合成獣
※若干グロ注意
「キール様!」
とっさに小さな少年のからだを突き飛ばした瞬間、重い衝撃が下半身を襲った。
耐え切れずに床に倒れ込む。
炎で舞い上がったすすを吸い込んで咳き込んだ口元から、血が一筋流れ出た。
ギルベールが己の背後を見ると、屋敷の梁が両腿から下を押しつぶしていた。
組織の訓練で痛覚はないが、動けない事実に歯噛みする。
「お逃げください!早く!!」
キールは口を開けては閉じて、ただ座り込んでいた。
緑の瞳が少年の感情と比例するようにくすんでいく。
その彼の背後に迫る影があった。
ギルベールは瞠目した。
ジークリンドを暗殺し、帝国に戻ったはずの元侍女が何故ここにいるのか。
そして何故キールに向って棍棒を振り下ろそうとしているのか。
「やめろぉおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
「ごきげんよう、ギルベール君」
ギルベールが目覚めると、8年前と同じ光景が広がっていた。
石の台座に刻まれた魔法陣と、その上に横たわる自分。ぶれた声で話す姿の見えない女。
帝国諜報部の管理下にある魔術研究室のひとつだ。
「・・・が・・・はっ」
言葉を発しようとしたが、今度はしわがれた声さえ出なかった。
ひゅーひゅーと咽喉から空気が漏れる音がする。
「だめじゃない、ギルベール君。帝国を裏切るなんて。その学園主席の賢い頭は飾りなのかしら?」
そうだ。自分は帝国を裏切った。
ギルベールは唯一自由になる表情筋をゆがめた。
からだは全く動かない。
これから裏切り者として処分されるのだろう。
しかしまったく後悔はしていなかった。
アニエスの死を知ったのは偶然だった。
王国にも帝国ほどの精度はないが、情報を売る人間がいた。
彼らと面識を持ち、組織に命じられた仕事をしている最中にふと目に留まった1つの指輪。
それはメンデル家に伝わる家宝だった。
今では妹のアニエスが持っているはずの、王国に存在してはいけないものだ。
ギルベールはよく似た別のものであって欲しいと思いながら、情報を集めた。
ときには公爵次男の家庭教師の地位を使ったこともあった。
そうしてようやくたどり着いた真実は、ギルベールを打ちのめした。
アニエスは7年前にとっくに死んでいたのだ。
ギルベールが失脚したあと、奴隷として戦前に送られ、辱められ、死んだ。遺品の指輪はわずかな金と引き換えに王国へ流入したらしい。
3年前に帝国の情報屋が渡した羊皮紙の内容は偽りだったということだ。
ギルベールは視界が真っ赤に染まり、めまいがした。ああ、これが怒りに染まるということかと、どこか冷静な自分が分析していた。
おそらく諜報部は妹が死んでいるよりも、生きているとギルベールに信じさせたほうが扱いやすいと考えたのだろう。
でなければ、正確な情報が命の情報屋が偽物を売る理由がない。情報屋さえ統制下に置く何かの謀略と考えるのが自然だった。
それからのギルベールの行動は早かった。
公爵家に不利となるような行動を起こす帝国の間者を、痕跡が残らないようにしながら逆に罠にはめた。
何度も繰り返し間者を始末した。
帝国の諜報部の本体と敵対できると考えるほどギルベールは驕っていなかったから、せめてもの復讐に公爵家に仇なすものを排除し続けたのだ。
せめて守れなかったものの代わりに、今ある幸せを守りたかった。
けれど、それもあの放火ですべてが潰えた。
どこからギルベールの裏切りの情報が漏れたのかはわからない。
気づいたときには屋敷は炎に包まれ、騎士団とは分断され、避難する場所もないままキールと二人ひたすら炎から逃れることだけを考えて走っていた。
素人の放火のように一定方向からではなく、屋敷を中心に渦巻くような火災だった。
「ギルベール君、聞いてるの?」
意識を過去から戻すと、まだ女の声が響いていた。
「本当ギルベール君は運がいいわよね。まだ生きてるんだもの」
生きている。
そうだ。梁に押しつぶされた自分の肉体。
そして炎。
あの状況で生きているはずがないのに、生きている。いや生かされているのか?
―――イタイ。
不意にどこからか男の声が聞こえた。
男だとかろうじてわかるが、それが若いのか年老いているのかよくわからない不思議な声だった。
―――イタイ。
「ああ、でもギルベール君。こんな体じゃ、もう生きているとは言えないかもしれないわ」
―――イタイ。オレ ノ アシ。イタイ。
ギルベールは眼球を限界まで下に向けて、なんとか自分の体を見た。
「・・・ひ・・・がっ」
声はやはり出なかったが、肺から空気がすべて出るのではないかと思うくらい絶叫した。
音のない叫びはギルベールの脳内を揺らがせた。
ギルベールの隠すことなく晒された肉体は、大腿部から下が褐色の肌をしていた。
まるで別人の足を無理やり縫い付けたように、元の肌色との境目がいびつに歪んでいた。
「合成獣。キメラの成功例おめでとう、ギルベール君」
―――イタイィィィィィ!!!!!!!!!!!
あ゛ぁああああああああああ!!!!!!!
手に生ぬるい感触があった。
見ると細長くて赤黒いものを握っている。誰かの臓腑の一部だろうか。
特に感慨もなく、ギルベールはそれを床に捨てた。
背後には血でまみれた研究室と、失敗した実験体の亡骸。
研究者たちもすべて事切れていた。
これらの殺戮を素手でやり遂げたギルベールは、もはや人間の枠に入っていなかった。
人の体などたやすく引き裂く暴力。
「はは・・・っ。これが報いですか、若様」
発狂した後に残ったのは何もなかった。
ただ緑の瞳を思い出した。
あの自分を慕ってくれた少年―――キール様。
罪人は裁かればならない。
ギルベールはふらりと揺れるからだを持ちあましながら、時限式の爆薬を仕掛け、研究室をあとにした。