3.Daytime
眠りを妨げたのは、無機質な声だ。
「採血するよ、スリープ」
「ん。好きにすれば」
いつものように少し頭の薄くなった院長がギラついた目で注射器を向けてくる。僕はけだるい体を投げ出してされるがままになった。
日中、正確には午後。朝方眠りにつく僕には一番眠りの深い頃合いを見計らって、白衣の医師や薬剤師たちはこの部屋にやってくる。
彼らの研究テーマは、どんな難病でも治す薬の作成だ。その特効成分として彼らが目をつけたのが、『吸血鬼の血』。つまり僕の血だ。
僕たち吸血鬼は、どんな怪我をしても自然治癒する。僕たちを真に滅ぼすことが出来るのは、十字架と太陽の光と銀の銃弾のみ。たまににんにくに弱いなんて話もきくが、それはたまたまそういう吸血鬼がいたというだけだろう。吸血鬼にも個性はある。
医師たち……主に院長は、その自然治癒の仕組みを研究し、人間に投与できるような薬として採取出来ないかと考えているのだ。
そんな訳で僕は五年ほど前から、吸血鬼の血をとるためのサンプルとしてここにいる。
赤十字を掲げる病院内にいるのは自殺行為だと考える仲間もいるけれど、例え建物の壁面に十字架が飾ってあったところで中にまで影響がある訳じゃない。教会に比べれば、病院への神の影響力なんてたかが知れている。
人間社会で吸血鬼が生きるのは結構過酷だ。
僕たちは、時折水では癒やされない乾きを感じることがある。血液だけが潤すことのできる渇き。吸血はどうしても必要な行為なのだ。
それは多少であれば人の健康に害を及ぼすことはないが、空腹に負けて吸い過ぎれば人間を殺してしまうこともある。
血が欲しくて行う人間狩りでそんな失態を繰り返すと、身の危険を感じた人間たちによる吸血鬼迫害が起こる。
そうなるとおちおち夜の街も歩けない。息をひそめて、吸血鬼である自分を隠しながら暮らさなくてはならない。
何年かごとにそんなものから逃れるように街を点々として、疲れ果てた頃この病院の院長と出会った。
『研究に協力して血や細胞を差しだす。その代わり、輸血用の血液を食事として与えよう。人間狩りをするよりも安定した食糧供給が得られるぞ』という院長の誘い文句に僕はのった。
かつて新薬を発見して高名になったという院長は、再びその名をとどろかすことを夢見ている。僕はその夢に乗っかる形で、安全で退屈な自分のねぐらを見つけたという訳だ。
「今回のラットも死にました」
「ダメか。どうしてダメなんだろう」
僕の血清から取り出した免疫物質と思われるものを投与したラットは現在までのところすべて死んでいる。
どうしてダメかなんてことは専門家じゃないし、僕にも分からない。何かが根本的に違うのだろう。
でも他に考えようもあるだろう、と思う。
例えば吸血鬼は、血を吸えば全ての人間を仲間にするって訳じゃない。吸いつくせば殺してしまうし、仲間にしたいと願って血を吸えば、生まれ変わって吸血鬼として再び生きることもある。牙から自然に何か分泌液でも出てるんじゃないかってのが、僕の見解だ。
今までは用済みになっては困るからと何も言わなかったが、ジェシカと出会って少し気持が変わってきていた。
もし、何もかもを治す万能薬が作れたとしたら、ジェシカの目や病気も治せる?
そうだとしたら、協力してやってもいい。
「……唾液を採取してみたら?」
「何?」
院長がメガネ越しに鋭い視線を僕に向ける。
「僕の唾液。吸血鬼の血だと強すぎるのかも知れないでしょ。僕たち、仲間を増やす時はこの牙で人間の血液を吸うんだよ。その時に一緒に唾液が入っていくのかもしれない」
「なるほど?」
院長はすぐに看護師に、無菌室からシャーレをとってこさせる。小さなスプーン状のもので僕の舌をなぞると舌なめずりをした。
相変わらず欲深そうな顔で気分が悪い。
院長は興奮を抑えきれないように荒い呼吸をしながら僕を見た。
「今日は随分協力的なんだな」
「血液増やしてくれる?」
「ああいいだろう。いつもより一パック多めに準備するように言っておく」
院長も他の医師も、どこか正気じゃない。彼らの見ているものはビーカーでありシャーレであり、その中のある細菌や謎の物質である。その先には本来治療を待つ人間が見えて無ければいけないのだろうに。
こんなことを考えている時点で僕も吸血鬼らしくはないのだろう。昔、吸血鬼仲間からも、お前は人間臭いと言われたことがある。
まあ、いいか。今は酷く眠たい。
吸血鬼の活動時間は夜。僕の世界は、陽の当らない暗闇の中。カーテンを引いていても漏れ入る昼間の明るさはむしろ毒だ。
目を閉じるとジェシカが浮かんでくる。焦点の合わない瞳を右往左往させながら僕を捜す。すぐに疲れてしまう体をベッドに繋がれて。匂いだけを頼りに僕が来るのを待っている。
待ってて、夜はまだ先だ。
ちゃんと行くから。
夜の闇を切り裂いて、ちゃんと会いに行くから。




