそうにしてるのよ?」
いつものように、裏庭で食事を取る呈と契。そんな彼らを、結は陰からこっそり観察していた。姉を男に奪われて、極度のシスコンである彼女は悔しさでいっぱいなのだ。
「……あいつ、殺す。絶対殺す。殺して、お姉ちゃんの目を覚まさせないと」
「ねえ、君」
「殺す殺す殺す……え?」
呈に対する殺意と怨念で呪詛の言葉を紡いでいた結だったが、不意に後ろから声を掛けられて、振り返った。
「君、犬飼さんの妹だよね?」
「……誰ですか?」
結に声を掛けたのは男子生徒だった。突然見知らぬ男に話しかけられて、しかも相手は姉のことを知っているようで、結は不信感を露にしながら問い返す。
「二年生の谷口だよ。―――お姉さんに付き纏う害虫について、ちょっと相談があるんだ」
「……いいですけど」
結は異性が嫌いだ。苦手ではなく、嫌悪している。それは初対面の相手でも変わらない。だが、目の前の男は、自分と利害が一致しそうなのである。だから、話だけは聞こうと思ったのだ。
「君のお姉さんに付き纏ってるあの害虫。あれには僕も手を焼いていてね。……どうだい? 僕に協力してくれないか?」
「協力?」
「ああ。……君のお姉さんを、あの害虫から救い出すんだよ」
その提案に、結は暫し逡巡した。提案自体は魅力的だが、この男を信用していいものか。そういう葛藤があるのだろう。
「明日の午前十時、お姉さんを神社まで連れて来て欲しいんだ。適当に理由をつけて、そこへ行くように言ってくれればいいから。……そこで、お姉さんを説得する」
「どうやって?」
「あの害虫……益田呈は、過去に色々と酷いことをしていてね。そのときの被害者を呼んで、説得してもらう。あいつから受けた惨たらしい仕打ちを聞かせてあげれば、お姉さんも目を覚ますと思うよ」
方法はシンプルだ。相手の本性を知る者に説得をしてもらう。それならば、騙されている(と、少なくとも結は思っている)姉も正気に戻るんじゃないか。結はそう思い始めた。
「それから、君にはあの害虫の動きを止めて欲しいんだ。万が一にでも邪魔されると厄介だからね。適当に、一時間くらい引き止めてくれればいいから」
「う、うん……」
なんだか既に、協力することが決定事項のようになっている。結はまだ、どうするか一言も口にしていないのに。
「じゃあ、頼んだよ。明日の午前十時に、神社だから」
しかし、もう拒否は出来ない。というか、拒否する暇がない。谷口は一方的にそう言って、そのままどこかへ行ってしまう。
「……十時に、神社」
正直、結はどうするか迷っていた。彼女は谷口と初対面だし、目的が同じだからといって協力する義理もない。
「……それで、お姉ちゃんが正気になるなら」
だが、それでも彼女は、その提案に乗ることにした。……それが、どういうことかも知らずに。
「……ふっ。これで完璧だ」
一方、谷口は不気味な笑みを浮かべていた。それは正に悪役の顔だった。
「これで後は……「説得役」を手配するだけだな」
先程、結に持ちかけた提案。それは、決して彼女が考えているようなものではなかった。……建前はともかく、実際は。
「……もうすぐだよ、犬飼さん」
因みに、この辺りで神社と言えば、概ね白ヶ崎神社を指す。そしてそこは、昼間でも人通りが殆どなく、専ら後ろめたいことをするための場所でもある。……とはいえ、余程近所に住んでいるか、実際に後ろめたいことをする人しか知らないのだが。
◇
……放課後。
「お姉ちゃん」
「あ、結。どうしたの?」
犬飼家にて。結は契の部屋を訪れた。この姉妹が互いの部屋を行き来するのは珍しくないが……今回の場合、理由はあれだろう。
「明日って、何か予定ある?」
「ご主人様のところに行くくらいかな?」
既に知られているからなのか、契は妹に、自分の性癖を隠そうとしない。なので、ごく自然に予定を話すのだった。
「明日、お姉ちゃんに会いたいっていう人がいるんだけど……」
「え? 誰?」
谷口に協力するため、契を神社に向かわせようとする結。だが案の定、答えにくい質問をされてしまった。「お姉ちゃんが害虫に騙されているから、目を覚まさせてあげるの」とは言えないし、どうするつもりなのか。
「が、学校の先輩なの。お姉ちゃんにどうしても会いたいって言ってて……駄目?」
「う~ん……ご主人様を蔑ろには出来ないし、どうしよう?」
可愛い妹のお願いでも、やはり呈を優先したい契。……一応、結にも秘策はあった。けれど、それを使うのは、プライドが許さなかった。とはいえ、姉を更生(?)させるチャンスは今しかないわけで。
「じゃあ、私が代わりに行くから」
「結が? っていうことは……もしかして、ご主人様のペットになる気になったの?」
「う、うん……」
大声で否定したい気持ちをぐっと堪えて、結は秘策を使うことにした。……契の望みでもあった、結と一緒のペットライフ。それを持ち出すことで、契を動かそうとしたのだ。
「じゃあ、私も一緒に―――」
「だ、駄目っ……!? お姉ちゃんが行ってくれないなら、嫌だからね」
このカードを切ったからには、何が何でも契を神社に向かわせなければならない。だから、そういう取引に持ち込んだのだった。
「う~ん……じゃあ、仕方ないかな。くれぐれも、ご主人様に粗相のないようにね」
「う、うん……」
交渉成立。どうにか契に了承を取り付けた。っていうか、案外妹に甘いんだな。
「じゃあ、明日の十時に、神社ね」
「うん、分かった」
無論、結だって、呈に服従する気などない。どの道、呈を足止めするように言われていたのだから、そのついでに顔を見せれば済む話。説得が上手くいけば、姉は正気に戻るのだから、問題ない。結はそう考えていた。―――それが、どういう結果になるかも知らずに。
◇
……翌日。
「じゃあ、ご主人様によろしくね」
「う、うん。行ってらっしゃい」
時刻は午前九時半。結のお願い通り、契は神社へと向かった。……そして、結も自分の持ち場へと行かなければならない。
「……はぁ。私も行かないと」
重い足を引き摺るように、結は呈の家へと向かうのだった。




