7.Last Morning
あれから何十年が過ぎただろう。
街には原因不明のウィルスが蔓延し、次々と人が倒れた。
病人は医者にかかる。当然のようにそのウィルスは病院内を犯し始めた。
次々と倒れる看護師や医師。指導者を失った病院は崩壊を始める。
崩壊はそれだけにとどまらなかった。
街中の人が病に倒れ、病気を恐れて逃げた人々が逃げ込んだ街へとウィルスを持ちこんだ。
そして今では、周囲二十キロは人の住まない死の街となった。
崩れかけた病院の一室はそのまま僕らのすみかとなった。
「ねぇ、スリープ。退屈だわ。人間狩りに行きましょう」
ジェシカの外見はあの頃と変わらない少女のままだったが、吸血鬼の治癒能力で回復した全ての機能のお陰で、以前よりふっくらとし十五歳という年齢相当の美しさを手にしていた。
赤い唇は歌でも奏でるように無邪気に残酷な言葉を紡ぎだす。
「いいよ」
病院からの血液供給を失った僕たちには、人間狩りが必要だった。
時に、遠くの街まで狩りをしに行き、喉を潤す。
僕にとって、狩りは飢えを癒すためのものだ。でも今のジェシカにとってはそうではない。
暗闇の中、僕らはそれぞれにターゲットを見つけ、食事を終えてから落ち合うことにしていた。
「みて、スリープ。あの人間の心臓。綺麗だと思わない? 私こんなに綺麗なものを見たことがない」
吸血を終えて戻った僕に、ジェシカは笑いながら言った。手には人間の心臓があり、血が滴り落ちている。足元にはその心臓がつい先程まであったろう本体が倒れている。
僕はその死体をちらりと眺め、苦言を呈する。
「殺したの? 血を吸うだけで良かったじゃない」
「でも退屈だもの。美しいものが見たかったの。まだ脈打ってるのよ? とても綺麗」
「悪趣味だね」
僕の言葉に、ふふと笑うと彼女はその心臓を一舐めした。
あどけなかったジェシカはもうどこにもいない。
嗅覚を失った彼女は、その匂いに不快感を感じることが無い。今までと一変してしまった生活は彼女に欲を植えつけた。常に新しいものを、綺麗なものを求める。それは貪欲と言ってもいいほどに。
「ジェシカ。先に帰って。僕は寄るところがあるから」
「わかった。でも浮気はダメよ?」
クスリ、と笑いながら彼女は上目遣いに僕を見た。
「それを君が言う?」
彼女が時折別の男とそういう行為をしているのに、僕は気づいていた。
「あはは、そうね。だって退屈なんだもの。でも本気なのはあなただけ。大好きよ、スリープ」
悪びれもしない笑顔に笑顔を返して、僕は街の奥へと走る。
ジェシカの待つ、ねぐらである病院へ戻ったのは、それから一時間後の事だ。
*
夜が明けようとしている。
「もう、寝ましょうか」
一連の行為を終え、ジェシカが肌に寝巻を滑らせた。僕も同様にローブをはおり、その姿を鏡に移して眉を寄せる。
一見少年と少女にしか見えない僕たちのこんな姿は、見て気持ちのいいものではなかった。
「そうだね」
僕は戸棚の近くに行き、先ほど調達してきたものを取り出す。金属の冷たさが心地よかった。
右手に構えゆっくりと腕を伸ばし照準をジェシカに合わせる。彼女は僕が手に持つ銃に気づき、眉を寄せた。
「……スリープ?」
怪訝な表情は、引くついていてとても醜い。唇の赤さが滑稽なほど目立つ。
「銀の弾を手に入れたんだ。ようやく」
「どういうこと? 私を殺す気?」
「いいや。僕は君を生かしたかった。だから仲間へ引き入れたんだ」
あの日願ったことは嘘じゃない。
「ならどうして」
「でも活かすことが出来なかった」
僕の瞳に、にじんでくるものは何だろう。狂っていく君を見ていたこの何十年かはひどく苦しかった。いっそ一緒に狂えてしまえれば良かったのに。
「僕は君を愛していた。だから、君を活かすためにならどんなことでもする」
「スリー……」
指先に力を入れ、引き金がカチリと動く。反動で体がよろけ、煙幕の向こうに倒れ込む彼女が瞳に映る。
「ジェシカ。……ごめん」
彼女は疑念をたたえた瞳を見開いて、その命を終えようとしていた。胸に貫通した銃創からは脈打つように血が流れ出す。
僕はそこに口づけて、その血を一舐めした。
そして、いつもは引きっぱなしのカーテンを開け、やがて来る朝の光を迎え入れる。
彼女の脇に腰をおろし、緩く抱きしめながら銃口を自分の胸にあてた。
調達した弾は二発。
僕の望みは叶う。スリープという名前をつけた日から、この悪夢のような日々が終わりを告げることを願っていた。
君と一緒に終わりを迎えるなら、きっと幸せと言えるのだろう。
それは僕のエゴかも知れないけど。
「今行くから」
ずっと君と共に居るよ。
「Good Sleep(良い眠りを)」
最後の言葉と共に引き金を引く。突き抜けるような銃声は、無人の街に響いて消えた。
吸血鬼は所詮死人。長すぎる年月は新鮮さを奪い、退屈は人心を狂わせる。
神が人間の命に限りを与えたのは、祝福なのかもしれない。
それでも、僕はあの時他の方法は選べなかった。
彼女を救えるのならどんなことでもすると、本気で思っていた。
神様、あなたに盾突くことなんか何も恐れもしなかった。
でももし、慈悲深いと言われるあなたが、今もジェシカを少しでも愛しているのなら。
どうか僕の願いを聞いて。
彼女に朝露の匂いをかがせてあげて。光を求め、あなたを信じ続けたジェシカに、どうか祝福を。
僕の胸から伝い落ちる血の滴が、彼女の鼻先に落ちる。一瞬、彼女の鼻がひくつくのを僕は見た。
それを最後に、朝日の眩しさが僕らを包んだ――――……
――君を活かすためになら、僕はどんなことでもする。
【fin.】




