灼熱の洗礼
飛行機のハッチが開いた瞬間、サラ・ウェントワースを襲ったのは、暴力的なまでの熱風だった。ロンドンの霧雨が懐かしくなるような、乾いた黄金色の空気。アル・サフィール王国の空は、吸い込まれるほどに蒼く、地平線の彼方まで続く砂丘が陽炎に揺れている。サラは看護師の鞄を強く握りしめ、タラップを一歩ずつ踏みしめた。
「……ここが、私の戦場」
親友のアリスには「無謀よ」と泣いて止められた。イギリスの安定した病院を辞め、設備も整わない砂漠の国へボランティアに赴くなど、狂気の沙汰だと言われても仕方がない。それでも、サラの胸には消えない灯火があった。苦しむ人々がいれば、場所は問わない。それが彼女の矜持だった。
空港の出迎えに立っていたのは、数人の屈強な兵士たちだった。彼らに促されるまま、黒塗りのSUVに乗り込む。車窓から見える景色は、近代的な高層ビルと、中世から変わらぬ土壁の家々が混在する不思議な街並みだった。車は王宮に隣接する「王立アル・サフィール中央病院」へと滑り込んだ。そこは、砂漠の静寂を切り裂くような、清潔で鋭利な空間だった。
案内された最上階の執務室。重厚なマホガニーの扉が開いた瞬間、サラは息を呑んだ。
窓を背にして立っていた男が、ゆっくりとこちらを振り向く。アル・サフィールの伝統的なカンドゥーラを纏いながらも、その上に羽織った白衣が、彼が卓越した外科医であることを象徴していた。彫刻のように深く端正な顔立ち、そして何よりも、すべてを見透かすような冷徹な琥珀色の瞳。彼こそが、この国のシークであり、天才外科医と謳われるザディードだった。
「……君か。イギリスから来たというボランティアは」
その声は、砂漠の夜のように低く、肌を刺すような冷気を帯びていた。サラは背筋を伸ばし、真っ直ぐに彼を見つめ返した。
「はい。サラ・ウェントワースです。本日より、こちらの看護業務に従事させていただきます」
「看護業務、か」
ザディードは鼻で笑うと、机の上に置かれたサラの履歴書を一瞥もせずに放り出した。彼は大股でサラに近づく。彼が放つ圧倒的な威圧感に、サラは思わず一歩後ずさりしそうになったが、辛うじて踏みとどまった。ザディードの手が伸び、彼女の細い手首を掴み上げる。その指先は、驚くほど長く、そして硬い。
「この白く柔らかな手が、砂塵にまみれた病人の血を拭えると思うのか?湿った島国で甘やかされた小娘に」
「……環境に適応する覚悟はできています。私はプロです、殿下」
サラの反論を聞き流すように、彼は彼女の瞳の奥を冷たく射抜いた。
「覚悟だと?笑わせるな。ここでの医療は、君が知るような清潔で予定調和なゲームではない。生と死が砂嵐と共に踊る場所だ。君のような『異国の小娘』に何ができる?」
ザディードは不快そうに手を離すと、窓の外に広がる広大な砂漠を指し示した。
「一週間だ。それ以上、君の泣き言に付き合う暇はない。すぐに荷物をまとめて帰る準備をしておくことだ」
言い捨てて、彼は背を向けた。残されたサラの耳の奥で、心臓の鼓動が激しく打ち鳴らされている。屈辱と、それを上回るほどの闘志が、彼女の胸の中で熱く燃え上がった。
(見ていなさい、シーク。私は絶対に、逃げ出したりしない)
窓の外では、夕日に染まった砂漠が、血のような赤色に輝き始めていた。それは、これから始まる過酷な運命を予兆しているかのようだった。




