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屋上画法

作者: 佐久間

拙作『屋上療法』の短い後日談です。

 冷たく、若干砂っぽい床に、腰を落ち着けた。


 ゆっくりと、目を伏せる。


 一番最初に鼓膜を叩いてきたのは、鳥の鳴き声だった。

 仲間か子供かを急かしているのか、やけに繰り返し繰り返し鳴き立てている。この少し肌寒い春の中を自分の翼で飛ぶ事を思うと、とてもうらやましかった。

 次に聞こえてきたのは風にも似た何かの音。屋上にある機械の音か、はたまた眠い目をこすりあくびをする街の音か。


 しばらくそうやってぼんやりとしていると、少しずつ、人の気配も増えてきた。中庭で練習しているらしい、トーチの音楽。かすかな足音。女子の高い笑い声。「おはよー」……


 低い声が響いた時には思わず手すりに飛びついて下を見た。驚いて、すぐにほっとする。多分、三階から階段を伝わってきたのだろう。俺がここにいられるのは、クラス発表のされていない三年生の階――四階に用事のある者などいないと分かってこそ。


 まあ、こんな立ち入り禁止の札が堂々と立っている場所へ来る物好きもいないだろう。別に、おもしろくもなんともない場所だしな。

 四階の上、屋上への扉の前。そのドアは――俺がちょっとした事件を起こしたせいで、かたく、閉ざされているが。

 ああー……なんか腹がぐるぐるする。やっぱり、朝牛乳を飲むと調子狂うなあ。

 思いつつも、そばにおいた「ミルク」ティーの缶のロゴを見てから、また一口。


 しかし、朝の七時台からこんなところでガリガリと原稿用紙にものを書いているなんて、滑稽なものだ。集合時間を思いっきり間違えて来た事自体、馬鹿らしいというのに。

 少しずつ、本当に少しずつ、人が増えてくる。あれ、少しずつって、リトルバイリトルだっけか。ど忘れした。やっぱり英頻を持ってくるんだった。手元にない参考書をイメージしていると、数段飛ばしで上がっていると思われる、大きな足音がした。こんな朝っぱらから、元気だな。


 ……スリッパの音がする。


 不意に心臓の辺りがざわざわっとし、体を起こして一度ペンをおく。


 段々……近づいてくる!?


 マズいマズいっ、どこに隠れればいい!? 何て言い訳すればいい!? もう前のように優等生を演じている訳ではないのだ、こんなところに入り込んだ理由を問いただされるに決まってる。というか、前科がある以上すっげぇ怒られるかも。

 息を殺し、変な姿勢で固まっているせいで軋む骨の音さえもうるさいと感じながら、待つ。


 パスッ、パスッ、パスッ……


 行ったか?


 ぶはあーと息を吐き出し、座り込む。あの時の他に、こっそりといたずらをしたことはなかったし、ましてやど叱られたこともない。遅れてバクバクしてきた心音を聞いて、チキンだな、と我ながら思う。

 またくだらないことをガリガリやりつつ、白いマスが埋まっていく事に解放感に似たものを覚える。

 ……結局、何も変わっちゃいないのか、俺は。外面なんて、いくらでも替えが利くんだから。


 その後もスリッパ音の廊下往復による俺の杞憂は続き、どっかの教室に入って机を動かす音や、どっかのロッカーをヤンキーのように蹴り飛ばすような音……否、おそらくかけたまま忘れて行ったロッカーの鍵を外そうとしている扉解体音にびくびくしたりしたが、用事が済んだららしいその先生は四階から姿を消した。

 もっともらしい言い訳の候補を原稿の端に書いていた俺は、今度こそ床に寝転がった。

 屋上に旗を立てるポールがあるから、明日の入学式の為にひょっとしたらいじりにくるかも、なんて恐れていたのだが。

 ま、そんなことしないよな。運動場なんて誰も見ないんだし。そこから見える屋上の旗となれば、尚更だ。


 寝てしまったらしい。

 短い夢を見た。

 伸ばした手を飲み込み迫ってくる蒼空と、向日葵色の光を背にした女の子と、雲のように空に散りばめられたたくさんの原稿用紙の、意味のない夢だった。


 目が覚めて慌てて時計を見ると、集合時間の十分前だった。いい時間に目覚められたものだ。

 だいぶ、校舎内のざわつきも大きくなっている。18クラス分の声が階段を上って、ここまで届く。もう派手な音を立てても、かき消されるだろう。俺はカバンを持って立ち上が――ろうとした。


 へこんだ角に、落書きが見えた。


 気になってしゃがんで見ると、何やら可愛らしいんだかよく分からない顔の太陽のイラストが書いてあった。

「後光どんだけ強いんだよ……いや、太陽なんだから、後光とは言わないか」

 思わずひとりごち、再び行こうとして……思い止まる。

 変な顔の太陽を、じっと見る。


 ここに来たそいつは、どんな気持ちでこれを書いたんだろう。


 カバンを下ろした。開けた。筆箱からボールペンを取り出した。構えた。

 何がいいだろう。

 ――身を焦がすように冷たく、そしてかじかむほど熱い――


『おにーちゃん、エルフかいて』

『えるふぅ? 何でまた、そんなファンタジックなものを俺が描かなきゃいけないんだよ』

『知らないのー? イマドキ、かわいいエルフの一人や二人かけないと、女の子にモテないんだよぉ』

 ずっと、ずっとずっと昔、妹にそう騙されて必死にこそこそ練習した気がする。

 おかげで、絵そのものは下手だったが、そのエルフのイラストとやらだけは無駄に上手く描けるようになった。


 俺は記憶を掘り起こして。

 耳を普通に戻して、羽根を変えればそんな感じに……。


 描き終わったとき、自分がひどく集中していた事に気がついた。鼻先にまで壁が迫っている。こんな暗さで描いていたのに、気にも留めていなかったのか。


 ペンをしまい、時計を見る。やばい、あと一分だ。


 俺は振り返らず、一気に屋上階からの階段を駆け降りた。目指すは三階、二年の昨年度までの教室。クラス発表に遅れたくはない。全速力。

 それに、これなら言い訳もつくだろう。走ってきたからです、と。

 女子が描いたようにしか見えない可愛らしいイラスト、そして何故彼女を描いたのか。冷静になってみると、考えただけで顔が火照るのだ。



 太陽の隣で笑う、彼女は――

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