神聖アニマ・ディヴィナ教
「ジョナサン・ハート氏はここに帰ってないと?」
ハイデン、ストレリチア、ヴェラーテはアリシアを父親のジョナサン・ハート氏に引き合わせるために彼が借りている屋敷へと足を運んでいた。
家の雑事を預かっている中年の婦人が困ったように語りかけて来る。
「はい、私は通いですが、用意しておいたお食事にも手がつけられておりませんし、お着替えをされた様子もございません」
その困惑の視線がチラリとアリシアに向けられて、ハイデンへと戻される。どちらかというと、彼女もハイデンにどうしたら良いかすがりたいというような様子だった。
「御身はまさかアリシア嬢をこの家に置いて仕事は終わりとか言う気はないだろうな?」
ストレリチアがジト目をハイデンに向ける。ハイデンは上着の内ポケットから手帳を取り出し、走り書きをするとページを二枚破り取ってその中年の女性に渡した。
「何かありましたら、こちらに私を訪ねていらして下さい。もう一枚のメモはハート氏の目に留まる所に置いておいてください。お嬢さんは責任をもってハート氏が戻るまでお預かりしますので」
婦人はいくらか肩の荷がおりたように少し微笑んだ。
「どうしたものかな」
帰りの馬車の中で独り言ちるハイデンの言葉にストレリチアが少し何か言いたそうな顔をした。ヴェラーテはその様子を見ている。
アリシアが淡くやわらかなな笑みを浮かべたまま言った。
「あまりお気遣いなく。わたくしの病が治って以来、もう普通の生は送れないのだ悟りました。今このとき、ハイデン様のおそばにいられたこの暖かな気持ちを胸にこれから生きていこうと思います」
ストレリチアがアリシアの言葉に口を開く。
「昨晩のあの『夢』のことか?」
ヴェラーテの大に急に赤みがさし、彼女はくるりと窓の外を向く。
あの『夢』ではお互いの意識が拡大していき、混ざり合ったというべきだろうか。お互いの今までの行いや過去の生、全てが混ざり合い、なお拡大していってこの世界より大きくなり、そのことによってまた別の層の世界に入り込んだような感覚を得ていた。
ハイデンは腕を組んでヴェラーテに向かって言う。
「もう巻き戻しは出来ない。そこはあきらめろ。ただ、ヴェラーテが今の前の生でかなりファンシーな人生を送っていたくらいにしか覚えていない。あの瞬間の意識の拡大での認識は、おそらく肉体の中には持ってこれない容量なんだろう」
窓の外を見る振りをしていたヴェラーテがハイデンと視線を合わせると、奇声を発して馬車の床に転がり手足をばたつかせ始めた。
「にぎゃー!! へはああー!!」
ストレリチアがヴェラーテを慰める。
「なにも恥じることは無いであろう。なかなかの審美眼だと思ったぞ」
ヴェラーテがすくりと立ち上がりストレリチアに指を突き付けて言った。
「そりゃ、自分は今とあんまり変わらない人生だったからな! そう澄ましていられるよなぁ!」
「女として老衰を見られるのは十分に恥ずかしいであろう!」
「あー! そんな普通の人生送った人の言うことに説得力なんてないね!」
ハイデンが疑問を口にする。
「仮装みたいなことをしてるのは今も変わらないじゃないか?」
アリシアが説明を入れて来た。
「多分持ち物に可愛い名前をつけたり、色々なものに話しかけていたことではないですか?」
「ぐわー! グレテやる!! もーグレテやる!!」
再び床に転がって手足をバタバタさせだすヴェラーテを見てストレリチアがハイデンに言う。
「どうしたものであるか」
「感情がハレーションを起してるんだろうそのうち落ち着く。子供の頃から知ってる人とかには色々知られてるけど、そんなに恥ずかしく無いだろう? それと一緒でしばらくしたら落ち着く」
「もう、ころせー!! 一思いにころしてくれー!!」
そうしてヴェラーテが半べそをかき始めた時、馬車が屋敷への門をくぐる暫く手前で停止した。
外を見ると、馬車の前に一人の男が立っていた。白いローブに白いマントの男だった。
「馬車にいろ。俺が話してくる」
ハイデンが馬車を降りると、その男は胸にぶら下げていたイコンらしきものを彼に示してきた。コリント式の柱に絡まるバラが七つ咲いた蔦が絡まっている。
「私はこういうものです。アニマ・ディヴィナの僧侶をしている、ファビアン・モレッリと申します」
生まれも卑しからぬ所作で大げさにハイデンに挨拶をする。
神聖アニマ・ディヴィナ教、人間の魂の中に少しずつ神が偏在する、という考えの教義をもった宗教だ。
より尊い血や、能力の高い者にはより多く神が偏在しているというご都合主義で、国の権力者にも取り入っているという、広く信仰される宗教に欠かせないしたたかさも持ち合わせている。
「グリーンウッド商会の、ハイデン・グリーンウッドです。モレッリ殿、今日はどのようなご用向きでお会いできる幸運を引き当てましたでしょうか?」
モレッリと名乗った男がニヤリと唇を歪める。
「ジョナサン・ハート氏には話をしていましたが、アリシア・ハート嬢のことで・・・・・・」
男はこちらの出方を見るように口を閉じる。
「それは恐らく氏はもうご回答していたかと思いますが。アリシア嬢は私の婚約者だ。教会への所属はお断りしているはずだ」
ハイデンのブラフを知ってか男はとぼけたように続ける。
「おや、これは、これは。私の知る話とはいささか違いますな。なんでも、ハイデン殿とは婚約するかも知れない・・・・・・、ということでしたが」
きな臭さが増してくる。敵対者たとしても明確に暴力に訴えないタイプの人間だ。自分の節を通すにも、手続きや法を利用して絡め手で来るタイプだ。
「私が首都に来たのは氏に頼まれて、婚約の話をするためだ。双方の間ではもう決まったことだ」
男は芝居がかってだらりと下がっていた両手を広げて口をひらいた。
「それはそれは、おめでとうございます・・・・・・。ただ、お嬢様はなんと?」
この世界では父親と婚約相手の男が合意をした婚約の場合、よほどのことが無い限り、翻ることはない。それをあえて追求するのには、意味がある。
ハイデンが庇うような位置に立った馬車から、アリシアが降りて来る。
「はじめまして、わたくし、アリシア・ハートと申します。今のおはなし、相違ありません。わたくしもハイデン様とのご婚約、謹んでお受けしたしだいです」
男の目がアリシアを見る。
「これはこれは、可愛らしいお嬢様ですね・・・・・・」
彼だけ馬車を降りたのには理由がある。ハイデンはアリシアをこの男に見せたくなかった。顔を知らなければ取れる選択肢は限られるからだ。
その考えを知ってか、アリシアがハイデンの手を取って男に言った。
「このような所で立ち話をするよりも、お屋敷でお茶でもいかがですか?」
男は先ず眉をあげると、一呼吸程して両掌をこちらに向けて肩の上まで上げて見せた。
「いえ、そこまでには及びますまい。今日はほんのご挨拶・・・・・・」
ハイデンは何か引っかかるものを感じて押してみた。
「ああ、お茶くらいはお時間ありませんか? 珍しい菓子も手に入っていますので」
男の顔の笑みが不気味さを増す。
「お誘い、ありがとうございます。ですが、神に仕えるこの身、どうして自らの都合を神のそれの前に置けましょうか? いずれ、またお邪魔させていただければと思います。・・・・・・いずれ必ず」
そういうと、男の周囲の景色だけが日が落ちたように暗くなっていく。男が包まれた空間を切り取られたのような闇が明るさを取り戻すと共に、男の姿が薄くなっていく。
周囲と変わらず昼の明るさへと戻った時、男はその場からら忽然と消えていた。
ちょっとペースを落としていこうかと思います。出来れば週末までは毎日投稿を続けたいですが、ちょっと日常の生活との時間の兼ね合いの問題が出てきま居ましたので。




