二人の砂海
病院の裏口を出た瞬間、世界は消失していた。猛烈な風に叩きつけられる砂の粒は、もはや微細な刃物となって皮膚を削ろうとする。その過酷な「虚無」の中に、二頭の巨影が佇んでいた。王家が誇る白ラクダ――嵐を裂くために選ばれた、砂漠の王者の末裔だ。
「これに乗れ、ウェントワース!私の背を離すな!」
ザディードの叫び声も、暴風にかき消されそうになる。彼は慣れた動作でラクダを膝つかせると、サラを先に鞍へと引き上げた。サラがしがみついたのは、彼の逞しい背中だった。シュマグを深く巻き、砂避けのゴーグルを装着した彼の背は、先ほど病院で見せた孤独な男のそれではなく、荒ぶる自然に真っ向から立ち向かう勇者の盾そのものだった。
「出発するぞ(ヤッラー)!」
ザディードが短く命じると、ラクダは力強く立ち上がった。視界はゼロに等しい。最新のGPSも、ラシードが誇ったハイテク機器も、この電磁嵐の中ではただの鉄屑だ。頼れるのは、ラクダの本能と、ザディードの記憶に刻まれた砂の地層の感覚だけだった。
ラクダの歩みは、船のように大きく揺れる。サラは必死でザディードの腰に腕を回した。布越しに伝わる彼の体温。荒い呼吸に合わせて上下する背中の筋肉。極限状態の中、サラの五感は研ぎ澄まされ、自分を支えるこの男の存在だけが、世界のすべてになった。
どれほどの時間が過ぎたのか。突然、ラクダが大きくよろめいた。吹き荒れる突風が、彼らの進路を阻む。
「殿下!」
「案ずるな!私が、死なせはしない!」
ザディードが片手でサラの腕を強く握り直した。その掌は、病院で触れた時よりもさらに熱く、力強い。彼は荒れ狂う風に向かって、古の祈りのような、あるいは獣を鎮めるような低い声をかけ続ける。その時、サラは気づいた。この男は、傲慢なのではない。この過酷な大地で、一人の脱落者も出さないために、彼は自分自身を鋼のように鍛え上げ、孤独という鎧を着ていただけなのだ。
ふいに、風の音が止んだ――わけではなかった。大きな岩陰、砂漠の民が「嵐の目」と呼ぶ一時的な避難場所に、彼らは辿り着いたのだ。ラクダを休ませるため、二人は鞍から降りた。
激しい呼吸を整えながら、ザディードがサラの肩に手を置く。
「……無事か」
「はい。殿下こそ……」
「ザディードだ」
彼はゴーグルを外し、サラを真っ直ぐに見つめた。そこには、王宮での冷徹な仮面はない。砂に汚れ、疲弊しながらも、命を救いに行こうとする一人の人間の剥き出しの意志があった。
「病院での失礼を詫びよう。……君は、私が思っていたような『ただのボランティア』ではなかった。この嵐の中に飛び込む度胸を持つ女を、私は他に知らない」
ザディードの手が、サラの頬に付着した砂を払うために、そっと伸びた。その指先の震えは、彼が抱える重圧の大きさか、それとも――。
「行こう。村の子供たちが待っている」
再びラクダに跨る時、二人の間には、言葉以上の絆が結ばれていた。彼らは再び、砂の咆哮の中へと漕ぎ出していった。




