眠りの国のアリシア
日も傾きかけた頃、ハイデン鄭はにわかに賑やかさを増していた。それは予期せぬ訪問者が現れたからだった。
雪のように白い髪と紅い眼の少女が淡いピンクのドレスを着てにこやかにソファにかけている。髪は腰まで下がっているのに頭の両サイドに大きなお団子が結われている。恐らくそれを解いたら床に触れるほどの長さだろう。
彼女は元気な声で言った。
「なんでしょう、わたしの旦那さま!」
手紙を読み終わってその言葉に口をパクパクさせているハイデンへ侮蔑の言葉がストレイチアの口からついて出た。
「この男! こんないたけな子を!」
緑色の炎のように何をどう言ったら良いか何度も口を開いては思い直していたハイデンが叫ぶ。
「濡れ衣だ!」
ハイデンはストレイチアの目を見ると、その怒りを自分でおさめるのをあきらめて手紙を差し出した。
ひったくるようにしてストレイチアがその手紙を受け取ると目を通し始める。
そこに書いてあった内容はこうだ。
送り主はジョナサン・ハート、目の前の少女、アリシア・ハートの父親だった。
実は近年、とある切っ掛けから娘に癒しの能力があることが分かり、それが色々な経緯でいつの間にか広まっていたこと。そのことで、権力者や日陰の者など様々な人物から接触があり、娘の安全を気にかけていることが書かれている。
そうした中、ハイデンが近々ジョナサンが長期的な仕事で滞在しているマグナ・オリア国家連合の首都、ネクサス・リベルタスへ来ると風の噂で聞き、アリシアを連れてきて欲しいという依頼の手紙だ。
そこには娘の安全のため、アリシアとハイデンが婚約する予定だといううわさを流し、ハイデンの庇護下にいても不自然でないように工作をしたということも書かれている。
また、アリシアは子供の頃、病気がちなところにハイデンが手配した薬で病を持ち直したことで非常に大きな恩を感じていて彼を崇拝していることも書かれていた。
そして、そうした文面の中に、だからといって娘を娶ることを許したと思わないで欲しいという釘をさすことも婉曲的に所々にちりばめられた、かなり文学性の高い力作だった。
そのやきもきとした父親の心を綴った長い手紙を読み終えた頃には、ストレイチアの沸々とした怒りはその熱を失っていた。
「なるほど・・・・・・」
そういって手紙をヴェラーテに渡す。ヴェラーテは一瞬で斜め読みをすると、すぐに傍らの老軍人へと回した。
「わたし、約束どおり父様にハイデン様の妻になることを許してもらいました!」
認識に齟齬があるようだ。
「話は分かったが、こんな幼い子を!」
再び怒り始めたストレイチアにハイデンが言う。
「その辺りの結論はともかく、そうは言ってもアリシアは十八歳だぞ」
ストレイチアがその白い少女へと振り返る。しげしげと見る視線に少し顔を赤らめて、彼女はドレスの胸に手をあてていう。
「わたし、小さいかもしれませんが、頑張ります」
ストレイチアは慌てて彼女が胸に当てた両手をつかんで少しいかがわしさを匂わせるポーズになっているのをやめさせた。何を頑張るかはだれも追及する気はないようだ。
「それにしても、病気がちだったのに、元気になったようで何よりだ」
「はい! 旦那様!」
「その呼び方は正式にジョナサン氏に会って確認をとるまで無しにしてくれないか」
疑わしい目で見て来るストレリチアと我関せずのヴェラーテ。どう目を凝らしても文字が見えないようであったコンラートが妻に手紙を渡すと、ギーゼラはそれを丁寧に折り畳んでハイデンへと返して言った。
「まもなく、夕餉の準備が整います。どうぞ食堂へ」
その夕食の席でハイデンが皆に向けて口を開く。
「皆、聞いてくれ。もともと首都のネクサス・リベルタスへは予定に入っていたが、今回のことによって予定を繰り上げて、明日出発することにする」
ストレリチアが異をとなえる。
「急すぎないか? オートクレーブにポンプを接続しての真空動作もまだ実験中だぞ?」
「それは首都で継続する。そのための小型化だからな」
ハイデンがコンラートとギーゼラにも声をかける。
「本来ならコンラートとギゼーラは、この屋敷の管理をしてもらいたい所だが、今回かねてより首都で探していたグリーンウッド商会の拠点となる物件が見つかったので、そちらに移ってもらう」
「はっ、指令と前線に向かうは光栄の極みであります!」
突如大声を出すコンラートのあとに、少し不安そうにエコーが言う。
「ヴェラーテと僕は?」
「ヴェラーテはもともとストレリチアの護衛だ。エコーもギーゼラの食事を食べたいだろう? 一緒に来ると良い」
「うん!」
元気よく答えるエコーにギーゼラが嬉しそうにニコニコとその髪をなでる。
アリシアは全員に向けるように、一度深々と頭を下げると言った。
「ハイデン様、わたしと父の都合に合わせて頂きまして、ありがとうございます。それに、お二人もこんなにステキな方がいらっしゃるのに、私も妻にしていただけたことに、今夜お礼をさせていただこうと思います」
「いや、それには及ばない」
ハイデンは嫌な予感がして半ば被せるように言った。
「明日は早くに出立したいので、皆早めに休むように。ここの後始末については後から商会の人間を赴任させるので、すぐに対処しなければならないもの以外は引き付きのメモで対処してくれ」
「大丈夫です、旦那様。とてもスッキリお目覚め出来ると思いますよ?」
ハイデンは、何度言っても大丈夫としか答えないアリシアに、今夜は与えられた部屋から出ずにゆっくりと休むように噛んで含むように言いつけたのだった。
その夜、ハイデンは夢を見た。
見たことのない、波打つベルベットの敷き詰められた床があり、天井も壁も見当たらない濃い霧のような曖昧な白い空間だ。
「ハイデン?」
そこにはストレリチアがいた。自分がナイトガウンだったのを思い出したようにハイデンをにらみつけてきた。
「俺のせいじゃないだろ」
その緑の瞳はこの現象がハイデンの仕業では無いかと疑っているようだった。確かに彼女からしてみれば、この状態はハイデンの技と同じように正体が不明だろう。
「ようこそ、いらっしゃいました。わたしの、夢の世界に」
声の方を見ると、周囲を警戒するヴェラーテの横に、アリシアが恭しくナイトガウンのすそをつまんでお辞儀をしてみせていた。
「まさかとは思うが、みな各々キッチリ意識がある状態であろうか?」
驚いて言うストレリチアにハイデンが答える。
「俺は少なくとも寝てる気はしないな」
ヴェラーテが警戒を解いて普通の姿勢に戻る。アリシアが続けた。
「わたしの精いっぱいのお礼です。どうぞお受け取りください」
そういうとその夢の世界は光だしハイデン達は自分たちの感覚が体の外まで拡大していくのを感じていた。感覚が交差して、お互いが接近したように感じる。霧がベルベットの上を這い、世界を白く染めていく。
「これは幻覚剤で発生するのと同じ現象か?」
ハイデンの独り言ちはさらに拡大する間隔に呑まれていった。お互いが重なり合ったような感覚に陥り、お互いの考えが流れ込んでくる。
暖かい金色にも似た光が場に満ちこの場の四人の意識が混ざり合い、人格や理念、過去の全てがゆるやかで大きな渦のように回りだし、過去の生や、生を受ける以前の、生より外の世界の様子が見え始めた時、全てが白くハレーションを起して消えた。
翌日、馬車の中でハイデンの右にはアリシア、左にはストレリチアが座っていた。アリシアはこの上なく上機嫌でハイデンの腕を抱えるように取り、ストレリチアは少し焦点の定まらない目をして彼の肩に寄り掛かっていた。
ヴェラーテは何故か横を向いて窓の外を見る振りをしていた。実際にはハイデン達から顔を背けすぎていて、なぜか真っ赤になったうなじと耳が見えていた。
アリシアの能力は癒し、つまり治療だという話だったが、実際はそれどころの話では無いことをハイデンは理解していた。それはもっと根源的なもので、この世界はおろか、転生、転移前の世界やそのさらに基盤となる構造も含めた領域まで触れるものだったのだ。
ハイデンはその事実をどう受け止めて良いのか把握しかねていた。
やったぜ! やっと連合首都に向かうぜ! これで本筋が進むといいな。




