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堕ちた楽園

国中に黒地に灰色の軌跡で描かれた公爵家の紋章が掲げられている。

次期当主だったジークリンドの喪に服しているのだ。




棺に入れられたジークリンドの表情は、死者独特の青白い顔色である以外生前と変わりないように見えた。

天窓から降る光に見事な金髪が輝き、人柄を表すように柔和な顔立ち。今にも起き上がりそうな雰囲気だ。


しかし彼の死はまぎれもなく事実だった。


「ジーク・・・なぜこんなことに」

公爵が一気に老け込んだような生気のない顔で、棺の前にたたずんでいた。

その隣でジークリンドの弟キールが兄の死を受け入れがたいのか、ひたすら亡骸を見つめたまま動かない。


ギルベールは他の家臣らと同様に彼らの後方で控えていたが、一礼して音も立てずに室内から抜け出した。


廊下を歩き、いくつかの角をまがったあたりで内庭に続く窓に近寄る。

鍵を外してほんの少しだけ開くと、すぐ下のしげみから若い女の声がした。


「死んでいたか?」


ギルベールは周囲に目をやってから、小さくうなずいた。


「そうか。なら予定通り処理を頼むぞ。私はこのまま帝国へ戻る」

「わかりました」


このしげみに隠れている公爵家侍女―――もうすぐ元侍女になる女が、今回馬に細工をしてジークリンドを落馬させた張本人である。

馬に幻影の魔法をかけて、暴走させて落馬したところを即死効果のある毒の針で一突き。

そして何食わぬ顔で、ジークリンデが落馬したところを発見した通りがかりの侍女として悲鳴をあげた。


ギルベールは窓を閉めて、今度は屋敷の西側にある兵舎へ向かった。

彼の仕事は今回のように王国内の要人暗殺の手引きと、その事後処理。

手引きは自身が公爵家に入り込んだときのように案外簡単だが、事後処理は証拠隠滅が面倒だった。


ギルベールが兵舎へ着くと、扉前にいた公爵騎士がこちらに向かって一礼した。

公爵騎士は公爵家お抱えの騎士団で、有事の際は国軍に次ぐ権力を持つ。

今は国境付近で帝国軍と王国軍が小競り合いをしている最中なので、公爵騎士が実質国内の守りを固めていた。


「ギルベール様、どうされました?」

「ええ、若様の馬のことで少し・・・サイラス殿かソル殿に相談があるのですが」

「ジークリンド様の馬ですか・・・。応接室でお待ちください」

「ありがとうございます」


ギルベールは眼鏡のふちを持ち上げ、微笑を浮かべた。




兵舎に唯一ある応接室で待っていると、ソルがやってきた。

大柄な彼はからだを縮めるようにして扉をくぐり、赤い髪を手でぐしゃぐしゃとかき回した。


「よお、ギル。サイラスは書類で埋もれてるから、俺でいいか?」

「構いません。あなたも忙しいでしょうに、ありがとうございます」

「いや、若様に関することだってんなら、いくらでも時間とるぜ」


そう言ってソルはどっかりとギルベールの真向かいのソファに座った。

ギルベールは眼鏡のふちをまた持ち上げた。

もともと裸眼で問題ないが、左目に現れた諜報部の印を隠すためにかけるようになってから、すっかり癖になっているようだ。

そのことに気づいて内心苦笑しながら、沈痛な面持ちのソルを見た。

同じように沈んだ表情を作りながら話しかける。


「例の馬ですが・・・単刀直入に言いましょう。処分するべきです」

「なんだと?」


ソルは駆け引きをしていい相手ではない。

むしろ直接的な話し合いの方がやりやすかった。これがサイラスならば、婉曲さと繊細な機微を感じ取る手法が必要とされたところだ。

今回の事後処理はたやすいな、とギルベールは思った。


「旦那様やキール様の目に触れる場所に、若様が亡くなられた原因になる馬がいるのは心象に悪いと思いませんか?」

「いや・・・それはそうだけどよ。勝手に処分はできねぇ。持ち主の若様が亡くなられたからって、俺らに所有権があるわけじゃねぇしよ」

「そうですね。だから馬をサイラス殿かソル殿の家に引き取ってはどうでしょうか。旦那様たちが必要と判断されたときは、すぐに戻せるように。ただ、今の時期だけ目に触れないように」


時間とともに魔法の痕跡は消える。

そうすれば幻影で操られていたという証拠は残らない。馬を殺すことができれば一番簡単だが、こちらまで怪しまれる危険は冒せなかった。


ソルはしばらく腕を組んでうなっていたが、やがて顔を上げた。


「わかった。若様の馬は俺が預かる。サイラスには俺から言っといてやるよ」

「感謝します」

「いや、今の屋敷の中で冷静なお前がいてくれて助かってる。次に剣を捧げるだろうって思ってた若様が亡くなられたもんで、騎士団の若い連中だけじゃない。俺やサイラスもけっこうキてるからな」

「そう・・・ですね。私は薄情なのでしょう」


かなり本音でそう言って、ギルベールは自嘲の笑みを浮かべた。

ソルは気にするなというように首を振った。


ギルベールが公爵家に入り込んで3年。

王都では国境の争いなど関係ないとでも言うように、平和な空気が流れていた。

たしかに物価の上昇や、武器類の物流の変化、そして騎士たちのどこか緊張した面持ちはあれど、それは帝都と比べるまでもない。

物価は民がなんとか生活していける範囲だし、武器が表だって取扱いされることはない。騎士たちが街中を巡回しているおかげで、治安の悪化も最小限に食い止められている。

その光景は、まるであの幸せなときに似ていた。


妹の代わりに弟のように思えてきたキールがいる。

学友たちの代わりに騎士団や家臣の同僚たちがいる。

帝国の間者とのやり取りは毎回緊張を強いられるが、組織の血反吐を吐くような訓練もない。


生まれ育った場所が違うだけで、こうも変わるものなのか。

王国の民は優しかった。

帝国にアニエスという心残りがある上に、組織によって心を抑え込む技法を叩き込まれていてもなお、罪悪感を感じるほどに。




兵舎を出て、ひとり内庭にたたずんでいたギルベールは空を見上げた。


「アニエスなら、こんな私を軽蔑するでしょうね」


目の奥がつんとした。

泣きたい気持ちに似ていた。


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