斜陽の影
エレオノーラの話と違って、若干シリアス展開です。
「おめでとうございます、先輩!」
「君は我が校の誇りだよ、メンデル君」
祝辞と窓からふりまかれる極彩色のドライフラワーの雨。
ああ、夢だ・・・と、ギルベールは自嘲した。
幸せだったころの夢。
グランティオス帝国の国立学園を首席で卒業した私は、小さいながらも領地を持つギルベール=ド=メンデル子爵として宮廷入りした。
隣国のクレセント王国との間に戦火があがったのは、その年の暮れだった。
ギルベールは目をあけて、周囲を見回した。
冷たい岩壁と、鉄格子。
足首には鉄球つきの鎖がぶらさがっている。
整えられていた髪が乱れて、母譲りの黒髪が頬にかかった。
昨日の昼までは、ギルベールはグランティオス宮廷で黙々と仕事をこなしていた。
隣国との戦で民は疲弊し、宮中には間者が跋扈していると噂されている中、己の責務を果たすことこそが忠義だと信じていたのだ。
誰の恨みを買ったのか、そもそも恨みなどないまま姦計に陥れられたのか。
夕刻には逆賊として牢に閉じ込められていた。
あっという間のできごとだった。
釈明の言葉も、裁判の時間さえ戦時の多忙を理由に設けられなかった。
牢は満潮になると海中に沈む。
それでも生き残ることができれば無罪放免という、古来の忌まわしい風習が残る場所だった。
「こんな若造が失脚したところで得をする人間がいるとは思えませんが・・・私は生き残れないでしょうね」
淡々と事実だけを述べるように、言葉にする。
感情的になってもなにも解決しないと理解していたというより、悔しさも悲しさも何も感じなかった。
戦争中の国家とはこんなものか、と失望しただけだった。
唯一の心残りは妹のアニエスだ。
子爵当主の自分が失脚した今、領地は没収されているだろうし、屋敷もおさえられているに違いない。
おっとりとした彼女のことだから、私よりもさらに訳がわからないうちに全てを奪われているだろう。
屋敷に仕えていた者たちが保護してくれていればいいが、どうなっているのか知るすべはない。
両親が生きていればまた違ったかもしれないが、いない人間をあてにはできなかった。
じわり、と岩壁のわずかな隙間から海水が滲み出してきた。
牢が沈没するまで時間がかかりそうだが、ギルベールはすでに諦めていた。
「ああ、でも・・・もし助かったらアニエスと国外へ行くのもいいですね」
まぶたを閉じてゆっくりと意識を闇に沈めていった。
次に目が覚めたとき、ギルベールは自身がまだ生きていることに驚いた。
「ごきげんよう、メンデル子爵。あらもう子爵じゃないわね。ギルベール君」
脳内に直接言葉を叩きつけられたように、言葉がぶれて聞こえる。
左右を見回したが、声の主は見当たらない。
ギルベールは石の台座のようなものの上に寝ていた。
起き上がるってみると、台座には緻密な魔法陣がえがかれているのが見えた。
魔法に関しては知識のないギルベールにはわからなかったが、どうやら声はここから聞こえてくるらしい。
「ギルベール君。聞こえているのなら返事をしなさい」
艶のある女の声だが、ぶれて聞こえるせいで気持ち悪くなってくる。
ギルベールはかすかにうなずくことで、聞こえている意を示した。
「いい子ね、ギルベール君。術は成功よ」
「じゅ・・・つ?」
不穏な響きにギルベールは問い返したが、自分の咽喉からひび割れた老人のような声しか出なかったことに動揺した。
「そうよ、帝国式の特殊魔術。あなたは選ばれたの」
女が顔は見えずとも、誇らしげにしているのがわかるような声音で答えた。
意識がぐらつく中、なんとか彼女の説明を聞き取る。
「急に地位を失って驚いたでしょう?でもこうしないと諜報部には入れないのよ。ああ、諜報部っていうのは、宮廷の噂話からクレセント王国の要人暗殺まで色々お仕事してる部署よ」
それはまともな部署とは思えないし、正式な仕事でもないだろう。
だが、ギルベールは己がここにいる理由がおぼろげながらわかってきた。
「諜報部の人間は皆、体の中にその魔法陣を組み入れるわ。右手だったり肩だったり、人によっては心臓にね。それが組織内でお互いを見分ける印ってこと」
ギルベールはひりつく咽喉を無視して声を出した。
「わた・・・しは、どうな・・・る?」
「無理に声を出さないほうがいいわ。まだ術の影響で体調が戻ってないはずだから。でも、そうね。今の時期なら王国内部への潜入捜査とかが流行ってるわね」
諜報に流行などあるものか。
ギルベールは鼻で笑って、この強引な勧誘から逃れる方法を考えた。
しかしすでにギルベールの体内に―――どこにあるかは、まだわからないが―――印とやらが刻まれている以上、逃げ出すのは容易ではないだろう。
しかし外に出られるなら、アニエスを保護することも可能かもしれない。
「わかり・・・ました」
ギルベールは胡散臭い女の声に、しっかり返事をした。